2 / 29
1話 ネロ・バシランは気づかない 2
しおりを挟む(一体、いつまでアイツはオレに構うんだ)
控室へと向かうネロへ、すれ違った同僚たちから冷ややかな視線が刺さる。
その視線に含まれているのは、仕事を途中で放り出していることへの侮蔑と、ネロに対する嫉妬だ。
ベルテはここ数年、貴族御用達のオートクチュールの中でも人気を上げている【女神の微睡み】という名の店のオーナー兼デザイナーだ。
今年で30という齢は己の店舗を構えるのに若すぎるという程ではない。だが大人の落ち着きを伴った優雅な振る舞いとその整った容姿だけではなく、彼の意匠のフルオーダードレスは半年先まで予約が埋まっているという実力には図書館という彼とはあまり縁の無い人間が多い場所でも十分な話題性があった。
そんな鬼才のデザイナーと図書館の若手司書であるネロの人生など、本来なら一切と言っていいほど接点が生まれるモノではない。
だが、奇しくもベルテとネロが出会ったのはこの図書館の中でだった。
国立図書館に収められた様々文献のなかで、ベルテは被服にかぎらず、植物や建築の図録や絵画等の画集、時には詩集や文学書など、様々なものからデザインのインスピレーションを得ているらしい。あくまでも図書館の利用は発想を発露するための手段の一つでしかないが、その過程で、ネロは書架の案内を求めるベルテに話しかけられたのだ。
ベルテとの邂逅をネロは今でも鮮明に思い出せる。
背後から声をかけられ振り返った先に立っていた人物を視界に収めた時、てっきり密会場所として利用する資料室にでも行くはずの貴族様が迷い込んで来たのだろう、なんて思ったのだ。
だからその口から「山脈における草花についての本はあるかな?」と尋ねられた時、ネロは一瞬うまく言葉が飲み込めなかった。豪奢な花瓶に生けられた花より、宝石の輝きのほうがまだ似合いそうな男が野の草花についての本を求めるなんて。あまりにも不釣り合いだった。
しかし、これだけならばベルテへの印象は少し毛色の変わった相手だった、という印象ですんだのだが。
ネロがギャップのある言葉の意味を咀嚼する僅かな空白に、ベルテがパチクリと目を瞬かせ、ネロの顔を覗き込んできたのだ。
「珍しいな、その肌の色は西の草原の民かな? 美しい髪をしている。君の瞳はオニキス……いや黒炭のようだ。わずかに爆ぜる炎が見える。綺麗だ」
格段に美しい相貌が目の前に広がって。本来なら驚くところだろうが己に対して投げかけられた言葉にネロは眉をひそめた。
「すまない。なにか気に障ったかな?」
「いや、……いえ、なんでもありません。オレは男ですが」
「そうだろうね」
ベルテの物言いがまるで女性に対して口説くように感じ、まさかとは思いつつ性別について進言すれば逆に可笑しそうに目を細められる。
その態度に再び眉間に力が入りかけるのをすんでのところで我慢して。
どうやらこのキザな言い回しはこの男の通常運転なのだろうと、ネロは溜め息を飲み込み頭を切り替えた。
「野草の類について、どのような内容を希望でしょうか。歴史ですか、それとも薬学的な知見か、または――」
「できれば写し絵が多いのが良いな、ところで君の名前は?」
「……ネロ・バシランと申します」
名前を告げたくないと思ったが、どうみても身なりの良い男に逆らって得をするなんて事は少ない。内心、渋々であることをなるべく表に出さないようにして答えたというのに。
「ネロか。まあるい響きの良い名だ。ネロ、君の仕事の終わりは何時までかな」
随分と親しげにファーストネームを呼ばれ、おかしな感想を添えて尋ねられた内容にネロは完全に言葉に窮した。
「私としたことが名乗っていなかったね。私はベルテ・デルーセオ、ハンルジャック通りにある【女神の微睡み】という、しがない衣料品店のオーナーとデザイナーをしていてね、珍しくて美しいものに目がないんだ」
正体のしれぬ相手に警戒をしていたのも半分あるが、ネロが戸惑っていたのは名を知らぬ事ではなく距離の詰め方だ。
名前を聞いたとしても、もっぱら古着と司書の制服だけで人生の大半を過ごしているネロは衣料品に明るくはない。故に、男の店がどれほどのものなのかさっぱりわからないが、少なくとも普段着だが端々に華美な装飾が密やかに施された身なりに、まあ大衆向けではないだろうなとは判断しつつ。
「なぜ、勤怠の時間を知りたいのですか」
「君を食事に誘いたいからだよ」
「どうして」
「言っただろう、私は珍しくて美しいものが好きなんだ。君にインスピレーションが刺激されてね、興味がある。できれば色々と話しが聞きたいな」
不躾だとはわかっていたが、半ば叱責されるのも覚悟して尋ねれば、それは美しい微笑みを浮かべながらベルテはのたまった。
これが他人事なら多少見惚れるぐらいはするだろうが、この時ネロの頭に浮かんだのは(この男、頭が湧いてるのか)という言葉だった。
芸術に身を賭す人間は多少なりとも変わり者が多いというが、この男もその部類なのだろうか。
ネロは男の指摘通り西の国の出身だ。この国では珍しい濃い肌と瞳の色を持ち合わせているが、だからといって格別に整っているというわけではない。
むしろどちらかといえば暗い色と口数が少ないせいか、陰鬱さを見出されるほうが多いというのに、いくら異人だからと言って、そこまで男の興味を引いた理由がわからないと、そんな内心を抱えながら。
ネロは最終的にベルテの誘いに乗ってしまった。
その時はどうせ、金持ちの一時的な道楽だと思ったからだ。
それにまだ司書となって2年目の若手であり、色々と物入りであるネロにとって食費が浮くのはありがたい話だった。
また職業柄、あまり運動が得意ではなさそうだとか大人しく思われがちだが、ネロは足に自信がある。健脚で俊足が多い民族的な特徴を、良い意味で色濃く引き継いており、何かあれば自慢の俊足でもって逃げ切ろうと多少の算段もしつつ。
――結果的にベルテとの食事は事前の心配など、自意識過剰だと自分でも笑えそうなほど何もなかった。
ただネロは運ばれてくる料理で舌と腹を満たし、ベルテの問いに答えるような形でかつての故郷の話や考えなどを話し、ベルテは始終ニコニコと耳を傾けるだけだった。
そして食事が終わり、店の前で「今日はありがとう。それじゃあ気をつけてお帰り」と、はじめの急接近が嘘のようにあっさりとベルテが身を翻したことで、ネロはすっかり警戒を緩ませてしまった。
(もう少し、愛想良くしておくべきだったかもしれない)
自宅への帰り道、初めて食べた柔らかく甘いデザートの味を反芻しながら、ネロはほんの少しばかり自分のベルテへの態度を振り返って反省をする。
己はもとより表情筋が固く、そっけないという印象を他者に与えがちだ。胡散臭いと警戒する様はきっと冷たい印象を与えたことだろう。
いくらベルテが怪しかったからとはいえ、最終的には腹いっぱい美味しいものを飲み食いさせてくれたのだ。いくら話を聞けて楽しかったとは言われても、それが対価になったかというと疑わしい。
きっと同期のヤンならば、「金持ちは気まぐれで貧乏人に施して、勝手に気持ちよくなってるだけだから気にしなくていい」と皮肉を言われるのだろうが。
「恩には忠を」と説く、遠い日の母親の言葉が頭を掠める。
おそらく今後、ベルテから誘われることはないだろう。だが、図書館で見かけた時はなるべく丁寧に接することにしよう。
そう思ったネロは、しばらくしてその考えを改めることになる。
なぜならその後もベルテはネロを食事をと誘ってくるようになり、しかも頻度は2週間に1度から週に1度、最近はたまに2回、顔を合わせることもあった。
そして時には司書長に袖の下すら渡してまでして。その所為で引き起こされる揉め事にもネロは頭を悩まされることになったからだ。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる