愛膿ファンタジア

ふみのあや

文字の大きさ
上 下
5 / 11

第二章 無秩序シビライズ

しおりを挟む
「ねー、エドさーーん、ごはんはー? ねーーー、ごはんはー? ねー、なんでこんなことになってるんですかーーー??? ねーー、エドさーーーん! あーーー、ほんとなんなんですかーーーー、もーーー!!!」

 いやあ、ほんとなんなんだろうな。

 少女――では不便なので取り敢えず仮名としてアイと呼ぶことになった――は、天下の往来をそう喚き散らしながら、奔走している。俺と共に。

 でだ、問題は、その少し後ろを追走している小さな人影である。

 それは、セミロングの黒髪がよく似合う清楚な顔立ちをした、プルームの褐色美少女だった。
 年の頃はアイより少し上といった感じだろうか。そのくせ、何故か上半身をこれでもかというくらいにさらけ出しており、非常に分不相応なことに、恐ろしく性的だ。何故か首元に白いマフラー、肘から下には末広がりの黒いスリーブを纏ってはいたが、それ以外の本来確実に隠しておくべき部分は殆ど裸同然だった。胸元の可愛らしくも凛々しい膨らみは、下着同然の布切れで申し訳程度に隠されているとはいえ、上乳下乳横乳が拝み放題という有様。他にも、大変素晴らしい腋窩はもちろんのこと、臍どころか腹部周辺は完全にノーガードであり、アバラから鼠径部までくっきり見えてしまっていた。

 また、エルラティス教徒なのかどうかはわからんが、臍に括られたX型の十字架のピアスが大変エキゾチックであり、同様にして、性的な部分を戒めるかのように各部に刻まれた十字や蓮のタトゥーも、背徳的なエロスを演出するのに一役買っていた。
 下半身はかなり短めな白のスカートと長めの黒いソックスできちんと守られてはいるが、これはこれでしなやかな脚線美が……、と見入ってしまう。
 それでいて臀部にはマントのように大きな黒いリボンが据えられており、ガーリーさも決して捨ててはいない。
 
 幼年性と色香の危うい両立。見事という他ない。
 それはある種、芸術めいた官能的美しさ。
 
 末恐ろしい……。
 俺は彼女の溢れ出る将来性に慄きながら、今のままでも十分にイけるという事実にさえも直面し、新たな扉を開きつつあった。黒と白のコントラストにうっとりとしている自分を感じるのは、気のせいだろうか。
 
 横を走る金髪アホ毛ツインテ娘、アイを見やる。
 そのあほっぽくてあどけない面を眺めながら、後ろの少女とどうしてこんなにも違ってしまったんだろうな……と、思ってしまう自分がいた。
 かわいいはかわいいんだがな……。
 後ろの褐色娘は妖しいミステリアスな魅力と、守ってやりたくなるような、大人しそうな女の子らしさがあるのに対し、こいつときたら……。

「えぇぇぇぇぇどさぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーあん!!! なあにぼけっとしてるんですかあ!!! 見て! 後ろ見て! 後ろ! ひょえええええええええええ!!!」

 ご覧の有様だ。
 このぎゃあぎゃあ具合を見て、アンタはどう思う? 俺か? 俺はノーコメントだ。

第一の水・天律ダルマ・アプ・ガンカ―

 すると、不意に後方からそんな声がした。
 と、右横を走るアイにがばっと手を掴まれ引き寄せられる。

「おい。どうした? こんな人目の多いところで随分と大胆じゃないか」

「どうした? じゃあないですよ! なんか知らないですけどあの根暗そうなどエロ褐色娘がさっきからこっちに攻撃してきてるってのがわからないんですか! ってうきゃああああああああああああ!!!」
 
 俺のすぐ左で凄まじい水流の照射が炸裂し、弾けた。とてつもない音ともに振動が大地を奔る。すぐ右で涙目になっているアイが俺を引き寄せていなければ、この身はあれに直撃してぐちゃぐちゃになっていたかもしれない。
 そうだった。なんだか知らないが、俺達は彼女に追われているのだ。

第二の土・殖地アルタ・プリティヴィ・パールヴァティー

 そんな声と共に、今度は大地が奔流する。地が裂け、そこから鋭利且つ巨大な岩柱が隆起。こちらに向かって迫り上がる。

 そして、そんな俺達と追っ手の女の逃避行を見て、周囲の多種多様な人々が俺達を避けるようにして左右に割れていく。なぜなら、そうしなければ死ぬ可能性があるということを、ほかの誰でもない彼ら自身がその身をもって知っているからだ。
 この街の住人にとっては、こんなことは常識の範囲内なのである。
 ちなみに、今俺達がいるのはアルマ七番街、ブロードウェイ。所狭しと商品が陳列された、雑多で庶民的で甚だしくコアな、商業区画だ。
 
 アルマでももっとも人で溢れるこの場まで来れば、先程から執拗に俺達に迫ってくる褐色娘の攻撃も穏やかになるかもしれないと思い、ここまで逃げてきたのだが……、どうやらそんなことはなかったようだ。失策だったな、こりゃあ。はは、参った参った。

「何笑ってるんですか! エドさん! あなたなんでそんなよゆーなんですか! 私的にはあの子超おっかないんですけど! なんなんですか、あれ! 大体なんで急にあんなのが襲ってくるんですか! もうわけわかめですよ、ほんとにーーーー!!!!」
 
 いやー、俺にもわかんねーよ。
 まあ、病院を出た後、飯まではちょっと時間があるからと、それまでにアンナが持っていたのをこっそり拝借してきた資料を元にして、何人かの麻薬密売人をとっちめていたんだが……、その三組目を捉えた辺りで、なんか急に襲ってきたんだよなー、あの娘が。

 と、後ろからまたあの声が聞こえてくる。

第三の炎・愛禍カーマ・アクニ・サティー

 今度は、赫焉の灼熱が渦巻いて、一直線にこちらへと列を成す。身を焦がすような熱気が俺達のすれすれを飛んでいく。

「ひょえええええええええーーーーーー! というかなんなんです!? この世紀の人達はやりたい放題ですか!? 火出して水出して地を裂いて! しかもここに来る途中で他の人達も電撃飛ばしてたり爆発したり!!! エドさんも変な力使うし! 魔法大国ですかここは!!! おまけにケモ耳や鬼っ子までいたし! ファンタジーかよってなもんですよ!!!」

 今日アイが見てきたそれ等の異能力者の誰一人として、魔法は使っていなかった様に見えた。であるのに、それを魔法と形容する辺り、やはり信じがたいがアイは本当にこのヴァルヘルムの出身ではないのだろう。
 それにどうやら、ヴァジラやアルフェンのことも知らないようだ。なんともまあ。

「ほんとに何も知らないんだな、アイは」

 ふっとそんな言葉が口から漏れてしまった。走りながらカルマまで行使しているため、我がどどめ色の脳髄は、会話の方へ裂ける領域がもうあんまり残っていないらしい。

 彼女はそんな俺に対し、これまた本来ならば信じられないような言葉を返す。

「まあ、今日ここに来たばっかですし?」

「……どっから来たんだ?」

 一応、そう聞いてみる。

「しいて言うなれば……、地の果てですかね?」

 少し悩んだ後で、そう答えるアイ。

「なるほど。じゃあ、本当にお前はヴァルヘルムの外からやってきたんだな。……信じがたいことだが」

「ヴァルヘルム、というのはあのおっきな壁に囲まれたここら一体のことです?」

 興味深そうに、彼女はそう言った。

「ああ、そうだ。正式にはヴァルヘルム・ガングっつーんだが、それはまーいいだろ。……つーかなんだ、ほんとに外から来たんなら聞きたいんだが、アイはどうやって中に入ったんだ? 通用口なんてないはずなんだが」

 そうなんだよなあ。ヴァルヘルムの外周は、凡そ人の身では、というかどんな化物でも越えられないようなでっかい壁でぐるっと囲われている。だから、外から何かが入ってくるなんてのはそういう意味でも有り得ないはずなんだ。それこそ、こんなアイのようないたいけな少女などが間違っても超えられるような壁ではない。

 そう思っていると、彼女は今日一の驚きを俺に届けてくれた。

「それがですね……、ぴょーんと飛び越えてみたんですが、なんか遠くにあった大きな塔の方からびゅいーんとビームみたいなのが飛んできて撃ち落とされて……。そのままエドさんの家に落っこちたと、そういうわけなのですよ。その節はほんとにすみませんでした。えへ」

 は?

「ふあははははははははははは!!! まじかよ! アイ! そりゃあ傑作だぜ! あっはっはっはっは! お前ほんとクレイジーだなあ! おい! ますます好きになるじゃあねえかよ! くはは!」

 俺は思わず、あの褐色娘に狙われているということすら頭から一瞬消えるほどに、ゲラゲラと笑い倒した。もちろん、走る足と認識阻害のカルマは止めずにな?

「えぇ……。これは喜ぶべきなのか否なのか……。よくわからないので、とりあえず私は美少女らしく笑顔で受け止めますね! にぱっと」

「あの壁を飛び越えたって……お前……。あっはっはっはっは! やべえ俺はお前に惚れちまったみたいだ! あっはっはっはっ!」

「え、あ、え? 告白ですか!? え、ちょっと待ってください考える時間をくださいエドさんのことは好きになりつつありますし私所謂チョロイン系美少女なのでもう別にいっかなってかんじはありますけど美少女は尻軽ではないという定義も私の中にあったりしてこんな吊り橋効果的に告ってくるとかちょっとずるいと思うんでまたの機会にお願いします! またどーぞ!」

 こいつ無駄に滑舌がいいな……。言ってることの意味はほとんどわからんが。

「いや、別にお前と交際したいとかそういう意思はないが? まあ強いて言えば娘には欲しいかもしれないけどな」

「で、でましたね! 恋愛百八の類似パターンその二、年下のことを妹みたいとか言って予防線張っちゃう勘違いヘタレ男! 誰もお前の妹になんてなりたくねえんだよと世間の女子は思っているよということを私という美少女を介してエドさんにお伝えしましょう。あ、でも勘違いしないでくださいね。私だけはあなたの妹ですから! 私、見た目通り、心も美少女なんで! 心意気がア・プリオリに美少女なんで!」

 色んな女と共に色んな時を過ごしてきたが、さすがの俺も出会って初日で妹になりたいと言われたのは初めてだな……。まあ、似たようなことを出会った次の日の朝に言われたことならば、残念ながらあるんだけどな……。

「ああ、そうだな。でも安心してくれ。俺はお前に妹になって欲しいとは思わねえ。なぜなら、俺のことをお兄ちゃんと言って慕ってくれるのは、ヤヨイ・クルスというキチガイ一人でもう十分だからだ」

 心の底から、そう思う。
 しかし、アイは譲らない。

「そんな……、私に『おにいちゃん♡』と言って欲しいと思わない男性が存在するなど……。由々しき事態です……。私の美少女力にも衰えが……? いいや、そんなはずはない! なんどでも言おう、私はアプリオリに美少女なのだと! 本質的に美少女存在なのだと! 今からそれを証明してやる! この、圧倒的美少女力で!」

 無駄にテンションが高いな。適当にあしらっておこう。
 ぶっちゃけ、今はあの褐色娘の追撃を俺のカルマで足止めするのでいっぱいいっぱいなんだ。すまねえな。

「ほうほう。そうだったのか。そうだなアイはすごくかわいいぞ。それに綺麗だ」

「そうでしょう、そうでしょう。どうです。ここらで素直になってみては? 年甲斐にもなくそんなことを言いたくないという照れがそうさせたのでしょうが、いいんですよ? 素直になって。私だけは全てを赦しますから。私という完全なるキューティな妹が欲しいんでしょう? ほら、言うなら今がチャンスですよ? さん、はい!」

「ああ、そのアホ毛なんて最高にキューティクルだぞ」 

「……ん? ええっと、私に『おにいちゃん(はあと)』と言ってもらえる最期のチャンスですよ? ねえ、ほら、どうなんです? 私を妹にしたいでしょう? ね? ねえ? ほら、ほら? んんんんーーー、ねえってば!!!」

「あ? えー、アイは今日もかわいいな」

「今日もって……、今日あったばっかりじゃないですかー、このばかあああああああ!!!!」

 急に大声を上げるアイ。あまりちゃんと話を聞いていなかったのでそれがなぜかはわからんが、まあ少女が喚く理由なんて一つだろうと問いかける。

「どうした? 漏れそうなのか?」

「いえ、いいです。というか、生き死にが関わってる場でこんな話する私のほうがおばかさんでした。すみませんです……」

 そう言うアイはほんとにしゅんとしていた。心なしか、アホ毛もくたっとしょげているように見える。
 さすがに申し訳ないな。俺としたことが、敵の攻撃をまともに躱す努力をし過ぎたか。なんでか、アイを守ろうと俺らしからぬような形で躍起になってしまった。

 だが、レディといるのに、会話を疎かにするのはよろしくない。ああそうだよな、人生、もっと遊ばなきゃ損だぜ。
 そう思い、下を向く彼女に声をかける。

「いいや、そんな時だからこそ、こんな話が楽しいんじゃないか? すまなかったな、聞き逃して。続きを聞かせてくれ」

「や、そう言われましてもいまちょっとそういう気分じゃないんで。美少女にもそういう時あるんで。ごめんなさい」

 そういうと彼女はこんな具合にぶつぶつと独り言を始めた。走る足は止めずに。

「……もしや、この時代のトレンドが特異であったので? いや、しかし、金髪ツインテロリババアというこの最強の組み合わせは全時代全大陸全銀河全星雲共通に通用するはずでは!? 博士もそう言っていたし、私もそう思うのですが……。それが否定されるほどにこの世紀がずれ出した可能性もないとは言い切れない……。それ自体は朗報ではありますが……。これは、実地調査を近いうちに行う必要性がありそうですね……」

 言いたいことは色々あるが、とりあえず、そんな彼女の姿はなんだかとってもシュールな絵面であった、とだけ言って終わりにしよう。
 
 次の攻撃は、あんまり逸らせなさそうなんでな。

第四の風・至空モークシャ・アニラ・ヴァーユ

 俺は気を紛らわすためアイへと語りかける。
 アイの頭上間際を轟々と吹き荒ぶ、トルネードのような烈風を見上げながら。

「おい、さっき言ってた、アイを撃ち落としたビームってのはこんな感じだったのか?」

「きゃああああああああああああああああ!!! はあ、はあ……。ひや、こんなもんじゃかったですね……。もっとずきゅうううんとすごいのが一発私の大事なお胸に直撃しましてですね……って、いやいやそんな話はいいんですよ! 取り敢えずこの街と、あなたたちの変な力について教えてください! そうじゃないと、この私といえど、対策のしようがないんで!!!」

「そうかそうか。だったら、もっと俺に頼ってくれてもいいんだぜ?」

「いやそういいますけど! エドさん、絶対この状況をなんか知らないですけど楽しんでますよね? 私は早くこの危機から逃れたいのに、あろうことかエドさんはうきうきですよね? 私はビクビクなのに!」

「そりゃ突然あんな上玉の美少女に襲われたんだ。喜びこそすれ、恐ることはないだろう? いや、つーかなんだあれ、めっちゃかわいいよな?」

「それを言うなら! 私というまたとない美少女と出会えたでしょうが!!! それを! それこそを!!! よろこんでくださいよーーーー!!!」

「そりゃあもちろん。今日はアイのおかげで最高の一日になりそうだ。ありがとな」

「そうでしょう、そうでしょう! でへへーーー」

 この娘、見た目通りに、ホントにあほだな。

「……って、また懐柔されるところでした……。あぶないあぶない。嘘、私ってっばチョロすぎってか、かわいすぎ? かわいすぎるのも罪だなあ……」

 一人で勝手にぽわぽわしだすアイ。大丈夫なのかコイツ?

「ああーもう!! じゃなくて、エドさん! いいかげんに……、お・し・え・て? きゃるるーん」

「ああ、わかったわかった。教えるさ。からかって悪かったな」

 そうして俺は語りだす。
 背後よりから迫り来る激しい超常を、己が超常で躱し、敢えて至近に打ち込ませ、ギリギリのライン上で、逃げ続けながら。
 その度に上がるアイのかわいらしくもガチな悲鳴は、きっとさぞ俺の語り口をゴキゲンにさせていたことだろう。







 じゃあまず、どこから話そうか。そうだな、取り敢えず、この街の生い立ちについて話そう。
 まあ、これは地の果てから来たと豪語するアイなら知っていてもおかしくないが、大事なことなので最初に言わせてくれ。
 開口一番こんなことを言うのもなんなんだが、この世界は終わっている。
というのも、どうやら俺達の祖先のそのまた祖先が相当に暴れまわったらしく、この、信じ難くも青い星なんてかつては言われていたという惑星は、どうしようもなく使い物にならない程に荒廃してしまったんだそうだ。
 現に、今でもこの俺たちが住むヴァルヘルム・ガングを抜ければ、ハイドという凡そ人が住めるような環境にない、死の大地が広がっている。つーわけで、そんなハイドからやってきたっつーアイの話は正直信じがたいんだが……、まあ、今はその話はいいか。
 で、どうにか生き残ったその旧人類の生き残りである現人類の祖先たちには、そのハイドと後に呼ばれることとなるゴミ未満の土地しか残されてはいなかった。
 このままでは人類はおろか、全生物の絶滅という未来を迎える他ない。
 
 それを回避するべく、人間達は現在に至るまで生き残っている五つの人種、即ち、
 
 より純に人であろうとすることで、その血脈に刻まれた力によって生き残ろうとした、俺達のような純人、「プルーム」
 そして逆に人間性を捨て、畜生と果てることで生き残ろうとした獣人、「ルナリア」
 同じく、怪物と化すことで生き残ろうとした鬼人、「ヴァジラ」
 同じく、人外の法によって生き残ろうとした魔人、「アルフェン」
 最後に、敢えて弱者たることで生き残ろうとした幼人、「ロージェス」

 に、それぞれ進化(?)したと言われている。

 また、
 プルームは、身体的特徴こそないが、その血脈に刻まれた無数の智慧を
 ルナリアは、その獣のような耳やしっぽに爪牙、恵まれた下半身を特徴とし、優れた五感と俊敏さを
 ヴァジラは、その龍鬼のような角とがっしりとした体格を特徴とし、その圧倒的な力と神秘的な第六感を
 アルフェンは、その枯れ木のように細い手足と、絹のように滑らかな肌を特徴とし、その人為らざる魔の力による術を
 ロージェスは、その赤子のように小さな身体と、雌個体のみが誕生するという異様性を特徴とし、その絶対的繁殖力と庇護されるべき弱者であるという強みを、

 それぞれ武器とし、生存を懸けた極限環境との闘争に、その身を晒していった。
 つっても、そんな人類の健闘も虚しく、俺達人類種はその一命こそ取り留めたものの、結局それは一時的なその場しのぎにしかならなかったらしい。

 まあつまり、ちょっとした進化というか突然変異程度では、人類滅亡の定めは変えられなかったっつーわけだな。
んじゃ、さてー、どうしようか?
 で、そんな時に現れたのが五人(或いは六人)の超人だったんだと。彼等も型落ちだったのか、或いは聖人・預言者・神・使徒・眷属・天使・悪魔・侍・臨人・魔法使い・魔導師のいずれか、はたまたそのどれでもなかったのか。
 それは語られていない。人種も謎だ。
 
 ただ、その原初の五人がこのヴァルヘルム・ガングという土地を使い物になるように作り直し、外敵及び外部の未幻物質から人々を守るために壁を建て、あの天に燦々と輝く偽りの日輪さえ浮かべてみせたと言われていることだけは、確かな事実だ。
 
 そうして作られたのが、五つの都市区。

 一つ目は、南区画、狂酔歓楽都市アルマ。
 二つ目は、西区画、雪月ノ花、大麗。
 三つ目は、北区画、隔絶狂気神域、エルラティス。
 四つ目は、東区角、赫煙の第三魔境、ヴィーク・リアルツ。
 五つ目は、中央区画、強制安息地、ダー・カルィベーリ。

 ちなみに、今俺達がいるのは、南区画にあるアルマだ。
 そして、それぞれの都市は独自の発展を遂げた。
 
 アルマは、アウトローと英雄が跋扈する、イカれた自由と死の都市へと。
 大麗は、仁義と花鳥風月が竚む、侍と呪術師たち、その雅な王の住処へと。
 エルラティスは、唯一神が全てを決定する、アクサエル教団の神聖なる修道の地へと。
 ヴィーク・リアルツは、乱立する摩天楼を蒸気と魔障の霧が覆い尽くす、帝都へと。
 ダー・カルィベーリは、全市民がにこやかに平等に暮らす、不幸無きユートピアへと。

 それぞれの都市は、そのように他とは違う道を歩んでいった。
 ざっくり話せば、こんな感じだ。

 つまり、十字架のタトゥーやピアスなんてしてるあの後ろのかわい子ちゃんは、とてもそうには見えないがアクサエル教徒である可能性が高いから、エルラティス出身なんじゃねえかと、俺達アルマの人間は思うわけだ。
 アクサエル教のシンボルは、十字架だからな。

 でだ、その話は置いといて、ここからがアイが本当に知りたがってた話だろう。
 
 さて、なんでなのか、ここヴァルヘルム・ガングには本物か偽物かは知らないが、前世の記憶や自身の使命、啓示や託宣なんて胡散臭いものを脳裏に刻みつけられて生まれてくる、勘違い野郎が多い。
 それが今日、アイが見た、変な力を持つ人間がぽこぽこいた理由だ。
 そういう奴は、ここでは概ね、「型落ち」って言われてる。他の区画でどうなのかはよく知らないが、聖人だとか臨人だとか呼んでる所もあるらしい……と、どこかで聞いた気もする。つっても、本当かどうかはよくわからねえがな。
 
 そして、そういう、いわゆる普通じゃない奴は、魔法だとか奇跡だとか超能力だとか、そんな変な力を、大抵、なぜか持っているんだな。これまた厄介なことに(まあ、魔法に関してはアルフェンの専売特許らしいが。プライドの高い、奴ら曰く)。
 マリーの炎や俺の五感への干渉なんかもそのうちの一つで、この力は、ここらではカルマなんて大層な名で呼ばれている。
 
 たった今、背後から俺達を攻撃してる、褐色ちゃんのはいわゆる奇跡だろうが……、まあ性質こそ違えど、カルマとか魔法とかと同じものだと思ってもらっていいだろう。異能の力である、という点では同じだからな。
 
 そんなところか?

 まとめると、俺達型落ちは自分の経験したことのない――それはデジャヴのようでもあり、夢のようでもあり、天啓のようでも、前世のもののようでもある――記憶を持っていて、その思念を俺達に見せている誰かさんの力を借りて、この変な力を行使している。そんな感じだ。
 
 だからどうも他人の褌で戦っているかのようで気分が悪い。
 
 あくまで、俺個人の感想としてはな。

 なかには、明確に前世のことを記憶していて、むしろそっちを主人格としている奴もいるらしいが、そんな人生の何が楽しいんだと俺は思うね。

 と、愚痴りだすとキリがない。このへんでもう、やめとこうか。

 俺の話はこんなところだ。
 
 アイが今後どうするのかは知らないが、この街に滞在する気があるのなら、これくらいは知っておいたほうがいい。
 
 さあ、ねだられたから話したとはいえ、おっさんの話は退屈だったろう? 最後まで聞いてくれてありがとな、アイ。
 
 それで、どうだ、俺の話はきちんと理解できたかい? お嬢ちゃん?





「なるほどなるほど、よーく分かりましたよ! エドさん! 不肖このアイ、よくよく覚え込みましたとも! それで質問なのですが、一人の中に複数人のものと思われる記憶や啓示が入り込むことはあるのですか?」
 
 アイは早速その美しい金髪のアホ毛をみょんみょんと得意気に揺らしながら、そう尋ねてきた。

「プルームになら、あるんじゃねえか。たぶん」

 現に、俺は……。

「やっぱりですか。ありがとうございます。なるほど……。にしても、ふえーすっごいことになってるにゃー。さすがの私もおったまげましたよ。で・す・が、大体この世紀のことは把握しました。これなら希望が持てる。感謝します、エドさん。そして、感謝ついでに私の能力もお見せしましょう!」

 能力、ね。やはりアイも、俺たちと同じく、なにかしらズレて生まれてきたってわけか。まあ、そうでもなければ、壁外であるハイドからここまでやってくるなど、到底不可能。当然の帰結か。

「ほう、そいつは楽しみだな。ちなみに、俺達は型落ちって呼ばれてるのは話したと思うが、アイはなんて呼ばれてるんだ?」

「私? 私ですか? よくぞ聞いてくれました! 私達はそりゃあもう色んな呼ばれ方をしてきましたが……、なんてったて推定実年齢五百歳だもので……、と、あんまり覚えていないのでそれは置いておいてですね、そうですね、やっぱりこれが一番でしょう」

 どこまでが本当なのかはわからんが、彼女はそう言って自信ありげに不敵な笑みを浮かべた。これから、そのご自慢の名前、その名乗りでも行うのであろうか。
 やはり名前を忘れていたというのは嘘だったらしい。
 いや、あながちそうでもないのか……? 
 だが、呼び名があるということは、信じがたいがハイドには他にも人間がいるということになる。
 いや、あるいは……。

 と、まあ、どうでもいいさ。女の過去なんて詮索しても大概悲しくなるだけだしな。

「随分勿体つけるじゃねえの」

「そりゃあもう、大事なことですので! では言いますよ、言いますから、聞き逃さないようによーく鼓膜をぴーんと貼っていてくださいねー!」

 そう言うと、彼女は全速力で群衆の中を駆け抜けながら、まるで歌劇の演者の如く両手を目一杯に広げ、歌うように声を張った。

「透き通る湖のように瑞々しく美しい肌! 黄金のようにきらきらと輝くこの金色のツインテール! リスのように愛くるしいこのぺったんボディ! そして、この地に住まう他のどの生き物よりも優れた、この、かわいらしい、容姿! 圧倒的妹力を放つ、この、究極にキュートで胸キュンな、かわいさ! そんな全てを照らす太陽のように誰からも愛され全てを愛したこの私は、人々からこう呼ばれました! 『美少女』と!」

 その声は何故か不思議とその場にいる全ての者を惹きつけ――、

「美少女の前では全てが許される。全てが過去となる。法さえも美少女の前には無力! この世で最強至高の生き物、それこそは、美少女にほかならないのですよ!」

 そのふざけた内容とは裏腹に、そのまたとないレベルで優れた容姿は、それら全ての者の目線を釘付けにしていた。

「というわけで見ていてください。美少女の美少女による美少女の為の奮闘を」

 すると、アイの華奢な足元から、金属と金属が打ち合うかのような、かちんかちんという音が鳴り響く。それは、なにか凄まじいエネルギーの塊が、彼女の内部から爆発する前触れ。その超常の予兆。

 そして、それを待っていたかのようにアイは俺の手を取り、大地を蹴って――。

 宣誓。

「ルーラーⅠ、これは、私の為の、飛翔で、ある!」

 次の瞬間、俺達は宙を舞っていた。

 ただの跳躍。その誰もがする当たり前の動作を、人外レベルで行えばどうなるか。その答えを、俺は今その身で嫌というほど味あわされていた。
 
 
 俺達は今、空にいる。
 

 どういう原理なのかはわからんが、先の彼女の宣誓がなされたその刹那、彼女のその細い足先から轟音が生じ、あろうことか、爆発。
 そのエネルギーを遺憾なく利用した彼女は、大地を勢いよく踏みしめ、跳躍した。
 それによって、俺達は十階建てのブロードウェービルをやすやす飛び越え、その5倍近い高さの空中にまで飛び上がったのだ。

 ちなみに、先程まで俺たちを追いかけていた謎の褐色娘の姿は、とうに見えなくなっている。翔んだのは縦軸だけにでなく横軸にさえも、というわけだ。
 
 アルマの西側にある七番街から、南端の五番街方面へと、文字通りひとっ飛び。
 眼下に広がるのは、小さくなってしまったアルマのごちゃごちゃとした街並みだけ。
 例外といえば、視界の奥に見える、ヴァルヘルム一高いと言われる建造物、ダー・カルィベーリにあるセントパドヴァールくらいなもんだ。
 それを除けば、視界には俺の生まれ育った愛しい街並みが延々広がっている。神の視点、みたいなものがあるとすれば、こんな感じなのかもしれん。絶景だ。


「FUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!!! 最高の気分だぜ!!!」


 しかし、なんて叫んでいたのも束の間、俺は、さっきまで感じていた浮遊感がなくなっていくのを悟ってしまっていた。
 であれば、待っているのは残酷なまでのこの世の摂理だろう。それこそは、自由落下。飛び上がったものは皆、何もしなければ落ち行くのみだ。
 俺達だって、その法則に漏れることはない。地面に身体が吸い寄せられていくのを感じる。こうしている間にも、みるみる内に地表へと近づいていく。
 
 というわけで、さすがの俺も身の危険を感じ、同じく落下しているアイに問いかける。
 きっと彼女は、なんかしらの策があってこんな高さまで飛び上がったのだろうから。
 まさか褐色娘から逃げるためだけに飛び上がり、着地のことなど何も考えていなかった、なんて、そんなわけないもんな。
 
 俺は、彼女の金のアホ毛が風圧にぐいぐい煽られるのをみながら、そう思いたいと強く願っていた。

「おい、どうすんだ? この高さから落ちたらさすがにおしゃかじゃないか?」

「大丈夫ですよー! 私がさっきエドさんとアンナさんのおうちに落ちた時はもっと高かったですから!」

「マジかよ……」

「マジです♡」

 なんてキュートなスマイルなんだ。思わず口説いちまいたいくらいだぜ……!

「……。」

 なのにおかしいな。言葉が出ない……。
 
 そんな俺の不安をよそに、アイは能天気にその愛らしい顔を綻ばせている。

「いやーいい景色ですね~。ちゃけばイチかバチかだったんですが、あの褐色エロガキも撒けましたしー、私ってば超優秀じゃないですかー?? 翼付ける目論見外れてんのに結果的には成功してしまうこの、天才天然ドジっ子ぷり! あー、やっぱり美少女は最強だぜ!! うーん、テンアゲ! 優勝! あっはは、人がゴミのようだ! なんつってーー!」

 そんなアイと素晴らしい景色を前にしていると、全てがどうでも良くなってきた。

「まったくだな! 今ならアンナのでっかい巨乳もお前のちちより小さく見えるかもしれないな! ハハハハハハハハ!」

「たしかにーーーーー!!!! アハハハハ!!!」

「「わっはっは」」

 二人で肩を叩きながら笑いあう。落下しながら。

 が、

「あ? おいてめえそれどういう意味じゃワレ」

 急に地獄のような形相を浮かべ、こちらを睨むアイ。
 こいつは表情がころころ変わって一緒にいて飽きんな。
 というわけで、もっと表情を変えさせてやろう。

「ちなみに、聞くが……、俺はどうやって着地すればいいんだ?」

「あっ」

 おい、その虚を突かれたみたいな顔をやめろ。俺の顔色まで変わっちまうだろうが。

「えっ、えー、で、でも、なんかエドさんその型落ちとかいうなんかすごい人なんでしょ? 自力でなんとかできないので? というか出来てくださいお願いしましゅ! わ、私、それだと間接的とはいえ人殺しみたいになっちゃうんで! いやほんと、お願いしますね!」

 顔から汗をだらだら流しながらそんなことをまくし立てるアイ。そんな焦ったお顔だけでなく、げんなりとするアホ毛とあたふた動き回るツインテールも見ものだった。

 とはいえ、現実は残酷なんだ。

「無理だが?」

「え、そんな……。あ! じゃあれだ、きっとあれですよね、このエポックのヒューマンはメガメガ頑丈だぜとかそういうオチなんですよね。いいやだってウルトラにイレギュラーですもん今回。あーあー、なるほどがっでいっと。そうだよそうだ、きっとそうなんですよね。いやーあせった。あせったなーもーー!!」

「は?」

「えーと……、うーん、えー、いーやまじですか……。これ夢ってことになんねーかな……」

「悪いが、このまままだとあっという間に俺の意識は永遠の夢の中だ」

「…………。」

「短い人生だったが楽しかったぜ」

「あ、あ、わわ。よし! まあじゃあ、もう私が抱きかかえとくんで!!! 多分大丈夫でしょ! いや、大丈夫だ! きっと! いーやだいじょーぶっしょ! なんってたって美少女の抱擁ですよ、うん。あ、絶対ダイジョブだわこれ。間違いねーわ。つーかだいじょべ」

 彼女はそう言いながら、巧みな手つきで俺を抱き寄せた。

「役得だな」

 なので、そう言って俺は彼女に抱きしめられながら、もうやけくそ気味にアイのつつましい双峰の片割れに手を伸ばす。もしかしたらこれが最期の時かもしれないんだ。これくらい許して欲しい。
 
 いやそれにしても、それはそれで最高だな。女(ガキではあるが)の胸を触りながら死ねるなんて。むしろ男としては本望とすら言える。
 
  だが、そのてっぺんにしか凹凸がないような、胸の条件をまるで満たしているとはいえない未熟なひと房をつついた程度では、たとえこのような極限状況であったとしても満足できないのではないか――?
 
 いいや、否。そうさ、そんなことはないはずだ。この二度と味わえぬような未知の死を目前にして触れる女体が、神秘的でないことなどありえない。

 故に、俺は遂にその秘部に触れた。

 が、

 なんの感慨も湧かなかった。

 すると、

「きゃー! エドさんのえっちー!!!」

 そんな声が、遠くから聞こえた。上方から……。
 
 どうやら、彼女はちょっとばかしおイタを働いた俺を、制裁として振りほどき突き飛ばしたみたいだ。空中で。落下中に。真下へ。

「おい、てめえアイ! なんてことしやが…………」

 迫り来るレンガの地表。心臓への甚大な負荷。
 この時ばかりは、祈る神が欲しくもなったね。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 
今日もアルマには、叫び声が絶えない。





 そうして降り立った先は、アルマ五番街、ルティア。
 ファッション関係の店が多く軒を連ねる、アルマ一シャレたスポットである。
 行きかう人々も、他所とは違いざっくばらんというわけにはいかず、洗練された身なりの奴らが多い。プライドが高く、ヴィーク・リアルツ以外の場所で殆ど姿を見ることの出来ないアルフェンが、そこらを歩いているほどだ。
 
 にも関わらず、そんな中をベビードール紛いのワンピース一丁という出で立ちで居るアイ。さすがに忍びない。ちょうどいいタイミングだ、なにか服でも買ってやるか。

 ちなみに、彼女がなぜそんなイカれた格好をしているかというと、そもそも彼女が服を着ていなかったからだ。
 というのも、どういうわけかアイは俺の部屋に降ってきたとき全裸だった。それが、アンナに激昴される一つの原因でもあったわけだが、それはまた別の話であって……。
 ともかくそういうわけで、俺はそんな素っ裸の彼女にとりあえずそれでは色々とまずかろうと、服を貸し与えたのである。
 しかし、勿論俺の部屋にまともな女物の子供服なんてあるわけなく……、しかしてアイは夜伽用のぶかぶかなキャミソールドレスを着用することに相成ったと、そんなところだ。
 

 とまあそんなことは置いておいて、滅茶苦茶な方法ではあったが、とりあえずあの謎の褐色娘も振り切れたようだし、問題はないだろう。
 
 俺はそう思い、後ろを見ないようにしながらアイに声をかける。

「よし、じゃあさっきの詫びも兼ねて、好きな店に入っていいぞ。なんでも買ってやる」

「え、本当ですか!! むしろさっきのは私もやりすぎたかなと反省しているくらいなのですのに!! 本当にごめんなさいでした! でもでも、いただけるのならもらっちゃいますよ! そーですねー、では私、あそこのいかにも甘味を売っていそうな頭ハッピーな感じの屋台に……」

「ねえ、あなたたち、なんで普通に私を無視して進もうとしてるわけ?」

 しかし、そんな声と共に、がしっと後ろから肩を掴まれた。
 肩に爪が食い込んでいる。ひどく痛い。この声、この爪、そして俺を救った能力からして、絶対にアイツだ。だから俺は振り向きたくなかったのだが……。

「ねえ、どうしてかなーー? エドー? おかしいなー?」

 キリキリと痛む肩。凄まじい後方からのプレッシャー。
 ……ああ、応じる他ないだろう。
 そうして嫌々振り向いた先では

「アハハ、ミューズちゃんむしサレてるーーーー」

 という、ロージェス識別用チョーカーの上からコルセットピアスをしているピンク髪キチガイ兎幼女、ヤヨイの糸の切れた人形のような笑いと

「あなたもでしょ!」

 という、パッと見は清楚な、ロングのダークブラウンにネコミミがキュートな美人、ミューズのむっとししたふくれ面が待っていた。

 要するに、我が愛すべき厄介な同胞二人の。

 ちなみに二人は、ルナリアだ。それもハーフである。ミューズはアルフェンとの。ヤヨイはロージェスとの。
 そしてヤヨイは、ロージェス特有の、その小さな頭の大きく歪んだおめめをこちらへと向け、調子はずれの声を軋ませる。奇抜な舌ピアスをチラリと光らせながら。

「ハァ? なにイってるのォ、ミューズってば。ヤヨイのコト、おにーちゃんがむしなんかスルわけないじゃん? ね? ……だよね? おにーちゃん……?」

「……そ、そりゃそうさ、ヤヨイ」

 俺は当然無条件に肯定する。そうしなきゃ、何をされるかわかったものではないからな。

「わ・た・し・は ?」

 そう問いかけるしかめっ面のミューズには、勿論言い訳をしようと思う。
 そうすれば、大概言い含められてくれるからな。ミューズはちょろい。

「ハ、ハハ。い、いやー美人の顔ってのは貴重なものだろ? おう、ああそうさ。だからな、俺はお前の面ってのはしかるべき時にしかるべき場所で見ないともったいないと、そう思うわけだ。わかるだろ? 美術品だって美術館でなくリュークみてえなきったねえスラムで見たらどうよ? ゲンナリだろ? な? お前のその美貌だって同じさ。そんな安売りしちゃあいけねえよ」

「は?」

 と思ったんだが……、今日の彼女は相当お冠のご様子。そりゃそうか。
 だが、俺に出来るのは言い訳だけだ。それでどうにか許しを得なければならん。
 なにせ、俺は今日、結構体に負荷をかけている。そんなわけで、ある意味アンナよりも体力を消耗することとなるミューズの相手は当分したくない。

「だからまたこn」

「はァ?」

 普段は温厚で、思わず頬ずりしたくなるように綺麗な彼女の顔が、アンナが激昴したとき並みに凄まじい形相を呈していた。そして、きしゃー、と言わんばかりに爪や牙を立てている。これぞ正しく、けんもほろろという奴だ。

「すまん。助けてくれてありがとうございました」

 俺は諦めた。
 時にはこうして潔く勝ちを譲った方がいい場合もあるものだ。長引かせるとより不利な条件を突きつけられたりするからな……。あの時は最悪だった……。

「よろしい。じゃあ今週末のあんたの所有権は私のものってことで。よろしくー」

 望んだ答えを俺から引き出せたらしいミューズは、一瞬で上機嫌だ。それが証拠に、彼女の獣耳やしっぽがぴこぴこと揺れている。

 やっぱりこいつ、ちょろいな。これがアンナだったら、よくてもう三発位殴られている所だ。或いは、マリーだったら、小一時間はお小言が続くだろう。
 とはいえ、週末こいつにかかりっきりとか……

「勘弁してくれ……」

「何か言った?」

「ミューズは今日も綺麗だな」

 本心から心にもないことを言う。
 まあ実際彼女は美人なので嘘ではない。

「ありがと」

「ヤヨイはー?」

「今日もすこぶるキュートだ」

「ヤターーーー! えへ、エヘヘへへ、ッェ」

 無邪気に喜ぶヤヨイは確かに無垢でかわいいのだが……、喜びのせいか浮かべてる笑顔が狂気的過ぎて恐ろしい。顔に施された悪趣味なタトゥーが、それをより際立たせている。頭頂部でぴょんぴょん揺れているせっかくのチャーミーウサミミが台無しだ。
 
 というか、ヤヨイはマジで何をするかわからない狂人なので、本当に恐ろしい。取り敢えず褒めておくに限る。こいつも実際外見だけは百点だし、ウソは言っていないから許して欲しい。
 
 しかし、そんな俺の態度がミューズは気に入らないらしく、

「むう。なんであんたヤヨイには優しいワケ?」

 そう不満げに人差し指と人差し指をつんつんと突き合わせながら、俯きがちに俺を睨む。

「そんなの言わなくてもわかるだろ……。つーかお前、その歳で「むう」とか冗談きつ」

「文句あんならトばすぞ? クソ男♡」

「……」

 にっこり笑顔で威嚇するのは止めてくれないか……。

「ていうかさ、歳の話するならヤヨイは私と大体タメっだっての」

 いや、いくらロージェスは成人しても見た目が子供と変わらんからって、お前……。
 ヤヨイが二十だとしても確実に十歳以上離れてるだろ……・

「お前その大体で何歳サバ読む気……」

「あんたの残り寿命くらいかなっ!」

 唸る獣拳。
 俺は吹っ飛ばされた。

「がっ!」「ふげっ!」

 ついでにその隣にいたアイを巻き込みながら。
 彼女と一緒に、ごろごろと硬い地面の感触を確かめ合う。
 
 するとアイは、引きつった笑みを浮かべながら、こう言った。

「えー、なんというか、エドさんって素敵で美人なお知り合いがたくさんいるんですね……」

「その項目に暴力的ってのを追加しておいてく……」

 そして俺はそれを言い終わる間も無く、

「おっけーわかった。……こうかしら!」

「あがっ!」

 また、殴られた。

 そういえばミューズに年の話題はNGだったな……。






「つーかなんなのよ! なんであんたはまた、あたしというものがありながら別の女作ってるわけ? そんでさ、なんで私は、しかもその別の女と……、なによあれ? 空中デート? みたいな事して死にかけてるを助けてやらないといけないわけ? しかも、さっきはあのイカレアンナの仕事の手伝いまでさせるし……。もうなんのよまったく! ほんと見殺しにすればよかった! 死ね、このヤリチン!」

 なんやかんやあって結局オシャレ空間ルティアから脱し、アイに色々と紹介や案内を交えつつ、時には麻薬密売人をパクったりしながら歩いて、四番街アウトゥン・ゲイルの酒場に入った俺達。ちなみに、まだ昼ではあるが、酒場は繁盛していた。この街なら当然ではあるが。
 そして席に着いた突端、隣に座っていた顔見知りの客からグラスを奪い取って、それを一気にぐいっと煽ったっきり酔っ払ったままのミューズが言い放ったのが、先のセリフである。
 そんな中、垂れ流されるミューズからの愚痴を受け流しながらも、さっきまでひたすらに舌鼓を打ち続けていたアイは、満足気にお腹を撫でると、それに応対した。

「いやー、その節は本当に助かりました。この私アイ、心よりの感謝です」

「いや、だからなんであんたが謝んのよ。むしろ私こそさっきは腹いせにまとめて吹っ飛ばしちゃってごめんね?」

「いえ、いいんです。私頑丈なので。まじ鉄壁なんで。いーや誰が絶壁じゃい!!」

 急に一人でにキレ出すアイ。やっぱりこいつヤヨイと同系統だろ……。勘弁してくれ。

「え、なに? それはこの私の薄い胸に対して喧嘩売ってるの? いい度胸ね……!」

 そして貧乳であることがコンプレックスなミューズはもちろん反応する。
 いや、俺はそこも含めてお前が好きだけどね。

「め、めめめ、滅相もありません! み、見てくださいこの私の胸を! どう見ても無いですよね! 何とは言いませんがあるべき豊穣さが無いですよね? ね! ね? つまりそれに対しての自虐だったんです。他意はないのです。この私の胸のように!」

「ふっ」

「なにを笑うかーー!!」

「アハハ、アイちゃんおもしろーい!」

「おそらくこの場で最も断崖絶壁であるあなたまで……!」

「まあヤヨイはイカれてるからねー」
「えー、ヤヨイ、きょーはまだいっかいもイカされてないよーーー?」

 ほっぺたについたハートのタトゥーに食べかすをくっつけたヤヨイが、そう不満を漏らす。

「なんなんですか、この子……。とにかくヤバイ。私を完全に食っていく……。キャラ的に」

「安心しろ。わけのわからなさではどっこいだ」

 ヤヨイとまともに会話しようなんて思ってはいけない。
 と、思っていたら、見当違いの言葉がミューズの口から飛び出した。

「はっ、もしかしてエドってこういう頭弱そうな子が好みなのっ!? だから最近私のこと避けてるとか……」

「いやねえよ。というか俺は、今でもお前のこと好きだぜ」

 お前も十分頭弱いぜ、とは、口が裂けても言えない。アンナになら言ってたかもな。

「……っ。じゃあなんで今日も無視しようとしたのよー。うう、あんた、私を捨ててこの娘に乗り換えるきなんでしょ! わかってるのよ!」

 涙目気味に詰め寄ってくるミューズ。
 いかにも悪い男にちょろまかされそうな感ムンムンな彼女だが、今はその都合のいいダメ女っぷりが最高だ。この俺の汚い心がこれ以上なくときめくね。
 ああ……、たまらねえよ、ミューズ。好きだ。本当にお前はかわいいなあ……。
 思わず、いじめたくなる。

「ねえって。ただ単純にお前は、なんつーか」

 そうして俺が彼女に向けて愛の調べを奏でようとした、その時。

「ゼツリン、だからでしょー?」

 無垢な悪魔的幼年性が、こちらへと牙を剥いた。

「え、絶倫って女性に対して使う表現ではない気がするのですが……」

「でもデモー、こないだおにーちゃんイってたんだもン」

「どう言う意味よ? エド、返答しだいでは……」

 再び目元が妖しく光りだしたミューズに対し、俺は冷や汗が止まらない。

「そんなこと言ってねーって。な? ヤヨイ?」

「イってたとおもうけどなーーー。まあでもヤヨイもそのとき、アタマぽーっとシてたしー」

「構わないわ。ヤヨイ。思い出すのよ!」

 ヤヨイの両肩に掴みかかり、ガクガクとその小さな肩を揺らしながらそう叫ぶミューズ。
 あまりの彼女の必死さに、周囲の客がドン引きしていたが、二人の目にはそれが映っていないらしい。
 そしてヤヨイは、身体を揺さぶられながら、淡々と語り始めた。

「んー、このまえのヨルー、なんかいかシて、ヤヨイがまんぞくーとおもったあとー、エド、イったのね。「やっぱりヤヨイとの相性は最高だな。もしこれがミューズだったらこっからが本番ってとこだぜ。まったく、あの絶倫にはたまったもんじゃない。しかも粘着質ときた」って」

「……………………、、、」

 これは……、どうしようもないな。

「エドさん、絶望的なまでに最低ですね……」

 あの天真爛漫な笑みを浮かべていたアイさえ、全くもって光のない目を俺へと向けていた。
 だからミューズがどうなっているかなんて、言わずもがなだろう。

「弁明は?」
 ゆっくり、短く、彼女はそう尋ねた。

 なので俺は――

「ミューズ、……すまない!!! アイ、逃げるぞ!」

 そう叫びながらアイの手を取り、振り返ることなく一目散に店の出入口へ向け駆けた。

「は、え、ちょ?! どういうことですか!??」
「ふぇ、おにーちゃんどこイクのー?」
「逃がすかあああああああああああああああああああああああ!!!! 死なす!!!!!」

 背後から、怒声と共にバリバリゴギャンと、凄まじい音がした。きっと食器や机に椅子、床などが、お亡くなりになったのだろう。ご愁傷様。

「マスター、支払いはツケで!」

 店の暖簾をくぐる瞬間、そう叫んでおくと、

「てめえ、エド、今度やらかしやがったら出禁にすんこのぞロクデナシが!!!」
「おいおいまたアイツの女が暴れてんぞ!!!」
「まーたミューズが泣かされてんのか」
「ギャハハハハハハ!!」
「うっさい!」
「がはっ!!」
「アハハハハハハ!」

 という喧騒とともに、再び何かと何かが激しくぶつかったような破壊音がした。

「ひゃああああ、なんかごめんなさいいいいいいいいいいいいい!!!」

 アイはそんなけたたましい背後の惨状に向けて謝りながら、俺に手を引かれるがまま走る。
 俺達は店を脱し、メインストリートへと向かう。
 人混みにどうにか紛れて、あいつの目を眩ませなければ。
 
 一応、今日はアンナから任された仕事があるんだ。それをこなざず、激昴したミューズの相手をして一日をドブにしたら、アンナに殺されてしまう。それだけは避けたい。
 
 愛する女の為に、別の愛する女から逃げる。なんと幸せな男だろうか。俺は。
 なんて、女の為に走るという美酒に醉う間も無く、背後から嫌な気配がした。

「っら!!!」

 その雄々しいミューズの叫び声と共に、えげつない速度でこちらへと投げ飛ばされるヤヨイ。
 しかも彼女は、そのまま俺に激突すると、首元にがしっとしがみついてきた。

「いてっ!」

「アハハハハハハハハハハ!!! ッヘェ、エ、えへぇ……」

 ヤヨイは誰に味方するでもなく、俺におんぶされるような形でギューッとしがみつき、その小さな身体とウサミミをよじらせて、楽しそうに笑っている。

「うげっ! あのアマ、いくらちっこいからって人間を投擲武器にすんなよな……」

「ヤヨイがブキだーーーー! アハハハハ!! ッエッェ、キモチイ……」

 うるせえ! それとヨダレを垂らすな! 
 こいつにそう叫びたいのと、引き剥がしたいのは山々なんだが、何度も言うようにヤヨイの機嫌を損ねれば、どんなことがおこるか本当にわかったもんじゃないので、黙っておく。
 それと、こんな凶弾を射出してきたミューズは、まあ改めて言うようなことでもないが、ガチでブチギレているということだろう。

「oh、でぃあー……。そういえば、今朝アンナさんも同じことしてましたね……。あれ、もしかしてこのヴァルヘルムの女性の特殊技能かなにかなんですか……?」

 怯えるように両肩を抱くアイ。

「んなわけねえだろ! あんな人外共をここの基準にしないでくれ!」

「ですよねー……」

「だ・れ・が・人外よ! あの化物アンナなんかと一緒にすんな!! ヤリモク野郎!!」

 そう言って俺達を追いかけながらも、その辺の店の看板を投げつけてくる所が……、お、お茶目だな……。

「いやーお前の可愛さは人並み外れてるぜ? ミューズ? それこそ、あのアンナに引けをとらねえくらいに」

「……っ。いいからあんたは黙って私が一番って言いなさいよ! つーか逃げんな!」

 こうしてすぐ照れるお前が心の底から愛おしい。その愛情だけは本心だ。
 ただ、俺はそれと同じくらい、ヤヨイやエリーにジャンヌ、マリーにアンナを愛してるってだけなんだよ。ごめんな、ミューズ。

「なんだよいつも言ってるだろ。俺はお前らみんなを一番に愛してるって」

「うるさい! むかつく! 死ね!」

 罵声ととともに、今度はレンガが飛んできた。

「アッハハハ! ミューズちゃん、ぷんぷんだーーー! アハハ!」

 自分の直ぐ真横で風を切ってレンガの霰が飛んで行くのを見ながら笑うヤヨイ。
 それを同じく真横で見ながら、ぎょっとした顔をするアイ。

「え、なんでこの子自分が作り出した修羅場で笑ってられるんですか? 逸材過ぎません?!」

「まあ、なんだかんだ言って、ここまで俺についてきているお前もお前だけどな」

「そんなイカれたあなた以外この地で他に頼れる人がいない私の天涯孤独み溢れた不憫さに涙してもいいんですよ!?! ていうか、そんな悲しい私の身にもなってくださいません!?!」

 全力疾走をしながらにして、コロコロと器用に表情を変えるアイの姿は、なんだかとてもおもしろおかしく、それでいて、胸にうったえかけるいじらしさを持っていた。
 けれど、そんなものは怒りに燃えるミューズにとって、ただの追加燃料にしかならない。

「だったらァ、こんなクソエドに媚売ってないでよそに行けっての、この泥棒猫ォ!!!」
 彼女は、その辺の井戸にでも置いてあったのか、水の入った桶を思い切りアイにむけて投げつけた。
 それをわんわん喚きながら交わすアイ。……不憫だな。

「ぎゃーーーーーーーーーーー!!! 矛先が私にまで!?! ごめんなさいごめんさい! 私に寝取り趣味はないので許してくださいいいいい!!!」

「じゃあ、色目使うのやめろや、パツキンビッチ!!!」

 そう恨みがましくがなりたてるミューズに対し、心外だとばかりに困惑するアイだったが、

「ええ……、つーかこんなどう見てもダメ男なエドさんに色目なんか使った覚えは……あ、あったわ、ご飯欲しさにやってたわ……。私ったら、えへっ」 

 急に閃いたようなあほっぽい顔を晒すと、余計なことを口走りやがった。

「えへっ、じゃないわよ! 若さ自慢か! 私は賞味切れかァ!」

 憤怒の形相で俺達の後方を走り続けるミューズ。心なしか、今の言葉のせいでその速度が上がったような気がする。
 すると、なぜかアイは少し含むように笑って、こんなことをのたまいだした。

「いや、私、歳で言ったらたぶんあなたの何倍もあるんですけど……。あ、でも、私のかわいさは天元突破なので、エドさんがもう私のピチピチお肌とかに惚れていたとしてもエドさんを嫌いにならないでくださいね。悪いのは、この私の圧倒的かわいさなので! うーん。いやー、やっぱ罪だなー、ほんと私って最高級にかわいいからなー」

「ガキが……!」

 当然の如く、メラメラとした双眸に殺意をこめてアイをより強く射殺すミューズ。
 しかし当の本人は、ヘラヘラとした態度でこちらを見つめてウィンクなんか決めた挙句、あろうことか、俺の片腕に抱きついてきやがった。

「こわいなー。エドさーん、たすけてー?」

 こいつ、この状況を楽しんでやがる……!

「お前……」

「は、あは、あはは……、」

 隙間風のように不規則な笑い声を上げるミューズ。

「ェ、エヘ、エヘ、え、ヘへェ、ンッ……!」

 なんか知らんがさっきから俺の背中で盛っているヤヨイ。
 そして、

「えー、でもー、さっきエドさん、私に惚れたとか娘がどうのとかー、言ってましたよねー? あれはー、うそだったんですかーぁ?」

 意図的にこの場を乱す更なる爆弾を投下するアイ。

「エドぉ……?」

 くそ、しかも標的が再び俺に戻った……!

「誤解を招くような言い方をするな!」

「でもでもー、私に好きって言われた時もー、満更じゃなさそうでしたよねー?」

 そう言って、彼女がその可憐な相貌に浮かべた笑みは、その幼年性にはとても似合わぬ蠱惑。だがその乖離は、なににもまさる美しさであった。
 けれど、そんな幽幻に浸る忘我は、一瞬。

「死なす!!」

 そのミューズの猛りは、俺の生存本能へと強くシグナルを飛ばし、もはやカルマを発動せざるを得ないレベルにまで達していた。

「くそっ、VP、アフェクト――幻喪感染メタフィジク・レッジェ

 言の葉により紡がれる幻線。その一対の直線は、本来人間にはひとつしかないはずの視線を誑かし、彼女に誤った景色を授ける。まあつまり、簡単に言えば、この力は相手に幻覚のようなものを見せる力。これで、ミューズは俺のことを見失うだろう。
 
 だが、彼女にこれを使ったのは、もう何回目なのかわからないほどだ。彼女だって何度も騙されてはくれんだろう。

「あんた、まさか私の二つ名知ってて、本気で逃げられると思ってるわけ?! 今日という今日は逃がさないわよ!」

 そレを彼女も承知なのか、今日はいつもより威勢がいい。
 ただ純粋に、滅茶苦茶キレてるだけかもしれんが。というか、絶対そうだな。
 けれど、悪いなミューズ。お前の相手はまた今度だ。今日は先約もあるしトラブルも山積みなんだ。許してくれ。
 俺は基本的に女性を追う立場だから、お前のように俺を追って来てくれる奴は珍しい。だから、また今度追いかけっこをしようぜ。鬼はお前で。

「んじゃ、またな――神秘と憂鬱と虚なる実像ラガッツァヴェテーレ・エリオルモルテ

 俺は、幻覚に実体を伴わせるための詩を編んだ。
 
 対するミューズは、四つん這いになって最大限前傾し、獣のようなスタイルで、一気に溜め込んだ力を解放。音の獣となって一直線に飛び荒ぶ。

「音喰ミューズの名が伊達じゃないって教えてやるわ! ――喰らわせろ! 逸速ラ・ピーナ!」

 だが、幻覚の俺を瞳に捉えたミューズは、一瞬であらぬ方向へと消えていった。
 今頃、俺の変わり身である虚像が、彼女によって見るも無残な姿にされていることだろう。こわいこわい。
 そんなこんなで彼方へと消えていった彼女を見て足を止めると、背中からは歓声が。

「アッハハ、ミューズちゃんほーこーおんちー!」

「またさっきみたいな幻覚・ジュツ、ですか!? セコイですね!」

 こちらも同様、一難去って足を止め、ほっとため息を付くなり俺の罵倒を始めるアイ。

「そうだよー、エドはオンナたぶらかすのとくいなんらよー。だからすきー」

 彼女はそう言って俺の首筋にキスをした。ぷにょっとした肌触りに軽くゾクッとする。

「え、そのいかがわしい術で、この幼女に性的虐待を加えてるってことですかエドさん?」

 ドン引きです、と言わんばかりの顔でそんなことを尋ねるアイ。

「さてね」

 意地悪くとぼけてみる。さっきあんな仕打ちをされたんだ、すこしくらい反撃をしたいと思ってしまうのが、男だよな。まったく、どうしてなかなか、ろくでもないぜ。

「な……! ひ、否定してくださいよ……! それだとこの最強のロリババア概念であるところの私まであなたの毒牙にかかってしまう計算になるじゃあないですかっ! えェ、この幼児体型が、ぺったんこがええのんか? え、どうなんですかこのペドさんよぉ!?」

 平たい胸をぺちぺちいわせながら、そう啖呵を切るアイ。ほんとうにこいつは元気だな。

「顔は好みだとだけ言っておこうか」

「でもデモ、エドは、ヤヨイにゾッコンでしょ?」

 どことなく不穏にそう笑いかけてくるヤヨイ。目の奥の暗闇が末恐ろしい。

「そうだな」

 肯定。
 ヤヨイのことは心底好きなんだ。嘘ではない。

「後で、メアリーさんに告げ口しておきますねー」

 アイが悪魔のような文言を宣告。
 嘘は言っていないが、だからこそそれは困るのだ。そんなことをされたら、マリーから説教だの治療行為だのと凄まじく退屈で面倒な仕打ちを、長時間にわたって受けるのが目に見えているのだから。

「それだけは止めてくれ……。まだアンナに一発殴られる方がマシなレベルだ」

「冗談ですよー。でもでも私、段々エドさんへの対処法が掴めて来たみたいです!」

 その見た目で男を玩具にして遊ぶのが好きとは大したもんだ。いいや、そそるね。
 そして、だからというわけではないが、俺は彼女の手をとってこちらへと引き寄せた。

「そうかい? じゃあこういうのはどうだ?」

 そう言ってそのままアイに抱きつき、耳元にキスをずるかのような素振りを取る。

「え、ちょ」

 慌てるアイにむけ、小声で耳打つ。

(落ち着いて黙って聞け)

 ビクビクしている彼女に向け、現状を伝える。

(なんだか知らねえが、俺達は今誰かに遠隔から監視されている。さっきミューズに、今はヤヨイに使ってる俺のカルマに、たまたまそんな気配が引っかかった)

 彼女が息をのむのが肌越しに伝わってくる。
 ちなみに、ヤヨイが俺とアイが抱き合っているのを見てどんな反応をするのかが未知数過ぎたので、彼女には今幻覚を見てもらっている。

(このねっとりした気持ちわりい感じは男のもんだ。俺は女ならともかく、男からそんな回りくどく何かされる覚えはない。なんたって、痴情のもつれで野郎とトラブる時は、もっと直接的殺意を向けられるからな。つまり、これはおそらく、異邦人であるお前に対する視線)

 おそらくだが、さっき褐色美少女に襲われたのも、この視線が関係している。

(だから、しばらくはさっきの能力使うのは控えた方がいいぞ。これがどういう意図のものであるにせよ、手の内を晒すのはよろしくない)

 そう忠告すると、彼女は感心したようにこう答えた。

(驚きました。エドさんって真面目な顔もできるんですね)

(そらあ、面の皮が厚いからな。いくらでも応用は利く)

(そんなことを自慢気に言われてもってなもんですが……正直、めちゃかっこよかったです)

(嬉しいこと言ってくれるねえ、惚れんなよ?)

(どうでしょうね。でもともかく、少なくともみなさんが騙される理由はわかりました)

 少し呆れたように、諦めたように、彼女はそう言った。

(騙してるつもりはないんだがねえ)

(まあギャップ萌えなんて、言ってしまえば詐欺も同然の手法ですからね)

(よくわからんが……、ちょっとヤヨイを頼む)

 俺はそう言い残し、肩に乗っていたヤヨイへの幻覚を解いてアイへと押し付けると、細道に向けて走った。

「は!?!」

 当然彼女は虚を突かれ、きょとんとした顔を披露してくれた。
 そんな表情を堪能しつつ、俺は彼女を覗いている不届きものをとっちめるため奔走する。

「そこでまってろ」

 そう言い残し、俺は路地裏へと向かった。
 そこにこの視線の主の本体がいるわけではないだろうが、少なくともその原因の気配は、そちらから漂っていたから。


 真昼間だってのに薄暗く陰気臭い、その左右を住居に阻まれた狭道は、こんなとこに干しても乾かねーだろっつー洗濯物や、鼻が曲がるほどくっせえ吐瀉物だったり、なんともまあ下品で芸術的な落書きなんかに溢れてるわけなんだが……、そんなかに一つ、やや異質なものを見かけた。
 
 それは、虚ろな目をした男三人。
 いや別に、目が虚ろってだけなら、とりたててこんな場所ではおかしなもんでもねえんだが、奴らはそんなもんとは比べ物になんねえくらい、イっちまっていた。
 
 なにせ、聞こえてくるんだ。

「我ラ願ウ神ノ園ノ永遠」
「我ラ謳ウ神ノ園ノ栄光」
「我ラ祈ル神ノ園ノ洗礼」

 彼等の不協和な無感情の言語が。
 それは、その様は、不気味というほかない。

「「「エェェェェェェェェェェイルゥ……!!!」」」
「「「リブスフォーエイル、リブスフォーエイル、リブスフォーエイル……」」」
「「「エェェェェェェェェェェイルゥ……!!!」」」

 謎の呪禁めいた言葉。その三唱。地の底から響くような、とても生者とは思えぬ声。
 彼等はどこかの誰かに向け、祈っっているかのように見えなくもない。
 
 けれど、それは不自然だった。

 なぜなら、こんなことをするのはエルラティス教徒だと相場が決まっているんだが、彼等の身なりからして、とてもそうには思わないからだ。彼等はどう見ても、無宗教で刹那的快楽主義者である、一般的アルマ住人そのものだ。
 唯一普通じゃねえのが、その目線。完全にトんじまってる。
 つーわけでまあ、客観的に言わせてもらうなら、彼等はどう見ても自我を失い、何者かによって祈らされているってなところだろうな。
 
 誰が何の為にそんなことすんのかは謎だが。

「わけわかんねえな……」

 俺は思わずそう呟いた。
 だが、一つだけ確かなことがある。
 俺は、というかアイは、なぜかこいつらからのなんらかの干渉によって監視されている、ということだ。そんな感触が、展開している俺のカルマに引っかかってる。

「つーわけで、ちょっとオネンネしてもらうぜ!」

 使うのはカルマ。第一の夜。
これは、確固たる自身の信念や思想、世界、自我を持たぬ者を俺の世界によって魅了し昏倒させる異能力。
 よって、目の前で朦朧とぶつぶつ呻いているこいつらには効果覿面なはず。
 唱える。

「まどろめ――第一の夜オルフェウス・ド・ソワレ

 その言葉を媒介として、うっすらとこの世界を侵食していた俺の世界は、彼等へと強く干渉。その意識下にまで浸透した。他者によって覆われた自意識は、やがて一時的にではあるが食いつぶされ、連続性を保つことが出来なくなる。それは、意識が途絶えるというのと同義だ。
 
 てなわけで、予想通り、その言葉に合わせ、彼等はばたばたとその場に倒れていった。
 ついでに、それと時を同じくして、あの監視されているかのような感覚も消える。

「やはりか……」

 そして、そう思いながら彼等の懐を探っていると――

「危ないぜ!」

 という言葉とともに、不意に突き飛ばされた。
 そして響く、ギイイン! という不協和音。
 突き飛ばされた勢いで路地を転がりながら、なんとかその音の出処へと目を向けると、

「大丈夫かい、キミ?」

 と、なにやら見慣れぬ弦楽器を盾にした茶髪の女が、クールにウィンクをしていた。
 手にした弦楽器で、突きつけられた月白の槍と鍔迫り合いをさせながら。
 しかも、その槍を手にしているのは、俺のカルマによって意識を刈り取られたばかりのはずの男だった。
 
 どういう状況だ……?

 恐らく俺を狙って見舞われた槍の一撃を彼女が庇ってくれたってところだろうが……、色々と解せねえ。
 第一に、なぜさっきまで気絶していたはずの男が、俺に気取られることなく急に立ち上がり、俺へと危害を加えようとすることが出来たのか。第二に、どうやって、一体どこから男は槍を取り出したのか。奴はどう見ても手ぶらだったんだが。第三に、女はどこから現れたのか。全く気配を感じとれなかったぞ……?

 まあ、なんて悩んでても仕方ない。
 まず言うべきはこれだろう。

「助かったぜ、姉ちゃん。ありがとな。思わず惚れちまったよ」

「そうかい。なら、ちょっと加勢してくれないかな?」

「オーケー。お安い御用だ」

 少し苦しげな声音で、それなのに不思議と爽やかにそう手助けを求めた彼女に対し好感を持った俺は、ついついあまり普段は使わないようなカルマを開く言葉を口にしてしまっていた。

「SP、アフェクト――実実交換プッペンシュピール・マリオネッタ

 その言葉と共に放たれたカルマが、槍の使い手、その右腕と右足に機能。彼は槍から右手を離し、地べたを掴んだ。更には片膝の体制を取る。
 これが実実交換の異能。対象の持つ役割と役割を入れ替える逆転。今回は男の右腕と右足の役割を置換させてもらった。

「よい、しょっ! っと」

 ならば当然、茶髪の姉ちゃんはその隙を逃さず、男のがら空きになった腹に蹴りを入れる。
 それをもろに受けた男は、意外にもあっけなく倒れ伏す。

「なんだい? こんなにしょぼいタマじゃあないはずなんだけど……」

 そうぼやく茶髪の姉ちゃん。
 しかし、彼女の背中には、先程と同じようにして、何の気配も物音も立てることなく起き上がった、別の男の手に握られた月白の槍が――

 間に合え!

「爛れ舞え――屍脚の肉体マインシャッツメーヒェン

 言の葉によりカルマが呼び起こされ、艶かしい四本の脚で組まれた弓が我が手中へと収まる。そして、放つ。腕の矢を。
 その生足による弓が射出するのは、勿論、生きた女性の滑らかな手。
 ぐちゃぐちゃと音を立てて放たれた、女の手首を象ったのではなく、真にそのものである悪趣味な人肉の弾丸。
 その冒涜は、しかと男の首を穿ち、その身体を壁へと貼り付けにした。
 たった今放った手首状の嚆矢は、俺の手を離れた後も自立して動く。よってその手首は、釘のように機能し今も男を壁へと貼り付けにしているというわけだ。

 この能力はあまり使いたくなかったんだが、選択肢はそれしかなかった。致し方ない。

「怪我はないか?」

「ああ、助かったよ。ブラザー。お相手は、なんともまあ狡い力を持ってたみたいだね」

 突然の凶手から救われた彼女はそう言って頭を下げた。無論、さっきのようなことが無いよう、残りの二人への警戒は怠らずに。

「それを言ったら、俺のカルマも大概だがな」

「僕を救った能力なんだ、そんな言い方をするもんじゃないさ。僕は狡い力に助けられるようなナヨい女じゃないつもりだぜ? そうだろう?」

「おいおい、なんだよ姉ちゃん、シビれたぜ。マジで惚れちまいそうだ」

 割と本気で。
 しかし、彼女はそんな俺の戯言を涼しい顔でやり過ごし、意外なことを尋ねてきた。

「そんなことよりキミ、アンナんとこのエドだよな?」

「へえ、俺を知ってくれてるのかよ」

「この街でキミを知らない方が珍しいのさ」

 彼女なりの皮肉なのだろうか。けれど、あまりにも颯爽としているので、嫌味がない。

「それは褒め言葉っつことでいいのかい?」

「どうかな」

 彼女は意味深に微笑んだ。
 そして、すっと表情を引き締めると、自然な所作で俺の肩にぽんと手を置いて、語りだした。

「キミ達がシメようとしてるクスリだけど、さっきのでわかったように、エルラティスが関わってる。今襲ってきたのは恐らく十二使徒の内の一人。四ツ指、狂信のピエールによるものだろうね。気をつけたほうがいいぜ。たぶん奴は、キミと一緒にいるかわいこちゃんを狙っているだろうから」

 その内容はアンナから頼まれた仕事に大いに貢献してくれそうな情報だったが、俺には今、もっと知りたいことがあった。

「なるほどね。それより君の今夜の予定を聞いても?」

 彼女はそんな唐突の誘いにも、透き通るような中性的笑みを崩すことはなく、

「ふふっ。キミは本当に噂通りの男だね。まあ、キミみたいなロックな奴は嫌いじゃないけど。でも、悪いね。僕の恋人は別にいるのさ。今夜は先約があるんだ。また今度誘っておくれよ」

 恋人がいるという言葉通り、男慣れしているのか、体良くあしらわれてしまった。しかし、彼女のその恋人というのは、なんとなく人間ではなく概念的な何かであろうことが、その気取った口ぶりから察せられた。
 そこに可能性を見出した俺は、負けじともう一踏ん張り。

「じゃあ、最後に。名前を教えてくれないか?」

 すると彼女はまた涼しげに笑って、

「おっと、これは無作法だった。僕の名はマーリン。ロックを何よりも愛する、ろくでなし女さ。んじゃあ、エド、また会おうぜ」

 そう言い終えると投げキッスまで寄越した。
 そして、これは俺が女でも惚れてただろうな、などと下らないことを考えながらその弦楽器を背負った背中を見送っていると、最後に彼女は振り返って、再びその口を開いた。

「そうだ、さっきも言ったように今夜はライブをやるんだ。よかったら聴いて行ってくれ。キミならきっと、僕のロックを感じてくれるはずだからね」

 そう言い終えたかと思うと、彼女はなにかの紙切れをこちらへと放り捨て、右手の小指と人差し指を同時に立てた謎のポーズを決めて、去っていった。

 風に乗ってひらひらとこちらへと舞い寄る、彼女がのこした一枚の紙ぺら。
 なにやらよくわからぬままに、俺はそれを拾い見た。
 するとそこには、今夜 Heldin Kreuz という名のバンドなるものが、演奏会を開くといったような旨の内容と、彼女含む四人のメンバーの肖像が記されていた。
 よくわからないが、彼女がどんな演奏をするのかには興味がある。後で行ってみるのもいいかもしれない。
 
 そう思い、仕事を早めに終えるべく、さっき眠らせた三人の男への対処に労を費やす。彼等を縛り上げたり、その懐を漁ったり、尋問したり。

 そして、予想通りというかなんというか、彼等は、例の白い粉を保有していたのだった。


 


 で、それから少し時は流れ、謎の女、マーリンが去っていったあと、諸々の後始末をした俺は、アイたちの待つ表通りへと戻った。
 
 ……んだが。

 なんじゃこりゃ。

 俺は思わず心の中でそう呟いた。

 なぜなら、目の前では、例のあの性的褐色娘が、アイ、ヤヨイ、ミューズに対し襲いかかっている所だったからだ。
 
 どういう経緯かは知らんが、アイとヤヨイにミューズ、そしてあの褐色娘が遭遇し、再び戦闘態勢に入ってしまったらしい。
 
 なんて、俺が戸惑っている間にも、褐色少女は攻撃の手を止めることななく。
 
 過激且つエキゾチックな装束で肌を存分にさらけ出している彼女は、その小さな背徳の肢体から、凄まじい神秘を発露させた。
 浅黒い肌に刻まれた、より深く濃艶な十字架のタトゥーが妖しく光り、紡がれる奇跡。

「我、アルゴノーツ第八の聖人。――ダルマ・アルタ・カーマ・モークシャ……」
 
 その言葉に呼応するかのように、彼女の小さな肩からそれとは比べ物にならぬ程重厚な、腕のような物体が生え出ずる。それは、背後が透けて見えるような、薄碧の霊的触手。また、同様のものが彼女の細い腕を覆うようにして更に二本。
 うら若き乙女には、ひどく不釣合いな計4本の豪腕。それらは、彼女等の神、或いは天使の借体なのか。神々しくも禍々しきその二対の超常は、彼女を軸にしてX字状に展開。莫大なエネルギーを集約させていく。
 
 そして、

【抉レ――第五の空・虚氾アーカシャ・ネヒ・シッダルタ

 その言葉と共に、溜め込まれた尋常ならざる力、その極限は、殲滅の光線となって彼女より放たれた。
絶望を象った様に真っ黒な光の束。触れれば、かすりでもすれば、人間などはかき消えるであろうことが明らかだと、誰もが理解できてしまう程に圧倒的な異様。
 
 その深淵が如き幹の一閃が、アイ達を襲う。
 
 けれど。ミューズはヤヨイを抱きかかえ飛びすさぶが、アイにその光波を避けるすべはなく。
 
 直撃。
 
 かよわい身体に打ち込まれていく、絶の光。
 
 照射は続き、轟音が響いた。
 
 俺はその隙を逃さず、囁く。

「NS、アフェクト――生戒像蝕ヴィヴァンコール
 
 それは、我が手足となって動く、無機物のように硬質で有機物のように不定形な、名状し難き蔓延る肉塊――ビーオモルフ。そんな、岩石のような肉の塊を呼ぶカルマ。
 俺は、その異形の蠢きを、大技を放ち無防備となっている褐色少女に向けた。

「囲め――Slowly Toward The North」

 言の葉がキーとなり、不定形の粘土細工、或いは生きし死肉は動き出す。少女へと一瞬で群がり、彼女の周囲を覆い、列を成して形を伴う。
 生まれるは肉の壁。彼女の動きを阻む、無機質な生物兵器。それらが果たしたのは、少女と外界との遮断。
 俺の操る鉛色の物体によって、少女の姿は見えなくなった。
 
 これで、一時的にではあるが、彼女の動きを止められるだろう。
 なので俺は、破滅の光を浴びて行動不能となったアイへと走り寄った。
 
 そして彼女を抱きかかえてから、残りの二人に告げる。

「一旦引く。ミューズ、ヤヨイ、足止めは頼んだぞ」

「――今は目をつぶってあげるけど……あんた、あとで覚えときなさいよ!」

 一瞬俺を見て殺気立ったミューズだったが、さすがにこの状況で俺に襲いかかるほど分別のない彼女ではない。なんだかんだ言って俺を助けてくれるようだ。そういうところ、好きだぜ。
 ヤヨイはといえば、

「ゴホウビ、くれる?」
 
 首をちょっとぽっくりイキそうなくらい傾けて、そう尋ねてくる。
 挑発的なタトゥー。じゃらじゃらと揺れるチェーン。ぴこっと動くウサミミ。じゅるりと垂れるヨダレと、チラリ覗く舌ピアス。それに加えて、ギラっと光る爛々とした両の眼は、まるで雌を襲う雄の獰猛だった。

「もちろんだ」

 何を要求されるかだけが恐ろしいが、この場はご褒美とやらで買収する他ない。俺は強く頷いた。
 すると、キラリどこか焦点のおかしな目、輝かせ、彼女はだらしなくお口のチャックをほどき、発す。

「やたーー! じゃあー、たのまれた! リーシャちゃんをヤヨイのクニにごしょうたーい!」

 彼女のカルマが、褐色娘に向けて、そのページを開く。
 その歪な精神世界は、お相手のいい足止めになってくれるだろう。

 そして、ミューズの速さで捉えられぬものなど存在しない。強いて言えば、俺くらいだ。

 だからこの二人が対処してくれるのなら、なにも問題は無い。

 そう確信した俺は、ぐったりとしたアイを抱え、六番街へと走った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

邪神様に恋をして

そらまめ
ファンタジー
 十六歳の佐藤悠太は交差点ですれ違った女子に一目惚れをして、とっさに手を掴んで声を掛けてしまう。 いきなり付き合ってくださいと突拍子のない告白から始まる異世界転移生活。  彼が交際を申し込んだのは邪神扱いされた女神。その女神様の願いを叶える為に異世界転移を彼は決意した。  思春期の少年が紡ぐ絆、ちょっとエッチで少し冒険的な騒々しい毎日がスタートする。

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

【異世界ショップ】無双 ~廃絶直前の貴族からの成り上がり~

クロン
ファンタジー
転生したら貴族の長男だった。 ラッキーと思いきや、未開地の領地で貧乏生活。 下手すれば飢死するレベル……毎日食べることすら危ういほどだ。 幸いにも転生特典で地球の物を手に入れる力を得ているので、何とかするしかない! 「大変です! 魔物が大暴れしています! 兵士では歯が立ちません!」 「兵士の武器の質を向上させる!」 「まだ勝てません!」 「ならば兵士に薬物投与するしか」 「いけません! 他の案を!」 くっ、貴族には制約が多すぎる! 貴族の制約に縛られ悪戦苦闘しつつ、領地を開発していくのだ! 「薬物投与は貴族関係なく、人道的にどうかと思います」 「勝てば正義。死ななきゃ安い」 これは地球の物を駆使して、領内を発展させる物語である。

ヒューマンテイム ~人間を奴隷化するスキルを使って、俺は王妃の体を手に入れる~

三浦裕
ファンタジー
【ヒューマンテイム】 人間を洗脳し、意のままに操るスキル。 非常に希少なスキルで、使い手は史上3人程度しか存在しない。 「ヒューマンテイムの力を使えば、俺はどんな人間だって意のままに操れる。あの美しい王妃に、ベッドで腰を振らせる事だって」 禁断のスキル【ヒューマンテイム】の力に目覚めた少年リュートは、その力を立身出世のために悪用する。 商人を操って富を得たり、 領主を操って権力を手にしたり、 貴族の女を操って、次々子を産ませたり。 リュートの最終目標は『王妃の胎に子種を仕込み、自らの子孫を王にする事』 王家に近づくためには、出世を重ねて国の英雄にまで上り詰める必要がある。 邪悪なスキルで王家乗っ取りを目指すリュートの、ダーク成り上がり譚!

処理中です...