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4話 残念ながら犬ではありません 2
しおりを挟む「いささか、年をとりすぎでは無いでしょうか」
例年執り行われる、王都内ギルドとの合同治安運動の計画書へ、目を走らせて。
書き込みを、とペンを取ったところで、不意に発せられた言葉に、アルグは視線を持ち上げて正面に立つ男、サーフ・ロランを見た。
「能力に瑕疵があるとは思いませんが、だからといって別段、優遇する点も見あたらないのですが……」
普段は涼やかな笑みを口元に浮かべているサーフが、わずかに憂慮した面持ちで述べた内容に、アルグは片眉をあげる。すると、サーフはちらりとデスクサイドに視線を投げた。
昨日の夕方には片づけたはずだが、朝の訓練を終えて執務室に戻ってきた時には積みあがっている書類の山。それをうまく避け、ホットドックとコーヒーがそこには仲良く並んでいる。ここ数日、そういったものをアルグのデスクサイドへ置くようになった人物が誰か。それをここエンブラント隊の中で知らぬ者などいない。
「……ルスターか」
先ほどの言葉を改めて己のうちで反芻して。アルグはこの男がこんな風に切り出してくるとは珍しいこともあるものだと意外に思った。
アルグより5つ年下のサーフは、エンブラント隊の副隊長だ。その立場から、仕事上のことであれば当然意見をぶつけてくることもあるが、こうやってアルグのプライベートにまで口を挟むようなことはほとんどない。
剛のルバフェンと柔のロランと、どこの誰が言い始めたのか。
言葉通り、武人という言葉がふさわしいアルグに比べ、サーフはまさに女子供が好みそうな騎士のイメージが似合っている。軽く撫でつけられるように整えられたやわらかそうな明るい茶髪や、清潔な身なりは、決してきらびやかではないが、軽やかさを備え、前に出過ぎず、後ろに埋もれず。つかず離れずという位置で上手く立ち回る。
そんな彼が、わざわざ自分から、しかも批判的な含みを持たせた言葉を使うのを目の当たりにして、アルグは握ったペンを離し、椅子に座り直した。
「気に入らないか?」
ひたりと見据えつつ。少し首を傾げて問えば、サーフは生意気なことをすみませんと前置きをすると。
「気に入らないというよりも、何故と思いまして。従者殿とは多少の面識があったとはいえ、隊長ならもっと有力株もいたのでは、と」
「そうか?」
「えぇ。隊長が従者をお探しになった時、うちの隊の幾人かも、出来れば自分が、と息巻いていたのはご存じでしょう。……私としてはハンス・バロキーがお勧めでしたが」
「確かに、そう言っていたな」
以前サーフが「まだ至らぬところも有りますが、柔軟性と自主性にも富んでいますから、上手く育てれば良い従者になると思いますよ」とさりげなく、かの隊員を評価していたのを思い出し、アルグは頷く。
今考えてみると、サーフの言うとおり、ハンスは確かに良い従者になりそうな素質を持っているのだろうと思う。しかしながら、当時は全く持ってその意見にしっくりとこなかった。その原因は、今になれば言わずもがな、だが。
「ふむ……」
アルグ自身は全く持って差し支えないのだが、従者とした理由のすべてを言ってもいいものか、僅かに逡巡したところで。
「経験があるというのは財産ですが、貴族付きの従者という者は同時に悪しき慣習が深く張っている場合もあります。最近、財務管理を従者殿へお引継なさったと耳に致しました。彼の者の手腕は確かなものかも知れませんが、しかしながら、やや時期尚早ではないかと」
先ほどとは違い、はっきりとした批判の言葉に、アルグは軽く目を見張る。それは些細な表情の変化だったが、サーフは的確に読みとったらしく。
「……申し訳ありません。言葉が過ぎました」
「いや、私を思慮しての事だろう、問題ない」
と、返しつつ。
内心、アルグはどうしたものか考える。
サーフの言い分は分かるのだ。ルスターを従者として招き入れ早三週間。ここ、王都東地区の警備を任されるエンブラント隊の詰め所へつれてきてはまだ一週間だ。
端から見れば三週間ぽっちしか付き合いのないルスターへ、従者という枠を飛び越え、まるで家令のような役割を与えるアルグはいささか信用を置きすぎだというのだろう。
アルグはすっかり、ルスターを伴侶とする心積りになっている。故に今回の件も伴侶となる相手だから当然の権利を、というつもりなのだが……
ソレを知らぬサーフに、問題ない安心しろ、とだけ言って信じさせるのは無理な話だ。
腹心と言っても過言ではないサーフに、事の次第を話してしまっては駄目だろうか。
今はまだご内密に。というルスターの願いがある手前、公言は避けてきたが、今後、立場的にもサーフとルスターの間に信頼関係を築いておきたいと、アルグは考える。
現在隊の中で、サーフ以外の幾人からも、多少険しい目がルスターに対して向けられている。多くはアルグ自身を慕う故の嫉妬のようなもので、実害に踏み切るような者はいないと信用を置いているが、やはり懸念を抱かないこともない。
隊の内情には己より、サーフの方が聡い部分がある。シエンもいるが、彼はやはり内包的な部分からは外れてしまう。何かがあった場合、隊の中で頼りとなる者の数は多ければ多いに越したことはない。
それに何より。
「ルスターは、お前から見て、どうだ?」
「は、」
「私の従者として、ではなく、いち個人として、どのような印象を持つ?」
突然のアルグの問いに、サーフは困惑を隠せない様子で目を揺らす。質問の裏に隠された意図を考えているのだろう。しばし、沈黙をしたあとで。
「よく物を見て、動いている印象は受けます。ただ、今はまだ、あまり関わりは持てていませんので、人となりといったものは判断出来ません……」
答えながらサーフは、己が「元貴族付きの壮年従者」というイメージのみでルスターを判断していたことに気がつき、恥じ入った。ろくな事実もない状態で、言葉を紡ぐは軽率である、そう忠告をされたと思い、顔を伏せるサーフに、しかし、アルグは全く違うことを考えていた。
別段、アルグにはサーフを諫めるつもりはなかったのだ。進言された内容は心情を理解しうるものであるし、そう遠くない将来、ルスターの肩書きが変われば無用の心配であったと誤解も解けるだろうと、そう考えていた。
アルグがルスターの印象を尋ねた意図は、ひとえに語らいたかったから、だった。
ただ単純に。何の含みもなく。
アルグは、ルスターについて語りたかった。より正確にいうならば、惚気たかった。それはもう、切実な勢いでだ。
ここ三週間の日々は、なかなか幸福感に満ちたものだった。しかしそれは同時に、感情を抑制しなければいけない日々だった。
ルスターは、よく尽くす。
シエンに対してのそれを見ていたから、わかっているつもりであった。だが、実際にそれを己の身に受ければ、それがなんとも細やかなものであることに気が付かされた。
例えばいま、サイドテーブルに置かれている肉厚のホットドックすら。
初めはみずみずしい野菜とチキンのサンドイッチだった。おそらくシエンのように、育ちがいいものであれば満足する内容だったのだろうが、書類を片手に頬張る姿を見て、すぐに次の日から、より食べやすく、またボリュームを重視したものへ変化していた。アルグ自身は腹に入れられれば何でもよかった。しかし、ルスターの運んでくるものを口運んでいて、ふと、妙に腹持ちがよく、うっかり書類を汚すこともなくなっている事に気がつく。
物の配置や、書類の仕分け、道具の準備や、些細な好み。
上流階級の家と違い、庶民上がりのアルグとの生活に、初めは戸惑っていたようだが、その都度折り合いを見つけ、アルグに無理がないよう配慮しつつ、着々と観察、吸収し、適宜その手配をしてゆく。
その見た目の穏やかさからは気づきにくい、心根の強い気質は知っていた。しかし、己が考えていた以上に仕事でも優秀な男でもあるのだと知れば、ふつふつと腹のあたりから湧き上がるものがあった。
自慢を、したい。
仲間等と飲む場で、他人口から必ず出てくる惚気の入った恋人の自慢話。
それを今まで、よくそれほど、自分ではない相手の事で話題が次から次へと出てくるものだと、やや感心するような気持ちで聞き流していたが。
自分がその立場になって、ようやく分かる。惚気話とは、言うものではなくて、勝手に漏れ出て来るものなのだと。
いかに惚れた相手が素晴らしいのか。愛らしいか。そして自分がその相手にどれほど思われているのか。自慢して、主張して、広めたくなるものなのだ。
「サーフ、今夜は空いて……」
聞き上手であるサーフなら。おそらくアルグの抱えている欲求に上手く耳を傾けて答えてくれるだろう。
あの年かさのいった従者の、困った様に眉を下げて諌めつつも微笑む仕草が可愛らしいとか。
デスクワークをする時に書けるメガネを外して、目頭を抑える時に瞬かせる、潤んだ目がやけに色っぽいとか。
実際にサーフが聞くことになれば、必死に引きつりそうになるのを押さえた笑みを浮かべることになるのだが、そんなことをなど思いも至らずに、アルグは誘惑にかられて声をかけ、我に返り口をつぐむ。
「特に、予定はありませんが、なにか御用ですか?」
サーフは、己が隊長の珍しく歯切れの悪い調子に、不思議そうに目を瞬かせたが、よく身をわきまえた彼は口を閉じたまま、出方を待った。
「いや、なんでもない、この書類を、エリード事務官へ渡してくれるか」
本当は、存分にルスターの様子を語りたい。だが、内密にと言われた手前、誰のことであるかを隠して語れるほど己が器用ではないのも自覚している。
だから、書類を携えて部屋を出て行く背中を、アルグは大人しく見送った、が。
「……」
手元の資料に視線を落とすが、アルグはすぐにため息をつき、椅子に背を預けた。
集中力が切れている。
最近、よくあることだ。体を動かしている時は良い。しかし、デスクワークとなると度々この現象が襲ってくる。
原因は一体何であるのか、わかっている。
はっきり言えば、欲求不満だ。
拳を眉間に当て、十分自分は幸せな状態にあるというのに、全くだらしがないものだとアルグは自嘲する。
自分は自制の強いほうだと思っていた。だが、それは我慢するものによるのだと最近初めて知った。
くつり、と腹の奥で蠢くものがある。それに気が付かないようにしていたが、そろそろ限界が近いのかもしれない、とアルグは目を閉じて細く息を吐く。
(そろそろ、ダメだろうか)
オーグに言われて、アルグは極力、ルスターへの接触を我慢していた。
思わずルスターが屋敷へ来た初日には浮かれ、不用意に手を伸ばしかけてしまったが。
僅かにこわばったルスターの反応に慌てて感情を押し殺し、それから一切、オーグに注意されたようなアプローチはしていないつもりだ。
その甲斐もあって、ルスターの、どこか緊張したような空気がここのところ随分と柔らかくなったと、思う。
そして、新しい生活に忙しげだったところも、どちらかと言えば落ち着いて来ているように見受けられた。
だから、少しぐらいは。
恋人らしいことを要求しては、ダメだろうかと、そう、思うのだ。
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