従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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7話 本当の嵐はまだ先 1

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「急に来ちゃったのに、気を遣わせてご免なさいね」
「アルグ様から甘い物がお好きと伺っておりましたので、お口に合えば良いのですが」
「まぁ、素敵。あの子じゃ、こんな気遣いは出来ないわぁ……」
 申し訳なさそうに頬に手をあてながら、リエラはテーブルに並べられた簡易的なティーセットに目を輝かせる。
 その様子は、どことなくオーグに茶菓子を出したときに似通っていて、ああ、本当に親子なのだな、とルスターは思った。



『申し訳ございません、アルグ様は現在不在でして……』
 玄関先でアルグの不在を伝えたルスターに、リエラは別段驚いた様子もなく。すっと微笑みを返して来たと思えば。
『よかったら少しお話をいかがかしら』と、誘われてルスターは迷った。
 リエラはアルグの家族とはいえ、この屋敷の主人が不在の今、勝手に応接室に通す事の是非を一瞬迷ったのだ。
 コレが貴族であるならば。
 主人の意向が確認が出来なければ後で「何故追い返したのだ」と責められようと、屋敷の中に通すことは出来ない。
 だが相手はアルグの母親である。
 その家族関係の良好である様は聞き及んでいるところであるから、おそらく問題は無いとはいえ。
 そうなると今度はいち淑女をメイドの一人もいない屋敷に招き入れてしまっても良いのだろうか、と悩む。
 そんなルスターの迷いに気づいたのか、リエラは玄関ホールの応接セットに視線を投げて。
『長いはしないから、よかったらそちらででも』
 自分から提案するには失礼があるが、相手から促されてしまったら断れない絶妙なラインの場所を提案され。流石にルスターは首を縦に振らざるをえなかった。


「それにしても、本当に貴方が来てくれて良かったわ。ほら、あの子って身の回りのことに無頓着だから」
 緊張しているルスターとは対照的に、リエラはまるで市場で世間話をするような気安さで、手をパタパタと振りながらぐるりと玄関に視線を走らせると。
「それなのにこんな身に余る家を持って、日雇いでメイドを雇ってると言っても、住めれば良いって考えだもの。でも玄関だけで分かるものね。ちゃんと暮らしている家になってて、ほっとしたわぁ」
「奥様にそう言っていただけ、非常に安心しました」
 家はやはり女性の領域であるところが多い。
 シエンの屋敷にて、メイド達の仕事や生活の仕方をつぶさに観察してきたつもりだ。しかし貴族ではないアルグが快適と思う空間は違ってくる。
 アルグはルスターの仕事を褒めてくれる。
 だが基本的にそれほど私生活の向上に対して執着がなく。エンブラント隊での仕事とは違って主張の少ない態度はほんの少しばかりルスターを悩ませていて。
 それゆえ、いくらアルグの為を思ったとしても、それが独りよがりになっていないかと引っかかっていたのだが。
 母親であるリエラに優良であるという評価をもらえれば、お世辞であってもやはり嬉しいものだ。
「あらやだ、奥様なんて。そんな呼び名は慣れないから恥ずかしいわ。これから家族になるのだから、気軽にリエラと名前を呼んで良いのよ」
「……え、は……か、家族、で、ございますか……?」
 日々の仕事に対する安堵から一転、リエラの言葉に虚を突かれて、ルスターは動揺のあまり言葉に詰まる。
 貴族の使用人たるもの、感情を表に出す事は控えなければならない。
 だというのに、アルグといいリエラといい、どうもルバフェン家の人物に対して感情を隠すのが上手くいかない。
 ひとえにそれはタイミングがいつも悪い為なのだが。
一介いっかいの使用人であるわたくしをそのように思って頂けるのは、とてもありがたいことです」
 リエラの言葉に、どう反応したものか。
 使用人に対する親愛なのか、それともアルグとの関係を知っての言葉なのか。
 アルグは「結婚したい相手がいるとは言った」と、「だがそれ以上の話はしていない」と言っていた。
 いくらご挨拶を、とは思っていても。
 アルグの居ない今、勝手に話をするのは違うのではと一瞬悩んで。
 ルスターは穏やかに微笑み、無難な返答を選んだ。
 だが。
「あら、ディティルさん、貴方……」
 リエラの空色の瞳がまあるく見開かれて、己の選択肢が外れたことをルスターは悟る。
 パチパチと瞬かれた瞳が、先ほどまでのおっとりとした光を消し、眉が困ったように下げ。
「まあやだ、聞いてはいたけれど、想像以上ねぇ。大丈夫よ、私は貴方の味方だから。なんの心配もいらないのよ?」
 そう言うと鼓舞するよう胸の前で両手を握ってみせるが。
「あ、あの、申し訳ございません、聞いていた、とは?」
「あの子から、年上だし同性だから貴方が引け目を感じてるようだって聞いたのだけど……」
「……」
 リエラの言葉に思わず、顔を覆いたくなる。
 前々から、どこかアルグの明け透けな態度に嫌な予感はしていた。
 事前に聞いてはいたが好意的な態度を喜ばしく思うべきなのだろう。だが、どうしても脱力感が否めずに。
 心の中で(アルグ様、それ以上のことを結構話していらっしゃると思うのですが)と抗議するが、心の中のアルグはルスターの言葉に不思議そうに首を傾げただけだった。
「それは……その通り、ですが、この度は本来ならこちらからお伺いするところ、わざわざご足労頂き、申し訳――」
「あ、待って、違うのよ、そうじゃないの!」
 怖じ気づき、遅くなってしまった挨拶を謝罪しようとしたところで、慌てた様子のリエラの言葉に遮られる。
「別に挨拶がどうとかじゃないのよ、少しあの子には内緒で貴方とお話ししたくて勝手に来ただけなのよ」
「内密に、ですか……?」
 リエラの口から出た不穏な言葉に思わず身構える。
 偶然かと思っていたが、まさかアルグの不在を知ったうえで狙ってやってきていたのか。
 そんな必要のある話といったら、正直なところ嫌な予感しかない。
 ちらりと脳裏に『己の子が、こんな年嵩の男に』などと。アルグとの関係に対する批難だろうかという考えがかすめるが、それでは先ほどの態度からあり得ないはずだろうと己で否定する。
 そんなルスターの戸惑いを感じ取ったかのように。
「変な言い方をしてごめんなさいね、でも、きっとこれから貴方にとって、とても大切な話になると思うの」
 柔和で人好きそうな微笑みを浮かべていたリエラが、眉を寄せ、酷く申し訳そうな様子に変わり。
「ディティルさんは『エーデナントの尾を差し出す勢い』とか『エーデナント混じり』っていう言葉は知っているかしら」
「……一般的に恋人や夫婦の仲が、とても愛情深い様子を指す事と認識しておりますが」
 唐突に、稀に比喩として使われる言葉を尋ねられ。
 今度はルスターがどういった事だろうかと目を瞬かせながら答えれば。
 その回答はまたもや正解ではなかったらしい。
「そう、ね。『良い意味』ではそういった風に言うけども……」
 手を口元に寄せ、リエラは言い淀む。
『エーデナント』とはルスターの住む大陸の遙か西の、山脈の多いフィエルシア地方に住む、有鱗族とも呼ばれる種族だ。
 人と同じ様に知能と文明を持った、しかし人と呼ぶには色濃く蜥蜴のような鱗の肌や尾という容姿を持っている。
 エーデナント同じように、文明や知能を持ち人と近いが異なる容姿の種族はこの世界にいくつか存在する。
 だがそのいずれも、250年に結ばれた不可侵の条約により、今や人の領地内で彼らを目にすることは外交等以外ではまず見ないが。
 昔はそれなりにいろんな種族が混じり合って生活していた所為か、人も含め、それぞれの種族の特徴から派生した言葉が数多く残っている。
 その中で。
 エーデナントは非常に番の意識が強い種族だ。
 コレという相手を決めたら、エーデナントは己の尾の先を切り取って相手に食べさせる。
 互いに尾を食べ会うことで、肉体が混じり合い、魂を結ぶという文化、習性を持ち、彼らには浮気とか離婚という概念がない。
 相手が死んだら基本的にその後はずっと独り身か、下手をすると後を追う者も少なくなく。それを当然と言うように受け止めている。それほどに番の存在は彼らの種族には深い繋がりで、その仲を裂くような事は大事件扱いなのだ。
 ただ注意したいのはこの習性は番に対してであって、家族愛ではない事だ。
 エーデナントの家族愛はない訳ではないが、番に対しての愛情に比べれば非常にさっぱりとしたものがゆえに。
『エーデナント』の単語が入っている言葉の意味は。
 時折、人の中ではパートナーに対して執着の強い、偏愛とも言える愛情に対しての皮肉としても使われることもあった。
「……あのね、うちの子達はどうも気質が『エーデナント混じり』なのよ」
 とても言いにくそうに。
「と言うか、そもそもあの人がそうで、見事に2人とも引き継いだという感じなんだけど……」
 リエラが溜め息をつきながら、肩を落とす。
「てっきり、あの人の気質を受け継いだのはオーグだけかと思っていたのだけど、話していてアルグもそうだと分かったの。だから、貴方には伝えとかなきゃと思って」
「あの、申し訳ございません、奥様」
 やおら深刻そうにリエラが告げる内容を一生懸命理解しようとするが、ルスターには何故そんなにもリエラが心配したような様子なのか納得がいかず。
「確かにアルグ様は愛情の深い方でいらっしゃいますが、同時にとても思慮深く配慮してくださっていますので、ご心配には――」
 確かに、時折思い込みが強い部分を感じないわけでもないが。
 決して『悪い意味で』揶揄されるような、そんな人物ではないと。
 リエラは親として子を心配しているのであろう。だから安心して欲しい気持ち半分。もう半分は、やはり敬愛する人物であるゆえに反論したくなる気持ち半分でそう告げると。
「あぁ、ごめんなさい。嫌な言い方よね。あの子を悪く言うつもりはないの。でもそう、今のところ上手くいっているのなら良いのよ」
 ルスターの言葉に嬉しそうに。しかし相変わらず困った様子が垣間見える複雑な感情を浮かべた顔で、リエラが微笑みつつ。
「貴方がとてもアルグの事を慕ってくれて嬉しいわ。だから私が変な事を言ってると感じるだろうけど、これだけは覚えておいて欲しいの」
 あくまでも口調は柔らかに。
 ルスターより小柄で年上のリエラが浮かべる笑みは穏やかに見える。
 なのに。
「あの子を止められるのは貴方だけよ。もしもの時は遠慮は捨てて、毅然とした態度で接して」
 そう言い放った姿に、何故か部下へと指示を飛ばすアルグの姿がダブって見えて。
「は、はい」
 思わずルスターは元々姿勢の良い背筋をキュッと伸ばして応えた。
 大袈裟とも言えるリエラの態度に、正直なところ一体どういうことなのかという疑問はつきない。
 ほんのわずか、脳裏にここ最近のアルグの様子が浮かぶが、まさかソレがほんのわずかな片鱗であり前触れでしか無く。


 その言葉が指す意味を知るのはもう少し先の、しかし遠くない未来の事だった。


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