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第三章 夢の深淵編
30話目 夢の深淵
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秋が過ぎ去ろうとしている頃。朝は冷え込むことが多くなった。
清々しい空気は、見藤に色々な物を思い出させる。冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、ひとつ深呼吸をした。
見藤の格好はいつもの使い古したスーツ姿ではない。例の夢に関する事象の解決に専念するため、今日はラフな普段着。しばらく、他の依頼も受けないでいるつもりだ。人が来なければ、わざわざ堅苦しい格好をする必要もないというもの。
日課となっている竜胆の植木鉢に水をやり、咲き終えて枯れた花を間引く。それから、事務所の窓を開けて換気をする。
見藤の事務所に霧子の社となる神棚が設けられてから、朝の日課が一つ増えた。
「これで、よし」
新たな日課となったのは、神棚のお供え物を取り替えること。怪異である霧子には必要ないはずのものだが、これは見藤の気持ちの問題だった。
米、塩、そして――、酒。通常であればそこは水が置かれるはずだが、これは霧子たっての希望だった。単純に、怪異や妖怪の類は酒を好むのだ。
見藤は一通り日課を終えると机に向かう。だが、早々に頭を悩ませる。
先日の斑鳩との詮議によって、突発的に増長された霧子の認知は収束に向かうとの報告を受けた。これで彼女に降りかかった禍害は終わりを迎えることだろう。しかし、ことの発端は未だ野放しだ。
発端となっているのは夢を伝播させ、悪夢へと誘う怪異。その存在は神獣である、と見当がついている。ここまで社会現象となるような力の及び方は、そうでなければ説明がつかない。
そして、恐らく。神獣 白澤がそうであったように、かの神獣も何かしらの要因によってその存在を悪しきものに貶めている可能性が高い。本来、神獣というものは人への祝福、吉兆を授ける神の一端である。
しかしながら、その所在は未だ掴めない。何せ夢を媒体に人へ影響を及ぼしている。実態が掴めないのだ。
白澤の時のように、人の姿でのこのこと現れるような事はしないのだろう。なんとも計略的な性格をしているものだ、と見藤は溜め息をつく。
(霧子さんの認知の分散と、この夢の件……。依頼料をチャラにするには割に合わない気がしてきた)
まさに後悔先に立たずだ。斑鳩という、組織立って行動する彼らと違い、見藤の体と頭は一つしかない。もちろん、その分の負担は大きい。
依頼料をチャラにしてやってもいい、などと口走ってしまったあの時。現実主義であるはずだが、霧子との距離が縮まり、多少なりとも浮かれていたのかもしれないと反省する。
「はぁ……」
見藤は一際大きな溜め息をついた。
見藤はおもむろに立ち上がると、郵便受けへと向かった。そろそろ、キヨに照会した情報資料が届いているかもしれない。
見藤が郵便受けを覗くと、分厚く太った茶封筒が顔を覗かせていた。これで少しは事が動くだろう、と力強く頷きその茶封筒に手を伸ばす。
すると、事務所に吹く僅かな空気の流れ。そして、鼻を掠める清々しい香り。
「霧子さん、おはよう……。……っ!?」
見藤は朝の挨拶を交わそうと、後ろを振り返った。だが、ぴしりとその動きを止めた。視線の先には、今しがた起き出してきた霧子が欠伸をしながら伸びをしている。
「ふぁ……、寝すぎたわ。今、何時……?」
「……霧子さん。その格好で出て来るのは如何なものかと思うぞ」
呆れかえったような見藤の声音。
指摘を受けた霧子は何のことか理解できず、眉を顰めている。そしてまだ眠たいのか目を擦っているが、そこでふと視線を落とすと――。
「あら」
それは寝間着というよりも、化粧着。いわゆるネグリジェだろう。化粧着に身を包んだままであったことに、霧子は今更ながらに気付いたのだ。
霧子が纏う化粧着は胸元が大きく開いていた。その周辺を綺麗な刺繍とレースで装飾され、袖や裾にもレース装飾が施されている。それは彼女の優雅さを醸し出しており、色は淡い紫色で彼女の白い肌によく似合う。
背丈のある霧子が身に着ければ、その脚の長さによって必然的に裾丈は短くなってしまう。その情緒的な姿は人並の男であれば目のやり場に困ることだろう。
しかしながら、見藤は全く違ったことを思っていた。寧ろ、怒っている。
社から顕現し、その格好というのは頂けない。見藤にとっては非常に困った状況だ。
こうして来客がないと断定できるときならばいいが、そうでなければ霧子のこのような姿。他人に見られでもしたら、堪ったものではない。思わず先程の溜め息とは、また違った意味の溜め息が出る見藤。
「はぁ……」
「……次から気を付けるわ」
「お願いしマス」
片言になりながらも、見藤は少し首を傾げた。その化粧着に見覚えがなかったのだ。
霧子が身に着ける、大抵のものは見藤の財布から出している。一緒に買いに行った覚えもなければ、彼女に強請られて購入した記憶もなかった。見藤が自身の身なりに無頓着なのは、霧子を優先させているに他ならない。
首を傾げた見藤に、霧子は合点がいったようだ。化粧着がよく見えるよう、くるりと一周その場で回る。ひらひらとレースが揺れてなんとも可愛らしい。
見藤の視線を奪うと、霧子は楽しそうに口を開いた。
「あぁ、これ? 夏に東雲ちゃんと一緒にお買い物に行ったでしょ? その時に勧められたのよ。可愛いし、寝心地もよくって、ついついこればかり着てしまうのよね」
「ソウデスカ」
それは東雲のお節介なのか。ただ単純に彼女が霧子の化粧着姿を見たかっただけなのか。何も考えないようにしようと――、見藤は手に取った茶封筒を力任せに開封していた。
清々しい空気は、見藤に色々な物を思い出させる。冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、ひとつ深呼吸をした。
見藤の格好はいつもの使い古したスーツ姿ではない。例の夢に関する事象の解決に専念するため、今日はラフな普段着。しばらく、他の依頼も受けないでいるつもりだ。人が来なければ、わざわざ堅苦しい格好をする必要もないというもの。
日課となっている竜胆の植木鉢に水をやり、咲き終えて枯れた花を間引く。それから、事務所の窓を開けて換気をする。
見藤の事務所に霧子の社となる神棚が設けられてから、朝の日課が一つ増えた。
「これで、よし」
新たな日課となったのは、神棚のお供え物を取り替えること。怪異である霧子には必要ないはずのものだが、これは見藤の気持ちの問題だった。
米、塩、そして――、酒。通常であればそこは水が置かれるはずだが、これは霧子たっての希望だった。単純に、怪異や妖怪の類は酒を好むのだ。
見藤は一通り日課を終えると机に向かう。だが、早々に頭を悩ませる。
先日の斑鳩との詮議によって、突発的に増長された霧子の認知は収束に向かうとの報告を受けた。これで彼女に降りかかった禍害は終わりを迎えることだろう。しかし、ことの発端は未だ野放しだ。
発端となっているのは夢を伝播させ、悪夢へと誘う怪異。その存在は神獣である、と見当がついている。ここまで社会現象となるような力の及び方は、そうでなければ説明がつかない。
そして、恐らく。神獣 白澤がそうであったように、かの神獣も何かしらの要因によってその存在を悪しきものに貶めている可能性が高い。本来、神獣というものは人への祝福、吉兆を授ける神の一端である。
しかしながら、その所在は未だ掴めない。何せ夢を媒体に人へ影響を及ぼしている。実態が掴めないのだ。
白澤の時のように、人の姿でのこのこと現れるような事はしないのだろう。なんとも計略的な性格をしているものだ、と見藤は溜め息をつく。
(霧子さんの認知の分散と、この夢の件……。依頼料をチャラにするには割に合わない気がしてきた)
まさに後悔先に立たずだ。斑鳩という、組織立って行動する彼らと違い、見藤の体と頭は一つしかない。もちろん、その分の負担は大きい。
依頼料をチャラにしてやってもいい、などと口走ってしまったあの時。現実主義であるはずだが、霧子との距離が縮まり、多少なりとも浮かれていたのかもしれないと反省する。
「はぁ……」
見藤は一際大きな溜め息をついた。
見藤はおもむろに立ち上がると、郵便受けへと向かった。そろそろ、キヨに照会した情報資料が届いているかもしれない。
見藤が郵便受けを覗くと、分厚く太った茶封筒が顔を覗かせていた。これで少しは事が動くだろう、と力強く頷きその茶封筒に手を伸ばす。
すると、事務所に吹く僅かな空気の流れ。そして、鼻を掠める清々しい香り。
「霧子さん、おはよう……。……っ!?」
見藤は朝の挨拶を交わそうと、後ろを振り返った。だが、ぴしりとその動きを止めた。視線の先には、今しがた起き出してきた霧子が欠伸をしながら伸びをしている。
「ふぁ……、寝すぎたわ。今、何時……?」
「……霧子さん。その格好で出て来るのは如何なものかと思うぞ」
呆れかえったような見藤の声音。
指摘を受けた霧子は何のことか理解できず、眉を顰めている。そしてまだ眠たいのか目を擦っているが、そこでふと視線を落とすと――。
「あら」
それは寝間着というよりも、化粧着。いわゆるネグリジェだろう。化粧着に身を包んだままであったことに、霧子は今更ながらに気付いたのだ。
霧子が纏う化粧着は胸元が大きく開いていた。その周辺を綺麗な刺繍とレースで装飾され、袖や裾にもレース装飾が施されている。それは彼女の優雅さを醸し出しており、色は淡い紫色で彼女の白い肌によく似合う。
背丈のある霧子が身に着ければ、その脚の長さによって必然的に裾丈は短くなってしまう。その情緒的な姿は人並の男であれば目のやり場に困ることだろう。
しかしながら、見藤は全く違ったことを思っていた。寧ろ、怒っている。
社から顕現し、その格好というのは頂けない。見藤にとっては非常に困った状況だ。
こうして来客がないと断定できるときならばいいが、そうでなければ霧子のこのような姿。他人に見られでもしたら、堪ったものではない。思わず先程の溜め息とは、また違った意味の溜め息が出る見藤。
「はぁ……」
「……次から気を付けるわ」
「お願いしマス」
片言になりながらも、見藤は少し首を傾げた。その化粧着に見覚えがなかったのだ。
霧子が身に着ける、大抵のものは見藤の財布から出している。一緒に買いに行った覚えもなければ、彼女に強請られて購入した記憶もなかった。見藤が自身の身なりに無頓着なのは、霧子を優先させているに他ならない。
首を傾げた見藤に、霧子は合点がいったようだ。化粧着がよく見えるよう、くるりと一周その場で回る。ひらひらとレースが揺れてなんとも可愛らしい。
見藤の視線を奪うと、霧子は楽しそうに口を開いた。
「あぁ、これ? 夏に東雲ちゃんと一緒にお買い物に行ったでしょ? その時に勧められたのよ。可愛いし、寝心地もよくって、ついついこればかり着てしまうのよね」
「ソウデスカ」
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