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1話 ネロ・バシランは気づかない 2

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(一体、いつまでアイツはオレに構うんだ)

 控室へと向かうネロへ、すれ違った同僚たちから冷ややかな視線が刺さる。
 その視線に含まれているのは、仕事を途中で放り出していることへの侮蔑と、ネロに対する嫉妬だ。
 ベルテはここ数年、貴族御用達のオートクチュール高級衣装店の中でも人気を上げている【女神の微睡み】という名の店のオーナー兼デザイナーだ。
 今年で30という齢は己の店舗を構えるのに若すぎるという程ではない。だが大人の落ち着きを伴った優雅な振る舞いとその整った容姿だけではなく、彼の意匠のフルオーダードレスは半年先まで予約が埋まっているという実力には図書館という彼とはあまり縁の無い人間が多い場所でも十分な話題性があった。
 そんな鬼才のデザイナーと図書館の若手司書であるネロの人生など、本来なら一切と言っていいほど接点が生まれるモノではない。
 だが、奇しくもベルテとネロが出会ったのはこの図書館の中でだった。
 国立図書館に収められた様々文献のなかで、ベルテは被服にかぎらず、植物や建築の図録や絵画等の画集、時には詩集や文学書など、様々なものからデザインのインスピレーションを得ているらしい。あくまでも図書館の利用は発想を発露するための手段の一つでしかないが、その過程で、ネロは書架の案内を求めるベルテに話しかけられたのだ。

 ベルテとの邂逅をネロは今でも鮮明に思い出せる。
 背後から声をかけられ振り返った先に立っていた人物を視界に収めた時、てっきり密会場所として利用する資料室にでも行くはずの貴族様が迷い込んで来たのだろう、なんて思ったのだ。
 だからその口から「山脈における草花についての本はあるかな?」と尋ねられた時、ネロは一瞬うまく言葉が飲み込めなかった。豪奢な花瓶に生けられた花より、宝石の輝きのほうがまだ似合いそうな男が野の草花についての本を求めるなんて。あまりにも不釣り合いだった。
 しかし、これだけならばベルテへの印象は少し毛色の変わった相手だった、という印象ですんだのだが。
 ネロがギャップのある言葉の意味を咀嚼する僅かな空白に、ベルテがパチクリと目を瞬かせ、ネロの顔を覗き込んできたのだ。

「珍しいな、その肌の色は西の草原の民かな? 美しい髪をしている。君の瞳はオニキス……いや黒炭のようだ。わずかに爆ぜる炎が見える。綺麗だ」

 格段に美しい相貌が目の前に広がって。本来なら驚くところだろうが己に対して投げかけられた言葉にネロは眉をひそめた。

「すまない。なにか気に障ったかな?」
「いや、……いえ、なんでもありません。オレは男ですが」
「そうだろうね」

 ベルテの物言いがまるで女性に対して口説くように感じ、まさかとは思いつつ性別について進言すれば逆に可笑しそうに目を細められる。
 その態度に再び眉間に力が入りかけるのをすんでのところで我慢して。
 どうやらこのキザな言い回しはこの男の通常運転なのだろうと、ネロは溜め息を飲み込み頭を切り替えた。

「野草の類について、どのような内容を希望でしょうか。歴史ですか、それとも薬学的な知見か、または――」
「できれば写し絵が多いのが良いな、ところで君の名前は?」
「……ネロ・バシランと申します」

 名前を告げたくないと思ったが、どうみても身なりの良い男に逆らって得をするなんて事は少ない。内心、渋々であることをなるべく表に出さないようにして答えたというのに。

「ネロか。まあるい響きの良い名だ。ネロ、君の仕事の終わりは何時までかな」

 随分と親しげにファーストネームを呼ばれ、おかしな感想を添えて尋ねられた内容にネロは完全に言葉に窮した。

「私としたことが名乗っていなかったね。私はベルテ・デルーセオ、ハンルジャック通りにある【女神の微睡み】という、しがない衣料品店のオーナーとデザイナーをしていてね、珍しくて美しいものに目がないんだ」

 正体のしれぬ相手に警戒をしていたのも半分あるが、ネロが戸惑っていたのは名を知らぬ事ではなく距離の詰め方だ。
 名前を聞いたとしても、もっぱら古着と司書の制服だけで人生の大半を過ごしているネロは衣料品に明るくはない。故に、男の店がどれほどのものなのかさっぱりわからないが、少なくとも普段着だが端々に華美な装飾が密やかに施された身なりに、まあ大衆向けではないだろうなとは判断しつつ。

「なぜ、勤怠の時間を知りたいのですか」
「君を食事に誘いたいからだよ」
「どうして」
「言っただろう、私は珍しくて美しいものが好きなんだ。君にインスピレーションが刺激されてね、興味がある。できれば色々と話しが聞きたいな」

 不躾だとはわかっていたが、半ば叱責されるのも覚悟して尋ねれば、それは美しい微笑みを浮かべながらベルテはのたまった。
 これが他人事なら多少見惚れるぐらいはするだろうが、この時ネロの頭に浮かんだのは(この男、頭が湧いてるのか)という言葉だった。
 芸術に身を賭す人間は多少なりとも変わり者が多いというが、この男もその部類なのだろうか。
 ネロは男の指摘通り西の国の出身だ。この国では珍しい濃い肌と瞳の色を持ち合わせているが、だからといって格別に整っているというわけではない。
 むしろどちらかといえば暗い色と口数が少ないせいか、陰鬱さを見出されるほうが多いというのに、いくら異人だからと言って、そこまで男の興味を引いた理由がわからないと、そんな内心を抱えながら。
 ネロは最終的にベルテの誘いに乗ってしまった。
 その時はどうせ、金持ちの一時的な道楽だと思ったからだ。
 それにまだ司書となって2年目の若手であり、色々と物入りであるネロにとって食費が浮くのはありがたい話だった。
 また職業柄、あまり運動が得意ではなさそうだとか大人しく思われがちだが、ネロは足に自信がある。健脚で俊足が多い民族的な特徴を、良い意味で色濃く引き継いており、何かあれば自慢の俊足でもって逃げ切ろうと多少の算段もしつつ。

 ――結果的にベルテとの食事は事前の心配など、自意識過剰だと自分でも笑えそうなほど何もなかった。
 ただネロは運ばれてくる料理で舌と腹を満たし、ベルテの問いに答えるような形でかつての故郷の話や考えなどを話し、ベルテは始終ニコニコと耳を傾けるだけだった。
 そして食事が終わり、店の前で「今日はありがとう。それじゃあ気をつけてお帰り」と、はじめの急接近が嘘のようにあっさりとベルテが身を翻したことで、ネロはすっかり警戒を緩ませてしまった。

(もう少し、愛想良くしておくべきだったかもしれない)

 自宅への帰り道、初めて食べた柔らかく甘いデザートの味を反芻しながら、ネロはほんの少しばかり自分のベルテへの態度を振り返って反省をする。
 己はもとより表情筋が固く、そっけないという印象を他者に与えがちだ。胡散臭いと警戒する様はきっと冷たい印象を与えたことだろう。
 いくらベルテが怪しかったからとはいえ、最終的には腹いっぱい美味しいものを飲み食いさせてくれたのだ。いくら話を聞けて楽しかったとは言われても、それが対価になったかというと疑わしい。
 きっと同期旧友のヤンならば、「金持ちは気まぐれで貧乏人に施して、勝手に気持ちよくなってるオナニーしているだけだから気にしなくていい」と皮肉を言われるのだろうが。
「恩には忠を」と説く、遠い日の母親の言葉が頭を掠める。
 おそらく今後、ベルテから誘われることはないだろう。だが、図書館で見かけた時はなるべく丁寧に接することにしよう。
 そう思ったネロは、しばらくしてその考えを改めることになる。
 なぜならその後もベルテはネロを食事をと誘ってくるようになり、しかも頻度は2週間に1度から週に1度、最近はたまに2回、顔を合わせることもあった。
 そして時には司書長に袖の下すら渡してまでして。その所為で引き起こされる揉め事にもネロは頭を悩まされることになったからだ。

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