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7話 本当の嵐はまだ先 3
しおりを挟む『お前さんは格好付け過ぎなんだよ。恋ってのは、みっともなく足掻くくらいで丁度良いもんだ』
そう言ってニヤつく前隊長に、根拠もなく無責任な、とアルグが顔を歪めれば。
『お前もまだまだだなぁ!』と余計に大口を開けて笑われる。
腹立たしく、言い返したい所だが。
己があまり饒舌ではないことを自覚をしている故、手に持ったグラスの中身とともに不満を飲み込んだ。
――格好を付けているなど。
(そんなもの、指摘されなくとも十二分に分かっている)
ルスターはアルグにとって随分と遅くやってきた初恋だ。
恋愛の勝手など、さっぱり分かったもんじゃなくて、ずっと手探りで進んでいるのだ。
アルグがルスターへと初めて抱いた感情は憧れだった。
従者として主人へ仕えるその姿勢に羨望を覚え、かかえた好感がいつしか恋情へと変化していた。
だが大きく感情が恋情へと傾いたとはいえ、アルグは依然とて尊敬の念をルスターに抱いている。それは己の従者として召しかかえてからはより一層、強まるほどだ。
ルスターは想像以上に従者として優れていた。
騎士としてのマナーを、入隊してから多少は叩き込まれたとは言え。どうしても平民として育ってきたアルグはルスターにしてみれば粗野な振る舞いが多いだろうに。
公の場以外、特に屋敷の中では『一応、貴族の慣例では』と一旦説明をした後、『……なのですが、簡略してこうしてはいかがでしょうか』と、ほぼアルグの生活スタイルを変えないよう、改変した内容を提案してくる。
極力、アルグに必要であろう知識を補うよう共有するが、その後はアルグへ沿うのだ。
今までのルスターにとって『当然』であったことを変えさせられて、面倒ではないのかと、聞けば。
『流石に、不味いところは変えて頂いてますよ』と苦笑をされて。
確かに洗濯籠に洗い物が山になるほど溜まって後に慌ててメイドを呼ぶだとか。皺のついたままシャツを着ること等に関しては『金銭に余裕がない訳ではないのですから、こういった物はしっかりと』と諭されたが。
しかし、風呂上がりに用意されたバスローブが熱くて着ていられないと、下着一つで屋敷の中を彷徨いてしまったりだとか。手の込んだ種類の多い食事よりも手づかみで食べることもある大衆料理の方を所望した時も『まあ、メイドもいませんし、大丈夫でしょうか……』『一通りのマナーはご存じですし、バランスさえ気をつけて頂ければ』と、あっさりとしたモノで。
ルスター自身は常に、爪先まで真っ白なドレスグローブに包み、気品のある振る舞いのまま。『肩の力を抜ける場は誰しも必要でしょう』と微笑み、アルグの行いを許容するのだ。
エンブラント隊での出来事も。本当は手を出したくて仕方がなかった。だが想像した通り、ルスターはアルグの手など借りずに問題を乗り越えサーフとの協力体制をしっかりと築き上げてしまった。
そんなルスターを誇らしく、尊敬し、また愛しく思う。
でも、それと同時に。
アルグの中には焦燥感が募ってゆくのだ。
良くも悪くもシエンの件で、ルスターから並々ならぬ敬愛をもたれている事を気づいていないわけではない。
『私が優れた従者というのなら、それは主人が尊敬しうる人物であるから、心から仕えられる所為でしょう』
ルスターの仕事に感謝と賛辞を向ければ、穏やかに返答されて。
その言葉に覚えるのは喜びと、不安だ。
(俺に、等しい価値が本当にあるのか)
アルグとて、人に恥じない生き方をしてきたつもりだと自負はしている。
しかしルスターを知れば知るほど、近づけば近付くほど。
己が、彼の賞賛を、愛を受け取るに値するのかと迷いが生まれるのだ。
もとより、初めて恋を知ったアルグに心の余裕などなかった。
愛しさが募るほど、手に入れたくて仕方がなかった。
ルスターに隙があれば付けいり、貪欲に求め、戸間惑っている事を分かっていながら押し流した。
もっともらしいことを言いながら、その正体は我慢が効かぬ子供のようだ。
ルスターにほんの少し触れるだけで心が沸き立ち、配慮をと、思いつつ欲があふれ出て止まらなくなる。
見合う人間であるのかと自問しながら、実際は同じ欲を返してくれないのかと詰り、八つ当たりの様に意識のないルスターへ、軽率に劣情を向けている。
……連夜に渡る愚行を、ルスターは察している様だった。
だが咎めることも無く、アルグを見つめる瞳は思慮深げに許しの色を湛えている。
己は与えられるばかりで。
奪うばかりで。
もう目も当てられぬほど、みっともなく足掻き続けているのだ。
見合うように努力をとは考えるが、周囲が評価するほど、自分は立派な人間ではないとアルグは思う。
己の認識と他者との認識の乖離に悩むのは意味がないと考えていたが、ここに来て急に、その事を意識せざるをえなくなった。
正しくは他者ではなく、ルスターが己をどう見るのか。好まれたいと思うのに気にすればするほど、ルスターが何をもって良しとするのか分からなくなる。
いつしか身を引くことも厭わないルスターの穏やかな愛情だけではなく、敬愛すら失うのではと恐れていた。
せめてハリボテでも格好をつけぬとやっていられないのだと言うのに。
『色事にやたら達観したガキかと思ってたが、まさか逆だったとはなぁ。お前、面白い弱り方をするな』
真剣に悩んでいる此方の様子を見て、軽い調子の声が楽しそうにそんな事を言う。
『そういった事はな。正直に吐き出しちまえば良いんだよ、若造』
無責任な言葉に苛立ちを覚えて口を開こうとすれば、手の中のグラスに琥珀の液体が注がれる。
『ほら、俺の酒が飲めないのか』
いつもより量がだいぶ過ぎている。
固辞しようとすれば、代わりに話の続きを促され。
これ以上、愚かな行いを吐露し、眼前の男へ酒の肴を提供したくないと思えば飲み干さざるをえない。
それが己に職位を譲った食えない男の、企みだとは気づかずに。
普段なら、朝まで付き合わされるはずが。
夜中も大分回った時刻だが、それでも珍しくここいらでお開きにするかと声が掛かって。
半ば引きずられるように。
アルグは己の住み処へと、すっかり正体をなくした状態で戻ってくることになった。
その結果。
――ああ、なんて醜悪な。
「アルグ、様っ……」
ルスターが、アルグから逃れようと身を捻る。
自分より一回り細身の体は、片手で簡単に押さえつけることが出来た。無防備な従者の自由を奪うのは想像以上にやってみたら容易かった。
乱暴な扱いを受けても、きっと止まってくれると信じて、ルスターはアルグに声をかけてくる。
それに『すまなかった』と返し、解放をする事が良いと分かっているのに、ルスターの両腕を掴んだ手は、アルグの意思から分離したように開くことが出来なかった。
手だけじゃない。
体も、意思もぐらぐらと覚束ない。
己が何を口走っているのかすら上手く認識出来てもいなかった。
それは酩酊している故の事だと気づくことも出来ず。
アルグはルスターに無体を強いようとしている己に酷く嫌悪を覚えながら、それとは別の、沸き上がる凶暴な胸のうちに顔を歪める。
ルスターが己を心配しているのは分かっているのだ。
彼は優秀な従者だ。
エントランスに主人を放置しろと言われても、出来るはずもない。
肩を貸し寝室へ運ぶ。何も間違った事はしていない。
薄い布地を纏っただけの身をなんの迷いもなく寄せ、普段の己の前ではしない気の緩んだ格好を他の者に晒す。
その一挙一動がアルグに与える影響など気づかない。
わずかに従者としての品格を損なう見目だったという反省を垣間見せた程度だ。
それが腹立たしい。
ルスターに取っては理不尽な主張だろう。
アルグ自身、お門違いな注文だと分かっている。
分かっているが。
ルスターの従者前とした振る舞いを尊く思うのに、同時に酷く乱暴に剥ぎ取ってしまいたいと思う。
暴いてその中身が欲しい。
ルスターが何を考えて言い出したのか、確認して欲しいと裸体を晒した夜が、触れた熱が忘れられない。
熱に溺れて、縋ってきた手をどうしたらまた手に入るのか。
自分がうつ伏せにしたというのに、背を向けられた様な感覚に陥る。
己でルスターの両手を押さえつけているのに、手を伸ばして欲しいと願う。
明かりが乏しい暗い視界の中で、ぼんやりと白く浮かび上がるルスターの背にアルグは額をつけ――
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