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8話 眠れる獅子を起こすのは 5
しおりを挟む「よろしければ、今夜から一緒に寝るのはいかがでしょうか?」
「は、――?」
ルスターの放った言葉に、アルグが固まる。
その様子にタイミングを誤った、と思うが「しかしながらいい加減、勢いというのも大事でしょう」とルスターは内心言い訳をした。
昼間、ジェシカから「意識を違うことで一杯にしろ」という助言を貰ってから。果たして己とアルグの間で効果的な対応は、という事を考えた結果。
ルスターの脳裏に浮かんだのは「中断していたスキンシップの再開」についてだった。
アルグが酔って本音を吐露し、勢いに流されそのまま婚前交渉になだれ込んだ一連の出来事の後。使用した軟膏のおかげか、身体の負担は思いのほか軽かったものの。実際に夜の営みを体感して、アルグとルスターは互いにいくつかの課題に気づいたのだ。
例に出すならルスターの側は、アルグを受け入れるには補助がなければまだまだ負担が大きい、と言う事と。
アルグ側は、いくら酒に酔っていたとはいえども、どうもルスターのことに関しては自制が効きにくいという事だ。
前者に関してはアルグが密かに軟膏やら香油やら、負担を減らしたいという善意のもと幾つも買い溜めていた物が見つかったのだが、そう毎回散財するわけにはいかない、というのがルスターの主張であり。後者に関してはコレまでの鬱憤が溜まったせいでもあるだろうが、やはり上手くコントロールを覚えるのが必要だろうと。
改めて、今後は情欲を織り込み済みでお互いに慣れるためのスキンシップを増やしていこうと話し合っていたのだが。
ひとまず先にアルグの両親への挨拶などを優先し、落ち着いてから、と取り決めた矢先の今回の事件だった。
おかげで情欲と言うより情念の方でアルグは頭が一杯になってしまった。
晒された裸体に触れてきた熱を持った指先は、あの時と同じように居間という肌を晒すにはふさわしくない場所で殆ど下着一つという状況にもかかわらず、冷え切った冷たい手が罪の痕を確認するように辿る。
目標どおり見事に自制ができているのだろうが、現状は手放しで喜べる物では無く。
今日も今日とて暗い瞳で、すっかり痛みは引いたが年齢のせいかしつこく痣だけが残るルスターの身体を改めるアルグに、ルスターはシャツのボタンを留めながら、冒頭の言葉を口にしたのだ。
「同じ寝床であれば、いつでも私の存在を確かめることができますでしょう?」
「それは、そうだが」
「身体を冷やしては安眠が遠ざかります」
「しかし寝床は」
「アルグ様のベッドは元より夫婦用ですのでそちらに、と思ったのですが。……狭いようでしたら、寝台を運び入れますが」
「いや、その必要は無いが……良いのか」
「どちらかというと私が許可を願っている方ですが?」
困惑を顔一杯に浮かべ尋ねてくるアルグに、あえて質問で返す。
ルスターに見つめ返されたアルグの視線が揺れる。
冴えた空色の瞳にゆらりと熱が浮かんだのを見つけ僅かにたじろぐが、しかし思いつめた暗い光よりはずっとマシだ。
色事で誤魔化すなど、不健全でいかがなものかと気が重かったが。そもそもトラウマを癒やそうと、癒やせると考えていること自体が、ジェシカの言うとおり烏滸がましいのだ。少なくとも、今は気を紛らわすくらいが丁度良いのかも知れないと。
「それは、添い寝という……いや、何でも無い」
「人肌には安眠効果があるそうです」
言葉に迷うアルグへ、ルスターはあくまでも平素を装って助け船を出す。
するとアルグの喉からグルッと呻くような声が低く鳴り、それを隠すようにアルグは視線を落とし、口を片手で押さえた。ルスターの言葉にアルグが動揺している。多少は意表を突けるだろうかと考えていたが、予想よりもはるかに良い反応に安堵すべきだろうが、今後に思いをはせるとやや複雑な所だ。
正直、受け入れる性ではないために、未だ閨事に対する抵抗感が無くなった訳ではない。しかし結婚して伴侶となるのなら寝室を同じにするのもあり得る未来だろう。だから今回は提案の切っ掛けにでも、と思ったのだが。
「アルグ様、先ほどの提案ですが、お許しを頂けますか?」
「あ、ああ……」
「……っ、それでは、後ほど。追加の寝具を持って寝室へお伺いします」
アルグが言い淀む言葉を分かっていたが、ルスターは尋ね、了承の言葉をもって速やかにその場を後にした。いささか素っ気ない態度になったのは勘弁して欲しい。
なにしろ、アルグが困惑を顔に貼り付け、ルスターを見つめてきた瞳に期待の色が煌めいているのを見た瞬間、気がついてしまったのだ。
(もしかして、コレはお誘いをしている感じになっているのでは……??)
就寝の準備をするために退出するルスターの背中がゾワリと泡立つ。アルグから突き刺さる視線と気配は、獣が食らいつく獲物へ向けるものに似ていた。
ルスターとしては睡眠不足解消を目的として寝床を共にし、ただ抱擁を伴うくらいの添い寝をするつもりだったのだが。
思い返せば、二人の関係は結婚を控えた恋人同士。なおかつ勢いとはいえ一線すら越えている。
アルグが言葉を濁していたのは、勿論ルスターの方から提案してきたこともあるだろうが、正しくはルスターが下す「許可の範囲」について、言及したかったのだという可能性に思い至る。
(添い寝だけで済むでしょうか)
ここ最近アルグから情欲の気配がすっかり抜けていたものだから、失念していた。
ルスターが考えている以上に、アルグは燻る程の熱情をルスターに対し秘めている。それは時に暴走して、ルスターの抵抗などいとも容易く押し流し、無理やり身体を繋げてしまう程。
断られることはまず無いだろうと、追加で持ち込む寝具も、寝間着の準備も終えていた。だがもしかしたら別途『違う準備』が必要かも知れないと、ルスターはつい力が入った眉間の皺を指で押す。
迂闊な提案だったかと反省するが、結局のところ遅かれ早かれ、いつか通る道だ。
いつまでも尻込みしてばかりではいけない。慣れていかなくては、とも思案していた。ただ最近のゴタゴタで、すっかり忘れていた己が悪い。
(ある意味コレは良い機会、とでも考える事にしましょう……)と。ルスターは腹をくくり、以前買い付けていた閨事の準備をするための道具を引き出しから取り出し。
……斯くしてルスターが意を決し、万が一の場合を考えた準備を万端に終え、アルグの寝室のドアを叩けば。
返ってきた声がどこか弱々しく聞こえ、ルスターは首を傾げ扉を開けると、そこには寝台の端に腰掛け、項垂れたアルグの姿があった。
「アルグ様!? 一体、どうなさりまし――」
「ルスター……違う。すまない、違うんだ」
慌てて側に走り寄り、跪こうとした所をアルグに止められる。
「気分が優れないのなら、今夜は――」
「違う、待ってくれ。そうじゃない、そうではないんだ」
「!? 熱が! まさか風邪を引かれ……、て……」
思わずアルグの額に手を伸ばし、触れた肌の熱さに慌てかけるが。
「風邪では、ない」
「…………その、ようです、ね……」
顔を上げたアルグの眼差しに、先ほどまでと違う動揺がルスターを襲う。
情欲からくる発熱がアルグの陽に焼けた太い首まで上気をさせて、瞳が欲情を滲ませている。前屈みになっている体勢で分からなかったが、下肢の布地を押し上げる存在にも気がつき。ルスターの頬が一瞬、引き攣ったのをアルグは見て、額に触れるルスターの手を避けるように太ももに肘をついた両手に顔を埋めた。
「すまない、俺はこんな……浅ましいと分かっているが、どうしても治まらなくて」
恥じ入った様子で「先ほど処理はしたのだが、最近抜いていなかったせいか、すぐにこうなってしまって」と、歯切れ悪く申告をされれば、年齢的にも体力的にもアルグが男盛りなのだと思い出す。
「こんな状態で信用はないだろうが、不埒な真似はしない。俺とお前の間にはクッションを置こう。コレはペンダントに見えるが、防犯用の魔道具で万が一俺が無体を働きそうになった場合は押しつけて真ん中の石に魔力を注げば一時的だが電流が」
「お、お待ちくださいアルグ様……!」
ルスターとしては意図して意識を逸らそうとしたのだ。
予想よりも効果がありすぎた点についても考慮して準備をしてきたというのに、ルスターもルスターなら、アルグもアルグだ。
寝台にクッションの境界線を築き、値段を聞くのが恐ろしい魔道具を取り出しはじめて、不穏な方向に流れてゆく発言を慌てて止めに入る。
「準備を! ……してきましたので、その、問題はございません……っ」
「は、」
ルスターの言葉に、視線を逸らしていた顔を上げ、目を見開いたアルグの手からシーツの上にぽとり、とペンダントが落ちた。
「……じゅんび」
「受け入れるには、色々と、必要ですので」
「うけいれる」
まるで幼子のようにルスターの言葉を反芻するアルグは恐らく思ってもいなかった自体に脳のキャパシティが越えて別段の意図はないのだろうが。
いちいち繰り返されてしまうと改めて意識をせざるを得ないルスターとしては身に堪える。羞恥に顔が赤く染まっているのだろうと思いながら、今度はルスターが視線をそらせば。
「何故だ」
固い声が返ってきて、視線を戻すと、神妙な顔のアルグと視線がかち合った。
「ルスター、……本当は違うだろう。お前は、添い寝だけのつもりだった」
意外にも、アルグは正確にルスターの発言の意味をとらえていたらしい。
それ故、淫らな期待をして反応する自身に落ち込んでいたが、今度はルスターの申し出に困惑を浮かべ、アルグは眉を寄せる。
その問いにルスターは溜め息を吐き。
(「何故」など、そんな事もお分かりにならないとは――いえ、これは私の怠慢のせいでしょう)
心の中でそうぼやいて。
こうやって腹をくくるのも、そもそも心配するのも。
「アルグ様が、期待しておりましたので」
「それは……すまない、俺が――」
「その期待にお応えしたいくらいには、私もアルグ様を想っておりますので」
アルグほどの熱情を抱えているかと問われれば、残念ながら首を横に振るしかないが。ルスターとて少なくとも他に劣らないと自負する情は持ち合わせているつもりなのだ。
呆けたようにコチラを見つめるアルグに手を伸ばして頬に触れれば、指先から痺れるような熱が移る。
アルグの手が、溺れた者が岸を求めるようにルスターの手首を掴む。
「俺は、お前に負担を強いて」
「なにも負担では、とは言いませんが……私はアルグ様がお立ち直りになると信じています」
「……」
「ですが、その過程で私をまったく頼りにされないのには腹を立てています」
そう口に出して、ルスターは驚きに目を瞬かせるアルグを見つめながら、嗚呼、なるほど、と思う。
ここ最近アルグを心配しつつも、何処かやきもきとしていた感情の正体がようやく分かった。
今回の出来事でアルグがやたらと過保護めいた行動をするのにも、思い悩むのにも、ルスターは関わらせて貰えていない。
今まで無意識だったが、それが非常に不満だったのだ。
「どうか、どんなことでも構いませんので、私をもう少し頼って頂けませんか」
「十二分に――いや、そうだった。お前は俺が思うより強いのだったな」
溜め息と共にアルグの眉間が解ける。
張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ気配と、アルグが「全くもって世話をかける」と謝罪する言葉にルスターは微笑んむ。
「甘えても、良いか」
「……多少、手加減をして頂ければ」
「傷が」
「そちらに関しては問題ありませんのでご心配なく。単純に体力的な問題です。少なくともオーグ様をお呼び出ししない程度に留めて頂ければ」
ルスターの手を取りアルグが手のひらに口付けながら問う。
手のひらをなぞる吐息の熱さについ予防線を張ってしまえば、明後日の方向の心配をされ、苦笑しつつ訂正をする。
「………………善処する」
「よろしくお願いします」
ルスターの言葉に、アルグの視線が頼りなさげに泳いだ事に気がついたが、今日の所は目をつぶろうと。
腕を引かれるまま、ルスターは寝台へと乗り上げた。
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