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第8章 決勝

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『ディスることが生きがい。彼女になぜラップをするかと聞けば、必ずそう返ってくるだろう。若き少女の胸の内に秘められているのは、最恐の毒牙。対面した愚者を悉く焼き尽くす蒼い焔が、今日も冷たい火柱を立てる。──新生代のサディスト、ZAKUROー!!!』 

『HIPHOPの教科書があるとしたら、間違いなくその名前が載ることだろう。フィメールラッパーとして、何度もJラップシーンに革命を起こし続けてきた彼女。バトル、音源、ライブ、メディア、その全てで成果を残してきた。おい人類そこを退け。私が通った後には、万象全て過去に変わる──旧時代に贈る鎮魂歌、Requiem!!!』

 両者の紹介アナウンスが流れ、とうとう決勝戦が始まろうとしていた。
 まるで雰囲気の違う2人は、意外にもゆったりと似たような歩き方で壇上へと進む。
 ZAKUROは相変わらずの黒髪と青のインナーカラーにストリートなパーカースタイル。
 対するRequiemは、漆黒の出で立ち。真っ黒のスーパロングの髪にこれまた真っ黒なモード系の衣装。全身黒に染った彼女の中で唯一真っ白で美麗な顔が、舞台によく映える。
 向き合う、決勝進出者2名。
 見かけ上、背丈の差はそんなにない。なのになぜだろう、Requiemの放つ存在感が彼女をより大きく見せる。
 天鬼もかなり華がある方だが、それでもRequiemの放つそれは群を抜いていた。今大会で1番のカリスマ性がある。
 これまでほとんど全ての試合で延長にもつれ込みながらも何とか勝利してきたZAKURO。
 それに対して全てがストレート、しかも僅差ではなく圧勝で勝ち上がってきたRequiem。
 そしてここまで勝ち上がるとは誰も予想していなかったダークホースな若手と、実力も実績もある優勝間違いなしの絶対王者という構図。
 いうなれば、今日の主人公VS絶対的ラスボス。
 こんなの、沸かない方がおかしい。観客席の興奮は、戦う前からMAXになっていた。
 間違いなく本日の主役となったZAKUROへの期待の声と、クイーンの座を我がものにして譲らないRequiemの蹂躙を楽しみにしてやまない声。そのどちらもが混ざりあって混沌とする会場。
何処の馬の骨かも分からないけれど、最近地元では少し人気になりつつある女子高生ラッパー。
素行が悪い事で有名ながら圧巻のパフォーマンスでそれを毎回有耶無耶にしてきた実力派バンドのボーカルを父に持ち、その反発からロックではなくHIPHOPの道を選んだどこまでもイルでリアルな実力派ラッパー。
普通に生活していたら絶対に交わらない2人が、今から熱く絡み合う。これこそ、MCバトルの醍醐味。異種格闘技戦の様な面白さがここにはある。
 はたして、その時はやってくる。
『それでは、先攻後攻を決めるジャンケンをお願いします』
『せんこー』
『勝って先攻!』
ZAKUROがグーで勝ち、自ら不利な先攻を取りに行く。その姿勢に、観客がさらに沸き立っていく。
『それでは、この試合のビートを聞かせてください!DJ阿賀良瀬!』
 さあ、DJがチョイスしたのは【イドラアニマ】で【spectacle days】。JHIPHOP史に残る名盤。メロウなビートに熱い歌詞がのっていて胸に響く。若い熱量も成功者の哀愁もどちらも併せ持ったこの曲は、2人の対決にピッタリと言える。ナイスDJ!
『グレート! では行きましょうか! 本日最後のバトルになります! 第10回Girls MCバトル、決勝戦! 先攻ZAKURO! 後攻Requiem! ビートはDJ阿賀良瀬! 8小節4本! レディ、ファイト!!』

1
【あの日のいじめられっこも今じゃラッパー
1度も交わらなかったけど遂に初対面】

 まずは掴み、【spectacle days】のサンプリングで観客を沸かす。
 決勝戦でも変わらず楽しそうにラップをするZAKUROの姿は見ていて気持ちがいい。

『負ける気は無いよRequiem
厨二病みたいなださいMCネーム』

 相手の名前で韻を踏みつつディス。軽快なノリで早速ジャブをかましていくところが彼女らしい。
 さて、残る後半4小節はどう出る?

『ていうかそれなに?シークレットブーツ?
隠してるの低身長?
詐欺師は行ってな警視庁
それともいっちゃう?精神病棟』

 Requiemの履いていた靴に対するディスが、ポンポンポンと子気味よく決まった!
 恐らくは相手のことをよく知らないので取り合えず外見に言及しているのだろう。
 たしかに彼女の履いている漆黒のブーツはだいぶ身長をカサ増ししているように見えた。
 さあ、絶対王者Requiemはこれにどう返してくるのか。
 整った目鼻立ちの小柄な女王は、大きく息を吸い込んだ。

『たしかに。それもいいかもね
私の精神ならとっくにイカれてる
子供の時から他人と線を引かれてる
心なんてもうずっと前に白線の向こう側で轢かれてる』

 返ってきたのは、まさかの精神病棟に対するアンサー。
 自分が普通でないことを詩的に自己紹介して見せる。フロウも気持ちがよく、すっと彼女の世界観に引き込まれていく。これが今の最高峰女性MCの実力。たった4小節でわかるそのアーティスト性に、誰もが魅せられていた。

『最近はよく惹かれてる人はいないんですかって聞かれる
────いない 
でも誰かがイかせてくれなくても大丈夫なの
だって私の曲、たくさんの人に聞かれてる』

 耳心地のいいフロウに、綺麗な透き通った声。韻を踏んでいることを敢えて強調せずにさらさらと紡がれていくライム。まるで天界の清流の様な美しさ。しかしそこにどこか陰を感じさせる。それでいて、実績があるからこその「たくさんの人に聞かれている」というセルフボースト。
 強い。シンプルに強い。癖があるわけではない。ただ単純に実力とカリスマと実績がある。しいて言えば、そこに癖ではなく陰があることが、彼女をより強固な存在たらしめている。そんな印象を受けた。
 圧倒的な8小節。ZAKUROはこれをどう切り崩すのだろうか。俺は、拳を強く握っていた。
 そして少女は、鼻で笑う。

2
『要するにメンヘラってこと?
話長いから疲れたよ。せんせーかよ
ま、病んでる人だって救うのがHIPHOP
それはわかるけど。私も救われたし

でも心が死んでる人の曲なんて聴きたくないでしょ
あんたがいるの?白線の向こう側?
私だって人生悪戦苦闘だった。苦労ばっかしてきた
それでも見つけたんだ。四葉のクロバー』

 高尚な文学をメンヘラとカテゴライズして失墜させる。これこそJKラッパーの神髄なのかもしれない。
 けれどヒップホップは否定しない。それが彼女がこの大会を通して得た金言なのか。
 そしてその上で相手へのディスの手を緩めない。さらにはこちらまで詩的な表現を交えつつ、自分の人生を誇る。
 なんという成長。苦い顔をした後にラストの韻を踏みながら見せた最後のほほえみは、彼女にしかできない美麗さで咲いていた。
 それを真っ向から受け止めて、音を感じるかのように目を閉じていたRequiemが開眼した。

『よかったね。でも幸運はここまで
あなたに向けてRequiemが鳴り響いてる
聴きたくなくても聴いてしまうくらい魅力的なのが
思わず飛行艇に飛び乗るみたいなね

I'm a QUEEN OF FREE STYLE。like a 始皇帝
思考停止しちゃいそうでしょ
非凡性におののいて
さようならつまらない素人芸人』

 凄まじい押韻と音楽性。アーティストとしての格の差が、残酷なまでにありありと奏でられてしまう。まさに対戦相手への鎮魂歌が如く。
 かつて天鬼へ解説したバトルにおいて重要な6つの要素。「ライム、フロウ、バイブス、パンチライン、アンサー、アティテュード」。そのほぼ全てが、彼女はカンストしていると言ってもいい。ライムとフロウは言うまでもない。韻の固さもあり、韻と韻の間の言葉にも違和感が一切ない。そして自然で意味の通った長めの韻を、しっかりと音に嵌めていく。さらには相手に的確なダメージを与えるリリカルなパンチラインとアンサー。強いて言えば芸術性が高すぎてアンサーの焦点が霞んでいるとは言えるか。しかしアティチュードの方は半端じゃない。なにせ彼女の曲はめちゃくちゃセルアウトしているし、境遇のリアルさは折り紙付きだ。
 故に、唯一彼女にないものがあるとすればバイブスくらいか。けれど熱がないことが、王者のオーラを増強しているとも言えた。
 完全無欠の女王。そんな無敵の要塞を、彼女はどう切り崩すのか。大好きなディスで。
 青のインナーカラーを揺らし、少女は毅然と漆黒に立ち向かう。 

3
『思考停止してんのはあんたでしょ。全然アンサーない。それでクイーンとか笑わせる。聞きな
あたし機動戦士バリに駆け巡る音の上
だれもが恐れる異常性に
機能制限かけられるくらいひどく鋭利』

 頭からまさしく頭ごなしに否定。そこから「聞きな」といった後にフロウと相手に合わせた韻で実力を見せつける。まるでレゲエの様な乗り方と手法。こんなことも出来たのかよ……。
 負けてない。負けてないぞ。この調子なら、あるいは……! 

『アーイ?こゆこと。あんたにはない即興の韻
つーかシークレットブーツなのか応えてよ
気になって寝れないわ~
勘弁してよ。今日優勝して気分よく寝るつもりなんだから』

 そして最後は笑えるディスで〆。しかも急にかがんだかと思ったら、相手のブーツにぺちぺち触りながら。これぞフリースタイルだろう。その自由さに、観客も沸く。
 しかしその歓喜は一瞬で鎮静する。
 RequiemはZAKUROに背を向けてマイクをとった。

『そんなことどうでも良くない?』

 その一言で、ZAKUROの1バースが死にゆく。それくらいの世界観を彼女は会場中に浸食させ始めていた。
 そして、葬送はまだ終わらない。

『国内どころか国際的に人気な私
シークレットサービスがほっとかないの。わかる?
今日も濃くないメイクでそつないラップ

北斎葛飾のように後世に残すアート
あなたはもしかしたら特待生かも
けど私なら遠くない未来音楽の教科書にのる
それくらいの差があるの。特大のね』
 
 どうでも良くない?と言いつつ、その「おうあい」でひたすらに韻を踏みながらシークレットという単語は拾うというスキルと即興力の高さ。さらには特待生から教科書という単語を引っ張てきていて洒落がきいている。しかも「HIPHOPの教科書があるとしたら、間違いなくその名前が載ることだろう」という紹介向上で登場してきた彼女が言うのだから説得力が違う。
まさに踏み放題の膨大な砲台。「わかる?」と言ったタイミングで振り返って見せる艶やかさも豪快。それこそ北斎の様に極彩色で魅せるRequiem。それを若きチャレンジャーは相殺出来るのか。乞うご期待。
 
4
『そうだね。あるかも特大の差。ファンだってまだ多くない
けど文句ない。どんくらいあっても覆すよ
もう暗い過去にはケリつけたからコークハイで今日もハイ
ウォークライして今宵もしてやるトークライブ』


きた!!怒涛の踏み返し!!!
9連続で文脈もバリバリに効いたライムの弾丸!!
しかもこれが前半4小節に詰め込まれている。
ゾーンにでも入ったのかというくらいの激動。
そして余韻に浸る間もなく、痛撃が走る。

『あんたが葛飾北斎みたいなもん残すなら
あたしはあたしにしかつくれないような曲を作る
別に教科書になんか載らなくていい
学校じゃ教えられないくらいトベるのがHIPHOPでしょ?』

普段は気だるげな目を思い切り見開いて、Requiemを指さす。そして自分の胸を拳で叩き、腕を伸ばしてを開く。
演説家の様に全身を使って、パンチラインを打ち込んでいく。早口なのに聞き取りやすく、心地よく。
そうだ、教科書通りなんてつまらねぇ。誰かの様にじゃなく、自分を誇ってこそHIPHOP。
最高のアンサーとバイブスに、会場が熱狂する。
──それでも、Requiemは優雅に笑った。

『アングラでやりたいならすきにやりなよ
私はHIPHOPをより高い次元に引き上げる
なにかを引き立てるんじゃない
全員が聞き耳立てる音楽に変えてやるから

そこらじゅう響き渡ってる私の楽曲
引き返す気はない。rockにfuck
私はHIPHOPと心中。死に絶える
その覚悟ないラップ聞くと耳萎えるんだよ』

突き立てられたのは、女王の鉄槌。
対戦相手のパフォーマンスに呼応する様に、底無しかと思うほどに吊り上がっていくRequiemのラップ。
相手が踏んでくるのなら、踏み返す。それも、強いメッセージ性を込めて。
ZAKUROの若さ故の迸るパトスに、確固たるスタンスでここまで歩んできたRequiemにしか言えないリアルなアンサーで応える。
共鳴して高め合う両者。
その共鳴が少しだけRequiemのバイブスを引き出しているかの様に感じる。ラストに自身の覚悟を語った彼女の声と目は、珍しく感情的だった。

『終了!!!』

8の4が遂に終結する。
冷めやらぬ熱狂が、台風の様に駆け巡っている。早くも延長!と叫ぶ声さえあった。
それでも、決着を付けなければならない。
『決勝にふさわしい最高のバトルでした。決めましょう!どちらが良かった方に声あげてください!』
司会の求めに応じて静まる会場。誰もがその時に向けて口を噤んだ。
『先攻、ZAKURO!』
『後攻、Requiem!』
どちらにも大きな声が上がる。
そこに優劣を付けるのは難しいほどに同程度に大きな声が。
『……延長!!』
そのたった4文字の言葉に、観客は沸き立つ。
Requiemにとって、今宵初の延長。ZAKUROにとっては、4度目。
止まらない歓声の中、2人は無言でお互いを見つめ合う。
拮抗する実力。
……いや、観客を味方に付けてのこの結果。故に純粋な内容だけで見ればZAKUROがやや劣るか。しかし、それすらも実力の内。オーディエンスを、流れを引き込む力、それこそバトルMCには必要不可欠な能力だ。冷静になって判定なんて誰も出来ない。ここには、莫大な熱量だけがあるのだから。
『では先攻後攻かわりまして、先攻Requiem、後攻ZAKUROでお願いします。そして延長ビートは、DJ阿賀良瀬!』 
延長ビートを阿賀良瀬が掻き鳴らす。
【SAC 】で【Dye the Hiphop】。俺がちょうど高校生くらいの時に超流行っていた曲だ。歌詞も曲調もだいぶロックで過激。死にかけのヒップホップを俺色に染め上げて甦らせると言ったメッセージ性の強い攻撃的な楽曲。さっきまでのRequiemの言っていた内容にも、ディス偏重のZAKUROにも似合のナイスビート。これはバチバチの闘いがみれそうだ。
『ナイスビート!それでは行きましょう。決勝戦延長です!思う存分染め上げてくれ!レディファイト!』
スクラッチ音が鳴る。
その刹那、先程まで仁王立ちしていたRequiemの黒髪がサァッと揺れた。

1
【今日もつまんねえラッパーが吹き溜まる
目の前のワックを無に還す
ZAKUROの喉元に杭突き立てる
私以外に振る首吊り上げる

不安のある奴らはすぐ振り返る
でも私は出会いじゃなく【決別】を繰り返す
Requiemが全てを塗り替える
今ここに音楽が生き返る】

会場はぶち上がっていた。
名曲【Dye the Hiphop】の完全なサンプリング。それも彼女なりのアレンジが加えられたそれは、彼女のスタイルも相まって、最高にクール。
さらに言えば延長前の優雅な歌い方とは打って変わって腰を折り前傾姿勢になりながら吼えるようになされたそのラップは、果てしなくパンクですらある。
先程までの女王の様な威圧感はなりを潜めた。代わりに現れたのは、虐げられてなお反逆を諦めない奴隷の様な飢餓。革命への強い渇望。
それはある種もう、彼女が辿ってきた道のりで成し遂げられてきたシーンの変革。だからこそ説得力を伴って彼女のラップが観衆を扇動する。
けれど恐れを知らぬJKにとってそれは、一笑に付す程度のものでしかなく。

『いや、死んでんじゃんw 全部サンプリングてマジか
時代を塗り替えるとか言っといて過去の曲の替え歌してるだけ
そんなフェイクはヤングキングが軽く始末
殺人級の韻のジャグリング

ハプニングバーよりも刺激的なラップ
そうでしょみんな発奮してグー』 

ヘッズ全員を熱烈に沸かせたサンプリングを堂々と軽率に否定する。あまりのリリシズムの高低差に面食らってしまう。
そしてぽっかりと空いた一瞬の心の隙に、アンサーを兼ねた的確なディス&韻の連打。
音に乗り楽しげに、それでいてえげつない。
そして最後に急に真面目なトーンで。

『てかさっき耳萎えるとか言ってたけどあたしは元々死んでた。
でもヒップホップで何度だって生き返るんだよ。わかる?』

これまでのバトルでも語ってきた自身の境遇を元手にしての生々しきアンサー。いつものように毒吐くのではなく、詩的な独白。
死んでいた彼女の心を生き返らせたラップが、今日は彼女の口から生き生きと紡がれる。
1ターン目からバチバチの闘い。さてRequiemはどう答える。

2
『サンプリングは過去の再現じゃない。再生
連綿と続く歴史があるから永遠にも思える未来がある
痕は消せないから人は苦しむし藻掻くの
何度だって生き返る?死んだ心は二度と戻らないわ。listen』

【生まれ堕ちた瞬間からI fucked up……
泣いてばかりもっと欲しかった愛沢山
勃ちはいい性質悪いmy father
rockよりsexよりhiphopがバイアグラ】

スタンスの差をポエトリーにアンサー。
そして自身の代表曲【決別】のサンプリングでそれを雄弁に語ってみせる。実際にそれが単なる替え歌や持ち歌の披露ではないということを。
また、この曲のリリックが何度だって生き返るというZAKUROのバースへの回答にもなっている。素晴らしい構成と音楽性。
会場が再び魂を奪われる。
けれど、ZAKUROは果敢に対戦相手の眼を見つめ、立ち向かう。

『そうだね。たしかにあんたはいい曲出してる
でもバトルに来てカラオケされてもそれライブで良くない?って思っちゃう
ダダ漏れのコンプレックス抱えたこの人より、
ただ折れない芯持ってるあたしのがまだ燃えない?ねぇお客さん?』

相手を認めた上で刺す。観客に同意を求める。その姿に、仁王と韻韻の影を見たのは自分だけだろうか。 
倒してきた仲間の力を吸収し強敵を倒す。そんな展開に、客席と両者の盛り上がりは最高潮の兆しを見せていく。
憎々しく小首を傾げたZAKUROが口を開いた。

『あとなんだっけ?死んだ心は戻らない?
そう思ってた。でもAir―Zが蘇生させた
目覚まし代わりのディスでQED
バイアグラなんかじゃないHIPHOPがAED!』

対戦相手に何を言われようと揺るがないソウル。ディス、ひいてはかつての俺。それを生命維持装置であるかのように息を吸って吐く。その姿は何よりもかっこよかった。もちろん韻、アンサー、パンチラインそのどれもが素晴らしい。けれどもなによりも、彼女の生き様とスタイルの乗ったどこまでも本気の言葉が、聴く者の心を強く打つ。
本来汚いと思われる汗でさえも頂点を極めたアスリートのそれが美しく見える時がある様に、彼女のディスも、なにかを極めたものにしか出せない美しさを醸し出す。邪に込められた純粋な誇りが、煌めいていた。
向かい合う黒の女王は首を振り、中指を立て、ZAKUROの方へと詰め寄っていく。

3
『コンプレックスを隠す方が恥ずべきことでしょ
それよりも。あなたはあるんだ?憧れ
私にとって最も不要な感情
憧れるんじゃなく憧れられるのが私だから

過去変えることも帰ることもできない
絶えず猛る父に耐えるだけ。そんなeveryday
私はめる。それで気は晴れる?手首へナイフ。出口ねぇ、なんて思ってた
でも今じゃこの手・口で、億稼ぐラップスター』

相手のディスに端的に返し、自分の正当性を誇る。Requiemのラップは完全無欠だ。それでいてどこまでも心に響く言葉を紡いでいく。相手への反応は最低限に、自身の世界観を展開することに命を張っている。対戦相手との対話をするというよりは、自身の存在を証明するかのようなスタイル。
だからこそサンプリングを否定する割には自身も開幕にサンプリングをしていたZAKUROの矛盾を一々ついたりはしない。
それよりも確固たる自身の生き様を音に乗せていく。
そのさまはまさしくリリカルマダラー。このフリースタイルがそのまま曲になってもおかしくないようなクオリティ。
7小節目までZAKUROの顔に顔がぶつかりそうな勢いでラップをし、最後に観客に向けてパンチラインを放つ。パフォーマンスすら圧巻。
全くブレない最強の女帝。
しかし対する青の少女だって、ブレなさでは負けていない。
トントンと絶対王者の肩を気安く叩き、音の上に毒と言葉を嵌めた。

『要するにありのままの自分を分かってくれってことでしょ?
憧れられたいって言うくせにそれじゃ同情誘ってるだけ
だっさ。さっきも言ったけどもう1回言うよ。あんたマジでメンヘラ
どんな境遇でも自分を誇りなよlikeヘレンケラー

あんたと違ってあたしケセラセラ。
ノイズはラップで消せばいいや
さっき過去は否定するなって言った癖に憧れは否定するんだね
もっと思ったこと素直に言えばいいじゃん』

憧れられる存在と憧れを目指す存在。そのスタイルウォーズ。
ZAKUROの等身大の言葉が、Requiemというクイーンのメッキを剥いでいく。
何も無ければ軽いはずのZAKUROの言葉が、固い韻によって補強されて説得力を増す。
パンパンパンと軽く打ち込まれたジャブが、打たれた後からズドンズドンと重く全身に衝撃を巡らせる。
そして疲弊したところに「思ったこと素直に言えばいいじゃん」というデコピンを食らう。それは1発ならば大したことのないワード。けれど天真爛漫に身の丈にあったラップの締めにそれを持ってくることで、何気ない言葉がじんわりと観客の胸に響く。それはどんなにすばらしい遠い世界の偉人の言葉よりも、身近なギャルが放った何気ない言葉の方が心に響く様な。そんなような不思議な感覚だった。
にっこりと笑うZAKURO。けれど、まさにその笑顔と決別するべく、Requiemは眉間に皺を寄せて。何かのスイッチが入ったのか、今までで一番の憎悪を込めて、最初の単語を黒い唇から吐き出す。

4
『"バンギャ"みたいな見た目でアングララッパーに心酔してる
申し訳ないけどあなたの方がよっぽどメンヘラ
私は誰にも依存しないし憧れない
だからこそのRequiem。R.E.Q

だけど今夜はあなたに灸(Q)を据える、
どころか死(C)を告げる。つまりはR.E.C
この子が絶句しているところをみんなRECしておいて
ByeByeディスるだけのAPE』

『ディスるだけ。むしろ褒め言葉だわ
あんたが沈むまで軋むまでディスるだけ
そしてあんた倒し憧れの人振り向かせ
その距離が縮むまで生きるだけ

だから言われるまでもないあたしは誰よりもメンヘラ
HIPHOPに依存してディスに依存して依存して依存して!
これがなきゃ生きていけない変態だ!わかる?
絶対なってやるから、ディスのエンペラー。あーい?』

『終了ーーー!!』
司会の声がバチバチのバトルに覆い被さる。
4本目が終了し、音楽が止まった。しかし当然ながら歓声は鳴り止まない。
2人の生き様が真っ向からぶつかり合い火花散らす大立ち会い。それでいてお互いがお互いをメンヘラ認定するという異例のメンヘラ対決。
憧れを否定しメンヘラであることを否定するRequiemと、憧れもメンヘラも肯定するZAKURO。
どちらかといえば雰囲気だけ見ればどこか似たところがある2人が、完全なる正面衝突をカマしていく。
RequiemからRECを導き出すスタイリッシュさで魅せるRequiemに対し、ディスへの憧れの熱いバイブスで魅せるZAKURO。
何もかもが真逆。だからこそ、アガる。脳が汁を出し続けて止まらない。魂が燃える。
ディスるスタイルのZAKUROが自分さえもディスりながらに肯定していく姿も面白かった。
止まらない興奮。司会さえも熱を帯びた声を上げるほどに。
『延長戦最高でした!!どちらもヤバいですね!ですが
どちらが勝者か決めなくてはいけません。行きましょう。良かった方に声あげてください。先攻、Requiem!』
熱狂が沸き立つ。さらに、後攻にも同様に。
司会は顔を伏せて、思案げな面持ちで顔を上げた。
『……もう一度聞きます。先攻──』
もう一度観客達が先攻と後攻に声を上げる。
けれど、その声はどう聞いても……。
一瞬の静けさの後、再び司会が口を開いた。
『……これは、甲乙つけられません。延長です!!!』
どよめきが、会場中に響き渡る。歓喜の声に鼓膜が揺れる。最高のバトル、その続きが見れる事の喜びに。
『では先攻後攻入れ替わりまして、先攻ZAKURO、後攻Requiemで行きたいと思います。ビートはDJ阿賀良瀬!再延長ですがもういけますか?』
本来ならば延長で終わるはずだった。故にそんなにも咄嗟にこの状況にあった曲を選曲出来るのか。その確認をしたのだろう。
けれど、阿賀良瀬はこの時を待っていたかのように深く頷いて。ターンテーブル上のレコードに手をかけた。
子気味のいいスクラッチ。イントロが、流れ出す──。
「……おい、マジか」
目眩がする。
けれど会場は、手を振り上げて歓声を上げるヘッズに溢れていた。
流れたのは【Air―Z】で【Animus-Zenith】。
……要するに、俺の曲だ。
ステージ上では、天鬼が見たこともないような激しさで飛び跳ねていた。それをRequiemがつまらなそうに眺めている。
こんな片方のMCに肩入れした選曲はどうなんだ……?と思ったが、準決の仁王の時にも似たようなことをしていたから、阿賀良瀬はこういうのが好きなのかもしれない。
まあ別に観客は沸いているし、Requiemもなにか思う所あればバース中に言うだろうから問題はないんだろうが……。
「いや、マジか……」
複雑な気持ちだった。過去への懺悔はいくらしても終わることは無いだろう。けれどラップをやめなければいけないという自戒は、ZAKUROが払拭してくれた。そんな彼女に大きな感謝はある。
だが──。
「あは。見てるでしょAir―Z。勝つよ」
こっちなんか見えているわけないのに、彼女はしっかりとこっちを見てそう言った。その言葉一つで、立ち込めていた霧が晴れる。
観客の歓声が遠く聞こえる。今はただ、彼女の言葉にだけ集中していたい。
『ナイスDJ!ではガールズMCバトル、決勝戦、再延長!みなさん準備はいいですか!これで決めましょう!本日最後の試合です!正義と正義のぶつかり合い!勝つのはどちらなのか!命尽きるまで果たし合え!行きましょう!先攻ZAKURO、後攻Requiem、レディ、ファイト!!!!!』

青い少女は観客席に向けて思い切り口を開いた。

1
【AからZまで全部網羅!
ZAKUROにかかりゃ皆ゲームオーバー!
味わってくれや絶望感!
ディスの力だけでテッペンとるからー!!! 】

こんなこと、誰が想像した。
ディスって人を傷つけてばかりだった最低な俺の曲を、こんなにも楽しそうにみんなに喜ばれながらサンプリングする生徒が出来るなんて。
そして彼女の放つ言葉には、確固たるリスペクトがこもっている。泣いてしまいそうなくらい。
天鬼には珍しいバイブスと笑顔満点のラップ。
最低なリリックなのに、載っている感情の強さに胸が熱くなる。
もう純粋な観客として彼女のラップを評価出来ない。それでもいい。俺はいま幸せだ。ただ、彼女の勝利を願うそれだけの存在としてここに立っていたい。
だって、俺以外の観客だってぶち上がっている。ならそれくらい、いいだろ?

『最高だよ!ありがとう阿賀良瀬さん
肩まで温泉に使ってるくらいいい気分
唐揚げとかわたあめよりも大好きな曲
妨げは一切ない。Requiem、ただあたしと戦え!!』

止まらないバイブスのまま、後半4小節も駆け抜けていく。
感謝故なのか、阿賀良瀬の「あああえ」で韻を立て続けに踏み、先攻に相応しい好戦的なライムを叩き付ける。
さあ、全身を使い会場中のヘッズたちの心をかっさらったZAKURO。
対するRequiemは、その熱狂をどう鎮静させるのか。
ノリノリのZAKUROに背を向けて、彼女は呆れた様子でため息をついた。

『憧れの人の曲になった途端、
自称お得意のディスがなりを潜めてる
だから憧れは人をダメにするって話。わかる?
贔屓とか言うつもりは無い。むしろ非力になって可哀想

たぶんサンプリングしてたんだろうけど
全然知らないし幼稚なリリックで返答に困る
1人でテンション上がられても面倒なだけ
言動が不健康。前頭葉に腫瘍でも出来た?』

盛り上がってるところに、冷水を浴びせる。
再延長前のやり取りも持ちだして。
痛烈なアンサー。
選曲についても文句を言う訳ではなく器の違いを見せつけていく。
相手を否定しながらの韻踏みで、ディスの上手さも自分の方が上だと暗に示してくる。
そしてなによりフロウが巧みで心地が良い
なにもかもが勝っている。
勝てる気がしない。
それでも……。
そう、それでもと思わせるなにかが天鬼にはある。
それが爆発するのを俺も観客も今か今かと待ち構えていた。
そんな状況に気づいているのかいないのか、自分の頭をぽかんと殴りながら、彼女は頓狂にバースを蹴り始めた。

2
『前頭葉ヤバいってそりゃそう。
あたしの脳はけっこうもう戦闘用。
なりを潜めてるってウケる
まだあと3本あるのお忘れ?健忘症?

いやちがうか、メンヘラだから1回目のデートでいきなりやっちゃうタイプだったか
でもごめんねあたしこう見えて韻だけじゃなくて身持ちも固い
まるであんたがご執心のロックみたいにね
それ、至極ダサいからひどく蹂躙してあげるよ』

来た!!!
お得意のディスがスコーンと決まる!
少し笑えて、それでいて相手の意表を付きながらしっかりと刺していく。韻を踏むのも忘れない。フロウも軽やかで彼女のスタイルにぴったりだ。
これぞ彼女の真骨頂だろう。
頭で心で耳で様々な部位を刺激してくる彼女のラップに、会場は延々に昂り続ける。
そして軽やかなステップで踏み抜いた地面。その地下深くに埋まっていた特大の火薬がいよいよ爆発し、大きな大きな火が着いた。
ずいとその白い顔をZAKUROの額に付き合わせて、Requiemは戦闘曲を奏で始める。

『ロックに執心なんてしてるわけがない
あんなものとっくに囚人として終身刑にかけて
今も十字架の上で永遠に就寝してる
わかる?終止符を打ってこの世界に来たの』

今までで最も感情的なラップ。
固い韻を畳み掛けながら、ロックへの絶大な怨みを吐き出していく。
まさに何かのスイッチが入ったかのごとく。
烈火のようになったRequiemは、もはや誰にも止められなさそうな様相を呈していた。

『それを蒸し返すのなら無に帰る覚悟をして
私はそんなに優しくない
かわいくないし正しくもない
それでも語りたくない事を曲にして夜に羽ばたくだけ』

感情的であってもリリカルに韻を踏んでいく、その天性のセンスに脱帽する他ない。
ZAKUROから一切目を話さずに殺し文句を言い放ち、自分の負の部分さえも曝け出して曲にする自分を誇る。
どこまでもHIPHOPで、そしてだからこそ──彼女にとっては屈辱だろうが──間違いなくロックでもあった。
正直俺にとっては負けて欲しい存在。けれども悔しいけど聞き惚れる。リスペクトを送る他ない。
魂のライム。
紡がれた精神の結晶は、ZAKUROの限界をさらに上へと引き上げる──。

3
『自分からロックがどうのとか言っておいて触れられたら逆ギレ
本当に最悪の地雷女
ほんと出来損ないの椎名林檎じゃん
だってバンドマンとはしないもんな

額こんなにして本当に痛い女
期待どんなにされてるにしても
こんな奴のMVとか見ない方がいい
AV見てるほうが100倍興奮しちゃいそうだわ~』

エグめのディスで韻をポンポンと踏んでいき、最後も踏みながらユーモラスに茶化していく。
最低の侮辱。
しかしそれが許されるのが、このバトルという舞台。
彼女はきっとここでしか息が出来なかったんだ。それをありありと感じさせられる。生き生きとしたそのフロウはどこまでも幸せそうで開放感に溢れている。 
抑圧されている欲望が無制限に解き放たれたような気持ちの良さ。
日常の不平不満を代わりに代弁してくれているかのような感覚すらあった。みんなの共感を強く刺激するそのディスは全く不快ではない。
彼女がしているのはただの誹謗中傷ではなく、的を得ているしそれでいてウィットに富んでいるディスリスペクト。
だからこそ、Requiemとはまた違う才能がここに花開き火花を散らすのだろう。
ディスることでむしろ人の気分を良くする。そんな嘘みたいな状況が、現実に今巻き起こっていた。
Requiemは最後までZAKUROのラップを聞いて大きく頷くと、観客の方に向けて語り始める。

『sexよりもdrugよりも気持ちいいものがある
それがmusicって教えてあげようか
究極のエクスタシーthis is HIPHOP
インク豊富に使ってリリック放出

sexよりもdrugよりも気持ちいいものがある
それがmusicって教えてあげようか
認める。あなたは確かに上手いし強い
でもそれだけ。音楽性も華もない。ただの虚しい蕾』

リフレインするアンサーを込めた2発の弾丸。
1発目にはアンサー。
2発目にはリスペクトとディスを。
そしてそのどちらにも内包されている韻、そしてライフリングの様にその破壊力を増大させるフロウ。
完成度の高さのあまり、恐ろしくて総毛立つくらいのリリック。
明確に言い返すのではなく、抽象的にぼかされた言葉で相手の言葉を滲ませ、塗り替えて行く。気持ちいいくらいに美しい色で。
本領を発揮したリリカルマダラー。
そこにZAKURO最後のバースが襲い来る。
目を伏せ、大きく見開いた。

4
『そうかもね。あたしはまだまだ蕾
これからすごいZAKUROの実が成るから待ってなよ
ゆーて花咲く前からあんたの鼻を明かしちゃいそうだけどね
ハナっから負ける気は甚だないって話

てか人に華がないとかいってる割に自分は暗いし黒い
うざいし強いのは認めるけどね。そんでムダにしつこいw
ねえ、鎮魂歌よりもアイシャドウよりも美しいものがある
それがディスだって教えてあげられたかな?』

"はな"という響きをこれでもかと弄り倒した神がかったライミング──!
眼光に果てしない光を錯覚するほどに芸術的。
更には虚しい蕾に対して暗いし黒い、うざいし強い、ムダにしつこいと踏みまくり。
かと思えば、最後はさっきのRequiemを踏襲したかのようなアンサーで〆。
なんという美しさ。ラストのバースを締めくくるに相応しい最高の8小節。正しく有終の美。
そして、挑発的に問いかけたZAKUROから目を背けて、Requiemは文字通り最期を告げるレクイエムを歌い始める。
侵食していくアーティスト性。暗く痛ましい世界観。もはやそれは、ワンマンのライブと化して。

『美しさよりも醜さを誇るのが私の美学
誇りを抱くよりも埃を磨くよりも痛くて苦くて汚くて……
そんなリアルを血脈に刻むの
空いた穴はピアスの様に埋まらないから

見たくないものばかり見てきた。帰宅する家なんてなかった 
委託されてるhome。自殺しちゃいそう。where is my hope
私にとって音楽は傷つけるものじゃない。傷を舐めてくれるものなの
わかってほしいわけじゃない。でもこの力で今頂を戴く』

『──終了!!!』

2人の最後の8小節が終わる。
ビートが止まる。けれど心臓の鼓動がいつまでも昂って止まない。研ぎ澄まされた魂と魂のぶつかり合いに、思考が全くついていけない。余韻だけで一日が過ぎてもおかしくない。音、言葉、画、熱。膨大な情報量が押し寄せてきて、パンクしてしまう。
もはやどこがどう良かったからこっちの方が勝っていたとか、そういうことを判断出来る状態にはなかった。この場にいた全員がきっとこれから、ただ自分の心の赴くままに声を上げるのだろう。でもそれでいい。それでこそ、MCバトルだ。
ZAKUROはRequiemを真っ直ぐに見つめ、対するRequiemもその瞳を真っ向から受け止めている。
司会がおもむろに声を上げた。
『……本当に素晴らしいバトルでした。だからこそここで決めましょう。どちらか良かった方に声を上げてください!』
あれだけ興奮していた観客達が、その声を聞いてサーッと静まり返っていく。それはだるまさんがころんだの直前と直後の様な。そんな急激な落差。
重い重い荷をようやく降ろさんと、司会はマイクを固く握りしめて叫んだ。
『いきます!』
どうする。どうする。どうなる。どうなるんだ。直前まで悩み、あるいは完璧に決め込み、その時を皆が黙して待つ。
『先攻、ZAKURO!』
爆発。爆発した。声が。咆哮の様な歓声。それだけの確固たる人数のヘッズが、ZAKUROの勝利を疑わず吠えた。
やがて。声が止むのを待って、募る。もう一方へと。
『後攻、Requiem!』
沸いた。声が湧き上がった。勝ちを確信した無邪気な声が溢れる。会場中に轟く。
大歓声だった。どちらも今日一の声量だった。
だが──。
『もう一度だけ聞きます。先攻、ZAKURO!』
『後攻、Requiem!』
再度、両者への声が巻き起こる。
そして。
司会は1度地面に顔を向け、天を仰ぎ、そうしてようやく、客席に向かい大口を広げた──!
『──第10回ガールズMCバトル、栄えある優勝は──ZAKURO!!!』
ワァーーーー!!!
バカみたいな歓声がそこらじゅうから延々に上がる。凄まじい熱気。とめどない祝福の声。
そんな中で上がる、いつも通りの勝鬨。
「いえーい」
どこまでも彼女らしいその姿に、俺はもう感無量だった。
彼女ならどこへでもいけるだろう。俺が背負った業なんてものともせず。それどころか俺すらも導いてもっと、もっと遠くへ。
スポットライトに照らされる青い少女の姿に、見とれる。それはまだ一瞬なのだろうが、なぜだか永劫にさえ思える。ひたすらに、目が離せない。見とれる。
まるで青い空を延々と眺めているみたいに、気分が晴れていく。
夕焼けが来るのはまだずっとずっと先だろう。子供の頃の一日は、大人のそれよりも遥かにずっと長いから。

あの日のラッパーも今じゃ教師だ。
だけど。
彼女と交わってもう一度だけ、ラップをやってもいい。そう思わさせられた。その生き様に魅せられて。
だから、ありがとう天鬼。ありがとうZAKURO。

鳴り止まぬ拍手と歓声の中、俺は彼女にただ感謝だけを送る。
R.I.P.Air―Z……なんて言うのはもうやめて墓を荒らそう。お前が憧れてくれた通り、俺はマジでサイテーの人間だから。
約束を果たす。
その為に俺も生き返ろう。彼女が俺のディスを聞いて生き返ったと言ってくれたように。
俺はお前のラップで生き返ったよ、天鬼。
だから俺もまたそんなラップが出来るように、また歩き出そう。
その1歩目がお前とのバトルだ。
「……改めてよろしくな、ZAKURO」
そう1人つぶやいて、ステージ上で輝く彼女の珍しく感情的な笑顔を最後までただ1人、見つめていた──。



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