従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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5話 アルグ隊長の従者殿 2

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「……とまあ、こんな感じで。流石にそろそろ、若い奴らに釘を指しておいたほうが良いと俺は思いますがねぇ」
 剃り残しのある顎を撫でるふりをして。
 エンブラント隊第4小隊長、モルトレント・ジュタンはどうしても苦い思いに口元が歪んでしまうのをごまかした。
「分かりました。しかし、釘を差すのはもう少し様子を見てからにします」
 口頭で報告した以上に、そこに重要な情報など有りはしないことなどわかっているだろうに。
 手元の報告書に目を落としたまま、こちらを見もしない男に、モルトレントは一体、彼は何をその中に望んでいるのだろうかと思う。
「『もう少し、様子を』ですか。それじゃ、まだあの『従者』さんの『監視』と『調査』は続けたほうがよいんで?」
 いつもなら、この男の執務室に入った瞬間、シャツの第一ボタンが外ずされているとか、裾がしっかりとズボンに入っていないだとか。そういった、どちらが年上かわからないような小言の一つや二つを、顔を合わすたびに投げつけられるのが恒例行事なのに。
 しかしながら、それが退出する頃合いになってもないのは、つまるところ、目の前の男は、あまり心に余裕がないという状態、ということで。
「…………続けてください」
「そうですか」
 こちらの嫌味に、ほんの少し間を開けて。
 それでも、監視の継続を指示した、エンブラント隊副長サーフに、モルトレントは今度は隠さずため息を付いた。
「一体何でまた、副長はあの従者さんが、そんなにも信用ならんもんですかね」
 サーフの手に有る書類は、ここ最近エンブラント隊隊長アルグの従者となった、ルスターに関する調査および監視結果の報告書だ。
 すでに3回目におよぶその内容をまとめてきたモルトレントには、ルスターの経歴、行動から、警戒すべきものを感じることができない。あえて上げるとするなら、アルグの信頼を随分と得ているところだろうが、得ているからこその従者になったと考えられなくもないのだ。
 果たして、副長は何を考えているのか。何か裏事情を掴んでいるのか、とも思うが、それにしては随分と調査指示は手緩いものだ。
 そもそも『第4小隊』に調査をさせる時点でその重要度はたかが知れていた。
 なぜなら、本来『本格的な』諜報活動を行っているのは第8小隊で。
『第4小隊』の主な仕事はエンブラント隊の物資及び備品、施設の維持管理なのだ。
 しかし、その各小隊や事務官隊、隊内外への干渉する性質を利用して、主要業務の合間に隊の内情や重要性の低い事項の諜報活動を密かに行っていた。
 それは、第4小隊員とアルグとサーフしか知らぬ内容で、組織を潤沢に回すためには欠かせぬが、あくまでもサポート的な立ち位置でしかない。ひとたび、取り扱っている内容の重要度が跳ね上がれば、すぐさま第8小隊へ持ち越されてしまうのだ。
 それゆえ、未だ第4小隊へ指示の下るルスターの件は『それほど危険ではない』ということだ。
 だがそうなると、今度はサーフの態度が問題で、一体、何に納得がいかないのか。副長殿はかの従者に対して警戒を解こうとせず、ルスターに対して発生している問題について、足踏みをしたままの状態だった。
「『隊長の従者』という肩書は『従者』でありながら『隊長』の威を借りたものになりやすいものです。それを己の権力と勘違いするような人間でないか注意する必要があります」
「行き過ぎた行動は見られませんがね」
「初めから行動を起こすような、愚かさを持った人間でないと評価は出来ます」
「つまり、そのうち尻尾を出すと副長はお考えで?」
「可能性での話ですが、まったくないとは言い切れないでしょう」
「そういう人には見えませんでしたけどね」
「私も……今のところ、見てませんが、状況が変わればどうでしょう」
「現状は『隊長の従者』の威を借りるどころか、そのせいで嫉妬されて『嫌がらせを受けている』状態になってるわけですが、それもどう出るか実験しているわけですか。其れはちょっと卑怯な手口じゃありませんかね」
「私が追い込んだわけではありません」
「いつもなら火種を見つけたら早々に手を打つでしょう。其れをしなかったのは追い込んだと言っても良いんじゃないですか」
「彼の立場なら、己に降りかかる火の粉を払うすべぐらい、備えておくべきでしょう」
 なじるような色合いを含んだモルトレントの言葉にも、サーフは態度を変えることなく返す。
 サーフは間違ったことを言ってはいない。ルスターの力量を測ることが目的なら、たしかにこの状況は好都合とも言えるだろう。そう、モルトレントも分かってはいるのだが、しかしながらいささかだまし討ちのようで気分がよくないし、そもそも何故そこまで推し量る必要があるのかという感情が、どうも押さえきれない。
「なるほど、隊長の従者たるもの、それくらい出来て当然というわけですか」
「………行き過ぎた行動があれば止めに入ってもかまいません」
「もう十分に普段よりは行き過ぎた行動になってるとは思いますが?」
 いくら、規律があるといえども、様々な人間の集まりだ。衝突や軋轢と言うのは日常茶飯事だ。だが、いつもならモルトレントたち、第4小隊の報告が上がるやいなや、早い段階でサーフが手を回す。
 その判断はいつも早急、的確で、エンブラント隊は王都に数ある隊の中でも、隊内のトラブル発生が少ない隊として上からの覚えが良いほどだ。
 しかし。
 ブレーキがなければ、結果と言うものはやはり同じ所に行き着く。
 隊長というものは、実力もさることながら、ある程度の人望と人気も必要な立ち位置だ。
 アルグの従者という立場は、その話が上がったとき、随分と隊内を賑わせた物だ。一体誰がなるのか。どうしたらなれるのか、もう候補が決まっているらしい……そんな期待や憶測が暫くの間、持ちきりだったが、話が上がってから随分と時間が立ってもその席は埋まることがなく。
 きっと余程の者じゃないと隊長のお眼鏡に叶わないのだろう、そんな結論に至り。そして気がつけば、そんな話もあったなと記憶の片隅に追いやられた頃合いに、なんの前触れもなくやってきたのが、ルスターだった。
 ルスターがやってきた日の騒ぎはなかなかのものだったと、モントレントは思う。流石に表立って騒ぐことはないが、一日中、浮ついた雰囲気が隊内で漂い。隙あらばルスターを一目見ようと、一体どういった人物かと、様々な情報と噂が飛び交ったものだ。
 そして、その当たり障りのない人物像に。大半のものは肩透かしを食らったような心地になった。特に目立った功績もなく、若くも、特段美しくもない。肉付きも一般的で事務官隊から適当に引っこ抜いてきた、と言われても納得するような、そんな普通の人物だったのだ。
 その事実に、殆どの者は『まあ、そんなものか』と、アルグの従者という立場を特別視していた考えを改めたのだが。
 憧れや信仰は行き過ぎれば時には毒となるもので。
 アルグの従者である者は特別ではなければと、固執する者達がどうしても一部、隊内に存在した。
 初めは言葉で、ルスターに対して揶揄する程度だったのだが。
 次第に無視や横柄な態度といったあからさまなものになり、とうとうすれ違いざまにあえてぶつかり、突き飛ばしたり、足を引っ掛けようとしたり、偶然のふりをして汚れ物をぶつけるなどといった物理的な悪意を持った行動に移ってきている。
 まだ、いい年して、何をしているのかと眉をひそめる程度で済んでいるが。悪意はエスカレートするものだ。体力もある、血気盛んな人間ばかりだ。どのタイミングで、大怪我を追わせたり、集団で暴行するなどといった行動に出ないとも限らない。
 歯止めがなければ、他の隊で起こったような「事件」がエンブラント隊で起こらないとは言えないだろう。
 ルスターより幾つか下だが、それでも齢が近いモルトレントは、やや同情の色を強くかの従者に感じていた。
 期待を向けられるのはハリが出るだろうが、其れが過度であれば重くて仕方がない。加齢とともに、なかなか覇気というものを盛り上げるのは難しいものだ。あの齢で血の気の多い者達の嫉妬をぶつけられるのは堪えるだろう。
「貴方がそう判断するのなら、止めに入ってくださっても結構です。しかし、手遅れになる前に手を打つ事は考えています」
「……そうですか」
 残念ながら、聞きたかった言葉はサーフの口から返ってくることはなく。
「一介の、弱小小隊長の言葉がどれくらいの抑止力になるかわかりませんが、お許しが出たのでその時は頑張ってみますがね。本当に、事が起きる前に対処に当たっていただけると、嬉しいもんですわ」
 モルトレントはもう、あからさまな態度で肩を落として返事をして見せれば、年下の上司はぐっと言葉をつまらせ、罪悪感を僅かにその目に滲ませた。
 王都内でも年若い隊長と副隊長であるエンブラント隊の、采配に定評のあるサーフもまた、所詮は『若造』という分類に属する。
 優秀ではあるが、突出して知略に長けているわけでも、魅力は有るが、魅惑的なカリスマ性があるとまでは言えない。かねがね冷静では有るが、まだ己の感情を殺せぬ甘いところがある。
 ただ、己の実力を過信することも、過小評価することもなく。慎重かつ地道に不安要素を着実に潰し、隊の安寧を保っているのだ。ルスターに対しても対応を渋っている割に、こうやって細かく報告をさせるあたり、心配をしているからにほかならない。
(んな顔をするのなら、意固地にならなければいいでしょうに……)
 だが、迷いをその瞳に浮かべつつ、サーフの口はその後も開くことはなく。
 モルトレントは副長室を後にしながら、こうなったらとことん首を突っ込んでみますか、と、ため息を付いて腹をくくった。
 出来る限り、面倒事にはかかわらず、物事は傍観しておきたいところだが、職場環境はできるだけ良くあって欲しいもので。それに、ルスターの現状を、知っていながら見て見ぬふり、というものもなかなか気分がよろしくない。
 曲がりなりにも許しは得た。それに、一石を投じたほうが何かしら物事は動くかもしれない。
 そう方向性を決め、ならば早速とルスターの元へ、モントレントは足を向けた。

 ——にもかかわらず。

 せっかく、こうなったら徹底的に干渉するかと腹をくくったのに、だ。
 事態は思いのほかあっさりと終息を迎えることとなった。
 動いたのは意外というべきか、当然というべきなのか、ルスターだった。


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