従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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閑話2 発熱に至る顛末 2

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「では……」

 返答を聞いて、ルスターはもう一度促すようにアルグの腕に触れれば、拘束はするりと解かれた。
 ソファから立ち上がり、アルグから二、三歩離れたところで背を向けたままもおかしいかと、アルグへと向きなおす。
 ちらりと場所を移動するべきかと悩むが、だからといって、ではどこが良いかという場所も浮かばない。
 カーテンは閉めている。
 これは、ただの確認だ。
 ならばこのまま居間でも問題はあるまい。
 リボンタイを外し、やや迷って直ぐ側のローテーブルへ置く。
 上着とベストは難なく脱げた。
 しかしドレスシャツのボタンを外そうとしたが、上手くボタンがつかめない。
 それが、いまだドレスグローブをはめたままだからだと気が付き、指先をつまんで手から引きに抜き、リボンタイの横に並べた。
 改めてシャツのボタンに手をかけるが、そこで己の指先が随分と震えていることに気がつく。
(――私は、何に緊張しているのでしょうか)
 先程から感じる視線。
 震えは、恥ずかしさからくるのか。
 それとも、やはり理想と現実は違ったと、アルグの目が冷め、落胆されることを恐れているのか。
 きちんと確認をと思ったが、だからといって幻滅した顔を見てしまうのも怖いと、今になって気がついた。
 もたつきながら、首元から裾までボタンを外しきって。
 シャツの下から現れた自分の貧相な薄い胸板と、かろうじて体裁を保った腹筋が目に入り、急にシャツをはだけることに尻込みする。
 コレを、本当に晒していいのだろうか。
 すでに開かれた部分は見られているだろうが、肩やら二の腕やらをあわせて、改めて嘆息されてしまうと、心が折れるかもしれない。
 だが、ここでウジウジとしていても仕方がないだろうと、いくぶん、ベストを脱いだときよりも鈍った動きでシャツを脱ぐ。
 たった一枚の布だと言うのに、シャツがなくなっただけで随分と心もとなく感じた。
「……」
 さて、次はスラックスだが。
 ベルトに手をかけて。
 ルスターは視線を下げたまま惑う。
(もう、十分では……?)
 もしも上半身だけで、アルグが失望していたら。これ以上の露出は必要無いだろう。
 先程から見られている、という感覚はあるものの。
 一言も発しないアルグが、一体どういった表情を浮かべているのかはわからない。
 ぐっと口を引き結んで。眉を下げ、落胆する、または眉間にしわをよせて不快な、もしくは想像と違う現実に困惑をしていたら。
 嫌な想像が次々に浮かぶ。
 だが、どうせ最終的にはアルグの反応を知らなければなるまい。
 遅かれ、早かれ。
(いつまでも、目をそらし続けてはなりますまい)
 そう意を決して、ルスターは手元から顔を上げ。

 



「……アルグ、様?」

 口は、奥歯を噛みしめるように引き結ばれて。
 眉間には、深くシワが刻まれている。
 それは、ルスターが想像していたよりもずっと険しい表情だった。

 だったの、だが……

 アルグの、ルスターを見つめる様はまるで睨みつけているかのようだった。
 ギラギラとした光を帯びた瞳は、瞳孔が開きって。本来なら晴れた日の空のようなスカイブルーがいつもより薄暗く見えて。その眼光に思わずルスターは一歩、アルグから離れるように後退する。
「ルスター」
 それを咎めるように、アルグはルスターの名を呼び。
「続きを」
 促されるが、ルスターの指はベルトにかかったまま動き出せない。
 何しろ、どう見ても。
(コレが理想と現実の差異に失望する顔と、考えるのはあまりにも愚かな思考でしょうね)
 むしろ獲物に飛びかかる隙を窺う獣のようだと、流石に気が付かずにはいられない。
 蛇に睨まれた蛙の気分だ。
 あらためて、ルスターは現状を振り返える。
 現実を受け止めて貰おうとしていたが。
 どちらかと言うと実際は己が現実を受け入れる羽目になっている。
 こちらを見つめるアルグの視線に気圧されて。
 視線をそらすように落とせば、膝に肘をつき、やや前かがみになっているアルグの下半身が、例のごとく反応している事を察してしまい、動揺する。
 よくよく考えてみれば、己の裸体に性的興奮を本当に覚えるのかと言う懸念を抱き、そうとなれば軌道修正を、とは思っていたが。では逆になんの問題もない場合というのを想定していなかった事に気がつく。
 この状態を引き起こしたのは自分だ。
 一体、終着点はどこに向かえば良いのか。
 ただ今わかるのは、明らかにこのまま進むのは不味いのではと思うのだが。
「あの、もう、コレで」
「まだ。見ていない」
「い、いえ、もう」
「なぜ? 裸体というのだから、下もそうだろう?」
 言い分は半分、わからなくもない。もしかしたら下半身を見て、我に返るかもしれない。
 ――なんていう楽観視は、目の前の瞳孔が開いた状態のアルグから、甚だ確率が低いであろうと分かっていて。
 そもそも、確認をしなければ!と、勢いで来てしまったが、まざまざと現状を認識させられ、こちらが我に返ってしまった。自分は何をしているのか。
 そらした視線をちらりとアルグに向ける。
 今か今かと非常に期待に満ち溢れた態度で。
 ここはもう無理だと謝罪するべきなのか。
 いや、向き合うと決めたというのに今更ためらうのか。
 視るだけと、はじめに前置きをしておいた。
 ならばアルグは極力こちらの要望を受け入れてくれるだろう。
 そう、信じて。
 恐る恐る、震える指先を叱咤してベルトを引き抜く。
 ボタンを外し、チャックを下げるのがこんなにも重労働に感じるのは初めてだ。
 先程まで不安が胸を締めていたが、今は己の一挙一動をアルグがあの瞳で見つめているのだと思うと、とんでもなく羞恥が湧き上がって顔に血が上ってくる。しかし同時に、空恐ろしいものを感じ背筋がきゅっと縮んで血が下るような相反する心地もあり、わけが分からなくなる。
 混乱するルスターは、肩から顔までが真っ赤に染まっていることに気づくことは出来ないまま。
 そろりと、スラックスを太腿まで下げる。
 足をゆるく開きそれ以上、スラックスが下に落ちないように、いつでも引き上げられるようにした状態で。
「あの……」
「続きを」
(やはり、そうですよね……)
 下着も脱がねばならないのか。
 なんとなく、察してくれないかと希望を抱いてみたが。
 伺う言葉をすべて吐き出す前に即座にレスポンスが返ってきて、ルスターの目はやや光を失った。
 いや、言い出したのは自分なのだから、アルグを責めるのは間違いなのだろうが。
 先程から、もう目線をアルグに向けることなどできなかった。
 故に。
 促されたものの思い切りがつかず、戸惑っているルスターは。
「ルスター」
「ひっ!?」
 唐突にアルグが座ったまま身を乗り出し、その手が己の腰骨の部分を鷲掴みにするまで反応することができなかった。
 律儀に、素肌に触れてはいけないと思ったのか。
 接触面は下着の装着部分だけだが、しかしそれゆえに手はなかなかきわどい位置にあって。
 両手で左右から腰を掴まれると、親指が腰骨にそって添えられて、他の指先は腰よりも尻にかかる状態だ。
 布越しに触れるアルグの手のひらの体温は明らかに高くて。その熱に煽られるようにルスターの全身にカッと熱が上がる。
「あ、アルグ、様、は、はな、離してください」
 動揺して、舌がもつれる。
 しかも、名を呼んだ際に添えられた指が腰骨にくい込み、瞬間、何とも言えないしびれが走って、ルスターは盛大に体をはねさせた。
「みるだけだ」
 目の前に。
 熱量の固まりを感じる。
 触れていないのに、素肌を晒しているせいで、余計に目の前のアルグが発している熱を皮膚が敏感に感じ取ってしまう。
 グラグラと頭が煮えたぎるようだ。
 見るだけと言いつつ、触れているじゃないですか。
 そう抗議したいが、アルグの声が微かに震えていたのに気がついて、なぜか急に声が喉の奥で固まった。
 素肌に触れないようにしながら。
 それでも下着の布地を摘んで、じわじわと下げようとするアルグに流石のルスターも慌ててその腕を掴み。
「ま、待って、くださいっ…まだ、心の、準備、がっ!」
「……」
 手のひらに燃えるような熱さのアルグの肌に驚いて、声が裏返ってしまう。
 そんなはずはないのに、やけどをしてしまいそうで強く掴む事をためらうが、意外にもルスターの制止の言葉にピタリとアルグの動きが止まった。
「……」
(…………………………………まさか、待って、下さっている……?)
 不味いことになった。
 止まってもらったのはいいが。
 言葉通りに心の準備が出来るのを待たれれば、それはそれで思い切りがつかない。
 提案した当初は、コレほどまでに羞恥を覚えるとは思っていなかったのだ。
 肉体美的な優劣に対する劣等感的な羞恥については想像していた。
 だが、こんな。まるで絡みつくような視線と熱を浴びる羽目になるなど、欠片も分かっていなかった。
(これは愚かな私への罰でしょうか)
 心臓が、早鐘のように脈動するのを感じながら。ルスターは顔をあげられぬまま、そろそろとアルグの腕から手を外し、下着に指をかけた。
 思えば、全てはアルグの想いを軽んじている故の失敗ではないか。
 今も、いっその事、無理矢理にでも事を進めてくれればと思うのは己の我儘で、アルグは時折暴走するものの、きちんとルスターの制止に耳を貸してくれている。
 下着の縁を指でつまみ上げると、アルグの手が離れた。
 やはりアルグが基本的にこちらの意思を尊重しようとしていることが分かって。
 ならばこちらも、しっかりと己の言った事には責任を持たねば、と。
「っ」
 ガッっと音がするんではないという勢いで下着を下げ。
 一呼吸置いてすぐさま下着を引き上げる。
(やりました……! 私は、やりきりました……!)
 異常な居たたまれなさを覚えながら、それでも有言実行を果たしたと、ルスターはこの貧相な肢体をこれで仕舞えると、早々にスラックスを引き上げようとした、ところで。
「っ!?……アルグ、様? あの、手を……」
 スラックスを引き上げようとした腕を、今度はアルグのあの熱い手が阻む。
 なぜ、とそろりと視線をアルグへと持ち上げれば。
「もういちど」
「はい?」
「よくみえなかったから、もういちど」
(一体、何を言っているのでしょうか)
 アルグの言葉がうまく頭に入ってこない。
 スラックスを引き上げるためにややかがんだ体勢から顔をあげると、アルグの顔が思いの外近くにあった。
 アルグの顔には表情がなかった。
 なのに、その目が。
 視線が、どろりと、ルスターに絡みつくようで。
 慌てて視線をそらす。
 とりあえず、スラックスを引き上げたいと、手に力を込めるが、掴まれた手は微動だにしない。
「ルスター、もういちど、みせてくれないか」
 声が、耳の直ぐ側で囁かれる。
 ルスターの苦手な、あのドロリと纏わりつくような、熱を含んだ声だ。
「も、もう、お許しください」
「では、さわってはだめか」
「駄目です」
「なめるのは」
 見るのも勘弁して欲しいと言っているのに、何故触れたり舐められると思うのか。
「むり、です」
「ルスター」
 いつの間にか、ルスターの耳にアルグの唇が触れるほど近く迫っていて。
 声とともに耳の中へ暖かな吐息が忍び込んで、背中をゾワゾワと何かが駆け上がる。
 ルスターは身をひねって逃げようとするが、相変わらず掴まれた腕のせいでかなわない。
「ルスター、たのむ」
 繰り返される言葉は懇願なのだろうが、ルスターには脅しのようだった。
 耳から、掴まれた腕から。
 熱が侵食してくる。
(一体、一体、どうしたら……)
 先程までは、こちらの言い分をちゃんと聞いてくれていたのに。
 無理だと、言葉を重ねても引いてくれそうな気配がしない。
 ――残念ながら、理性は溶けるものだとルスターは気づいていなかった。
 度重なる焦らしによって、アルグの我慢は本人の自覚も無いまま、いまや理性の形をぐずぐずに崩していた。
 ルスターの混乱も極まっていたが、アルグもまた思いがけぬルスターの肢体を見るチャンスに思考が混戦を極めていたことなど、ルスターには知りようがない。
 アルグの頭の中では、オーグからの忠告と、抑え込んでいた欲望とがぐるぐると追いかけっこをしていた。
 きちんと相手の了解を取らなければ。どうしたら了承を取れるのか。触れたい。何故触れては駄目なのか。どうしたら触れられるのか?
 正直、焦らされ過ぎて、股間が痛い。
 トイレに駆け込みたいが、そうすれば確実に戻ってきたときにはルスターは服を着てしまうだろう。
 それは避けたい。
 できればもう一度、生まれたままの姿のルスターが見たい。
 今度は後ろ姿がいい。
 先程指先に触れた臀部の感触が蘇る。
 本当は鷲掴みにしたかった。
 だがそれが叶わぬのならせめて目に焼き付けたい。
 目下の、ルスターの赤く色づいた耳が己の吐息に応えるように熱を帯びている。
 囁くふりをして、かすめるように唇をつければ、その度にルスターの体が震え反応を示すのがたまらなく、アルグの中にナニかがこみ上がってくる。
 己の一挙一動に反応を返すルスターが愛おしい。
 もっと直接的な刺激を与えたら一体どんな反応を返してくるのだろうと考えると、誘惑にだんだんと思考が鈍ってくる。
「ルスター、どうしても、だめか?」
「申し、訳ありません、ご勘弁ください」
 尋ねれば、震える声で返される。
 怖がらせてはいけない。不味いと分かっているが、どうしてだかその声にアルグの中でぞわりとうごめくものがあった。
「ならば、褒美を」
「え」
「いやなら、みるのをがまんしよう。だが褒美をくれないか」
 怖いのだから、我慢する。無理強いはしたくない。思いやりは必要だ。
 しかし愛しい相手が側にいて、我慢し続けるのが辛くないわけではないのだ。
 訴えるようにルスターに告げれば、うつむいた顔のアゴがかすかに震えたのが見えた。
 言葉を探して、何を取り出すか迷っているのだろう。
 本当なら、触れる許しを得るように誘導したかったが、欠片で残った理性がそこまで追い詰めるのは酷だと選択肢をルスターに与えた。
 故に。
「手で……」
「なんだ?」
 おずおずと、ルスターの顔があげられる。
 しかし視線はフラフラとこちらを見ることが出来ずに、彷徨っている。
 潤んだグレーブルーの瞳は濃い霧に包まれた海のようだ。舐めたら海水のように塩辛いのだろうかと、夢想しながらルスターの言葉をうながす。
「手で、お相手するのでは駄目でしょうか?」
 何を……………………………ナニをか?
 脳みそが、ルスターの言葉をうまく変換できず、いや、変換した意味を信じきれずにアルグは固まった。
 正直な所、自分で触れてもいないのに、ルスターの痴態を見ただけで下半身が痛いほど反応しているせいで、良いように耳が言葉をとらえたのではないかと思ったが。
「申し訳ありません、触れられるより触れるのならば、と思ったのですが……」
 チラリ、とルスターの視線が隠しようのなく反応しているアルグの下半身に向けられ、提案されている事が妄想ではないのだと確信して、アルグは雷に打たれたような衝撃を受けた。
(何故だ。見るのは駄目なのに、触れることは出来るのか)
 どういった基準だ。と、疑問が浮かぶが、しかし今はそれを問い詰めているところではない。
「………………いいのか」
 ごまかせないほど声が震える。
 それは、情けないほど期待に満ちた声だった。

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