半笑いの情熱

sandalwood

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2001年・春

第45話「雨の形」

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 自分がどういう態度をとると人は喜んだり楽しんだり、あるいは苛立ったり悲しんだりするのかということについて、あの頃は無頓着だったのだろう。
 今でも立派に頓着しているとは言いがたいが、最低限の身を守るすべとして、少なくとも当時よりは意識している。そうしなければ日々の平穏さは保たれないことを、私は首藤により身をもって認識させられた。

 当時住んでいた国立くにたち市は、都内でも学力が低い部類とされていた。
 その上、四年生になった時にゆとり教育とやらが組み込まれたことで、生徒たちの学力低下に拍車をかけることとなった。意欲のある人は学習塾に通うなどして順当にブラッシュアップする一方、それが困難な人は無慈悲に取り残される傾向が浮き彫りになっていた。
 ゆとり教育による馬鹿化抑制対策としてか、国算理社の四科目は大小様々な規模のテストが頻繁に実施された。例によって、私はどれもたいした苦労なく高得点をマークした。

 他のクラスはどうか知らないが、私のクラスでは早くテストが終了したら提出して離席してもよいという、高校や大学のようなシステムがとられていた。この合理的なシステムを採用していたという点のみ、私は首藤を多少評価している。
 そうは言えども小学校なので、早く帰ったり堂々と校庭に出たりということはさすがにできないが、屋上へ行きこっそりと休んだり――今では珍しいが、当時は開放されており自由に出入り可能だった――、図書室で本を読んだりすることは認められた。実際には、ほとんどの生徒がテストとの熾烈な攻防のために時間いっぱい教室に残っており、そのシステムを活用したのはクラスで四、五人ぐらいのものだった。公文式やそろばん教室のおかげで、問題を解くスピード――特に国語や算数――はクラス内でも突出していた。すべて解き終えて見直しまでしても時間が余るので、たいてい一番目か、遅くとも二番目には答案を提出して離席していた。

 雨の日は屋上へ行くことができず、図書室は木製の椅子の座面が心地悪く気が進まないため、テストを終えても教室に残っていた。窓際の席だったので外に目をやり、雨の降る様を眺めていた。
 雨はその時々で異なる降り方をしており、私はそれを観るのが好きだった。一本一本、ピアノ線のように降る時や、米粒みたいな点とピアノ線とが入り混じって降る時や、膨大な線が結合しておりのようになり、地面を包み覆うように降る時など、日によって様々な形を織り成していた。
 晴れた日に人気ひとけのない屋上へ行き、寝そべって青空を見上げるのもそれなりに愉快なことではあったが、どちらかといえば、湿った教室からぼんやりと雨を眺めるほうが私は好きだった。いつも右腕で頬杖をつく格好をしており、次第にウトウトしてあごが落下し、はっとすることもあった。

 たまに教室を見渡すと、室内を巡回している首藤と目が合うことがあった。
 あの汚い面は極力見たくなかったのでいつもすぐに目をそらしたが、首藤はたいがい目を細めて難しげな表情をしていたように思う。
 答案の返却時、首藤は出来がよかった生徒にはたいてい何か褒め言葉――すごいな、よくやったな、など、面白味のない紋切り型なコメント――をかけていた。しかしながら、私はいくら高得点を叩き出しても、首藤からそのような言葉をかけられることはなかった。余計な会話をしなくてよいのでありがたいとさえ感じていたが、なぜあの男が褒め言葉ひとつかけてこないのか、そのときは少しも興味や疑問を抱かなかった。
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