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第二章 怪異変異編
番外編 小野小道具店
しおりを挟むその日は不思議と霧に覆われた朝だった。
京都に店を構える小野小道具店。その店先で、店主である小野キヨは珍しい光景をしばらく眺めていた。昔は霧がよく出ていたと聞いていたが現在ではその数を減らし、風情溢れる古の和歌に詠まれたような光景はそうそうお目にかかれない。
キヨはそんな珍しい光景と手に握る一通の手紙を交互に見る。
「この便りを寄こしたのは一体……?」
その便りには、霧の出る頃に店を訪ねること。そして、便りの送り主のことだろうか、自分を雇って欲しいと、要約するとそのような内容が綺麗な字で書かれていた。
その手紙には切手は貼られておらず、キヨが感じる呪いの痕跡。
「こんな高等なことができる呪い師なんて……、そうそういないねぇ」
ぽつりと呟いた独り言は霧の中に消える。
近々、初老を迎える体にはこの季節の朝は少し寒いらしい。少し肩を震わせながらキヨは店の中へと戻って行った。そして、店の屋根に取り付けられた鍾馗は、ひっそり霧の中を見つめていた。
* * *
その人が訪れたのは、それから少し後のことだった。
扉を遠慮がちに開かれ、その姿は半分隠されているものの。その主は少年であろうか。そして、この少年があの手紙の送り主だろうか、とキヨは推察する。纏う気配があの手紙と同じであったからだ。
キヨは、まさか送り主が少年だとは思っておらず。その姿を見ようと、扉の隙間を見てしまった。
扉から覗く少年の身なりは至って普通、しかし、所々汚れが目に付く。どうやら、難儀な道中であったようだ。しかし、その割に背負う荷物は少ないようにも見受けられる。
少年はキヨの姿を確認すると、店内へと足を踏み入れた。
心なしか、その目が不安そうに揺れているのを、キヨは少しばかり感じ取っていた。怖がらせないようにと、なるべく柔和な声で話し掛けようと思っていたのだが――。
少年の口から言葉が出るのと同時か。キヨは目を見開いた。
「ごめんください」
「おいでや、す……、お前さんなんて、けったいな物を……」
キヨは一目見てその少年が異様だと理解し、思わず言葉に詰まってしまった。古より、あの世とこの世を繋ぐ縁を持つ小野一族だ、怪異の類は身近な存在だった。
そんな一族の末裔であるキヨから見ても、その少年に取り憑いている怪異の存在は異様だった。彼女の目に映るのは、少年の背後を守るように佇む大きな影。それは髪が長いためか、女のようにも見える。
しかし、それはぼんやりとしており、鮮明にその姿を捉えることはできない。それはさながら怪異の本体ではなく気配だけがぼんやりと佇んでいるようだ。
キヨは気を取り直し、少年に名を尋ねる。
「名前は?」
「見藤」
「……その家名は、うちみたいな道具屋でも十分に聞き及んでいるよ。……この便りを寄こしたのはお前さんかい?」
「あぁ」
彼女が驚いたのは、「見藤」という名だ。その名を持つ者が直々に道具屋などに訪れるはずがないのである。キヨはこの店を継いでしばらく経つが、その家はいつも幾重にも代行者を雇っていたからだ。その理由は恐らく、足が付かないようにするためだろう。
呪いを生業とし、莫大な富を築いているというその家はとある山の麓にある村に住まうという話は風の噂で聞いていた。しかし、あくまでも噂だった。その山がどこか、その村は実在するのか、何も情報がないのだ。
その家が扱う呪いは人道に反することまで及んでいたと、少年の話の後に知ることになる。しかし、道具屋はあくまでも道具を売るまでが役目だ。その道具を善悪どう使うのかなど、一介の道具屋が意見することなどできない。それはその少年も理解しているのだろう、何も言うまいと唇を噛んでいた。
この出会い後に、呪いに欠かせない道具を扱うという強みを生かし、ある時は呪い師の弱みを握り、こうした不可思議な社会を情報と役割で総括する道具屋へと変貌していくのは、もう少し先のことだ。
そして、キヨはふと疑問が浮かぶ。この少年がその村の出だというのであれば――。
「お前さん。どうやって、その山を越えたんだい?」
「自力で。あぁ……後、あの山隠しの呪いは破れたから、今は誰でも行き来できる」
キヨは思わず眉間を押さえた。そして、「その辺の蛇でも開いて焼けば食える、冬眠前で太っているし動きも鈍い」と、あっけらかんと話す様子に今度は眩暈を覚える。
そうして、何があったのかと尋ねるキヨに対して、少年はこれでもかという程苦痛に満ちた表情をしたのだった。あまり話したくないのだろう。
ただ、ぼそりと――。
「土地神が悪神に堕ちた。あそこの土地は……もう駄目だと思う」
そう話した。彼の苦痛に満ちた表情を見れば、それ以上は聞けなかった。
呪いを生業としている秘匿された村、そこから一人出てきた少年。その状況から察することがある。
(一体どんな育ち方をしたらこんな)
子に恵まれなかったキヨの少年に対する感情は、同情や憐れみだった。歳に見合わずえらく大人びている、そして自分で生きる術を模索している。まだ大人の庇護が必要なはずの歳の少年が、だ。
キヨの中では既に手紙の返答が決まっていた。
「うちで働くのは駄目」
「なんで、」
「お前さんはまだ子どもでしょう」
そうキヨから言われた時、少年は意味が分からないという表情をしたのだ。そして、彼女に断られた時に見せた路頭に迷う絶望にも似た表情。それはこの少年のような齢の子どもがするような表情では決してないだろう。
(……ほれ、みなさい)
恐らく自分の想像は当たっている、彼女はそれを確信に変える。
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