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3話 思考の小道で迷子中 1
しおりを挟む一難去ってまた一難、とは、よく言ったものである。
変化というものはいつも唐突に、かつ怒濤の勢いでやって来るものだと、分かってはいたが。
しかしながら、ここ一ヶ月の間に己に起きた出来事を振り返り、人生の中でこれ以上の転換期というものはないだろうと、ルスターは遠い目をして思う。
頬を、さわやかな秋風が撫でる。
頭上に広がる羊雲の群は高く、日差しはやんわりと頭上に降り注ぐ。
本来なら、今日は二週間に一度与えられている非番の日だ。
窓辺で本でも読みつつ、微睡むには最適な陽気だった。
新しくやってきたという旅劇団の小屋を探しつつ、散歩するにも適しているかもしれない。
そんな「もしもの今日」と言う日に想いを馳せる。しかし、視線を前に向ければ、嫌でも視界に入ってくる人物に、ルスターの頭の中の空想は淡くはじけた。
「これから、……よろしく、お願いいたします」
手持ちのトランクの取っ手を痛いほど握りしめ。ルスターは己を出迎えた人物に深々と頭を下げる。
背後で送迎用の車が、走り去る音がする。
これで、本当に自分は帰れないのだと、ここで暮らすことになるのだと改めて思って。
「顔を上げてくれ、そういう気遣いはここでは不要だ」
頭の上に落ちついた声が降ってくる。
それがどこかいつもより柔らかい気配を含んでいるのを感じ取り、顔をあげるのが恐ろしい。
だがいつまでも俯いたままではいられるはずもなく。
ゆるゆると上半身を起こせば、真正面に、流石武人といえる揺らぎのない立ち姿があった。
「久しぶりだな、ルスター」
ああ、なんて事だ。
ルスターは内心、天を仰ぎたくて仕方がなかった。
一見、いつものように無表情ともとれる顔なのだが。
よくよく見れば、僅かに口角は上がり、そして何より、己を映す目が。
(……帰りたい)
輝いている。輝いているのに、なんか熱っぽい気がする。
想像以上に喜びを表した雰囲気に、このまま踵を返し、走り去ってしまいたくなる。
もちろん、そんなことを出来るはずがないのだが。
黙っていては失礼になると、ルスターはわなわなと震えそうになる口を必死に動かした。
「お久しぶりです、アルグ様……いえ、今後は旦那様、と、お呼びした方がよろしいでしょうか?」
伺いをたてる己の言葉に、もう自分の主人はシエンではないのだと改めて自覚してルスターは泣きたくなった。
そして思う。
どうしてこうなった、と。
遡ること一ヶ月前。
敬愛する騎士からの衝撃の告白と、そして一緒に襲ってきた貞操の危機から逃れ、オーグの助けで「まずは清く正しいお付き合いをしてみましょう!」という運びになってから。
初めの数日の間、己はずいぶんと勢いのまま、事を進め過ぎてしまったのではないかと、ルスターは頭を抱え、なかなか寝付けぬ日々を過ごす事となった。
何しろ、心を注ぐシエンと、敬愛を捧ぐアルグ、二人を騙しているのだ。
二人の為を思って付いた嘘だが、やはり嘘は嘘だ。突き通せれば、嘘も真になるとは言うが、己にそれだけの器量があるのだろうか。
やはりあのとき、正直に事の次第を打ち明けるべきだったのではなかったのか。万が一、己の気持ちが露見をしたら。
考えれば考えるほど、それは胃がきりきりと痛む問題だった。
その結果、自然と、というべきか、当然の成り行きと言うべきか。
これはまずいとは頭の片隅で自覚はしつつも、目下の頭痛の種の元凶であるアルグを、ルスターはやんわりと避けるようになった。
避けると言っても、そもそもの立場や環境上、アルグ個人とルスターが接触する機会というのはきわめて少ない。
若き事務補佐官と言う立場であるシエンに従者は必要なく、アルグがルスターに会うのは決まって、シエンがアルグを屋敷に招待したそのときくらいだ。その機会にしても、多くて、週に一度あるかないか。
その機会を「たまたま」、「運が悪く」、逃がしてしまうような別の用件を作り出すことなど、長年ハンブル家の使用人を勤めるルスターには造作もないことだった。
ルスターが繋がりを作らないように気をつければ、二人の接点は滑稽なほどなにもなかった。
「どうかまだ周りにはご内密に」というルスターの言葉を尊重してか。アルグも特に目立った行動を起こしてはこない。
このまま、生活リズムの不一致という理由で、別れを切り出せないか、とルスターが思い始めたころ。
ただ一度、送り主が伏せられた、質素だが作りの良いカフスボタンが、ルスター宛に届いた。添えられたカードにはイニシャルのみが綴られ、その実直さのうかがい知ることのできる贈り物に、ルスターは肩を落とした。
流石にこれはお礼の手紙を書かねばアルグに悪い。
そうとは思いつつ。手紙の文面はどうしたらいいのか、難題に頭を悩ませる。余りにも素っ気なさ過ぎるのは失礼だろう。しかし、期待を持たせすぎるのもいけない。
そもそも、偽りの心で受け取ってしまって良いものなのか、だが現在の関係上、返すのもおかしいだろう。
考えれば考えるほど、憂慮する事柄に気づく羽目になって、やはり、あのときはっきり断ってしまえば良かったと思うが、後悔は先に立たない。
自然とルスターの口からはため息が漏れ、物思いに耽ることが多くなってゆく。
その状態を一言で表すなら「やつれる」であるが、だがある先入観を持った者が見た場合、別の言葉を当て始めることも出来た。
それは。
「……恋煩いとは、時に辛いものなのだな……」
ティーセットを下げる所作の中で、不意に視線を落とし、ため息をこぼすルスターに、シエンは痛ましいものを見る目をして、従者の様子をそう称した。
アルグとの関係がどうなっているのか、踏み込むのは不躾であろうと尋ねはしないが、やはり気になって落ち着かぬ様子の主人に。
当然ながらルスターは黙っておくことが出来なかった。簡単ですが報告を、と言う前置きで、事の仔細は避け、とりあえず「お付き合い」を始めたことを報告したためか。シエンの中で、アルグとルスターの関係は相思相愛の仲睦まじい恋人同士という認識ががっちりと根を下ろしていた。
故にその思考からか、今のルスターの様子は、逢瀬の機会を得られず、思い悩んでいるかのように映っていて。
それはルスターにとって、また一つ生まれた残念な勘違いだった。
もし、このとき、ルスターが若き主人の慈悲深い性格を注意していれば、このあとの運命は大きく変わっていただろう。
火薬はそれだけでは爆発などしない。誰かが熱や衝撃を与えねばいけないのだ。
確かにアルグの恋情がすべての元凶であるが、かの出来事の発端を担ったのはそれだけではないということを気がつくべきだった。
己が主人である、シエン・ハンブル。
彼の存在の方が、アルグより遙かにルスターが抗がいがたく、また場を動かす力と行動力を持っている。
その事をルスターが認識するのは、残念ながらすべての外堀が埋まってしまった後……いや、四方八方を塞がれて、逃げ道をなくされた後のことだった。
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