【完結】妖精と黒獅子

水仙あきら

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第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき

23 妖精姫は過去を語る ⑤

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 フランシーヌは連れてきた侍女にお茶の支度をさせると早々に下がらせ、自身は上座に身を沈ませた。対面に座したセラフィナは、何故こんなことになったのかと考える。
 フランシーヌとは一度も会話をした事がない。まず徹底的に無視されていたし、自分から話しかけることは叶わないからだ。それでも遠くから姿を見かけることはあったが、近くに来てみるとその存在感は圧倒的だった。周辺国も恐れる戦好きの女王という評判を体現したかのような、苛烈な雰囲気をまとっている。

「ここへ来たのは他でもありません。あなたの結婚相手が決まったからです」
「……それを女王陛下直々に、ですか?」

 セラフィナの問いかけに、彼女は無感情な瞳を向けると、一見柔らかそうな微笑みを浮かべた。

「もちろん、娘の結婚を決めるのは親の務めでしょう?」

 怖い、と思った。いままで散々罵倒を浴びせてきた貴族たちにも、こんな怖い目をした人はいない。

「そ、それは、ありがとうございます。それで、お相手はどなたですか……?」
「喜びなさい。お相手は隣国ヴェーグラントの新しい皇帝陛下、ディートヘルム・クルト・マクシミリアン・フンメル様です」

 言葉をなくすとはこのことだった。
 ヴェーグラントといえば隣国ではあるがその関係は良好とは言い難い。六百年前に両国間で起こった戦争以来、国交を行いつつも水面下では牽制し合っているのだ。
 背中に傷を持ち、ハイルング人であるという爆弾を抱え、しかも庶子であるこの私が、ヴェーグラントへ行くなんて。

「た、大変恐れ入りますが、女王陛下。私などでは、皇帝陛下に失礼となるのではないでしょうか?」

 何か一つでも失敗を犯せばおそらく命はない。最悪、自分の命などはいい。だが、もしも。それをきっかけに戦が起こりでもしたら。

「だから行ってもらうのですよ。あなたにね」

 顔色一つ変えずに放たれた言葉は、絶望となってセラフィナにのしかかってきた。「だから行ってもらう」ということは、それはつまり。

「ヴェーグラントと事を構えるおつもりなのですね……?」
「理解が早いのはいい事です。ですが相手は大国。真っ向から挑むのではなく、向こうから戦争を起こすきっかけを作ってもらいたいのです。今のままではさすがに民の支持を得られませんからね。人気のあるあなたの死は、世論を動かすのにもちょうどいいでしょう」

 もはやなんの言葉も出てこなかった。この人は本当に人間なのだろうか。地獄に住むという悪魔でも、ここまで無慈悲なことは考えまい。

「せいぜい化け物には役に立ってもらわなくては。失って困らない手駒ほど便利なものもありませんからね。さあ、理解しましたか」
「………」
「返事は」
「……かしこまりました、陛下」

 俯いたまま顔を上げようとしないセラフィナに、女王はもはや毛ほどの興味も持てなかったらしい。優雅な所作で腰を上げると、部屋の主に声をかけることもなく退室して行く。
 その日からセラフィナは自室に軟禁状態となった。



 誰一人として別れの言葉を告げられないまま数ヶ月が過ぎ、ついにアルーディアを去る前日の夜を迎えた。
 他人から見れば同情すべき人生だったのかもしれない。けれど死ぬかもしれないと思うと、やはり強い寂寥を感じずにはいられなかった。優しくしてくれた人達の姿を思い出す。どんなに辛い事があっても、彼らがいてくれたから我慢できた。希望を見出せた。

「せめて挨拶くらいはしたかったですね……」

 独白は暗闇の中に吸い込まれるはずだった。しかしそれに答えるようにして窓が小さく音を立て、セラフィナは身を竦ませる。
 虫でもぶつかったのだろうか。気にせずベッドに入ろうとしたのもつかの間、今度は明確に窓がノックされたのを聞いて、セラフィナは駆け出していた。
 窓を開けると果たしてそこには一番会いたかった人がいた。
 ベルティーユは軽やかな身のこなしでバルコニーへと降り立つと、月を背にして微笑んで見せた。

「姉上……!」
「セラフィナ、久しぶりね」
「なんという無茶を! どうやってここまで?」
「レオナールに手伝ってもらったの。あの人、あまりの作戦に半泣きだったけど」

   見られるとまずいから入れてもらえる?と苦笑されてしまい、セラフィナは慌てて彼女を室内へと案内する。やはり流石に運動神経の達者なベルティーユでも骨が折れたのか、彼女は室内に入った途端に座り込んでしまった。

「姉上、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、ちょっと気が抜けただけよ。今日はあなたにどうしても伝えたい事があってきたの」
「伝えたい事?」
「セラフィナ、あなたは絶対に私が助ける。だから諦めないで、どうにか生きていて欲しいの」

   ベルティーユは何かを堪えるように眉をよせ、強く強く手を握りこんでくれた。その力強い瞳が、今は涙の気配を見せないのが頼もしかった。

「それだけよ。……もう行かないと。もって三分だと言われているの」
「もうですか? そんな……! 待ってください!」

 妹の叫びに、彼女は窓にかけていた手を止めた。どうやら待ってくれるらしいと知って、この千載一遇のチャンスを逃すものかと必死で頭をまわす。

「ありがとうございました。今までここで生きてこられたのも、姉上のおかげです。本当にお世話になりました。レオナールにもよろしくお伝えください」

 何とかそれだけ言って深々とお辞儀をすると、ふわりと頭を撫でる感触があった。
 次に顔をあげた時にはもうその姿はどこにも無く、微かに揺れるカーテンだけが一瞬の邂逅を証明していたのだった。

 ああ、やはりこの国が大事だ。この国に住まう人が好きだ。だから守りたい。そのための努力はなんだってしよう。己の力でアルーディアを守れるならこんな嬉しいことはないのだから。
 セラフィナは決意を固め、半分だけ開かれた窓から丸い月を見上げた。その光は背を押してくれるかのように力強かった。



「皇帝陛下へ無礼を承知で申し上げます。どうか、何卒戦争だけは避けて頂きたいのです。どうか……!」

 セラフィナは今、謁見の間にひれ伏している。全ては恐ろしき皇帝ディートヘルムの不況を買わぬために。

「ああ、別に良いぞ。ヴェーグラントとしても、アルーディアとの戦争は避けたいところだしな」

 放り投げるような声に身を恐る恐る起こすと、若き皇帝は不敵な笑みを浮かべていた。
 何かを企んでいそうな笑顔だ。直感的にそう思った。

「ほ、本当によろしいのですか……?」
「ああ、そもそも余はレナータ以外には興味がない。命も操もいらぬから好きに過ごすが良い」

 レナータというと、たしかこの国の宰相の娘で、ディートヘルムが即位したすぐ後に側室となった姫君だ。まだ会ったことはないが、快活で心優しい人物だと聞いている。

「あと一つ言っておくが、この国にはハイルング人を差別する風潮は無いぞ」
「……それは、まことでございますか?」
「ああ。アルーディア人は自国の民族同士の婚姻しか認めぬのだろう。お前は確かハイルング人の娘ではなく貴族の側妃の娘ということになっていたな。お前がハイルングの落とし子ということにして言い逃れできないのも、向こうの王家が純血のアルーディア人を至高とし、差別対象であるハイルングの落とし子など生まれる可能性はないとしているからだ。そんな狂った考え方は、我が国には一切浸透しておらん。そもそも、この大陸の大方の国においてそのような思想は無い」

 ディートヘルムはまるで面白いおもちゃを見るような目でこちらを見ているが、嘘を言っている様子はない。どの国も他民族に対する差別意識を持つものだと思っていたので、この答えには少々驚かされた。
 それにしてもこの若き国王陛下は、いくら見つめてもその瞳から腹の底を窺い知ることができない。セラフィナにとってここまで心を悟らせない瞳をした人物に会うのは初めての事だった。

「我が国とお前の故国は根本から違うのだ。まあお前の正体がバレたら、隠蔽していたアルーディアに対する印象が地に落ちることは間違いないだろうが」
「はい。どのような国際問題になるのか、もはや検討がつきません」
「つくづく面倒な存在だな?    殺せば戦争が起こり、帰国しても戦争が起こり、正体がバレれば国際問題か。まこと、あの女狐も粋な贈り物をしてくれたものよ」
「……申し訳ございません」
「良い。ああそうだ、こうしようか。お前は命とアルーディアとの開戦を回避した礼に、少しだけ余を手伝う。それでどうだ?」

 ディートヘルムは名案と言わんばかりに両手を打ち、挑むような視線を投げかけてきた。この時はまさかあそこまで利用されるとは知らず、セラフィナは二つ返事で頷いたのだった。
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