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第二章 怪異変異編
9話目 猫宮、身の証しを立てる(四)
しおりを挟む見藤が女妖怪を退治していた頃。見藤と別れた猫宮。彼は依然、異形の姿をした妖怪と対峙していた。
外から聞こえる轟音が天候の変化を知らせる。その音に猫宮の耳が小刻みに揺れた。―― 眩い閃光が、落雷を知らせた時だった。
「魍魎風情の妖怪が俺に濡れ衣を着せるとは、いい度胸じゃねぇか……死体漁りは俺の専売特許だろうがァ!」
猫宮が牙を剥き出しにして吠える。それと同時に雷鳴が轟いた。
途端。猫宮の小太りな体は徐々に膨らんでいき、その大きさは人間の大人の身長を優に超える。毛並みは白と茶の虎柄から、白へとその姿を変えた。
獅子のような骨格と、すらりとした四肢、その毛並みは長い。耳はピン、と反り立ち耳先の飾り毛、豊富な房毛、鋭い顔つき。それはオオヤマネコのような風貌だ。
そして、首元には獅子の鬣《たてがみ》に似たひだ襟が長い飾り毛として携えている。その毛先は深蘇芳《ふかすおう》色をし、篝火が揺らめき燃えている。その姿はまさに荘厳。
―― 猫宮は、猫又から火車の姿へと変貌したのだった。
猫宮が『魍魎』と呼んだ妖怪は、依然臆することなく片手間に肉を漁っている。その光景に猫宮は首を傾げた。
時に、妖怪は動物的思考が根強いことがある。弱者は強者に従う、というようなものだ。強者を目の前にすれば本能的に怯え、降伏し、実害を回避しようとするものだ。
しかし、この魍魎はそれすらも判断できない状態なのだろうか。
(こりゃァ、完全に『飢え』に呑まれてやがるな……)
猫宮は呆れた素振りで大きく溜め息をついた。――『飢え』それは妖怪の本能だろう。
ただ自らの飢えを満たすためだけに、退治される危険を省みず事件を起こしていたのか、と猫宮は思い至る。
だが、妖怪であれば長い生の中で知識と知恵を身に着け、本能のままに行動することはない。それを知る猫宮だからこそ、この魍魎の行動には疑問が残っていた。若しくは、ただ単純に人間への報復として事件を起こしている可能性も無きにしも非ず。―― しかし、その答えに到底辿り着かないと判断した猫宮は思考を放棄する。
「魍魎も堕ちたものだな。昔は猫又の俺と同格だったんだが……。まァ、今はどうでもいいか」
猫宮は呟くと、なにやら喚いている魍魎を一瞬にして、その大きな口で喰らったのだった。
そして、猫宮はするりと小太りな猫又へと姿を戻す。それに連なるように轟いていた雷鳴が止んだ。丁度その時、廊下から鈍い音が聞こえる。どうやら、分断した女妖怪と見藤との決着がついたようだ。
「ふぅ……危ない、危ない。視られたら面倒だからなァ」
そう独り言を呟きながら、猫宮は顔をあらう。
すると、今度は猫宮が背にしていた扉がタイミングよく開いた。見藤だ。彼は女妖怪の首根っこを掴み、引きずりながら安置室に入って来る。―― 怪異に情けをかける見藤だが、実害を及ぼした怪異や妖怪には容赦しない性分らしい。
見藤は安置室を見渡すと、魍魎の姿がないことに首を傾げた。
「お、そっちも終わってるな。……あの妖怪はどうした?」
「喰った。まずいったら、ありゃしない」
「はぁ!? 悪食にも程があるだろ!! 吐け!!!」
猫宮の返答を聞くや否や。見藤は引きずっていた女妖怪を放り出した。その次には、猫宮の口の中に指を入れ、喰らった妖怪を吐き出させようとしたのだ。
「ンぎゃ!? ぺっ、ぺっ!! 何しやがる!!」
「妙なものを喰うからだ!! あの妖怪は明らかに可笑しかっただろう!?」
猫宮はその扱いに立腹し、あぎあぎと指を噛みながら抵抗するが、ただの猫サイズになった猫宮には抵抗も空しい。さながら、飼い主と異物を誤食した猫の攻防戦だ。
―― 時に、妖怪が妖怪を喰らうこと自体は珍しくない。それは縄張り争いや、自身の力を誇示することにも繋がる。妖怪は生物的要素が強いと言われる所以は、これに由来する。人の世で言う、弱肉強食のようなものだ。
しかし、今回。見藤と猫宮が対峙した妖怪は常軌を逸していた。そのような状態の妖怪を喰らうなど、猫宮に何も影響がないとは言い切れない。見藤からすれば猫宮の身を案じての行動なのだろう。
猫宮は次第に、えぐえぐと嘔吐き始め終いにはぺっ、と何かを吐き出した。吐き出されたものは床に落ちる。
それは、紛れもなく魍魎なのだろうが、その姿は先の異形ではなく蜥蜴のようなもので、綺麗さっぱり憑き物がおちたように体は白く小さくなっていた。これでは、死体漁りという蛮行に及ぶには不可能だろう。
見藤と猫宮は同時に首を傾げた。
「ん?」
「なんだァ、こりゃ」
魍魎と似ても似つかない姿を目にした彼らは、床を這う白い蜥蜴をじっと眺めていた。すると、蜥蜴は逃げようとしたのか動きを俊敏にしたが、猫宮の猫パンチが蜥蜴を仕留める。強烈な猫パンチを食らった蜥蜴は、そのまま動かなくなった。
不可解な事象を目にした彼らは眉を寄せ、互いに顔を見合わせた。すると、先に猫宮が口を開く。
「まァ、俺はこいつらを常世に連れていく。見藤、お前は先に帰っておけ」
「そうか、任せる」
それは、猫宮を完全に信頼している見藤の返事だった。
猫宮は見藤の言葉を聞き、呆れた表情を浮かべながら彼を見やった。―― 猫宮は妖怪だ。今回、事件を引き起こした妖怪と同じ存在。
「……お前。俺がこいつらのように死体を食い荒らすかもしれない、とは考えないのかァ?」
「ん? そんなこと、お前はしないだろ」
「けっ! お人好しか」
見藤の返答を聞いた猫宮は、いつものように悪態をついたのだった。
ただ、あの妖怪と違った点と言えば――、人でありながらも怪異や妖怪に心を砕く、稀有な男と出会ったことだろうか。故に、猫宮は生きる意味を見出し、本能に呑まれることもなかった。
猫宮は鼻歌混じりに、見藤と別れたのであった。
猫宮は空を駆けていた。その姿は火車であり、夜空に煌めく星々に負けじと篝火が行くべき道を照らしていた。
(はァあ……、妙なことが起こっているなァ。妖怪なんてのは、隠れてなんぼだ。そうでなくても、今の時代。人間に見つかれば面倒ったらありゃしない)
神妙な面持ちをしながら、猫宮は柄にでもなく思考に興じたようだ。しかし、それもほんの数分で終わりを迎えた。
「ンー! 俺は頭を使うには向いてねぇ! 今度、煙谷の所に行って酒でもせびるか。昔のよしみで美味い酒を譲ってくれるだろう! ぬはは!」
声高らかに、そして軽快に笑う。
別れ際の見藤との会話が、猫宮に昔を思い出させた ――。
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