半笑いの情熱

sandalwood

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2010年・秋

第25話「くだらない関係性」

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「ルノアール行こうか」
 ひとしきり食べ終え、満足した様子で光蟲が呟く。
「行きますかー」
 明日は一限からゼミがあるが、場合によっては休んでもいいかと開き直った。

 本日二度目のルノアールは、夜九時を過ぎているというのにかなりの席が埋まっていた。
「空いているお好きな席にどうぞ」
 そう言って案内してくれたのは、残念なことに男性店員だった。見た目、四十前後といったところか。端の席が良かったが空いておらず、二名がけの真ん中どころの席に腰かける。

「お決まりのころ、お伺いします」
 二人分の水とおしぼりをテーブルに置いたのち、アラフォー店員が丁重にマニュアルどおりの言葉を述べた。おしぼりの入った袋をバリっと破り、私たちはてんでに顔を拭く。

 ルノアールへ訪れる理由として半分とまではいかないものの、三割はこのおしぼりのためだなと思う。熱々のおしぼりに顔を数秒埋めて解き放つ時、アルコールでふわりとした脳がいくらかの冷静さを取り戻すのだ。
 今日は、部員たちに多大な迷惑をかけ、さらにはもともとあったのかどうか定かでない信用さえも一気に失ったかもしれないなと不意に思うも、しかしそれならそれで良いかと楽観するほどには、今このひとときに満足していた。

「あの歳でチェーンカフェのウェイターってのも虚しいよなぁ。絶対、子どもとか満足に育てられない年収でしょ」
 顔を拭き終え、光蟲が少しの悪気もなさそうな口調で言う。
「まあ、福祉も大差ないと思うよ」
「たとえそうでも、悦弥くんの分野は必要な仕事じゃん。カフェの店員なんて、わざわざいい大人がやるようなことじゃないでしょ」
 いつもの半笑いで、光蟲が悪態を続ける。
「まあ、バイトが多いイメージだよね」

 こういうことを、例えば私のような面白味に欠ける人間が言ったとすれば、それはただの性悪しょうわるな屑だろう。
 光蟲が口にすれば、でもそれは性悪でも何でもなくスパイスの効いたユーモアと捉えることができる。その発想はいささか忖度が過ぎるかもわからないが、少なくとも私から見て光蟲はそういう男であり、少しばかり羨ましく感じた。

「そうそう、バイトで十分。でもまあ、こんなんで生計立てられるならそれも悪くないのかもね。俺もサ店始めようかな」
「散々バカにしておいて」
 酔った頭で展開される恣意的極まりない発言に、思わず半笑いになる。
「ちゃかちゃかっとコーヒーれて、ケーキ適当にいくつか仕入れて、あとWi-Fiさえ備えつけとけば、レジの横で居眠りこいてても金が入ってくるっしょ」
「いや、ちゃんと起きてなさいよ。寝てる間にとんずらされるから」
「じゃああれだよ、無銭で出ようとしたらピーッてデカい音が鳴る防犯ゲート付けたらいい」
「余計金かかるわ。そんなもん付いてるサ店見たことない」

 こんなくだらない会話に花を咲かせることを心から楽しいと思える相手が、かつていただろうか。学部も趣味も違い、性格や考え方も異なり、なんの共通点のなさそうな光蟲と過ごす時間がなぜこんなにも心地よいのか、改めて考えると不思議なものだ。

 しかし、人と人のつながりというものは、本来的にはくだらないものなのかもしれない。自分の生命をつなぎ止めることだけが目的であれば、それこそ最低限の機械的なやり取りで事足りよう。
 それではしかし不満と見て、自分の人生を充実させようと、世間の人々は人付き合いを生活の中でさも重要なことのように捉え振る舞っているように見える。
 でも、特別な努力により手にするのではなく、偶然の波に揺られて舞い込んできた関係性のほうが、たぶん長続きするような気がする。余計な気遣いも駆け引きも、その波の上では必要ないだろう。

「なんかケーキでも食うかー」

 ひとしきり悪態をつき終え、充足した表情の光蟲がメニューを広げている。
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