上 下
18 / 29

5話 ベルテ・デルーセオは許されたい1

しおりを挟む
 


(……やっぱり、もっと気を付けるべきだった……)

 あの日・・・から、ふとした瞬間に、ネロの頭の中にはそんな言葉が浮かぶ。
 今の所、業務には差し支えは出ていないが、魔術師にとって魔術を扱う時は精神を落ち着かせ、集中する必要がある。重要図書への保護魔法のかけ直しも、図書館の設備維持魔導器へ魔力を充填する作業も、慣れ親しんだルーチンで心と頭を切り離し目の前の術式へ没頭するが、一旦それらが終わって雑務へと移ると駄目だった。
 記入した書類の上で、跳ね上がってしまった文字に眉を寄せる。もう少しだけゆっくりと書けばその癖は出なかったのに、いまいち集中しきれずに書たい気持ちが表れた。ミスと言うわけではないが、普段ならしない些細な不調に、また考えまいと思っていた事が頭に思い浮かんで、ネロは小さくかぶりを振った。

 ――ベルテが、もう二週間近くやってこない。

 通常であればそうおかしくはないのに、最近は少なくとも週に一度は必ずというやや過剰とも言える訪問に慣れてしまい、今回のように間が空くのが落ち着かなかった。
 別に、ベルテとて暇人ではないのだ。ましてや約束をしているわけでもない。そもそも、彼の気まぐれで始まった事だから、その来訪が途切れようと気にする必要は無いのに、最後に会った日の事をネロはどうしても引きずっていた。

(なんで、よりにもよって酔ってしまったんだ)

 あの日、初めてベルテが「話をしよう」という言葉を口に出した日。
 腹の中を見せることをせず、掴みどころのない男の、いつもとは違う一面が垣間見えた事が興味深く、正直に言うなら少しばかり浮かれていたのを自覚していた。普段なら立場や年齢を気にせずに振る舞って欲しいというベルテの言葉に「無茶を言う」と思っていたが、あの日は望むようにいつもは引いている一線を限りなく下げて。

(気安さと、遠慮が無いのは違うのに)

 言葉を紡ぐベルテの声はとても耳に心地よかった。
 自分の知らない貴族や職人の世界の話をネロにも分かるように噛み砕きながら語ってくれて。自分が話すばかりは嫌だと思っていたのに、いつの間にか寝物語を効きたがる子供の様にベルテの話を強請っていた。
 そうして気がついたら。
 何故かカウチに横になり、見知らぬ天井を見上げていて慌てて飛び起きた。
 混乱しながら周りを見渡し、ベルテに連れてこられたサロンだと徐々に思い出すも、彼の姿は見えず。代わりに半日近く経った事実とティーテーブルに残された走り書きを見つけ、その中身にネロは頭を抱えた。
 そこには蜂蜜代わりにだしたシロップが誤って度数の高い酒だった旨と、仕事があるから先に帰る事についての謝罪があった。
 あのシロップが酒――?
 そんな馬鹿な、と思うが、途中から曖昧になって消えている記憶に、己が酔うと眠くなるタイプだと言うことと、些かベルテに対してずいぶんと馴れ馴れしい言葉遣いをしてしまった様な気がするのを加味すれば、この現状を納得せざるを得ない。
 普段安物の紅茶ばかり飲んでいるせいで、ベルテに差し出された紅茶の味をやや癖の強いハーブティのようなものかと気にしなかった己の馬鹿舌を恨めしく思う。酒の席で酔って潰れる相手を普段は辟易とした気持ちで眺める側だったが、まさかそれを己がやってしまうとは。
 ベルテの手紙にはネロが酔っているのに気がつくのが遅れ、酔い潰れてしまった事に関する詫びが書かれているが、肌の色が濃いネロは酒に酔って顔が赤らんだりすることがないから、外見から分かる頃にはすっかりと酔いが回った頃だった筈だ。
 酔ってすぐさま大人しく寝てしまっていれば良いが……いや、たとえ何もしていなかったとしても、途中で眠りこけたネロにベルテは困ったことだろう。
 いずれにせよ謝罪をするのは自分の方だ、と。
 ベルテが先に帰ってくれて良かった。居たたまれなくて合わせる顔がないと嘆息しながら、しかし次に会った時には何かしら誠意を持って対応しなければいけないだろうと、そう思っていたのに。
 ――それからぷっつりと、ベルテの訪問は途切れていた。
 呆れられたのだろうか。それとも覚えていないだけで何か怒らせるようなことをしたのだろうか。それなら一言いってくれればいいのに……なんて思うが、自分は相手に言葉を望めるような立場なのか。
 改めてベルテとのあやふやな関係を思い知らされて嫌になる。
 ただ単にベルテも仕事が忙しいだけだろう、と自分に言い聞かせようとするが、同時に「こんなタイミングで?」と頭の中で声がする。あれだけ散々期待をするべきじゃないと線を引いていたのに、まさか誘惑に負けてベルテの事を知りたいと手を伸ばした途端、自分の行いが原因で終わってしまうのか。
 一人で考えても答えが出ない問題を、何度も頭から追い出そうするが上手くいかないまま。モヤモヤとした感情を抱え、ベルテに会ってから二週間目のその日。

「ネロ」

 静まりかえった書架の林の中、呟きのように潜められた声はするりとネロの耳に届いた。
 彼の人物の顔を直視するのを躊躇う心とは裏腹に、身体は反射的に声の方を振り向いていた。
 目に入ったのは、今までと何ら変わりないベルテの姿だった。二週間の期間が空いたことなど無かったかのように。いつものように洒落た身なりで、やんわりとした微笑みを口元に浮かべてゆっくりと歩み寄ってくる。
 次にベルテに会うのを気まずく思う気持ちがあったのに、ネロは不思議と一歩、ベルテの方へと足を踏み出していた。
 光量を落とした薄暗い図書館の中で、陰りがちなベルテの表情が本当に今までと変わらないのか確かめたい気持ちと、訪問の間が空いたのはどうしてなのか、なんて聞けもしない問いが背中を押して。しかしすぐさま我に返って足はピタリと床に張り付いた。
 それは今までのようにベルテに入れ込むまいという自制ではなく。ベルテの中に自分への呆れや失望がないか確かめるのを恐れた所為だ。そしてそんな感情を抱いた己に動揺する。
 あれだけ気を許してはいけないと、警戒をしていたはずなのに。

「久しぶり。ココのところ少し忙しくてね、やっと一段落ついたんだ」
「そうか……」
「君はどうかな、この後は用事があるかな?」
「特に何も」

 ベルテの言葉にあれだけ揺れていた心が弾む。別に避けられていた訳じゃなかった、その事実と、誘いの言葉に今や戸惑わず喜んでいる自分の心をネロは認めつつ、それでも頬の肉を噛んで口の端が上がるのを押さえようとした。
 素直に嬉しいという感情をベルテに見せてしまうのは何処か悔しく、また無駄な抵抗だと分かっていてもこれ以上容易くはまり込みたくなかったからだ。
 どう足掻いても、断りの言葉を吐けなくなっている時点で手遅れなのに。

「ん、待ちなさい、ゴミが……」

 それじゃあ帰宅の準備をしてくると、ネロが踵を返したとところでベルテが呼び止める。それに振り返ろうとした瞬間、ネロは不意に奇妙な悪寒を感じて。

「――ぇ?」
「!?」

 身体が反射的に動いていた。

「っす、すまない。驚いて……」

 今、自分は何をしたのだろうか?
 無意識の行動にネロは混乱する。現状を振り返れば、肩にほんのすこし触れたベルテの手を振り払っていたのだが、どうしてそんな事をしたのか分からない。
 咄嗟に驚いたと言ったが、驚いたのは自分の行動に対してで、肩に触れられたぐらいで何故こんなに過剰反応をしてしまったのか。

「ネロ」
「っ」
「……どうやら、体調が悪いようだね、食事は日を改めようか」

 ベルテが近寄ってくる気配に、足がもつれた。一瞬、身体が強ばるような、逃げたいような気持ちになって、それがどこから湧いてくるモノなのか分からない。ベルテに粗相を働いたことに対してなのか、それとももっと別の何かに対するものなのか。
 いずれにしても。

「そう、だな……今日は止めておこう」

 ベルテの提案に頷くしかなかった。「大丈夫だ」なんて言葉をいう資格は自分にはない。
 きっと様子のおかしい自分をベルテは気遣ってくれたのだ。そう思うのに、ベルテの声がどこかいつもより固く、低く感じて。それが不可解な自分の行動よりもずっとネロの身を縛って、一体ベルテがどんな顔をしているのか、見ることが出来なくて視線を落とした。


しおりを挟む
ツイッターにて小ネタをたまに呟き中▶Twitter
感想を頂けると嬉しくてぴょんぴょんします。▶おたよりBOX
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

処理中です...