従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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【閑話】桃色フィルター全開中 2

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 陽に焼けた己とは違い、浅い肌色をなぞりながら、アルグはせっかく触れることができた感触に酷くもどかしいと思った。
 日々の鍛錬で厚く硬くなった手のひらは、感覚が鈍くなり、その肌を細やかに知ることが出来ない。触れているのにもかかわらず、その感覚が希薄な気がして、今まで抑えていた分、アルグの中で欲求が膨れ上がった。
 もっと、触れたい。
 やっと近づけたのだから、よりルスターという存在を知りたいと、その形を辿りたいと考えれば。
(……舐めてはいけないだろうか)
 舌ならば。
 指に比べて確実に感触がつぶさにわかるだろう。
 それに固くゴツゴツとした豆だらけの手のひらでは痛いかもしれないが、舌ならば、少なくとも柔らかく、傷を付ける心配はないだろうと、そう、ブレーキのかかり難くなった頭でアルグが思いを巡らせたところで。
 ふと、眼下で、今にも震えだしてしまうのではないかと思うほど、身を硬くしたルスターに気がついた。
「怖い……のか?」
 尋ねると、否定も肯定もしないが、気を張り詰めたのが分かって、どうしたものかと思う。
 怯えているのか。
(一体何故だ?)
 まさかルスターが己と同じ感情を持ち合わせていないなどと考えつかないアルグは、本来なら、こういった場面では浮き足立つ様な心地ではないのかと困惑する。
 しかしながら、何かを恐れているような気配はするものの、拘束しているわけではないのに、ルスターが逃げる様子はない。本当に嫌なら、逃げるはずだと。勘違いによって引き起こされた事態に、生来の培われた従者気質で逃げるに逃げられず、かといって上手い対応を思いつかず、混乱の極みに至っていることには気がつかず、アルグは一体、これはどういったわけなのか、内心で首をひねって、ふと、これはもしや、と、以前娼婦と交わした会話を思い出した。
 あれは、気がつけばいい年をして色事の経験がないのだということが前隊長にバレ、それじゃ金獅子の名を背負うにはカッコがつかないだろうと、娼館へ連れて行かれた時のことだ。
 その時、基準がわからず、適当に選んだ娼婦が、今のルスターのように、酷く緊張した様な面持ちをしていて。どうしたのかと尋ねれば、まだ娼婦になって日が浅く、慣れぬため優しくして欲しいと言われ、アルグはごくごく真面目に、自分は今日が初めてで優しくできぬかもしれぬから、可能なら別の者に変わったほうが良いかもしれないと、そう、答えたのだ。
 すると、胸元のほくろと、少し垂れた目が印象的な娼婦は、ぱちくりと目を見開いたあと、吹き出した。
 先程の生まれたての子鹿のように震えた姿からは想像できぬ程に、大きな口で笑い、ベッドを拳で叩き、涙を目元に滲ませた後、あっけらかんと「ごめんなさい、さっきのはちょっとしたサービスのつもりだったのよぉ」と、申し訳なさそうに娼婦は言ったのだった。
 娼婦の言い分を要約すれば、彼女のようなタイプを選ぶ人間は支配欲が強い者が多く、てっきりアルグもそういった部類の人間だと思い、そしてそれなりに容姿が気に入ったから、わざと煽るようなシュチュエーションを提供してみたのだと、そういう事だった。
『嫌、なんて言いながら、でも抵抗しないっていうのに燃えるお客さんって多いのよ。こうやって相手の好みに合わせて演じ分けして、客をがっちり掴むのって大切なのよね』
 初めの初々しさは消え失せ、おそらくそちらが素なのであろう、サバサバとした調子で語った娼婦は『女は相手をつかむ為に色々頑張ってるものなのよ、だから今後、もし演技だと気がつくようなことがあっても、そこは乗ってあげるのが男ってもんよ、坊や』と、そう最後を締めくくった。
 つまり、ルスターのこれも。
 別にルスターは娼婦でもないし、あえて煽る必要もないのだが。従者の内心の葛藤を知らぬアルグには現状を説明する他の理由が思いつかなかった。
 それに何しろ。
(たしかに、あの時はよく分からなかったが、支配欲というものを掻き立てられる気がするな……)
 身を守るように体をこわばらせているのに、逃げ出さず、此方をしきりに伺っている様子は、怖くないと優しくなだめたいような、組み伏せて、無理やり切り開いてしまいたいような、そんな心地になる。
 相手は四十を過ぎた壮年の男で、そんないい年をした大人が貞操の危機に怯える姿など、冷静に見れば滑稽なものなのに、すっかり恋情という桃色フィルターがかかったアルグには非常に蠱惑的に見えて。
 故に、ひとつの仮説が閃いてからは、ルスターの所作はあえて己の気をひこうとしているようにしか見えなかった。それは他の仮説など、考える隙間すら無い程に。
 ルスターのシエンへ尽くす忠義と甲斐甲斐しさはよく見知っていたが、それが自分へも向けられているのはなんともいじらしい。ルスターが聞けば、首がもげる程横に振るであろう感想を抱きながら、緩みそうになった顔をアルグは引き締めて。
「……ルスター、愛している」
 想いのたけをたっぷりのせてささやく。
 一回では言い足りない。何度でも、何百回とでも繰り返したいが、あまりにしつこく言い募るのは逆に重みが足りなくなると、忠告された事を思い出し、溢れそうになる言葉を押しとどめ。
 さて、それにしてもそろそろ、口付けの一つや二つしてもいいのではないかと、考える。
 気持ち的には口付けを一つ二つどころか、全部を舐めてみたいのだが。
 しかし、あまりこの従者は色事にはたけていないと聞いていた。だから、あまり初めからがっついて、幻滅されてしまっては困る。徐々に、徐々に、慣れてもらうのが大切だと、確かアレは言っていた。
 それなりに女を抱いた経験はあるものの、実のところアルグの惚れた腫れたという事に至る経験はルスターとどっこいどっこいだ。
 もしかしたら、アルグの恋愛経験値が低くなければ、どこかでおかしいと気が付いたのかもしれない。
 しかし、やっと想いがかなったと、実際のところルスター以上に一杯一杯なアルグは気がつかない。
 気がつかず、迷いながらもチャンスは多分ここで間違いないと、するりとルスターの唇を親指で撫でれば、じわりと、その目が潤んで。
 それを見たアルグの中で、湧き上がるものがあった。
(ああ、余裕のない様子は見せぬようにしなければならぬと思ったのに……!)
 もっとゆっくりと、今日は会ってからろくに会話を交わしていないから、もうしばらくは側に寄るだけで、我慢しようと思っていたのに。
 たまらず、女と違い、薄い唇に自身のそれを寄せて、焦ってはならぬと思い直し、慌てて強く押し付ける前に離そうとするが、少し浮かせただけで酷く離れがたく、結局なんども子供のように口付けを繰り返した。
 初めて触れたルスターの唇が、思った以上に柔らかいものなのだと知って、アルグは不思議な心地になる。
 どこからどう見ても、ルスターは自分と同じ男であるのに、何故、こんなにも口付けだけで胸の高揚感を覚えるのだろうか。少し釣り上がり気味の目が、今はぎゅっと閉じられ、少し人より薄目の眉は寄せられて、困ったように、しかし逃げずに此方の口付けを甘受するその表情に、煽られる。
 いつもきっちりと折り目正しく着込まれた服を乱してみたい。その目をひらかせて、瞳に己を映してみたい。
 高速で計画していた段取りをスキップして次へ次へと移ろうと考えている自分に、一旦落ち着かなければと、アルグは
 決死の思いで、まずは触れた唇を離そうとした。
 その時。
「ッ……!」
 ルスターの口が、薄く、開いて。
 熱い吐息が誘うようにアルグの唇を撫でて、反射的にルスターの口内へと舌を伸ばしていた。
「んっ………ふ……む…ぅ………」
 絡ませた粘膜の熱さにアルグの思考はすっかり焼き切れた。
 口中で固まっている舌の表面を舐めあげれば、ルスターの体がその感覚に驚いたように跳ねる。
 それが面白くて、執拗に逃げる舌を追いかければ、ルスターは顔を赤くして、アルグにすがるように上着を掴んで来て、また煽られる。
 ルスターの好きな匂いだと、焚くようになったサンダルウッドのアロマの匂いに、ルスターが戸惑いを覚えて上手く鼻で息をすることが出来なくなっているのを知らず、唇を解放するたびに必死に息継ぎをする不器用な様子を愛おしく思う。
 酸欠で潤んだ目に、半開きになった口から、浅い呼吸をつぐ。
「ぅ………は、……っ」
「あまり、煽るな。そのような可愛らしい反応をされると、手加減が出来ぬ」
 口ではまるで諌めるような事を言いながら、その実、アルグはもうすっかり止める気はなくなっていた。ルスターがする行動の一つ一つが、アルグにとって誘っているようにしか見えず、頭には血が急速に登ってゆく。
 先ほどとは違って、本当は酸欠で力の抜けた体をソファの上へ持ち上げる。
 ちらりとベッドへとつれていくべきか、と脳裏に選択肢が浮かぶが、体はルスターを抱え上げるより、ソファへ縫い付ける方向に自然と動いていた。
「あ、アルグ、様……お、お待ち、下さ……」
 胸元のボタンに手をかけた、その動きをルスターが見止めて、ゆるゆると首を振るが、静止の言葉は途中でアルグが飲み込む。最初の触れるようなキスからは遠く離れて、ルスターを喰らい尽くすように激しくなった口付けの合間にも、手は止まることなくボタンを外し終える。シャツを開けば晒された胸が、浅い呼吸に合わせてせわしなく上下していて、その動きに目を細めつつ、なだめるようにアルグはルスターの胸に手を這わせた。
 その時だった。



「いきなりかっ!」



 バタンっと、大きな音をたてて、開けられた背後のドアに。
 続けてよく馴染んだ声の叫びが聞こえて、驚いて振り返れば、弟が。
 アルグの弟である、オーグ・ルバフェンが仁王立ちしていたのだった。
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