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本編後の同棲に至る小話
村田君と佐々木さんち 1
しおりを挟む長年使って、すっかり薄くなってしまったこたつ布団。
それを大型ショッピングモールで新しく買い換えたのはつい先日のことだ。
前よりも軽くて、それでいて暖かくなったこたつ布団のフワフワとした生地を撫でながら、佐々木はいつ話を切り出そうかとチャンスを窺っていた。
正面で佐々木と同じようにこたつに埋もれる村田は、先ほどからミカンを丁寧に剥きながら少しぼんやりとしている。
その原因は、最近ぽつりぽつりと佐々木に零す、『悩み事』を考えているからだろう。
村田の話は別に、佐々木に対して相談をしていると言うより、話す事で考えを整理しているようなものだったのだけど。
ふと先日。
佐々木はもしかしたら自分がその悩み事をほんのちょっと軽く出来るのでは、と思いついたのだ。
年の離れた村田との付き合いは、時折ジェネレーションギャップに戸惑うが、新しいことを覚えるのは楽しいのだと思い出させてくれる。
このこたつ布団も、そのうち買い換えようと思いながら惰性で使い続けていたのを、思い切って新調しようよと背中を押してくれたのは村田だ。「少し派手じゃないかな」と自分では選ばないような柄を「上に天板が乗るからこれくらいでも地味だよ」と勧められて買ってみたら。古ぼけたアパートの一室が明るくなって、それでいてしっくりと部屋に馴染んだ。
仕事から帰ってきて潜り込むこたつが、近頃随分と暖かかく感じるのはきっと布団の性能だけじゃなくて。
ちょっとだけ自分も踏み出したくなったのだ。
だから。
「村田くん、あのさ」
「んー? なあに佐々木さん」
「実はこのアパート、今度改築するらしくて、引っ越ししなきゃいけないんだ」
「え、大変じゃん」
「あ、一応期限は結構あって半年くらいは余裕なんだけど」
「そうなんだ。でも意外と物件を探すのって時間がかかるから気をつけなきゃだよな」
「うん、そうだね……それで、あの、色々物件を探してるんだけど、その、……よかったら一緒に住まない?」
「え?」
意を決して、先日から考えていた提案を口にした時。
佐々木は正直な話、自分の言葉に村田はきっと喜んでくれるだろう、と無意識に思っていたのだ。
それがまさか。
「……ごめん佐々木さん、ちょっと考えさせて」
いつも視線をしっかりと合わせる村田が、珍しく気まずげに顔を逸らし。
返してきた言葉は予想と大幅に違っていたので、佐々木は一瞬、意味が分からず反応ができなかった。
「……え。あっ、いや別に、その」
普段と違った村田の様子に気を取られ、言葉を再認識するのに時間がかかる。
何度か目を瞬かせ、そこでようやく己の提案が断られたのだと佐々木は理解して。
「えっと、ほら、いつも村田君に来てもらってばかりとか、そう思っただけだから、その、気にしないで」
慌てて取り繕うような事を言ったのは、村田が気にしないようになのか、自分のためだったのか。
「うん、ありがと。ただ……あー、ごめん。そろそろ今日は帰るな」
「あ、うん……」
休みが合わない日でも、村田は何かと理由をつけて足しげく佐々木のアパートにやってくる。そして、ついさっきまで「明日は早出だから、そろそろ帰らないとマズイんだけどなぁ」なんて言いつつ、グダグダとくだを巻いていたのに。
さっと立ち上がり、先程までの腰の重い姿は何だったのかと聞きたくなるくらい、あっという間に帰ってしまった。
まるで逃げるかのようだと、ぽつねんとアパートに残され佐々木は思った。
いや『まるで』というよりも、まさに逃げるというか避けられたと言う方が正しいのかもしれない。
もしかして、自分は下手を踏んでしまったのだろうか。
改めて佐々木は思う。
村田の「悩みの内容」的にも、いくらバイクがあるとは言え、頻繁に佐々木の家にやって来るし泊まる村田は半同棲状態のようなものだなぁと思っていたから。
てっきり己の提案に対して、すぐに頷くものだろうと。
(もしかして重かった……?)
たまに泊まるのと、実際に一緒に暮らすのは違う。
その事を、佐々木だって分かってはいたつもりだった。
でも良く考えたら、自分たちは男同士だし年も離れている。
あまりにも村田がフラットに、ひょいひょいと軽やかにやって来てしまうものだから、色々と今時の子はそういう物なのかな、なんて流されがちだが。
忘れたつもりはなかったはずなのに、今更になって面倒な関係である現実を思い出して、急に、胸のあたりがざわざわと落ち着かなくなる。
この感覚はよく知っている。
若い頃。同世代と比べて、男として些か冴えないと自覚していたが故に、つい無理をしていた。しばしば相手が自分と同じ感情を抱いていない事に気づかないふりをして。「普通の幸せ」を手にしたいと、尽くしていればいつか好きになって貰えるんじゃないかと、夢を見ていた。
身の丈に合わない、対等ではない関係など当然、長続きするわけもなく。相手のことを思って取った行動に返される冷めた目が急に脳裏に思い出される。
――そんな目をした村田など、見たことはないはずなのに。
(いや、村田くんはちゃんと言ってくれる子だ)
初めは「軽そうだな」と思った見た目に反して、きちんと言葉と態度で村田は考えを示すし、少なくとも佐々木に対してずっと誠実だった。
もっとすいすい歩いていけるだろうに、佐々木に歩みを合わせてくれる、そんな人間だ。
だから、きっと村田の言った「ちょっと考えさせて」と言う言葉はそれ以上でもそれ以下でもなく「なにか考えたいこと」があったのだろう。
そう思うのに。
(少し僕は、彼の好意にあぐらをかいていたのかも知れない)
落ち込むなぁ、でも仕方ないか。と、以前なら溜め息をついて諦めようと努めるのに。
なんだか喉が詰まった様な気がして、溜め息が出てこない。
こたつの温度は変わらないはずなのに何だか急に寒く感じて。
「嫌だなぁ……」
思わず呟いた自分の言葉が、何を意味しているのか考えないように。佐々木は布団を敷くのも億劫で、そのままこたつの中へと潜り込んだ。
そんな、佐々木のもとから帰った村田は。
「あ゛~、まじ、どうすっかな……」
マンションに帰りつき、玄関をくぐり鍵をかけた瞬間。
今まで息が詰まっていたかのように、言葉を口から大きな溜め息と共に零して村田は顔を覆った。
一体、佐々木のアパートからどうやって帰ってきただろうか。
バイクで帰ってきたのは疑いもないのだが、信号に引っかかったかどうか思い出せないくらい気はそぞろで、頭の中ではグルグルと同じ場面が再生されていた。
『一緒に住まない?』
そんな言葉を佐々木の口から聞くことになるなんて。
まさに青天の霹靂だった。
佐々木はどちらかといえばいつも一歩引いて、というか、実際はのんびりとした質で。要望をすれば、目をぱちくりしつつ此方を許容してくれるものなだから、つい甘え、どこまで許されるのだろうと村田は試してしまう。その所為で、いつも何かと佐々木は受け身になりがちだった。
特に村田との関係についても、あまり佐々木の方から主張をすると言うことは少ない。それを少し物足りなく思う事もあるが、逆手にとって好き勝手にしている自覚もあるので、不満に思うことなどなかったのだが。
「まさか、佐々木さんが……」
村田はおもむろに脱いだお気に入りのチェッカーブーツを手に取って手入れを始める。
身なりに関係した商売をしている関係上、定期的にきちんと磨いているからたいした汚れもないが、なんとなく手を動かしたい気分なのだ。
何しろ、だって。
「気を遣わせるとか、まじ情けねぇ……」
がっくり、と村田は肩を下げる。
佐々木が同棲の誘いをしてきたのは、間違いなく自分がここの所ずっと考えていて、つい漏らしてしまった『悩み』の所為だろう。
村田が抱えている悩み――それは、転職をするか否かという、そういった話で。
元々、ファッションが好きでアパレル業界に入った村田は、客の応対時のスタイリングが得意で、コミュニケーションにも苦がない性格だった。
しかし、基本的に長く勤めてゆくと仕事の内容というのは店舗のマネジメントが主軸となる物で。元来の性質的にスタッフのマネジメントも上手く出来てしまった故に、村田はある意味順調に立場が上がってしまった。
そうして、仕事の先に自分が整えた店の物を手に取る客がいると分かってはいても。希薄になってゆく実感と、それでいて立場上増えていく管理店舗に気が滅入り始めてしまい。丁度彼女とも破局し、己以外にスタイリングをする人間も居ない状況になった結果。
大学でなにかと目にかけてくれた先輩で、現在スタイリストである雪川に声をかけられたのをきっかけに、休日に雪川の助手なんてものに手を出したのだ。
初めは良かったが、当然、本業をおそろかに出来るわけでもなく。夏のある日、村田は蓄積した疲労から軽い熱中症になりかけ、それが佐々木との関係を大きく変える出来事になる。――のだが、その話は一旦、脇に置き。
流石に村田の調子を見かねた雪川の忠告もあり一時、助手の件は手を引いていたのだが。
『村田、お前さ、俺の事務所に来ないか? 前からずっと勿体ないと思ってたんだ』
助手をしていた時にも冗談めかして言われていた言葉を、改めて話があると呼び出された先で、真剣な顔をした雪川から投げかけられた。
正直、酷く甘い誘惑だった。しかし簡単に飛びつける話じゃない事は村田にも分かっていた。
就職をする時に、本当はそういった事務所の内定もあったものの。当時付き合っていた彼女の手前、手堅い大手企業の内定の方を選んだのだ。
実際、雪川の開示した内容はそう悪いものではないが現在の収入を下回る物で。ただ事前に助手をした際の手応えと評価は村田が求めている物だった。
しかし安定性は低い。実力を着実に付けなければ現在よりもふるい落とされる世界だ。そんな場所に、今の年齢で飛び込んで良いものなのか。
『僕に言わせれば村田君はまだまだ若いし、全然遅くないと思うけどなぁ』
佐々木は村田が雑談程度めかして零した話を聞いて、まぶしそうに目を細めてそう言った。
その言葉に、ぐうっと勇気づけられながらも。
『つっても、やっぱ収入は落ちるし、意外と家賃手当とかもデカいんだよな。一応、今住んでるとこは会社手配だから引っ越さなきゃいけなくなるし』
なんて弱音を吐いて、尻込みした。
それがきっと、今回、急に佐々木が同棲を申し出た原因だろう。
(佐々木さん、人が良すぎだろ。どうすんだよ、これで俺が失敗して無職になったら。絶対、追い出すこととか出来ないだろ)
そんな事にはならないつもりだけれども。
「『良かったら』とか、俺の方が『良かったらお願いします』だろ」
ソワソワとした様子で尋ねてくる佐々木に、村田は思いっきり頬の肉を噛み、視線を外す事でニヤつくのを必死に耐えた。
佐々木と付き合うと開き直ってから、しばしば「なんだこのおっさん、クソかわいいだけど」と心の中で唸るが、なんで明日は早出なんだろうと、舌打ちをしそうになった程だ。
それほど佐々木の申し出は願ってもなかった物だし、喜んで飛びつきたかった。
だが現状を省みるとあまりにも自分が情けなくて。
「やっぱここは腹をくくって、そんで俺からお願いするべきだろ」
佐々木の申し出により問題は片づいた訳ではなく、むしろこれからがスタートだ。
だから一旦冷静になろうと、村田は一時撤退をしたのだ。
まさかその態度に、佐々木が不安を覚えているとは思いもせずに。
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