従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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5話 アルグ隊長の従者殿 3

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「これは……まあ、随分と派手にやられてしまいましたね」

 扉を開けて広がった光景に思わず、といった調子でルスターが言葉をもらす。
 その横で。
(あのバカどもめ……)
 モルトレントは盛大に眉間に皺を寄せ、目の前の惨状に頬を引きつらせた。




 エンブラント隊、隊長室の横に設けられた、こぢんまりとした従者控室兼、執務室。
 その部屋の灯りを一つ、主が不在の間に不良品へとすり替えて。
 狙い通り、設備管理を担当している4班へ、ルスターから灯りの交換が舞い込んだ。
 書類の提出のついでに直接来ましたと言うルスターに、ちょうど手が空いたところなので早速伺いますよ、とモルトレントは脚立を肩にかける。
『急かす様な事になって、申し訳ありません』
『いえいえ、コレが仕事ですからね。それにディティル氏とは一度、お話をしてみたいと思っていたんですよ』
『そうなんですか』
『まあ、自分が勝手に年が近いですから親近感を覚えていまして。それに今話題の『隊長の従者殿』ですからね。『色々と』大変でしょう?』
 部屋に戻る道すがら。あくまでも軽い調子で早々に本題へ切り混んでゆく。
 下手に隠し立てして探るよりも、本音と、あくまでも好意と興味を持った野次馬ふりをしたほうが、警戒されないのではないかという魂胆だ。
 思惑通りか、それともそもそも警戒をされていないのか。
 ルスターの現状を知っていることを匂わせた、同情のような言葉をかければ、ルスターは困ったように肩を落として。
『お騒がせしてしまい申し訳ありません。アルグ様の人望を理解しているつもりでしたが、己がどのような影響を与えるか、把握が足りかなったようです』
 謝罪の言葉を返されて、モルトレントは『いやいやそんな』と相槌を打ちつつ、ルスターが思いの外、憔悴したような様子がないことを意外に思う。
 貴族付きの使用人だったと言うから、武骨な人間に揉まれるのはさぞかし堪えるだろうと思っていたのだが。
『数ある隊の中でも、うちは平民出身の者が多いですからね、どうしても、同じ出身で他の隊長に引けを取らないアルグ隊長に夢を見てしまうところが有るんですよ』
『その気持は大変よくわかります。本来なら更に上の立場にも推薦される実力と人望をお持ちなのに、市民の生活に沿った立場で有りたいと、昇進の打診を蹴るなど、なかなか出来るものではありませんし』
 嫉妬を受けるのも仕方がないと、フォローのはずが。
 なぜだか、アルグの人望についての部分に食いついたかと思うと、それはもう、力強く同意を返されて。
(……なんか思っていたのとちがくね?)
 モルトレントは心の中で首をひねる。
 気丈には振る舞っているが、理不尽な嫉妬をぶつけられて、本当は疲れ切っているのではと考えていたが……
 どうも、自分が抱いていた従者のイメージと、ルスターの態度がきれいに重ならない。
 監視の際には、あまり近づきすぎないようにとしていた。
 そのため、理不尽な仕打ちに肩を落とすような仕草を目撃はしていたものの、その時のルスターの表情を、細部までつぶさに観察はできていなかった。
 もしかしたら。穏やかな物腰と貴族への偏見から、勝手に同情を抱いていたが。この従者はそれほど弱くはないのでは、とモルトレントはルスターに対する印象の修正を考えたところで、目的地に付いて。話は冒頭に戻るのである。



 ほんの一刻ほど前。モルトレントが従者控室へ、灯りに細工をと忍び込んだときには、主の性格を反映したような、清掃が行き届き、整頓された空間が広がっていたのに。
 今、眼前に広がるのは、机に置かれていたであろう書類や筆記用具はもれなく床へと落とされて。
 棚に収めていた本も半分ほどへ脱落し、引き出しも引き抜かれて放り出されている。
 椅子など、横倒しではなく、わざわざひっくり返されているあたりの念の入れようは、悪意の形をまざまざと表していて、モルトレントは胸の奥からせり上がってきた気持ち悪さに奥歯を噛み締めた。
「……失礼、少々、そこでお待ちいただけますか」
 なんと声をかけるか迷った間に、ルスターのほうが先に動き出した。
 モルトレントに対し謝罪と、部屋に踏み込まぬように、と声をかけ、さっと執務デスクへ向かう。
 懐からカギを取り出し、唯一、引き抜かれていない引き出しへそれを差し込む。
 一度、二度、鍵の開け閉めを繰り返し、鍵が壊れていない事を確認し終えると、こちら側からの視線を遮るように背を向け、中身を検め始める。
 ルスターの背中から、ほんの少し力が抜けたのと同時に、小さく安堵するようなため息が聞こえて。
 どうやら、鍵付きの引き出しの中身は無事だったらしい。
 すでに十二分にやらかしているが、流石に『そこまでの手出しはまずい』という思慮が犯人にもあっただろう。
「申し訳ありません、お待たせしました。もう大丈夫です。どうぞ」
 再び引き出しに施錠をして、ルスターはおもむろにとある一か所の書類をさっと拾い集めたかと思うと、モルトレントを振り返り、そんなことを言った。
 一瞬、何が『どうぞ』なのかとモルトレントはあっけにとられて。
「……いや、いやいやいやいや! な~にが『大丈夫』なんですか、全然大丈夫じゃないでしょうが!?」
 見れば、ルスターが書類を拾い上げた場所は、切れた灯りの真下。
 確かに、灯りの取り換えをするため、脚立を立てるには支障がなくなって大丈夫だろうが、しかして、まったくもって現状にふさわしくない言葉で、モルトレントは思わず叫ぶようにツッコミを入れた。
「ああ、流石にこの有様は、モルトレント様の作業の間に片付けをさせて頂こうかと」
「え、なんでそんな落ち着いてるんですか。俺のほうが動揺しているのはおかしくないですか」
 微妙に噛み合わな返答を返されて、モルトレントはつくろうのを忘れて素で返してしまう。
 それに、ルスターは少し困ったように肩を下げて。
「私も、ここまでされるとは思っていなかったので、多少驚いてはいるのですが……半分は、まあ、こういうこともあるかもと考えていたためか、思ったより落ち着いていられるのかもしれませんね」
「ありえると、思っていたんですか」
「使用人同士でも、身分不相応に主人の寵愛を受けていると思われれば同様のことはありますので」
 その言葉に、ルスターの以前の経歴を思い出して、どうやら貴族の使用人という世界もまた、考えているよりも面倒なもののようだと認識を改める。
「とりあえず、モルトレント様はどうぞ、私のことはお気になさらず作業をなされてください」
「……この状態を気にするな、と言うのは無茶がありますが」
「申し訳ありません」
「謝るのも違うと思いますがね」
 己がルスターに対して非難めいた言葉を投げるのは間違っている、とわかっているのだが。
「灯りの取替作業が終わりましたら、私も、片付けを手伝いますんで」
「いえ、そんな」
「この状況を見て、自分の作業が終わりましたんで、さようなら~って言うのも、非常に座りがわるいんですよ」
「……それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
 自分が、憤るのは筋違いだ。
 本来は擁護を、と思っていたのに。
 何と身勝手なものだ。当事者でもないのに自分は何様なのだろうか。抑えよう、と思うのに。
 脚立を広げる音が、いつもより乱暴になる。
 己の態度に、ルスターが戸惑っているのは当然だ。
 同情こそすれ、苛つかれる道理などない。
 それなのに、一体、自分は何をやっているのか。
「……スミマセン、八つ当たりです、嫌な態度取りました」
 こういうのはさっさと謝って、吐き出してしまおう。
 モルトレントは大きく深呼吸を一つして、ルスターに頭を下げる。
「い、いえいえ、不快な場に居合わせてしまい、こちらこそ申し訳……」
 突然の謝罪に、ルスターは慌てた様子で首を振り、むしろ己が、と言葉を重ねようとするのを、モルトレントは手で制して。
「失礼を承知で言わせて頂くんですが、ディティルさん。あんた、このままで良いんですか」
 思いの外、精神的に深刻なダメージを受けていない様子とはいえ。
 見守るとしても、一体本人がどういうつもりなのか、確認をと、尋ねれば。
「そうですね、できれば私の仕事を振りをみて頂いて、認めていただければ、と思っていたのですが……」
 それは難しいだろうな、と、ルスターが飲み込んだであろう言葉を、モルトレントは思った。
 一度、偏見に傾いた人間の目を覚まさせる事は、容易ではない。
 ならば、どうすればいいか。
 一筋縄で行く問題ではないだろう。こちらから水を向けたものの、己もさしたる妙案があるわけではない。その事に気がついて、モルトレントはコレでは本当に自分はただの野次馬ではないかと、心の中で自嘲した。
 そこへ。
「流石に、そろそろ動き出さねばならないですね。監視役とはいえ、モルトレント様にお見苦しい物を見せ続けるのは、申し訳ないですし、サーフ様もこのまま様子見では咎められてしまうでしょう」
「は?」
 床から拾い上げた書類に靴跡が残っているのを見て、ルスターが眉を顰めながら呟いた内容に、モルトレントは猛烈な違和感を覚えて、目の前の従者を見つめた。
「今、聞き間違えでなければ、私を監視役、といいましたか」
「ええ、そうですよね? 第4部隊は、部隊内の諜報活動をしているとお聞きしておりますが」
 誰から聞いて、と返しそうになって、必然的に隊長しかいないという答えにたどり着く。
 しかし、それよりも、だ。
「あの、確かにウチの隊は隊内の諜報活動をしていますが、別にディティル氏を監視しては……」
 一体何を言っているのかわからない、といった当惑した表情を作って、一応しらを切ってみる。
 だが、こちらを申し訳なさそうに見つめるルスターの顔を見て、ああコレは全然誤魔化せていないな、と、モルトレントは早々に諦めた。
「……そんなに、監視がバレバレでしたかね」
「正直なところ、第4部隊の方が諜報部隊であると知らなければ、全く気がつかなかったでしょう。知っていても、ほんの少しばかり視線を感じるような気がするくらいで」
 ルスターの言葉に、その程度なら何故、とモルトレントは口の端を下げる。
 先程の態度はあまりにも、確信を得ているものに見えたのだが。
 まさかカマをかけられたのかと思えば、その機微をルスターは察したらしく。
「アルグ様から、サーフ様が隊の内情に対する采配に優れ、またそれを第4部隊の方々が支えていると聞き及んでいました。なので、私のような異分子には当然、監視がつくかと」
「なるほど、そうですか……」
 思ったよりもこの従者は狸だったようだ。
 はたしてサーフは、ルスターがこちらの監視に気がついている事を知っているのだろうか。
 思索にふけりかけて、答えなど聞かねばわからないかと思いやめた。
 それにしても。
 裏を探り、本当はどのような状態か知っていながら、その腹を隠して近づくという状態を、非常に後ろめたく思っていたと言うのに。やけにあっさりと、当然とばかりという反応を返されて、一体自分が感じていた決まりの悪さは何なんだったのかと、モルトレントは脱力して脚立に身を持たれかける。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
「いや、むしろ貴方を侮っていたってことです。失礼しました」
 考えてみれば、ルスターに抱いていた同情とは、無意識のうちに、下に見ていたからの感情ではなかったのか。
 平等なつもりでいて、結局のところ、自分も色眼鏡でしか物を見ることが出来ていなかったのではないかと、苦笑する。
「……しかし、『そろそろ動き出す』とはまた随分な物言いですが、どんな算段で?」
 違和感を払拭したところで、今度はもう一つの、聞き逃せなかった言葉の種明かしをしてもらわなければいけない。
 わざわざ言葉にしたのだから、隠すつもりは無いのだろうし、こうなったらとことん首を突っ込んで、ことの次第を見届けようじゃないか。
「ああそれは、折角なので『私よりアルグ様にふさわしい従者』を募集しようかと思うのです」
「は?」
 ニッコリ、と微笑まれて告げられた言葉に、モルトレントは先程と同じように理解が出来なくて、間の抜けた声をあげた。
 一体、この従者は何を言っているのか。いや、どういうつもりなのか。
「隊長の、従者をお辞めになるおつもりですか」
「結果的にそうなるかもしれません」
 その言葉に、モルトレントは思わずぐっと己の顔が険しくなるのがわかった。
 しかし、対峙するルスターは申し訳なさそうにしながらも、どこか少し嬉しそうな様子で。
 その不可解な態度にモルトレントは混乱する。
 睨まれて、何故そんな顔をするのか。そもそも、いくら虐げられようとも、責任に潰されようが、それを投げ出す人間には見えなかったのに。
「つきましてはサーフ様にご相談をしに行かないといけませんね」
 微笑みを絶やさないまま、ルスターはそう口にする。
「そこは、副長ではなく、隊長に許可を取るところではありませーーまさか、もう……」
 もしや、現状を聞いているアルグが、「限界ならば」と、既にそういった結論を下しているのか、と口ごもれば。
「ああ、アルグ様は基本的にご存知ありません。報告ならばサーフ様から、が筋でしょうし、そもそもコレしきの内容でお心を煩わせる必要はないでしょう」
 ケロリ、とした調子でとんでもないことを返されて、モルトレントは、もう、どういうことかわかんねえわと、思考を放り投げた。


 ただ一つ。わかったことといえば。


 ルスターの穏やかそうな瞳に、ちらりと好戦的な光が垣間見えて。
(想像していたよりも思わぬ方向へ転がって行きそうだ)
 感じたのははたして、嫌な予感なのか、それとも吉兆の気配なのか。


 その結果は――

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