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第三章 夢の深淵編
31話目 蟄居閉門に処す(五)
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瞬く間に封印された獏を目にした白沢。彼は顔を引き攣らせながら言葉を溢す。
「うわぁ……俺はマシな方やったんかぁ……」
「そうだな。はっ、……利己的だと嗤うか?」
「いんやぁ、別に。こっちの方が人間らしくて好感持てるわ」
見藤は自嘲し、ふっと視線を伏せた。視線の先には、ただの物体となった封印の匣が握られている。
白澤事件の時とは打って変わり、神獣封じの匣に獏を閉じ込めてしまった見藤。奥底にある記憶を悪夢という形で弄び、助手である久保という身近な存在を危険に晒した獏を許しはしない。――それは見藤にしては珍しく人間的で、利己的であった。
白沢はじっと見藤を見据える。――自らは人でありながら、人よりも怪異に重きを置く節がある、この男。そのような特異な男を人との繋がりでそうさせた久保はやはり面白い。
見藤は白沢を一瞥すると、ことり、と事務机に匣を置いた。そして、尻から落ちるように椅子に座る。背もたれに体を預けると天を仰いだ。
見藤が椅子に座るのを目にした沙織は、床に敷かれていた紙を回収する。彼女はそれを見藤の元まで運ぶ。その紙に描かれていたはずの朱赤の匣は姿を消し、白紙となっていた。
見藤は大きく溜め息をつき、ぽつりと言葉を溢す。
「はぁ、疲れた……」
「これにて一件落着、かな?」
「……そうだな、ひとまずって所か。……すまんな。手間をかけた」
「ふふ、いいってこと」
見藤の役に立てたことが嬉しいのか、沙織は表情を綻ばせている。そして、見藤は彼女の頭をぽんぽん、と撫でた。その光景は微笑ましくもあり、霧子は僅かに目を細めていた。
白沢もその様子を目にして、気が抜けたようだ。いそいそと四隅に置いた香や、紙を手元に手繰り寄せている。一方の猫宮と霧子は、移動させていたローテーブルやソファーを押しながら元の位置へと戻す。
あとはこれで、日常が戻るのを待つだけである。封印された獏の力は夢に及ばず、伝播していた夢は消えるだろう。疑似的な夢遊病も、昏睡状態も徐々に解消していくに違いない。
すると、どこからともなく声が響く。――煙谷だ。
「やぁ。そうしたら、これにて仮釈放は終わりだな」
「うげぇ!?」
その声に思わず悲鳴を上げたのは白沢だ。瞬く間に、煙谷の手によって地獄へと連れ戻されたのであった。
騒がしい神獣が退室したのを見届けて、そろそろ沙織も帰宅するようだ。
「ちゃんと寝てね。おじさんなんだから」
「ははは……、そうさせてもらう。気を付けて帰るんだぞ」
「うん。霧子姉さんも、またね」
「えぇ」
そう言って霧子と沙織は手を振って別れた。それを見届けると、今度は猫宮が久保の様子を見て来ると言い残し、姿を消してしまった。
あとは久保が目覚め、回復するのを待つだけだ。彼は沙織の力によって、夢の深淵まで堕ちることは食い止められたはずだ。そして、久保にとって良い記憶を呼び起こすよう、彼女の力を借りたのだ。そうすれば自ずと夢から覚めるのも早くなるだろう。
大仕事を終えた見藤はその安堵感からか、何度目か分からない溜め息をついた。そして、霧子に視線を送る。
「霧子さん」
「なによ」
「ありがとう」
そう言って霧子に微笑んだ見藤の眼差しはとても柔らかい。
その言葉は何に対するものなのだろうか、と霧子は首を傾げる。彼女が見藤の意思を尊重し、その行く末を見守ったことか、それとも、見藤の身を案じ続けたことなのだろうか。
柔らかい眼差しが歯がゆく思えて、霧子は少しだけ視線を逸らしてしまった。
「……っ、久保君にも言われてたでしょ、無茶するなって。ほんと、ばか」
「ははっ、面目ない……」
そう言って今度は困ったように眉を下げる見藤。
すると、霧子は近くに寄ると、彼の手を握った。そして、背もたれに体重を預けている見藤に覆い被さるような形で腰をかがめた。すっ、と霧子の鼻先が、見藤の鼻先を掠める。それは口付けを交わす仕草だ。
しかし――――。
「え……、噓でしょ」
がくん、と見藤はその首を折った。その鼻先はゆっくりと霧子の肩へ吸い寄せられて行き、彼女が見藤を抱き留める形になってしまった。
徹夜と悪夢を見たことによる疲労から、見藤は限界を迎えたようだ。なんと、霧子の腕の中で規則正しい寝息を立て始めたのだ。その手にしっかりと霧子の手を握って。彼の寝顔は、どこか安心したような表情をしている。
寝落ちを決め込んだ見藤に対し、霧子はわなわなと震え――――――。
「~~~~~~っ、もう!!」
この怒りと恥ずかしさを誰にぶつければいいのか。やり場のない思いが叫びとなり、事務所に木霊したのであった。
霧子が垣間見た見藤の夢の深淵、隠された人の本性。幼い姿をしながらも、小さな背で怪異たちを守ろうとしていた。そして、あの小さな怪異たちは、これまで見藤が守れなかった怪異たちなのだろう。
人の手によって贄とされ、若しくは少年だった見藤自身が贄としてしまった怪異。それは罪の意識なのか、後悔なのか、はたまた懺悔によるものなのだろうか。それは霧子には分からない。
ただ、ひとつ分かる事。思いがけず、彼の生来を垣間見た怪異である霧子は、愛しさから唇のひとつでも寄せたくなったのだ。
「うわぁ……俺はマシな方やったんかぁ……」
「そうだな。はっ、……利己的だと嗤うか?」
「いんやぁ、別に。こっちの方が人間らしくて好感持てるわ」
見藤は自嘲し、ふっと視線を伏せた。視線の先には、ただの物体となった封印の匣が握られている。
白澤事件の時とは打って変わり、神獣封じの匣に獏を閉じ込めてしまった見藤。奥底にある記憶を悪夢という形で弄び、助手である久保という身近な存在を危険に晒した獏を許しはしない。――それは見藤にしては珍しく人間的で、利己的であった。
白沢はじっと見藤を見据える。――自らは人でありながら、人よりも怪異に重きを置く節がある、この男。そのような特異な男を人との繋がりでそうさせた久保はやはり面白い。
見藤は白沢を一瞥すると、ことり、と事務机に匣を置いた。そして、尻から落ちるように椅子に座る。背もたれに体を預けると天を仰いだ。
見藤が椅子に座るのを目にした沙織は、床に敷かれていた紙を回収する。彼女はそれを見藤の元まで運ぶ。その紙に描かれていたはずの朱赤の匣は姿を消し、白紙となっていた。
見藤は大きく溜め息をつき、ぽつりと言葉を溢す。
「はぁ、疲れた……」
「これにて一件落着、かな?」
「……そうだな、ひとまずって所か。……すまんな。手間をかけた」
「ふふ、いいってこと」
見藤の役に立てたことが嬉しいのか、沙織は表情を綻ばせている。そして、見藤は彼女の頭をぽんぽん、と撫でた。その光景は微笑ましくもあり、霧子は僅かに目を細めていた。
白沢もその様子を目にして、気が抜けたようだ。いそいそと四隅に置いた香や、紙を手元に手繰り寄せている。一方の猫宮と霧子は、移動させていたローテーブルやソファーを押しながら元の位置へと戻す。
あとはこれで、日常が戻るのを待つだけである。封印された獏の力は夢に及ばず、伝播していた夢は消えるだろう。疑似的な夢遊病も、昏睡状態も徐々に解消していくに違いない。
すると、どこからともなく声が響く。――煙谷だ。
「やぁ。そうしたら、これにて仮釈放は終わりだな」
「うげぇ!?」
その声に思わず悲鳴を上げたのは白沢だ。瞬く間に、煙谷の手によって地獄へと連れ戻されたのであった。
騒がしい神獣が退室したのを見届けて、そろそろ沙織も帰宅するようだ。
「ちゃんと寝てね。おじさんなんだから」
「ははは……、そうさせてもらう。気を付けて帰るんだぞ」
「うん。霧子姉さんも、またね」
「えぇ」
そう言って霧子と沙織は手を振って別れた。それを見届けると、今度は猫宮が久保の様子を見て来ると言い残し、姿を消してしまった。
あとは久保が目覚め、回復するのを待つだけだ。彼は沙織の力によって、夢の深淵まで堕ちることは食い止められたはずだ。そして、久保にとって良い記憶を呼び起こすよう、彼女の力を借りたのだ。そうすれば自ずと夢から覚めるのも早くなるだろう。
大仕事を終えた見藤はその安堵感からか、何度目か分からない溜め息をついた。そして、霧子に視線を送る。
「霧子さん」
「なによ」
「ありがとう」
そう言って霧子に微笑んだ見藤の眼差しはとても柔らかい。
その言葉は何に対するものなのだろうか、と霧子は首を傾げる。彼女が見藤の意思を尊重し、その行く末を見守ったことか、それとも、見藤の身を案じ続けたことなのだろうか。
柔らかい眼差しが歯がゆく思えて、霧子は少しだけ視線を逸らしてしまった。
「……っ、久保君にも言われてたでしょ、無茶するなって。ほんと、ばか」
「ははっ、面目ない……」
そう言って今度は困ったように眉を下げる見藤。
すると、霧子は近くに寄ると、彼の手を握った。そして、背もたれに体重を預けている見藤に覆い被さるような形で腰をかがめた。すっ、と霧子の鼻先が、見藤の鼻先を掠める。それは口付けを交わす仕草だ。
しかし――――。
「え……、噓でしょ」
がくん、と見藤はその首を折った。その鼻先はゆっくりと霧子の肩へ吸い寄せられて行き、彼女が見藤を抱き留める形になってしまった。
徹夜と悪夢を見たことによる疲労から、見藤は限界を迎えたようだ。なんと、霧子の腕の中で規則正しい寝息を立て始めたのだ。その手にしっかりと霧子の手を握って。彼の寝顔は、どこか安心したような表情をしている。
寝落ちを決め込んだ見藤に対し、霧子はわなわなと震え――――――。
「~~~~~~っ、もう!!」
この怒りと恥ずかしさを誰にぶつければいいのか。やり場のない思いが叫びとなり、事務所に木霊したのであった。
霧子が垣間見た見藤の夢の深淵、隠された人の本性。幼い姿をしながらも、小さな背で怪異たちを守ろうとしていた。そして、あの小さな怪異たちは、これまで見藤が守れなかった怪異たちなのだろう。
人の手によって贄とされ、若しくは少年だった見藤自身が贄としてしまった怪異。それは罪の意識なのか、後悔なのか、はたまた懺悔によるものなのだろうか。それは霧子には分からない。
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