禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第二章 怪異変異編

15話目 過去編 心情、血煙を上げる(三)

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 数日後。村で一人、女が死んだ。
 因習渦巻くこの村ではまじない返しによって人が死ぬことは稀にあることだ、未熟だったのだろうと村人達は話す。その光景は村の異常性を示すには十分だった。

「……」

 少年は使用人達の井戸端会議に耳を傾けていた。母屋の方が騒がしい、葬儀屋が来ていると牛鬼が話していた。ここの村人が死のうが生きようが関係のないことだと、少年は特に気にも留めず聞き流したのだった――。

 
 そして、数日後。離れ座敷に再び、使いの男が訪ねて来た。内容はと全く同じだった。そのことに少年は気付いた途端、無意識のうちに足がすくみ、手は震えた。
 少年の様子を目にした使いの男は困ったように眉を下げる。そして、諭すように少年の尊厳を踏みにじる言葉を吐いたのだった。

「大丈夫です、すぐに慣れます。これから、作法も学ばねばなりません。そうすれば、この村も安泰です」
「お前らろくな死に方しないぞ……」

 少年は言葉で虚勢を張ることが精一杯だった。どれだけ拒絶しようが抗おうが、恐らく無意味なのだろう。もう、抵抗することにも疲れてしまったのかもしれない。――だらりと力なく垂れる少年の腕が、それを物語っているかのようであった。


 そして、少年は再び母屋に連れて行かれ、風呂に入れられる。あの独特な甘く煙たい香を嗅がされては拘束される。朝を迎え、人間の欲深さに嘔気をもよおし、吐くものがなくなるまで吐く。それをしばらくの間繰り返していた。

 繰り返されたのはそれだけではなかった。必ず、人が死ぬのだ。

 そして、それは恐らくこの屋敷の人間だということは、葬儀屋の出入りが激しかったため遠目に見ても把握できた。それが誰であろうが、少年にはどうでもよかった。


* * *

 その日、少年はまじないに呼ばれ、母屋を訪れていた。
 すると、なにやら外が騒がしい。「またか」そう話す大人の声が聞こえた。少年が物陰に隠れ、こっそり様子を伺うと、大きな布に覆われたものが運び出されていた。
 使用人が担架でを運んでいく。すると、前を担いでいた使用人が少しバランスを崩し、その拍子に布がずれた。そして、少年はを見てしまった。

「……っ、!」

 運ばれていたものは女の遺体だった。顔は青白く硬直している。そして何より、その顔には見覚えがあった。

 少年は思わず手で口を覆った、胃の中が掻き回されたような不快感を抱く。――望んだ訳でもない、尊厳を踏みにじられる行為を嫌でも思い出してしまう。
 粗く息を吐き、時間をかけて呼吸を整える。まだ心は拒絶しているが、少し平静さを取り戻せたようだ。

 そして、これまでこの屋敷で死んだ人間は、全て女なのではないかと考える。それも、少年に関係を迫った女だ。だとすれば誰が、なぜ、と疑問が浮かんでくる。
 本家の人間でもごく限られた人間しか知らないだろうという事は想像に容易く、だとしても自分達の利になるような子を生み落とす母体を殺すはずはない。だとすれば、事情を知るのは――。

「霧子さん」

 その答えに至ったとき、少年はすぐさま走り出した。廊下でぶつかりそうになった大人たちが怒鳴る声も少年の耳には入らない。

――やめさせなければ、村の連中に勘づかれるかもしれない。人間の欲が渦巻く場所になど彼女を近付けたくない、その一心だった。
 死んだ女達にくれてやる同情は持ち合わせていない。金か、それとも使用人が本家の一員にしてやろう、とでもそそのかされたのか。その強欲さに身を売ろうとも、尊厳を踏みにじることなどあってはならない。


 少年はひたすら走った。早く霧子に会わなければと、枝で頬が切れるのも、泥で足が汚れようとも気にならなかった。
 そして、ようやくいつもの洞穴に辿り着くと、霧子はそこにいた。

「どうして憑り殺した!!!」

 少年は霧子の顔を見るや否や、そう叫んでいた。
 霧子は驚き、体をびくつかせる。――気付かれてしまった、嫌われるかもしれない。彼女は少年の心が己から離れるのではないか、と恐怖心を抱いたのだ。

 しかし、霧子の様子は少年の目には違うように映ったようで、怖がらせないようにそっと霧子の手を握ったのだ。

「俺はそんな事をさせたかった訳じゃない……」
「……」

 そう呟かれた少年の本心に、霧子は俯いた。――嫌われたくない、と小さく、消えそうな声で呟いた霧子を少年はなだめる。

「嫌いになる訳ないだろ……」

 その言葉の本心は、少年の味方はいつも怪異であったからだ。しかしながら、少年が受けた傷を知るとは言え、ああも簡単に人の命を奪うことに躊躇いがない。やはり怪異というべきか、は畏敬の念を抱くに相応しいということだろう。



 そして、牛鬼はすべてを聞いた。

 使いの男がここ最近になり、頻繁に訪ねて来ることに疑念を抱いていた。そして、慎ましやかな暮らしをしているとは言え、少し前の少年は健康そのものだった。だが、今はどうだ。
 体は痩せ、何か思い詰めたような表情をすることが多くなった。そして何より、自分の体を必要以上に洗うのだ。それに気付かない牛鬼ではない。

 使いの男はさも当然のように口にする、聞くに耐え難い言葉の数々。牛鬼を引き合いに出し、少年の意に沿わないまじないをさせていたこと。そして、少年の心に深い傷を負わせたこと。
――人とは、ここまで愚かなものなのか。

「なんと酷なことを……、もう限界だ」

 牛鬼が耐えるように吐いた言葉は掠れていた。

 穏やかに輝いていた牛鬼の翡翠の瞳は、怒りに燃えるように深紅へと変わる。そして、牛鬼は腹の傷を着物の上から触ると、意を決したかのように一声、吠えた。

 牛鬼は酷く祟ると言われている。その祟りはとてつもなく強力であり、大昔であれば人に成す術なし、と言わしめたほどだ。
 恐らく牛鬼がこの村を祟れば、この山一帯を覆う澱みはより一層酷くなり、そうして人は住めなくなるだろう。
――勿論、少年の足枷はなくなる。そして、聡い少年はこの村を去り、自由になる。



 霧子と共にいた少年は、得も言われぬ違和感にはっ、と空を見上げた。――村の方角から咆哮が轟く。

 二人は何事かとその方角を見やれば、昼間だというのに空は赤黒く染まり、周囲を漂う空気は淀んでいる。空を飛んでいた鳥は墜ち、草木は枯れ、山間に流れる水は濁った。
――これは、だ。

「あいつ!!!」

 少年は即座に、に辿り着く。
 村に囲われている怪異は、そうそう祟りなど起こさない。怪異自身の存在を天秤にかけられているからだ。祟りを起こせば、どうあがいても処分されることは目に見えている。
 しかし、ここまで強力な祟りとなれば、それを引き起こす力のある怪異など、知れている。

 そして、山頂の鳥居の方角から禍々しい気配を感じ、少年はそちらを見やる。

「悪いことがこうも重なると……諦めたくなる」

 少年は声を噛みつぶすように悪態をついた。
 山神も限界だったのだろう、先程の咆哮で澱みは一層に加速したのだ。鳥居から黒いもやが雪崩のように流れて来るのが、少年の目には視えた。
 少年は呆然と佇む霧子の手をそっと、放す。

「霧子さんは逃げてくれ。……自分の意思で、やしろに還れるはずだ」

 そう言い残し、少年は走り出す。霧子の顔を見ることはできなかった――。

 以前、霧子が話していた「己を祀る社がある」と。それならば、彼女の意思で社に戻れるはずだと少年は考えていた。――祟りと澱みによって、不浄の地と成ったこの場所よりも遥かに、社に戻った方が賢明だ。そして、彼女は自由だ。

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