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9話 健やか新婚生活へのススメ 7
しおりを挟む「セーフワードを……?」
ルスターの言葉に、てっきり首を傾げると思ったアルグは、意外にも意味をきちんと理解した様子を見せて。説明は不要かと思うが、思い込みと勘違いにて始まった関係を考慮して、ルスターは念には念をと「閨事にて使用するのですがご存知でしたか」と確認をすれば。
アルグはほんの少し視線を揺らして「……一応、娼館を利用したときに」と答え、その言葉にルスターはなるほどと頷くが。
「別に、特殊な事をしたわけじゃない。だが、彼女らの言葉がリップサービスなのか本音なのか判断出来ずに手を止めてしまうから、分かりやすくしようと言われて……それに今は、最近は娼館を利用はしていない。最後に行ったのも3年前だ」
「あっ、はい」
――騎士のような仕事に従事している人間は通常より血の気も体力も多い。それために一般的な成人男性より娼館の利用の割合も高くなりがちだしお世話になるのも致し方がないだろうに。
アルグが誤解を招きたくは無いと言った様子で言葉を重ねるのは、セーフワードといった物が、SMといった身体や精神に負担をかけるプレイで利用される事が多いのが原因だろう。
あくまでもプレイの一環で拒絶の言葉を発しているのか、それとも本音なのか。わかり辛いそれらを区別する為、「本当の中止」を意味する安全装置としてセーフワードを決めてプレイに興じる。
だからその意味を知っているという事は、もしかしてアルグはそんなプレイに興じたのか、という誤解をルスターから受けかねないと考えただろうが。
(手を止めてしまった、というのはアルグ様らしいと言えばアルグ様らしいですが……)
ルスターとしてはアルグにそう言った趣味があろうが、性格上、強要はしてこないだろうと信頼というか確信があるものだから特に引っ掛かる事は無く。むしろセーフワードを知る事となった経緯の方が想定の範囲内だった事に何とも言えない気持ちになる。
なにしろ、アルグとの性交においてルスターは比較的に理性が残っている最中は咄嗟に「駄目」だとか「嫌だ」といった否定の言葉を発しないようにしていた。その理由はまさしくアルグを相手にした娼婦らがセーフワードを提案した流れと同様、反射的に発してしまった言葉にアルグが手を止めてしまうからだった。
アルグの理性が溶け始めてからは、ルスター自体が上手く言葉を紡げなくなっていたりするのも原因でそのまま行為を止めずに継続してしまう傾向はあるが。序盤のアルグはルスターばかりをよくしようとするあまり、前戯に余念がないし、ルスターの否定に敏感だ。
嫌な事をしたくないと、気遣ってくれているのは非常に有り難い事ではあるのだが。うっかりこぼした制止の言葉を馬鹿正直に受け止めるモノだから「大丈夫です嫌じゃありません」「気持ち良かっただけで駄目じゃないです」「ちょっと刺激に驚いただけで、痛くないです気持ち良かったです、続けてください」という自己申告をしなければならない状況は、中途半端に理性が残っている状態で行うには、なかなかに羞恥心を刺激された。
だからそのうちセーフワードについてアルグに相談しようと考えていたのだが、今回の反応を顧みて今がまさに話題を出すタイミングだろう。
「では用途はご存知のようですので説明は省きますが――」
「ルスター、待ってくれ」
「なんでしょうか?」
「いや、その、俺は何か間違ったのか……? どうして、急に……」
ルスターにとっては急な話ではなかったが、アルグは己の行動に自覚が無いようだ。ルスターがなぜセーフワードを決めよう等と言いだしたのか分からないといった様子に。
「先ほど、アルグ様は私が風邪を引くと思い、慌てられましたね?」
「それは、またお前が寝込んではしまうかと……」
ルスターの言葉に応えるアルグに、指示を間違えたのかと耳を下げて不安げに視線を揺らす大型犬の幻覚がダブって見える。
「ですが、先ほどのくしゃみは寒気からでは無く、ただ鼻がむずついただけで、私の体調には問題ありません」
「本当か? だが、先ほどは熱があったが……?」
(……それは貴方に散々煽られたからですね!)
ルスターを高めようと躍起な割に、何処かアルグはルスターがすぐに冷めてしまうと思っている。実際、アルグよりは冷めやすくはあるが、それはあくまで年齢を加味すれば一般的な性欲の範囲だとルスターは主張したい。
とは言え、その思い込みのおかげで本番はしないと前置きをしていたのに、うっかり流されかけたところを踏みとどまることが出来たが。
下手に本音を言えば、状態を見誤った事にアルグが色んな意味でショックや後悔をしそうだと、ルスターは言葉をぐっと飲み込んで。
「触れてみてください。もう落ち着いているでしょう?」
「本当だな……」
アルグの手を取って額へ導けば、体温を確かめてあからさまにほっとした顔になるが、薄氷色の瞳の中に未だに不安の色がわずかに滲んでいるのは仕方がないことだろう。
今までアルグと性的接触をする度に熱を出してしまったり、直近では誘拐事件で風邪を引いて寝込んでしまったりと随分と心配をさせている。
それ故に、半ばアルグの中ではトラウマのようなモノになって、くしゃみ一つであんな大仰な反応をしてしまうのだ。
だからこそ、線引きをしてやらねばなるまい。
「アルグ様、私は体調が悪く風邪をひきそうな時はきちんとアルグ様に『風邪を引きそうです』とお伝えします。そしてコレを閨事での本当に無理だったり止める時のセーフワードとしましょう」
トラウマを逆手に取るのはあまり良くないのかもしれないが。
今回の様にくしゃみ一つしただけで行為を中断されてしまっては、最後まで性交渉をしようとしている場合に、ルスターとて困ってしまう事になりかねない。
また今日の様子を見れば確実にこの言葉でアルグは止まりそうだという事もあって。
「いかがでしょうか?」
「俺にはとく問題は無いが……」
「それなら今後はそのように」
「わかった」
ルスターの言葉に、アルグが神妙な顔で頷き、話はまとまった。
そうして、セーフワードを決めてから。
一日間を挟んで翌々日、再び湯浴みを共にしたが、アルグのほうから「俺が無意識に手を伸ばしそうになったら『風邪を引きそうだ』と言ってくれないか」と申告を受けて。
いくら何でも流石にそんな軽率に使うのはどうなのかとルスターは思いはしたが、まあ一度くらいものは試しと声をかけた結果は「我に返って冷静になれるから良い」とは本人の弁で。
愛情とは性欲だけでなくスキンシップでも満たされるものだ。
性欲を落ち着かせる切っ掛けさえあれば、浴槽で可愛らしい手足の触れ合いぐらいなら問題なくなって、温かい湯にほうっと溜め息を吐いて力を抜き、肩を寄せてアルグの手を取り、マメが硬くなった掌をマッサージとして揉むぐらいのスキンシップに、とろとろ穏やかに浸るくらいは出来る様になった。
だが翌朝は前日の反動か。同じベッドで眠る様になって、いつもは寝入りから朝まで姿勢よく仰向けで不動のアルグに、いつの間にか抱き込まれてしまっており。朝の生理現象が非常に元気いっぱいにルスターの腹に当たるのだから困った。基本的に朝はアルグの方が起床が早い。時たまルスターが先に目を覚ましてもルスターの覚醒に反応するようにアルグも目を覚ます。
つまりは、ルスターが目を覚まし、己の腹へその元気さを主張するアルグの朝立ちに固まった時には、アルグも目を覚まし現状に気づいて固まってしまった。
酷く動揺して掠れたよわよわしい声で「すまない」と謝罪して名残惜しそうに身を離しそうとするアルグに、ルスターは寝起きの頭で、奇しくも休日の朝、そして昨日我慢した結果がコレだろうな、という事をぐるっと考えた結果、大変可哀想に思えて。
そのまま今度こそ正しい素股にてアルグの朝立ちを処理してしまったのはちょっとばかり寝ぼけていたなとは我に返ったルスターの反省点だ。
しかし朝からやや爛れかけた休日もセーフワードのおかげでなんとか立て直して。
かくして従者職復帰を翌々日に控えた夜。
ルスターはアルグを「復帰してからはしばらくは忙しくてお応えするする機会も減ってしまう可能性もあると思うので」という建前と「それから折角なのでセーフワードも上手くいくか試してみましょう」という本音の上で閨事に誘った。
その効果の程は結果からいうならば、上々と評価できただろう。
事前に、反射的に否定の言葉を言うこともあるが、本当に嫌な場合はセーフワードを言うという念を押しておいたおかげか、一杯一杯になってうっかり口を滑らせてもアルグが手を止めることもなくなりいくらか羞恥心が過剰に刺激される事も無く。またアルグ自身も下手な事はしたくないと気を張っていたのが明確な線引きをされた事で心が軽くなったのだろう。
若干、アルグには足りぬかもしれないと思いつつ。だが自分の限界も知らねばと自身が3度、アルグが挿入前と後にそれぞれ1度ほど果てたあたりでルスターはアルグに終了を告げるためにセーフワードと共に「すみません、体力的に今日はこの辺で」と口にすればアルグは「ムリに付き合ってくれるより正直に言ってくれた方が俺も嬉しい」と答えた。
なんだかセーフワードを作ることによって、アルグに我慢を強いることになっているのではと思っていたが。
ルスターが頑張ってアルグに応えたいと思うのと同じように、アルグとて少しくらい我慢をしてもルスターを大事にしたいのだ。
――結論として、セーフワードの導入は当人のアルグには非常に満足のいく結果となった。
なにしろ決まり事通りに止まったらルスターは褒めてくれるし、翌日に寝込む程の負担もかけない。どうも暴走しがちな己の行動が本当に無理強いをしいていないかと、真意を測って慎重になりすぎたり、やりすぎて負担をかけていないかと不安に駆られたりする事も減った。なによりセーフワードを言われない限り、ルスターも受け入れてくれているのだと気がついたアルグには自己肯定感も育まれた。
「この調子でしたら、頻度と回数を当初より増やせそうですし、工夫をすればもう少しお付き合いできるかもしれませんね」と、やや気だるそうではあるが顔色は良く、熱もない様子でベットから起きあがったルスターがはにかみつつ提案してくれた言葉に、アルグの脳内では祝福の花火が上がったし、成功体験を得て自信がついた。
主にそれはルスターがアルグを受け入れてくれているし、駄目な時はきちんと言ってくれるし、そしてうまく出来たときは褒めてもくれるという自信だ。
こうして、従者職復帰前にアルグのメンタルが回復して、少しでも元気になれば良いな、と思ったルスターの試みは見事に成功した。
ただ、アルグが想定よりも僅かばかり……従者職復帰を翌日に控えた夕方に、祝いのお守りを持ってきたオーグの妻、ジェシカが「陰気くさい顔より浮かれた間抜け面の方が良いとは言ったが、甘やかしすぎだろ」と渋い顔をする程に元気になってしまった点については。
「ちょっと、あまり仕事が無く暇でしたので張り切ってしまい……」
「アンタ、しっかりしてるように見えて実は意外と抜けてるのかい?」
ちょっぴり残念そうなものを見る目で見られてしまったが、その分ジェシカとの距離がまた少し近付いたので良しとしようと、ルスターは現実からやんわりと目を背けて思った。
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