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8話 眠れる獅子を起こすのは 4
しおりを挟むアルグの意思を尊重し、甘んじて軟禁のように屋敷の外へ出ないルスターだが、体調が回復したというのに大人しくしている訳がなく。
仕事へゆくアルグの背中を見送った後は、折角の機会とばかりに日々の合間に細々と整備していた屋敷を隅々まで整えようと着手し始めた。
利用が少ないからとおざなりになっていた書架の整理やら、屋根裏部屋に詰め込まれていた物の整理やら。あまり無理をしないようにしつつ、病床で凝り固まった身体を解すように時折伸びをしたり、肩を回したりしながら、ちょこまかと動き回るのは、気分転換にも丁度良い。
あれこれ考えたって、アルグの気持ちが切り替わる上手い策なんて今のルスターに浮かばないのだ。下手に悩んで自分まで暗くなってはと、今日も今日とてアームバンドで袖を引き上げようとした、その時に。
ドアノッカーが随分と大きな音を響かせ、ルスターは首をかしげた。
最近はボタンを押すとベルが鳴り響いて訪問者を教えてくれるものが随分と普及してきたが、昔ながらのドアノッカーという物もコレはコレで便利だとルスターは思っている。
何故ならノッカーを叩く大きさや速さやリズムで訪問者や要件などがなんとなく推測できるからだ。叩く力が弱かったり、ゆったりとしたリズムだったり、早急に急かすようだったり。
馴染みの日雇いメイドや、オーグのドアノッカーを叩く癖なんかはすっかり覚えてしまうほど、ノック一つでも意外と個性が生まれるモノだ。
そんな経験からすると、現在、玄関を叩く人物というのは心当たりのない相手で。
(どうしましょうか……)
ルスターは迷いながら、応答の声を上げずにそろりと玄関へ向かう。
アルグの心情を考えると見知らぬ相手の応対は控えて大人しくしていたほうが良い気がする。しかし使用人としては訪問者を無視して居留守などはありえない。
ドアノッカーがしばらく間を開けて、再び打ち鳴らされる。
まるでルスターの在宅を知っているかのようだ。
ノッカーの音は力強い。だが落ち着いた一定のリズムのそれに、ルスターは自分の勘を信じることにした。
(ひとまず玄関の覗き窓越しで対応し、丁重にお断りでも)
そう思い、ドアの覗き窓をスライドした先に。
「ああ、無事か。居ると聞いたのに反応がないから、ドアでも破って確認したほうがいいかと思ったぞ」
「貴方様は」
顔の左側、こめかみから頬にかけて。否応にも目に入る黒と赤で模様が彫り込まれた入れ墨に、一瞬、目が釘付けになる。
だがそこから目を引き剥がしたところで次は左サイドが極端に短く刈り込まれた赤毛だとか、長袖にもかかわらず、みっしりとした筋肉の存在を感じさせる太い腕に目が行ってしまう。
ただ立っているだけでも目立つ相貌だが、荒っぽい口調に相反する声の高さと、胸筋と言うには豊かな胸周りは明らかに女性のもので。
ルスターの脳は混乱をしながら、それでもこの特徴的な外見をした人物の名前を記憶の引き出しから取り出し、口にしようとしたが相手が口を開くほうが早かった。
「アンタと会うのは初めてだね。アタシはジェシカ。鍛冶屋ヴェルドの暴れ馬なんて呼ぶやつも居るが……一応、ジェシカ・ルバフェンとも呼ばれてる」
一応もなにも、なんてルスターは思いながら慌てて玄関の鍵を外してドアを開ける。
「オーグ様の」
「それから、今度はアンタの義理の妹になるのかね」
遮るように被せられた言葉と、明らかな苦笑とともに吐き出された声にルスターは目の前の人物、オーグの妻であるジェシカの真意を測りかねる。
結婚の意志を固めてから、アルグの親であるリエラやその父親との面通しを、拍子抜けするほどあっさりと終え。オーグに至っては最初から関わりになっていたから、今更で。
ただ、オーグの妻であるジェシカにあたっては「仕事が忙しいらしくってさ」と言うオーグの言葉を額面通り受け取って会えていなかったのだ。
ある意味、あまりにも事の運びが順調すぎるので、ルスターとてどこかに落とし穴があるのではと一抹の不安を抱いていた。本来なら多少の抵抗感や反対意見など出てもおかしくない。そう考えていたものだから、ジェシカの反応に、もしや仕事が忙しいというのは己を避ける為の口実だったのでは、と緊張して。
顔をしかめて口を開くジェシカに身構えれば。
「アンタも、ほんっとうに難儀な男に捕まったもんだね……」
それはそれは気の毒そうに嘆息されて、ルスターは(あ、これは本気で同情されてますね)と、少し遠い目をした。
「このアタシを、アンタがどうこうできるとでも?」
「いえ、ただご婦人が一人で独身男性の居る屋敷に入ることを面白おかしく騒ぎ立てる人間がいるモノですから」
「少なくとも、今そんな事をする馬鹿は命知らずにも程があるだろう。アタシにも、あの人にも喧嘩を売ろうと言うんだから」
片目を眇め、ふんっとルスターの言葉を鼻で笑って。
「いいから、さっさと部屋の中に入ってドアを閉めな。見舞いに来たってのに、アンタに風邪を引かれたらアタシがどやされちまう」
男であるルスターよりも一回り太い腕を組んで。顎をしゃくって指図をするジェシカ・ルバフェンに、それこそ『私だってそれ程弱くはないのですが』と反論するか悩むが。
「早くしな。アンタを小脇に抱えても良いんだよ」
「……それは、ご勘弁ください」
そこまで言われてしまっては。
むしろ例え話ではなく、座った目と力瘤を浮かせた腕にジェシカの本気を感じ取り、ルスターは失礼を承知で溜め息をつき、以前のリエラと似たようなやり取りをした玄関ホールに備え付けの応接セットへとジェシカを通した。
「オーグ婦人」
「婦人なんて、気色が悪いな」
なかなか辛辣な言葉に思わず黙ってしまえば、ジェシカは気まずそうに頭をガシガシと掻く。
よく見れば間違いなく妙齢の女性なのだが、仕草と雰囲気がまるで男性を相手しているような錯覚を与えてきて困惑してしまう。
「すまん、この通りアタシはアンタと違って人相も、口も、育ちも悪い」
「い、いえ、そんな」
「事実だ。アンタのそのしゃべりはアタシには背中がかゆくって仕方がない。だけどアタシが礼儀を欠いてんのも褒められたもんじゃない。不快だろうが、要件がすんだらさっさと帰るから」
そう言って渋面を作るジェシカに、ふと、ルスターはこの方も自分と同じように緊張しているのか、と気がつく。
女が、生活金物ならまだしも武器防具等を扱う鍛冶屋で男衆に混じって金床を叩くなど、非常に稀なことだ。腕が良いと評判だが、それ以上に『女の割には』という前置きがついて回るのを耳にした。
ルスターとてオーグの口からジェシカの話を聞いた際には、なんとも珍しいと感想が頭に浮かんだモノだ。
つまりは。
「私とジェシカ様は似たもの同士、という事でしょうか」
「アンタとアタシが? てか、様もいらないよ、アンタは年上だろう」
何を言っているんだと唇を歪めるジェシカは不機嫌そうだが、よくよく見ればその瞳に映っているのは戸惑いだ。
ルスターが年嵩の男にもかかわらず、アルグと結婚する事を気にするように、ジェシカとて己の立ち振る舞いが、ルスターとはあまりにも畑が違うと気にしている。
「残念ながら私のコレも長年の癖のようなものでして。ジェシカ様も、格式張って息苦しいかも知れませんが、どうぞお気になさらず、いつも通りで構いません。その代わり私のこともちょっと面倒くさいな、と我慢してやってください」
「……アンタが、それでいいなら良いけど」
ワザと戯けたようにそう言って、お相子です、と微笑んでみせれば、やっとジェシカの眉間の皺が緩んだ。
「……ところで要件、と言うのは」
「ああ、おかみさん――リエラさんからアンタに、助言をしてやれって言われてね」
「奥様から?」
「何か、面倒なことになってんだろ、アンタの旦那。ウチの馬鹿からざっくりしか聞いてないが」
「その節は、オーグ様にもお世話になりまして……」
「いや、どちらかって言うと世話かけられてんのはアンタの方だろ? なんだ、そんな遠慮がちであのエーデナント混じりどもの相手とか大丈夫なのか? 甘やかしたらつけあがるだろう」
「えっと……?」
緩んだはずのジェシカの眉間が、先ほどよりも深く溝を刻む。
そして先ほど感じた同情と同じような、心底心配といった目を向けられて、ルスターはジェシカが何を言い出そうとしているのか分からず当惑する。
困惑した顔のルスターを見て、ジェシカはゆるりと視線を斜め上に飛ばし、ぎゅっと鼻の上に皺を寄せる。深呼吸するようにゆっくりと息を吸って、気合いを入れるようにフッと素早く息を吐いた。
「まだるっこしいのは無しだ。耳をかっぽじって聞きな。あの騎士様がウチの馬鹿と一緒かどうかはわかんねぇけど、何かしら不安を訴えてんならたっぷり甘やかしてサービスでもしてやれ。期間限定でだ。時間区切りが良い。条件は駄目だ。さもなきゃワザと条件を外して永遠に貪ぼろうとしやがる。タチが悪い事に自覚なしにだ」
「え、は……? 甘え??」
唐突に告げられた、ジェシカの言葉の指し示す内容に、一瞬、上手く言葉が入ってこない。
しかし何の事を言われているのか頭に浸透したところで、些か明け透けな話に唖然とするが、顔を顰めるジェシカだって本当はこんな話をしたくはないのだろう。だが致し方がない、とばかりに言葉を続ける。
「それで、きっちり甘やかしたら後はしっかり締めろ。躾けは切り替えが大切だ。ダラダラと時間を与えたところでアイツら、満足なんてしねえんだから」
「あ、いえ、アルグ様はそんな、今回の事は私の件がトラウマに……」
現状は、単純な話ではないのだと。もっと繊細な部分がとルスターは弁解を入れようとするが。
「トラウマなんて、そう簡単に解決するもんか」
「ですから、刺激せず、時間が癒やすのを待つべきかと」
「乗り越えれるかなんて運みたいなもんだ。いくら時間をかけても癒えない事もあるさ」
「では、どうしろと」
ルスターとて、時間でも癒えないかもしれないというのは分かっている。だがアルグが苦しんでいるのも事実なのだ。
時間をかけても無駄だと切り捨てるようなジェシカの言い方に、わずかに苛立ちを覚え平坦な声で問い返してしまう。
表情の固くなったルスターを、ジェシカは怯むことなく強い眼差しでひたりと見据えたまま。
「だから『意識の主軸をズラす』んだよ。トラウマに目を向けてばっかりだと損をするってね。ご褒美が魅力的だと人間ってのは馬鹿になって舞い上がってリスクを忘れてしまうもんだ」
ジェシカがズバズバと語る言葉は身も蓋もない。
半ば暴論ともいえるが、すべてが間違いだとも否定できない。
一時しのぎとしても、ジェシカの提案通りに行動するなら、少なくとも意識がトラウマから反らせるのは確かだろう。
「できた傷は消えない。寄り添って生きていかなきゃいけないもんだ。ご機嫌を取るのは面倒だけどね、辛気くさい顔されるよりは浮かれた間抜け面でいてもらった方がましだろ。……アンタも、結婚しようと腹くくるくらいだから」
「そう、ですね……一応、残りの一生をお仕えしようと思うぐらいには」
言いたい放題、皮肉と文句混じりだが、目尻がほんの少し柔らかく弧を描いたジェシカに。ルスターは彼女の言葉を真似して頷いて返せば、ジェシカは不意を突かれたように目を瞬かせて。
「アンタ、思ったよりも言うね」
にいっと今日一番の笑みを浮かべた。
「さて、ソロソロ仕事に戻るか。またあの男どもの事で悩みがあったら、おかみさんにでも聞……くのは今は難しいだろうな、アタシが聞くしかないか……」
「奥様はどうかされたのですか?」
こめかみを揉みつつ溜め息を吐くジェシカに、一体リエラに何があったのだろうと尋ねれば。
「ああ、なぁに、アンタとおかみさんの年齢が近い所為もあってね、ついおかみさんがうっかりアンタを褒めすぎておやじさんがヤキモチ焼いてんだよ。だから今、機嫌を取ってんだと」
「えぇ……?」
「おやじさんも本気じゃないさ。悋気なんてイチャつく口実みたいなもんだよ。ただ長引くと面倒だからさっさと対処するに限るからっておかみさんが」
まるでジェシカ自身も覚えがある、と言った様子でため息を吐く当たりに、なんとなくリエラが気にしていた事やら、アルグの気質やらが点から線になりかけて。
なんだかルバフェン家の暗黙の了解というかお約束のようなモノをうっすらと掴み初めて様な気がしたが。今のところはまだ深くは考えないようにしようと、ルスターはそっと気づきかけたナニかから目を逸らした。
リエラの現状やら勝手に当て馬になってる事やら、ルバフェン家の内情やらに若干引いたルスターを、ジェシカは苦笑して。
「頑張って、あの騎士様をなんとか乗りこなせよ、……あと、これからよろしく」
「……っ、言いにくいことをどうも有難うございました。コチラこそ、これから家族として、よろしくお願いします」
ルスターの礼に気恥ずかしそうに目をそらし、さっと椅子から立ち上がり玄関へと向かってしまうジェシカを、門の外まで見送ろうとするが、玄関から外は不要だと振り返って止められる。
「そういえば、アタシがここに来た事はウチの馬鹿には言うなよ。色々面倒だから」
「えっ」
それはもしや、リエラと同じ理由なのだろうかと。
ふと、ジェシカは大丈夫なのだろうかという心配を、つい顔にだしてしまったルスターに。
「まあ、やたらと馬鹿な心配をするアレの躾けには慣れてるから、バレたとしても気にしなくていい」
ジェシカが目をすがめ、片方の唇の端を引き上げて笑う様は、まごうこと無き女性なのだが、なんとも婀娜っぽい男らしさがあった。
不意に、ジェシカ様は女性にもおモテになるのでは……という考えがルスターの脳裏にひらめき、オーグの「やたらと馬鹿な心配」をするの理由の一片を垣間見た気がしながら。
一陣の風のようにやって来て、去っていったジェシカの助言に。
「……何もしないより、試してみるのは大切ですかね」
玄関の鍵をまたしっかりとかけ直しながら、ぽつりと呟いて。
しかし、意識を逸らすほど甘やかす方法について今のところ思い付きませんが、と心の中で言葉を続けて、ルスターはヒントは得ましたがまた難問ですね、と天井を仰いだ。
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