【完結】執着系御曹司との甘く切ない政略結婚 ー愛した人は姉の婚約者でしたー

不穏な足音

２８

　戸惑うだけの碧斗さんに、翔君が続けた。

「なあ、兄貴。俺、今度フランスへの転勤が決まっただろ。俺と一緒になれば、音羽はもう一度フランスでの生活をやり直せる。それに俺は、兄貴のように音羽を悲しませたりもしない」

「か、翔君！」

　すべて心にもない話だと私はわかっているが、冗談にしても口にしていい内容ではない。

「うちだって、俺と兄貴のどちらが結婚したってよかったんじゃないか？」

　こんな碧斗さんを試すような物言いは、本当にやめてほしい。

「音羽は……」

　怒りの感情は鳴りを潜めた碧斗さんが、低く掠れた声を発する。
　彼は今どんな顔をしているのか気になって、顔を上げた。

「翔と一緒に、フランスへ行きたいのか？」

　眉間にしわを寄せながら、なにかを耐えるような顔をした碧斗さんに、胸が絞めつけられる。
　彼はもしかして、私がそれを本当に望んでいると信じているのだろうか。

　そうだとしても姉と一緒になりたいのなら好都合なはずで、どうしてこんなに苦しんでいるのかがわからない。

　困惑して、チラリと翔君を見る。
　私と目が合った彼は、こんな状況にもかかわらず楽しくて仕方がないという笑みを浮かべた。

「そんなこと、いっさい望んでいません」

　再び視線を碧斗さんに戻し、目を合わせながらきっぱりと否定する。

「翔君は、ちょっと冗談が過ぎるよ」

　やりすぎだという気持ちを込めて、ジロリと翔君を見る。

　碧斗さんが姉と会っていたことを、翔君は私の代わりに怒ってくれている。それは友人としてとてもありがたいと思う。
　けれど、今の彼の言動は明らかに混乱を招いているだけで、なにをしたいのかさっぱりわからない。

「あのさあ、兄貴。それから音羽も。ふたりは決定的に言葉が足りないんだよ。それぞれに相手を気遣ってはいるけど、想いを言葉にしなけりゃ伝わらない。それができていないから、見ているこっちがイライラするくらい拗らせて」

「なんの話だ？」

「俺と音羽は友人だ。それ以上でも、それ以下でもない。それだけは断言しておくよ。な、音羽」

「そうです。本当に翔君と私は、友人関係でしかないから」

　切羽詰まって大きな声になる。

「事実とはいえ、そこまでむきに否定されるのもおもしろくない」

「翔君！　本当にやめてよ」

　彼はこの状況を、確実におもしろがっている。

「ごめん、ごめん。とにかく、兄貴も音羽も隠し事せずに本音で話し合え。でないと、ふたり共後悔するぞ」

　打って変わって真剣な顔になった翔君に、怒りが瞬時に引いていく。

「う、うん」

「じゃあ、俺は帰るよ」

　立ち上がった翔君に、私も慌てて腰を浮かせる。けれど、見送ろうと思った私の肩を碧斗さんが引き寄せて、代わりに彼が前に出た。

「見送りなんていいから、ふたりでしっかり話し合ってよ」

　翔君はひらひらと手を振りながら玄関に向かい、本当に出て行ってしまった。