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7話 本当の嵐はまだ先 4
しおりを挟む「どうしたら、お前は求めてくれるのだ」
ルスターの耳に届いたそれは、あまりにもか細く、くぐもった声で。
声の主が誰なのか、自分とアルグの二人しかいないというのに一瞬、理解ができなかった。
じわり、と。
背中にかかる重みと吐息に、ルスターはラダへと向けていた怒りを放り投げ、アルグが零した言葉を慌てて拾い上げ、反芻する。
コレは大切なサインだと。
間違いなく現状を打開する手がかりだと、言葉の意味を咀嚼し、考えれば。
ある一つの結論がルスターの脳裏へ稲妻のように落ちて、ハッとする。
(……私は今まで、きちんとアルグ様に愛情をお伝えしていたでしょうか?)
そもそもの始まりが勘違いであったから。
一体なんでまたこんな事にと、事態を受け止めることに一杯一杯で。
アルグとの色事に対する、すべてが受け身だった。
ことある事にアルグはルスターに好意を示し、望み、触れたいと、言葉と態度に表してきたが。
それに対して己はなにをしてきたのか。
基本的に言葉を濁し、『待って欲しい』というの主張の一点張りだった。
つい先日、このまま添い遂げようと腹も気持ちも定まったけれども。
今までの経緯の所為で、アルグには告げてもいないのだからルスターの心づもりなど伝わっているはずもない。
そんな現状に気がついてみれば。
ここ最近の様子のおかしいアルグと、その原因の答えの一端を見つけたような気がした。
うっかり従者の気質のそのままに、求められれば尽くし、捧げる事を良しとして。
態度と行動で示すのは美徳だが、それに合わせて言葉にする事も大切だ。
それなのに。
(まったく、伝えていないですね……!?)
ぐるりと思い出すだけでも、自発的に「愛してる」のあの字も言葉にしていない事実にルスターは目を剥いた。
諦めて貰うつもりでいた所為で。
アルグがしばしば「愛している」と伝えてくる言葉に、本心ではないことを返すのは如何なものだろうかと。そういった罪悪感もあり、アルグの睦言に曖昧に言葉を濁し続けていた癖がついてしまっていたのか。
また、従者が主人に何かしらを強請るのはあまり関心しない事だからと、いう思い込みもあるが。
しかしながらそれ以前に己とアルグは恋仲だったと言うのに。
(なんということでしょう)
手を捕らえられていなければ、ルスターは頭を抱えているところだ。
求められないのは寂しい事だと、己は知っていったはずだ。従者の立場がほどんと名前だけになってしまったシエンの屋敷で、胸の内に埋め切れぬ隙間を抱える辛さを、身をもって体感したというのに。
まさかそれを、よりにもよってアルグ相手にやらかしていたとは。
いくら尽くされていようとも。求められぬという不安が積もり積もれば、流石のアルグとて弱るものだ。
舞台演劇や戯曲の鑑賞を嗜むルスターの脳裏に、しばしば色に狂い、転落してゆく展開の英雄譚が思い浮かぶ。
歴史を見ても、知勇の将がそう簡単にそんなことになるなんて。なんて、疑問に思っていた事をあろうことか自分が体感、むしろ己が引き起こす要因になろうとは。
何かと勘違いやすれ違いを起こし続け転がってきた二人だったが、奇跡的にこの時、ルスターは限りなく完璧な正解にたどり着いて。
「アルグ様」
押さえつけられていると思ったこの体勢も、考えようによっては縋りつかれているようだと思いながら。
なるべく落ち着いた声を意識して「手を離してください」と言ってみるが。
「っ……」
余計に押さえつける手に力がこもった。
正直とても痛い。
まったくもって力加減がされていない。
平素のアルグなら、考えらない様な行動だ。
つまり今のアルグは、それほど平静を失い弱っているのだろう。
(立場が羞恥がと、回りくどいやり取りは得策でありませんね……)
原因が判明して。
そしてその元凶が己の態度だとわかったルスターは途端にストンと冷静になった。
腹をくくれば変に肝が据わって潔くなるところはルスターの短所でもあり長所だった。
「アルグ様、手をお離しください。これでは貴方を抱きしめることができません」
もう一度。今度はゆっくりと穏やかに、要望もあわせて語りかける。
呼びかけに、背後のアルグの体がびくりと揺れる気配がした。
(あまり明け透けに睦言を言う歳ではないのですが)
ルスターとて、アルグに負けず劣らず仕事一筋過ぎて、恋愛から遠ざかっていたので。
慣れないゆえにストレートに愛情を伝えるのには気恥ずかしさがある。
過去にいた女性に思いを囁いた時だって、己でリードした雰囲気でないとなかなか難しいものなのだ。
だが、真摯に言葉を語る事なら得意な方だ。
じりじりと、まるで獲物と距離を測る野生動物を彷彿とする慎重さで、アルグの手がそろりとルスターを離した。
それを確認してルスターも用心深く、うつ伏せから仰向けに身を捻り、アルグに向かい合おうとするが。
「……アルグ様?」
ルスターに覆いかぶさっているアルグは項垂れ、その表情が伺いしれない。
先ほどまで此方がアルグの一挙一動に慌てふためていたというのに。
どんな顔をしているのか分からないが、叱られるのを恐れる子供の姿がアルグにダブって見えてしまって。
(コレは重症ですね)
ルスターは心の中で今まで気づかなかった自分の愚かさをそっと嘆き、そして心を一新して決意を新たに宣言の通り、アルグへと腕を伸ばした。
「っ!」
「アルグ様、お慕い申し上げます」
アルグの背に手を回す……はずが。
ベッドに腕をついたアルグの体は思ったより遠く、また肉厚で。
伸ばした手はギリギリ肩から背に少し手が回る程度にしかならず、格好がつかないとちらりと思いながら言葉を紡ぐ。
「きちんとお伝えするのが遅くなってしまい、申し訳ありません。私はしばらく恋愛といったモノから遠ざかっていたので、どうしても驚きや羞恥を感じ、受け入れるのに時間がかかってしまうのです」
事実とはほんのわずかに違うが。
嘘ではない真意を告げると、肩を貸した時よりやや冷えたように思える、触れたアルグの肩から力が抜けるのを感じて。
「ルス、ター……」
そろそろと、アルグのうつむいていた頭が浮上する。
珍しい上目づかいで、ようやく合わせることが出来た顔に、先ほど収まったはずの腹立たしさがまたルスターを襲ってくる。
だがそれはラダにではなく、自分自身に対してだ。
顔を上げたアルグの顔は、期待と戸惑いに色濃く染まっていたのだ。
それは一重にルスターの言葉に驚いているほかにならない。
言葉を貰えるとは思っていなかったと。耳に入れたのは間違いはないのかと、そう思っている顔に。
そこまで不安にさせてしまっていたのかと、心底、己の態度を反省して。
「もう一度、……いや、何でもない、すまな――」
「愛しております、アルグ様」
すっかり、いつもの調子のアルグが戻ってきた。
言葉を求め、しかし直前のルスターの言葉を思い出したのだろう、慌てて引く態度に今度はルスターが喰い気味に返せば。
「――あぁ、俺も、愛している……」
ルスターの言葉を噛みしめるように、アルグが胸に詰まっていた息を吐き出すようにして顔を崩した。
そのままアルグの身がゆっくりと落ちてくる。
アルグの顔がルスターの首筋へ、大きい手がルスターの肩をやんわり掴んだが、それをルスターは比較的落ち着いて受け止められた。
むしろ、ここのところ気になっていた、垣間みえる苦しげな表情が消えた事に良かったと安堵すらする。
今度は手が届いたアルグの背を、ゆるりと撫でる。
できる限りの愛情を込めて。
傷つくことはないのだと、どうか心を穏やかにという気持ちを込め。
そうして――
(さて、どうしましょうか……)
ルスターの肩へ顔を埋め、撫でられることを微睡むように享受していたアルグが、もぞり、と身じろぎをし始めた気配に、ルスターはほんのすこしだけ眉を下げて悩む。
酒に酔っているのもあって、このまま寝入ってしまうのではと、わずかばかり希望的観測をしたのだが。
「ルスター」
お互いに良い大人なので、致し方がない現象だろう。
首筋に熱のこもった吐息がかかる。
抑えながらも強い調子のアルグの声に潜む色は、期待と渇望。
背を撫でているうちに、触れる体温がじわじわと上がっているのは分かっていたが、正直、止め時が分からなかった。
ふっ、ふっ、と、アルグのが息が早く、その鼻梁が喉をかすめ。
「んっ」
ちゅうっと、喉仏に吸い付かれる。
「ルスター、触れたい。お前がほしい」
アルグのが顔が持ち上がり、ほんのちょっと前まで顔を合わすのを避けていた事など嘘だったかのように。
ルスターと視線を絡める、いつもは澄んだ冬の明け方の空のようなスカイブルーが。
(嗚呼、コレはマズイですね)
今まで見たものとは比べものにならぬほど。
(不安を取り除ければ、と思いはしましたが)
すっかり自信を取り戻し、期待と欲にトロトロと煮込まれた色をしている。
ルスターは改めて思う。
やり過ぎた。と。
応援ありがとうございます!
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