半笑いの情熱

sandalwood

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2010年・秋

第17話「団体戦(秋)~波乱」

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 二日目の初戦の相手となる埼玉大学は、四部から昇格してきたチームだ。
 初めて当たるのでどのような選手がいるのか把握していなかったが、相手が誰であっても、自分の打ちたいように打つしかないだろう。

 主将の永峰さんがニギリを行い白番となったので、私は今大会で初の黒番となった。
 黒番でも白番でもここ最近の攻めのスタイルは変わらないが、やはり先に着手できる黒番のほうが、より思い切った打ち方ができると感じている。お願いしますと一礼し、数秒の間を置いて初手を放った。

 「大高目おおたかもくか……」

 対局相手の男性が、私の初手を見て半笑いを浮かべた。恐らく、予想していなかったのだろう。
 数秒考えたのち、何と彼も左上隅ひだりうわすみの大高目に打ってきた。
 初日の三局も、大高目や目外しなど比較的珍しい打ち方をしたが、対局相手はいずれも堅実に星や小目で応じてきたので、初めてハンムラビ法典的手法で返されて一驚いっきょうを喫した。
 三手目。右下隅の、やはり大高目に着手。となれば次も大高目に来るかと思いきや、彼は四手目で左下隅の五の五に打ってきた。五の五もまた、大高目に負けず劣らずの珍しい着点だ。
 


 五手目、私は当初の予定どおり、天元の一路左の地点に打った。
 空き隅の着点は異なるが、先日の白眉さんとの対局の際に用いた手だ。見てのとおり中央志向で、予測のつかない空中戦になりそうである。

 彼の表情はすでに半笑いではなく、大げさなほどに笑っていた。
 六手目を受け、私は再び喫驚きっきょうした。その笑顔を維持したまま、彼は私が打ったすぐ隣にツケてきたのだ。
 “ツケにはハネよ”の格言に従い、強くハネる。対して、白は切り違い。盤面は前代未聞とも言える様相を呈しているが、ツケてきた時点でこうなることは半ば必然でもあるだろう。
 


 あまりに珍しい展開のため、両横の対局者や観戦者たちの視線が、一斉に私たちの盤に集結した。囲碁を打っていてここまで注目を浴びたことは未だかつてなかったが、結構悪くない気分だった。
 布石をすっ飛ばして、いきなり超空中戦と言うべき戦いとなり、互いに時間を消費しながら慎重に打ち進める。
 各所で難解な攻防となりつつも、上辺の攻防で白数子を取り込み、やや黒が優勢であると推察していた。

 しかし、対局は突然の幕切れを迎えた。
 ヨセも大詰めを迎えたころ、対局時計が止まってしまった。
 春の大会と同様に、持ち時間は一人五十分。それを使い切ると一手三十秒の秒読みとなるのだが、秒読みの時間内に着手できなかったのである。

「時間切れ、ですね」
 対局相手の男性が、決まり悪そうに言った。彼の声を聞き、私は自分の負けを認識した。

 奇抜な序盤戦を披露した時以上に、視線はこちらに寄せられている。
 認識はできても、私は固まったまま、すぐには反応できなかった。突如、荒涼とした海原に投げ出されたような感覚だった。むろん、秒読みに間に合わせられなかった私に全責任はある。ただ、目前の状況を信じられずに茫然とした。

「ありがとうございました」
 数秒の沈黙の後、丁重に頭を下げて挨拶した。
「このままヨセられていたら、たぶん負けてましたね」
 彼は苦い笑いを浮かべているが、その表情からは勝ちを手にした安堵が垣間見える。
「どうでしょう。少し良いかなとは思っていたのですが」
 たとえ何十目勝っていようと、時間切れとなっては問答無用で負けだ。今さら仮定の話をしたところで後の祭りに過ぎない。

「いやあ惜しかったなぁ。でも、良い勝負だったよ」
 先に対局を終えた金村さんが、笑顔で労いの言葉をかけてきた。
「すいません、負けちゃいました。時間、気をつけないとですね」
 豊かな表情を生成できる精神状態ではなかったが、必死の思いで半笑いを作り、じゃらじゃらと石を片付けた。

 午後の対局は、春も対戦した立教大学が相手だった。
 私は、しかしひどく憔悴しょうすいしていた。気持ちの切り替えができず、行き場を失ってふわついた感情を持て余したまま対局した。
 そのような状態で、良い碁が打てるはずはない。簡単な死活を間違えて隅の大石を取られ、開始十五分ほどで投了した。

 私のつまらないミスによる敗北が引き金となったかどうかはわからないが、二日目は他のメンバーも全体的に不調で、チーム戦績は二敗だった。
 初日と合わせて一勝四敗。明日の最終日、二戦とも勝たなければ四部へと降格する。
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