従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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7話 本当の嵐はまだ先 9【7話完】

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「ルスター……」
「……」
 ドアがうっすらと開いて。
 普段とは違う、酷く弱々しい声がルスターの名を呼んでくる。
 いつもなら直ぐさま返事をして、その声の調子に心配をするが。
「その……大丈夫、か……?」
 ドアを開けたものの、声の主――アルグは部屋の中へとは入って来ずに。ソレはまるで悪戯がばれて叱られた犬が、飼い主の様子を窺っているようだ。
 普段なら、脳裏へ浮かんだ思考に失礼な事を! と思うところだが。
 流石に本日の所は少しばかり立腹している事もあり。
 ルスターはつっと目を細めたまま、入室の許可を待っているアルグを見れば、初めて受ける眼差しにアルグはびくりと身を揺らし、たいそう動揺した様子で視線をあちこちへ飛ばした。
 どうやら、この調子だと『オーグにも』こってり絞られたようだ。
 不意に考えないようにしていた主人の弟君の存在を思い出して、ルスターは溜め息を吐く。
 昨夜――というか、どちらかと言うと夜中と言った方がいいか、それとも明け方と言った方がいいのか。
 しこたま酔ったアルグとの問答の行き着いた先は、無理に最後までしないという約束だったはずなのだが。
 酔っ払いとの約束など、あってないような物だと、ルスターは身をもって知ることになった。
 まあ、厳密に言えば『物理的な無理』を可能にした上なので、約束を破っていないと言うわけでもないのだが……

 何はともあれ。
 前回と同様に。日々の訓練と称したマッサージ等の甲斐もなく。
 残念ながら本日も前回と同様に発熱を引き起こしたルスターに、アルグはオーグを呼び出したのだ。
「前回も申し上げましたが『この手の事でオーグ様をお呼びになるのは控えて頂けますか』というお願いを、アルグ様はお忘れになったのでしょうか」
 オーグを呼んだと言うアルグに、ルスターは体調不良も相まって、非常に冷たい声でそう尋ねた。
 そして、診察は拭いきれない痕跡が残るアルグの寝室ではなく、自室が良いと訴え、それはもう、今回も苦笑いを貼り付けたオーグを出迎える羽目になったのだった。
「すまない……その、何かあったら呼んでくれ。どんな些細な事でも構わない」
 本当に犬だったら、耳が伏せられ、股の間に尻尾がくるりと丸まっているのだろう。
 すっかりうなだれたアルグに、ルスターはため息を吐く。
 それにまたピクリ、とアルグは反応して、少々叱りすぎましたでしょうか、と思う。
 正直、アルグに対して腹が立っていると言うより、大部分は恥ずかしさと、オーグを呼ばれた気まずさだ。
 勿論、無理に事を進めた事に対して、もの申したいところはあるが。いかんせん酔っ払い相手だ。アルグの精神状態が普段より理性が働いていないのを甘く見た自分にも落ち度はあるもので。
 朝、ルスターの惨状に、ルスター以上に顔を真っ青にして取り乱していたのはアルグ自身だ。
 その様子を見たら元よりアルグに弱いルスターの機嫌など、8割方おさまっていた。
 また何より、お高い魔道具薬のおかげで、実のところ体調は冷静をとりもどした現在はちょっと熱っぽいかな、というくらいなのだ。
 本来ならあり得ない行為中の状態もそうだが、事後も、後ろにほんの少し腫れぼったさ感じるぐらいの状態で済むとは、アフターフォローも完璧な効果に、空になっていた軟膏の値段を考えると恐ろしい。
 ただまあ、いくら何でも酷使された関節等は魔道具薬の効果の対象が違うらしく。
 現在、ルスターの腰と股関節と膝は鈍く痛んでいた。
 この痛みの種類は世に言う筋肉痛と呼ばれる物で。
 当日に痛みが来たのは幸いか。日々の柔軟のおかげと思いたい。
「ルスター……?」
 つい、熱っぽさからぼんやりと思考の小道に迷い込み始めたルスターに、アルグが心配そうに声をかけてくる。
 その声に、はっと我に返って。
「アルグ様、少し、お話をよろしいでしょうか」
 声をかければ、一瞬、顔が強ばったものの、すぐに腹をくくった様子で粛々と部屋へ入ってくるアルグに、やはり理性的であれば、とても尊敬出来るのですが、とルスターは内心苦笑しつつ。
「今回の事に『償いを』とおっしゃっていましたが、今もお心に変わりはありませんか?」
二言にごんはない。お前の気がすむなら、何でも受け入れよう」
 そう言って真っ直ぐ此方を見つめてくる視線は本当に、歪みのないもので、改めてこれからのことを考え、ルスターはひとつ、深呼吸をして。
「それでは、そちらの引き出しの中身を、受け取って頂けますか」
 先日、ソコに移動しておいて良かった。
 ルスターのしめした引き出しに仕舞われた用紙を見て、手に取ったアルグが目を見開く。
 それは以前アルグから渡され、つい最近までトランクの奥底に眠らせていた。
 受け取った時には空欄だったスペースには今は署名がされている。
 遅くなって申し訳ございませんと言う謝罪は、今回の事で相殺させて頂こう。
 提出の前に、改めてアルグ様のご家族への挨拶をさせて頂けますか、と言えば、アルグはこくこくとまるで子供の様に無言で首を縦に振る。
 その様子がなんだか可笑しくて、笑いそうになるのをかみ殺しながら。
「ひとまず、本日はゆっくり休ませて頂きたいのですがよろしいですか」
「あ、ああ、分かった。ゆっくり、休んでくれ」
 返事は、随分と上ずった声で。
 部屋を去るアルグの歩調が、どこかふわふわとしている様な気がするのを見送りながら。
(きっと、まだこれから、やらねばならぬ事や課題は沢山ありますが……)
 とりあえず良かった、とルスターは満足げにため息を吐いて。


 今日のところは甘えさせて頂きましょう、と。



 ベッドにゆるゆると身を潜り込ませたのだった。



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