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第18話「同じ気持ち」
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「でも、お母さん怒ったんじゃない? 覚くんに期待してたし」
月曜日。学校へ向かう並木道を歩きながら、山内さんが言った。右や左に広がる木々たちは桜の開花を待ち望むようにして、からっぽの枝を露出している。
「怒られると思ったけどね。正直に話したら、納得してくれたよ。受験料ムダにしちゃったから、悪いことしたなぁとは思うけど」
受験したけど落ちたってことにしようかなと一瞬考えたものの、行かなかったことを正直に伝えた。受かっても落ちても通知が郵送されることになっているから、うそをついてもいずれバレてしまう。
でも、あの男のことはしゃべらなかった。たぶん、これからもだれにも話さない。
別に、隠すようなことではない。知られたって構わないといまでは思う。
それでも、わざわざ人に言うことではないような気がした。不思議で謎めいていて、わけのわからない彼の言動。僕と彼だけが知っている、楽しかったひととき。スポットライトのような陽ざしをまとったグラウンド、あたたかい砂の感触、くしゃくしゃの笑顔。
喜びをわかち合える友達は大事だけれど、必ずしもすべてをシェアしなくたっていい。心のなかにそっととどめておく想い出がひとつやふたつあるほうが、この先自分がつらいときに背中を押してくれる。そう思った。
「でも、よかった。受験やめてくれて」
「えっ?」
手袋を家に忘れてしまい、冷えた手のひらをこすり合わせて寒さをごまかす。
「私もさびしかったんだよ、すっごく。いままでずっと一緒にいた覚くんが遠くに行っちゃうようで、心細かった」
信号が変わるのを待つ間、グレーの手袋をした手で、山内さんは僕の冷えた手をぎゅっと握った。いつも落ち着いていて大人っぽい彼女は相変わらず綺麗だけど、なんだかいつもより幼く見える。
「ありがとう、菜月ちゃん。中学生になっても、よろしく」
「うん、よろしくね!」
無機質な『通りゃんせ』を合図に、僕らはそっと手をはなして歩きだした。
**
「池下、おはよー! どうだった!?」
僕らの少しあとに登校した都筑が、教室に入って僕を見つけるやいなやきいた。
「あっ、えっと……」
思わず言葉につまる。もちろん、きかれることはわかっていた。
「なんだよ、バッチリできたんだろ? 自信あるって言ってたじゃんか」
はっきりしない様子の僕を見て、都筑はさらに質問する。
「行かなかったんだ、試験」
「えっ?」
思いもよらないであろう僕の返答に、不意をつかれたように声をあげた。教室にいたほかのみんなも、驚いた顔をしている。
「なんでだよ!? 具合でも悪かったのか?」
「いや、行くつもりで家を出たんだけど……やっぱり、違う気がしたっていうか……みんなと違う街の学校に行くの、不安になって」
ひとつひとつ言葉を探りながら、慎重に答える。
「ばかやろう!!」
都筑が、机を両手でばんと叩いた。途端にしんとした教室の空気が痛い。
「あんなに頑張って勉強してたじゃないか! なんで、せっかくの努力がムダになるようなことするんだよ!」
いつも爽やかな彼のいつにない剣幕に、僕は動揺していた。
「池下くんはね、都筑くんや、みんなと離ればなれになるのがさびしかったのよ。新しい環境で勉強したい気持ちもあったけど、でも都筑くんたちを選んだの」
高揚している都筑に、山内さんが諭すように伝える。
「さびしかったって、そんなの……俺だってそうだよ。でも、池下が自分で決めたことだから、潔く送りだしてやるのが友達だと思って、我慢してた。放課後も、もっとたくさん遊びたかったけど……俺だってさびしかったよ……」
都筑の顔つきは変わらず真剣そのものだが、その表情は怒っているというよりも悲しそうに見えた。本当に、僕のことを想ってくれていたからこその表情だとわかる。胸がつまるようだった。
「俺たち、もうすぐ卒業したらバラバラになっちゃうよな。同じ中学に進む人もいるけど、このメンバーがそろうことはもうないから、そう思うとやっぱさびしい。お前だけじゃないよ、つらいのは。たぶん、このクラスのみんなそうだ。なぁ!?」
小林が、僕に語りかけたあとに教室のみんなのほうを向いてきいた。
「そうだね」
「もっとこのクラスにいたいよ、私」
「僕も。六年一組最高!」
小林の問いかけに対して、あちらこちらで同意の言葉が飛びかう。
あぁ、僕は本当に良い人たちに恵まれてここまできたな。わかっていたことだけど、いま改めて感じる。
都筑は、どうしていいかわからないという顔をしていた。
「ありがとう、都筑」
立ち上がり、彼と目線を合わせて言った。
「都筑がいつも遊びに誘ってくれるのが、すごく嬉しかった。いい友達を持ったなと思った。直接言ったことはなかったかもしれないけどね。毎日楽しそうに、ドッジボールやってる都筑たちを見るのが好きだった。なんでかなってふと考えたことがあるんだけど、それはたぶん、夢中でいまを楽しんでいるからだと思ったんだ」
「夢中で、いまを……?」
「そう。それって、すごいことだと思うんだ。やりたいことがはっきりしていて、それにめいっぱい打ち込めるんだから。そういう君と、中学生になってからも同じ環境にいたいと思った。勉強は、どこにいたってやる気があればできる。でも、目の前の友達はそこにしかいないだろ? 先のことはわからないけど、目の前に失いたくないものがあるなら、それを大切にしようって思ったんだ」
「池下……」
都筑の目が、ほんの少しだけうるんでいるように見えた。
「受験勉強に打ち込んで、みんなと遊ぶ時間を減らして、初めて気づいたんだ。勉強よりも、僕にはいまいる友達のほうが大事だって。まわり道だったかもしれないけどね。それじゃダメかな?」
話しながら、都筑が投げる鮮やかな変化球が脳裏にうかんだ。
これまで、なんとなく口にだすのが恥ずかしかったような気持ち。でも、いま言わないとぜったい後悔する。
「ったく、しょうがねーなー」
うるんだ目元をくしゃくしゃっとぬぐい、都筑はいつもの爽やかな笑みを見せた。
「みんなも、ホントにありがとう。みんなと一緒に過ごせて、超楽しかった。卒業してバラバラになっても、これからもよろしくお願いします。というかまだ二月だから、あと少しよろしく!」
クラスメイトたちのほうを向いて、はっきりとした口調で言った。
山内さんが、にこりとほほえみながら拍手をする。
それに続いて、ほかのみんなも思い思いに手をならし、声をあげる。
教室は、拍手喝采につつまれた。(完)
月曜日。学校へ向かう並木道を歩きながら、山内さんが言った。右や左に広がる木々たちは桜の開花を待ち望むようにして、からっぽの枝を露出している。
「怒られると思ったけどね。正直に話したら、納得してくれたよ。受験料ムダにしちゃったから、悪いことしたなぁとは思うけど」
受験したけど落ちたってことにしようかなと一瞬考えたものの、行かなかったことを正直に伝えた。受かっても落ちても通知が郵送されることになっているから、うそをついてもいずれバレてしまう。
でも、あの男のことはしゃべらなかった。たぶん、これからもだれにも話さない。
別に、隠すようなことではない。知られたって構わないといまでは思う。
それでも、わざわざ人に言うことではないような気がした。不思議で謎めいていて、わけのわからない彼の言動。僕と彼だけが知っている、楽しかったひととき。スポットライトのような陽ざしをまとったグラウンド、あたたかい砂の感触、くしゃくしゃの笑顔。
喜びをわかち合える友達は大事だけれど、必ずしもすべてをシェアしなくたっていい。心のなかにそっととどめておく想い出がひとつやふたつあるほうが、この先自分がつらいときに背中を押してくれる。そう思った。
「でも、よかった。受験やめてくれて」
「えっ?」
手袋を家に忘れてしまい、冷えた手のひらをこすり合わせて寒さをごまかす。
「私もさびしかったんだよ、すっごく。いままでずっと一緒にいた覚くんが遠くに行っちゃうようで、心細かった」
信号が変わるのを待つ間、グレーの手袋をした手で、山内さんは僕の冷えた手をぎゅっと握った。いつも落ち着いていて大人っぽい彼女は相変わらず綺麗だけど、なんだかいつもより幼く見える。
「ありがとう、菜月ちゃん。中学生になっても、よろしく」
「うん、よろしくね!」
無機質な『通りゃんせ』を合図に、僕らはそっと手をはなして歩きだした。
**
「池下、おはよー! どうだった!?」
僕らの少しあとに登校した都筑が、教室に入って僕を見つけるやいなやきいた。
「あっ、えっと……」
思わず言葉につまる。もちろん、きかれることはわかっていた。
「なんだよ、バッチリできたんだろ? 自信あるって言ってたじゃんか」
はっきりしない様子の僕を見て、都筑はさらに質問する。
「行かなかったんだ、試験」
「えっ?」
思いもよらないであろう僕の返答に、不意をつかれたように声をあげた。教室にいたほかのみんなも、驚いた顔をしている。
「なんでだよ!? 具合でも悪かったのか?」
「いや、行くつもりで家を出たんだけど……やっぱり、違う気がしたっていうか……みんなと違う街の学校に行くの、不安になって」
ひとつひとつ言葉を探りながら、慎重に答える。
「ばかやろう!!」
都筑が、机を両手でばんと叩いた。途端にしんとした教室の空気が痛い。
「あんなに頑張って勉強してたじゃないか! なんで、せっかくの努力がムダになるようなことするんだよ!」
いつも爽やかな彼のいつにない剣幕に、僕は動揺していた。
「池下くんはね、都筑くんや、みんなと離ればなれになるのがさびしかったのよ。新しい環境で勉強したい気持ちもあったけど、でも都筑くんたちを選んだの」
高揚している都筑に、山内さんが諭すように伝える。
「さびしかったって、そんなの……俺だってそうだよ。でも、池下が自分で決めたことだから、潔く送りだしてやるのが友達だと思って、我慢してた。放課後も、もっとたくさん遊びたかったけど……俺だってさびしかったよ……」
都筑の顔つきは変わらず真剣そのものだが、その表情は怒っているというよりも悲しそうに見えた。本当に、僕のことを想ってくれていたからこその表情だとわかる。胸がつまるようだった。
「俺たち、もうすぐ卒業したらバラバラになっちゃうよな。同じ中学に進む人もいるけど、このメンバーがそろうことはもうないから、そう思うとやっぱさびしい。お前だけじゃないよ、つらいのは。たぶん、このクラスのみんなそうだ。なぁ!?」
小林が、僕に語りかけたあとに教室のみんなのほうを向いてきいた。
「そうだね」
「もっとこのクラスにいたいよ、私」
「僕も。六年一組最高!」
小林の問いかけに対して、あちらこちらで同意の言葉が飛びかう。
あぁ、僕は本当に良い人たちに恵まれてここまできたな。わかっていたことだけど、いま改めて感じる。
都筑は、どうしていいかわからないという顔をしていた。
「ありがとう、都筑」
立ち上がり、彼と目線を合わせて言った。
「都筑がいつも遊びに誘ってくれるのが、すごく嬉しかった。いい友達を持ったなと思った。直接言ったことはなかったかもしれないけどね。毎日楽しそうに、ドッジボールやってる都筑たちを見るのが好きだった。なんでかなってふと考えたことがあるんだけど、それはたぶん、夢中でいまを楽しんでいるからだと思ったんだ」
「夢中で、いまを……?」
「そう。それって、すごいことだと思うんだ。やりたいことがはっきりしていて、それにめいっぱい打ち込めるんだから。そういう君と、中学生になってからも同じ環境にいたいと思った。勉強は、どこにいたってやる気があればできる。でも、目の前の友達はそこにしかいないだろ? 先のことはわからないけど、目の前に失いたくないものがあるなら、それを大切にしようって思ったんだ」
「池下……」
都筑の目が、ほんの少しだけうるんでいるように見えた。
「受験勉強に打ち込んで、みんなと遊ぶ時間を減らして、初めて気づいたんだ。勉強よりも、僕にはいまいる友達のほうが大事だって。まわり道だったかもしれないけどね。それじゃダメかな?」
話しながら、都筑が投げる鮮やかな変化球が脳裏にうかんだ。
これまで、なんとなく口にだすのが恥ずかしかったような気持ち。でも、いま言わないとぜったい後悔する。
「ったく、しょうがねーなー」
うるんだ目元をくしゃくしゃっとぬぐい、都筑はいつもの爽やかな笑みを見せた。
「みんなも、ホントにありがとう。みんなと一緒に過ごせて、超楽しかった。卒業してバラバラになっても、これからもよろしくお願いします。というかまだ二月だから、あと少しよろしく!」
クラスメイトたちのほうを向いて、はっきりとした口調で言った。
山内さんが、にこりとほほえみながら拍手をする。
それに続いて、ほかのみんなも思い思いに手をならし、声をあげる。
教室は、拍手喝采につつまれた。(完)
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