従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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8話 眠れる獅子を起こすのは 8【8話終】

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 おおかた、こうなるだろうと予想していたが。


「すまない……」

 ベッドサイドの椅子に腰掛けたアルグが頭を抱え、呻くように何度目か分からない謝罪する。
 それはまるで誘拐解決後に目覚めた日の再現のようだと、ルスターはベッドの上で腫れぼったい目元を濡れた布で冷やしつつ思う。

(コレは、失敗でしたかね……)

 アルグを甘やかすと覚悟をしたが、まったく天と地も判断できぬほど貪られて。
 いつ意識を飛ばしたか知らないが、目が覚めた時には身は清められて自室のベットの上だった。
 そうして傍らには、今現在と同じように項垂れたアルグの姿が。
 初めてした時のアルグは狼狽えた様子だったが、今回はどちらかというと落ち込んでいる様子で。
 目覚めたルスターをどこか痛ましいモノを見るような眼差しで水を差し出し、目元を冷やしたいと言えば、ほぼ駆け足のスピードで取りに行った。
 正直な話、アルグの様子から「優しくする」という言葉にあまり期待をしていなかったし、こうなる事もひっくるめての覚悟だったので、己の現状はそう当たらずとも遠からずの予想の範囲内だったのだが。

「アルグ様」
「っ」
(何故、貴方が怯えますかね……?)

 名前を呼んだだけなのに、ビクンと跳ねるように震えたアルグにルスターは内心で苦笑する。
 前回もまるで叱られた犬の様な反応をすると失礼ながらに思ったが、なんだかソレが悪化している気がする。
 ……まあ、考えられる理由としては。

「遅くなりましたが後始末を有り難うございます」
「俺所為で動けないのだから当然の事だろう……」
「私の体力が無いというのも原因ですので。またオーグ様を呼ばないという約束も守って頂けて良かったです」
「オーグは、お前の同意をとってからが良いかと」
「そうしていただけて嬉しいです」

 成長しましたね、と心の中で頷いてニコリと微笑めば、アルグはそんなルスターを困惑した顔で見つめて、視線を揺らした。

「……呆れてはいないのか」
「反省はなさっているのでしょう?」
「してはいるが……」

 ぐうっと言葉を飲み込んだアルグに、ルスターは(さてはて、どうしたモノか)と迷う。
 色々とやり過ぎたと自覚していて、内罰的になっている相手をこれ以上叱る必要は無いとは思っているのだが、どうやらアルグは前回よりも納得がいっていないようだ。
 責めないというのもある意味辛いというが、コレもそう事だろうか。そうするとなにか適度な罰を考えるべきだろうか、とルスターが思いを巡らせたところで。

「……自制できると思ったのだ……」

 アルグが顔を両手で覆ったまま、くぐもった声を漏らした。

「前回は酒が過ぎていた、だから記憶も意識も曖昧だった。でも今回は違った。決して前の様な事にはならず、大切にするつもりだった。もっと自分を抑えられると思っていた。……だが想像以上にソレは難しくて、このざまだ。無理をさせていると理解していたのに俺は自分の欲のままにお前を辱めて、お前が誰にも見せたことのないだろう内側を暴いて、触れた事に喜び、腹が満たされている」
「アルグ様……」

 自己嫌悪で唸るように告白するアルグの様子はまるで告解室での懺悔のようだ。
 思った以上に深刻に苦悩しているアルグに対して、ルスターはなんと声をかけて良いか悩む。
 何故ならアルグが重罪だというように述べている内容は総じて簡単な1つの言葉に収まるからだ。

「アルグ様は時に私より真面目がすぎますね」
「ルスター?」
「そういえばアルグ様にとって初恋というモノでしたか」

 不遜かと一瞬思うが、今は立場より年上で恋人であるという事を優先しようと、ルスターは手を伸ばして俯いたままのアルグの頭をポンポンと軽く撫でた。
 するとアルグはルスターの思いがけない行動に驚き目を見開いた顔を上げる。
 それを「ほら、コチラにおいでなさい」と、ルスターは軽く流して自分のすぐ横のベッドを叩く。きっとコレは、おそらく【アルグの中でのルスターらしくない】行動だろう。
 そんな考え通り、アルグは呆然としたような表情で、しかしふらふらと椅子から立ち上がってルスターが誘うままにベットの端に腰をかける。

「ああ、やっぱり手が冷たくなっていますね」
「っ、ル、スター……」
「はい、大丈夫ですよ」

 アルグの手を取れば、予想通り緊張で冷たかった。
 冷えた指先を温めるように握れば、また怯えたように手が震え、ただ名前を呼ぶしか出来ない当惑したアルグを落ち着かせるようにルスターは背中を撫でた。
 キョトキョトといつになくアルグの視線が彷徨う。
 どう見ても見目は立派名大人なのだが、その様子はまるで年端もいかぬ子供の様だ。
 そう、本来ならもっと10代の頃に経験するはずの情緒なのだ。

「アルグ様は恋は盲目、と言う言葉をご存じですか」
「それは」

 勿論知っているがなんなのだろう、と言いたげな顔で見つめ返してくるアルグに、自覚はやはり無いのかと思いつつ。

「今、アルグ様の状態はソレです。皆、通る道です。初めての恋に頭に熱が上がって、上手く感情のコントロールが効かなかったり、自制が出来なかったりするのは良くある事です」
「だが俺はもう――」
「いい歳した大人だと、おっしゃいたいのは分かるのですが、コレばっかりは慣れです。人によっては何度経験しても恋愛事で身を崩す者もいます。アルグ様にとって私がはじめてというのならば年齢は関係なく、経験が無いのだから上手く立ち回れないのも仕方がありません」

 ルスターとてすっかり忘れていたのだ。
 エーデナント混じりだとかなんだと言うが、それ以前にアルグにとってルスターが初恋だというのをオーグから聞いていたが、それがどういうことなのか、もう十数年以上も前に青い春というのを経験した身ゆえに、頭から抜け落ちていた。
 アルグは普段は端然として、無理やり連れて行かれるような付き合いでしか娼館を利用したことがないほどこの手の事から興味が薄く遠い人間だったのだ。
 だからといって性欲が無いとかそう言うわけでは無く。ただ人より随分と機会が遅れてやって来た、それだけなのだ。
 若ければ恋の盲目具合も酷いというが、それは単純に経験が足りなくてという事もあるだろう。
 アルグはルスター以外の事では相変わらずきちんと己を律し、変わらぬ事を知っている。
 故に普段との差で色々と見誤るのだが、コレが十代の若者と思えば今までのことは概ね起こりうる内容だっただろう。
 嫉妬も執着も独占欲も、飼い慣らすのは大人になってもなかなかに難しい。恋が絡めばそれは更に。

「あまり焦らず、少しずつやって行きましょう」
「しかし、それではルスターに負担が」
「まあ、確かに先に私が年老いてしまいますので、悠長に構えていられないかも知れませんが」
「そんな事ではなく、俺はお前に……っ!」
「大丈夫ですよ」

 ルスターの手がアルグの背をまたゆっくりと撫でる。
 その感触に、アルグは俯きかけていた視線をあげてルスターを見れば、目元の緩んだ顔にあえて揶揄うような事をルスターが言ったのだと気づいた。

「ルスター……お前は俺を、許すのか」

 酷いことをしたのに、とアルグが小さく零し、ルスターはやれやれと肩をすくめる。

「理想が高いのは結構ですが、なかかな思い通りに行かないものです。私も出来ればあまりみっともない姿を見せたくはないのですが」
「お前のそんな姿をもっと見たいと思うのは、やはり駄目か」
「……ソレも含めて、お互いに慣れと歩み寄りでしょうね」
「お前が嫌がる事はしたくない、したくない、が……」

 葛藤にアルグの背中がまるくなる。本来、ココは黙って我慢するのが大人だろう。
 しかし堪えきれずに期待を口から漏らす様は何とも情けなくも、ほんの少しばかりルスターの胸の奥を擽るモノがある。

「私が許すのはアルグ様だから、ですよ」

 きっとアルグが望んでいるだろう言葉をルスターは口にした。
 ストレートにすべてを受け入れられるかと言うとソレとコレとは話はべつだが、拒絶には至らない。
 アルグはかつてシエンと己にとっての理想だった。だが実際はただ人と同じく、恋の前に無様を晒して萎れ、足掻きながらも求められれば、アルグだから許せるのだと、それほどにはルスターとて絆されている。
 はあ、とアルグの口から深い溜め息が漏れる。
 アルグの手が、ルスターの手首をすがるように掴み、そのまま肘へ、肩へと滑り、背中を引き寄せ、抱きしめる。

「俺はこれからも上手く己を止めることが出来ずにお前を困らせるのだろう……でもどうか俺を捨てないでくれ」
「そう簡単に離縁する様な覚悟でお受けしたつもりはないのですが」

 苦笑をすれば、抱きしめる力が強くなった。

「少なくともアルグ様が私めとお別れになりたいと思う――」
「そんな未来は来ない」
「ええ、でしょうね」

 ひしひしと感じて、分かっておりますとも。
 間髪入れず否定された固い声は、予想通り過ぎてルスターは密かに苦笑をかみ殺す。

「むしろお前が置いていくなどすれば……」
「今後は重々、気を付けさせていただきますので。最低限アルグ様を看取るぐらいの心持ちで頑張らせていただきます」

 アルグの言葉をわざと遮って大袈裟とも取れる目標を口にする。
 最後まで言わせなかったのは、恐ろしい答えが返ってきそうだったからだ。
 好き好んで自分にプレッシャーをかけるつもりはないし、本当にこれからは気を付けるつもりだ。これ以上、ややこしい内容を蒸し返したくはない。

「ああ頼む。そうだな、最後に見るのはお前の顔が良い」

 うっとりとした言葉に、今度は満足げな溜め息が聞こえた。
 不意にルスターの脳裏に、ルスターを抱き込んで身体を丸め、満足げに喉を鳴らす獅子の絵面が浮かんだ。
 もしかして己はとんでもない猛獣使いになったのかもしれない、という考えがチラリと掠めるが、とりあえず。

「ところで、そろそろ従者の仕事に戻りたいのですが? できれば明後日などいかがでしょうか」
「………………一週間」
「3日。サーフ様と結婚休暇の打ち合わせもしないといけませんし」
「……4日」
「では4日後で。よろしくお願いします」

 ルスターの言葉にアルグが悔しげに唸る。
 今度は我慢せずに笑い声を漏らせば、ぎゅうっとアルグの抱擁が強くなって。

「やはりお前にはかなわない」

 不満げだがアルグの声は明るい。
 それにもう大丈夫だとルスターは思った。

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