極上の女

伏織

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終章

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終章



私の働く古本屋の近所には、大きな公園がある。高台にあるそこにはちょっとした展望台があり、街を一望できる。夜は夜景が綺麗で、よくカップルが訪れる有名なスポットだが、昼間はほとんど人が来ない。私は夜の街の景色より、昼間のほうが好きだった。


「ほれ、ダブルバーガー」


展望台の手すりに寄りかかって街の景色を眺める私の傍らに、堀さんがやってきて紙袋を差し出した。


「私が頼んだものとちがうんですが」

「男は黙って食えばいいんだよ」

「男じゃありません。セットのドリンクはちゃんとアイスティーにしましたか」

「男は黙ってコーラ飲めばいいんだよ」

「男じゃありません。最低ですね貴方、人が頼んだことを一つも満足にやれないんですか」

「うるせーなクソ女黙って食え」


私は笑いながら紙袋を受け取り、大きなハンバーガーを取り出した。


あれから半月ほど経った。藤木さんは堀さんが通報した警察に逮捕された。
そして留置場に送られてすぐ、人の目が無くなった隙にズボンのベルトを使って自分で自分の首を締めて自殺したらしい。詳しいことは解らないが、とにかく彼は死んだ。


とある大企業の社長の御曹司だったらしく、後日私の家にスーツ姿の初老の男性がやってきた。

男性は怒髪天を突く勢いで怒る私の母と、母を宥める私の足元に土下座をして、全身全霊をこめた謝罪をしてきた。そしてとても人には話せない額の金額が書かれた小切手を渡してきて、どうかこの件は大事にしないでくれと頼み込んできた。


当然ながら、母は激怒してそれを断った。話し合いの最中、母は何度も藤木さんの父親に殴りかかりそうになったが、私がなんとか抑えた。

堀さんの所にも父親はやってきたそうで、同じように小切手を渡されたらしい。堀さんはそれを父親の目の前で破り捨て、「吉川さんが許すのだったら、僕も許すし、この件は誰にも話さない」と言ったらしい。

とはいっても、この事件は地方紙には既に載っていた。犯人の名前はもちろん、被害者である私の名前すら載っていなかったが、「拉致監禁の犯人 留置場で自殺」とはっきりと書いてあった。

しかしそれ以降全く事件の記事がない所から察するに、社長殿がお金で揉み消したのだろう。


 母は父親の申し出を断ろうとしたが、私はそれを止めて、小切手を受け取った。
酷い目に会わされそうになったし、こんなお金で解決しようとする父親にも当然腹が立った。

死んで責任逃れした藤木さんには、もっと腹が立った。墓を掘り起こして、もう一度私がこの手で殺してやりたい、めちゃくちゃに切り裂いてやりたいとすら思った。


だが、藤木さんに腹が立つのは、きっと父親も同じだろうと思った。


「がっかりしたでしょう、自分の息子に」


私がそう言うと、父親は男泣きに泣き、恥ずかしくて堪らないと言った。あんなによく出来た息子が、あんなに有望だった息子が、こんな非道なことをするなんて、本当に恥ずかしい。受け入れ難いと。


だが自分の息子は藤木さんだけじゃない、私の会社の社員、全員が私の娘、息子のようなもの。彼らを守りたいのだと、再び土下座をして懇願してきた。どうかこのことは内密に、本当に申しわけないが、どうかお願いいたします。


私はその土下座に免じて、この件を内密にすると約束した。もちろんいくつか条件は出したが。


「新居はどうよ」

「快適ですよ。家具家電は全て新品、マンションも新築、しかもそれらを買ったのは私ではなくあの社長様の自腹。どうせだから全部めちゃくちゃ高価な物を買わせました」

「最高だな」

「ぶっちゃけもう一生働かなくてもいいくらい踏んだくりましたが、まあ働くのは楽しいので、お宅の店に居てあげますよ」

「最低だな」


母と私で、別々のマンションに引越しした。その際の費用は藤木さんの社長持ち、無論不動産も買って頂いた。もっとごねれば何億でも差し出さんばかりの勢いだったが、そこまで鬼ではない。

母は不服そうだったが、大企業対一般人で戦うのは正直結果が見えているのだ。なんとかそれを説得した。今までお金のことで沢山苦労してきた母のために、藤木さんの父親からお金を頂くことにした。



「ところで、堀さんはなんであの時私を助けに来てくれたんですか。なんで解ったんですか」

「え?その話しなかったっけ」

「してませんね。聞こうと思ってましたが忘れてました」


堀さんは大きなハンバーガーを持った私の手を引き寄せ、大きな1口で半分近くを食べた。「き、貴様……!」なんて奴だ。


「見えたから」


口の中のものをゆっくり咀嚼し、飲み込んでから、彼はそう言った。


「何がですか」

「ショウヘイくん。昔、あの子の家の隣に住んでたんだ」


つまり、何だ。堀さんにも幽霊が見えていたと。


「前にさ、店にあの男が来たでしょ。後ろ、見てなかった?」


女が居たでしょ、と。見てなかったというか、見えなかった。


「江梨子さんと祥平くんは確か、二年か三年前に引っ越して来たんだけどさ、江梨子さんはいつも忙しそうにしてて、あまり家には居なかったと思う。朝に祥平を近所の保育園に連れていくのは何回か見たことあるけど、帰りは祥平くんが1人で帰って来てたな。
かなりしっかりした子だと思ったよ」

「…………」

「しばらくして、江梨子さんと祥平くんの姿を見なくなったなぁ、とは思ったけど、俺は実家に帰ったとかだろうと思ってた。周りもそんなに気にしてなかった。
元々近所付き合いがあったわけでもないしね」

「で、そのうち祥平くんの遺体が発見された、と」

「うん。江梨子さんは何処かに男と逃げたんだろう、って噂されてた。でも俺は見ちゃったんだよね……」


藤木さんの屋敷の窓から、江梨子さんがこちらを見ているのを。


「幽霊ですか?」

「いや、あれは生きてた。仮にあれが幽霊だとしても、君が見つけた江梨子さんの遺体が完全に白骨化してないのはおかしいだろ」


多分、江梨子さんが死んだのはおよそ半年から三ヶ月ほど前だろう、と堀さんは言った。
生物学には不案内な私にも、さすがに三年前近く前に死んだ遺体があそこまで生々しいのはありえないと解る。腐った皮膚がこびりついたまま、3年間保てるとは思えない。


「江梨子さんは窓を叩いて何か叫んでるように見えた。でも、横から何かに引っ張られるようにして、窓から見えなくなった。それ以来彼女の姿は見てない」


祥平くんが死んでからも、時々堀さんの住んでいた家を二階の窓から覗いては手を振ってきたり、庭で遊んでいる姿をよく見たそうだ。彼の母もそれが見えていたらしく、祥平くんが死んで一ヶ月後に引っ越したという。


「君が藤木に襲われそうになってるとき、祥平くんが教えに来てくれたんだよ。まあ、なんかあの日は嫌な予感がしてたから、一回電話で忠告しとこうときたけど、……誰かさんがドライブモードにしやがったからな」

「す、すいません……」

「まぁ仕方ないよ。俺がちゃんと話してればよかった。店で藤木を見た時、あの時、こいつが江梨子さんを監禁したんだと解ったんだ。だって後ろに居たもん」


勝手にセットのドリンクを飲みながら、堀さんは手すりに肘をついた。「マジ怖かったわ、あれは」どんなものを見たのか、知りたいような、しかし知らないほうがいいような、複雑なところだった。


 「ちなみに、リビングの窓のガラスを割って中に入った。で、地下室で君がおっぱい丸出しで今にも純潔を奪われそうなところに居合わせた」

「そういう言い方やめましょう」

「意外と着痩せするんだね」

「死んで下さい」


半分以上堀さんに食われたハンバーガーを齧りながら、街の景色を眺めた。大きな建物は少なく、住宅が多い街である。街の端に小さな山があり、その向こうに、かすかに海が見える。


「ありがとうございました。助けてくれて」

「本当に感謝してるんなら、ハンバーガー奢らせたりしないよね」

「それとこれとは別の話です。人のおっぱい見たんだから、見物料ですよ」

「ふざけんな、そんなもん680円より安いだろ」

「死んで下さい」

「お前が死ね」


そんな物騒な悪態をつきながらも、堀さんは優しく私の頭を撫でてきた。彼の方を見ると、珍しく優しい笑顔をしていた。


「なにニヤニヤしてんすか、気持ち悪い」

「お前本当……もうね、ひどいよね。
 ────傷付きますよ」

「そうですか。でも私のこと好きでしょ」




「おっ…………まえ、……やっぱりあの時見捨てときゃ良かった」


と、真っ赤な顔でそっぽを向いた堀さん。私は彼が顔を向けた方に回り込み、「どうなんですか?」と迫ってみた。
また顔を背けようとするのを襟首を掴んで阻止すると、もう一度、ゆっくりと、訊いた。


「どうなんですか?」

「…………」

「私のこと嫌いですか」

「嫌いではない」

「じゃあ好きですか」

「いや、あの、それは、あのですね」


堀さんの照れている様が面白かった。朴念仁だと思っていたが、やはり感情はあるのだ。


暫し見つめあっているうちに落ち着いてきたのか、彼の双眸が真っ直ぐに私の目を見つめてくる。それを隠すように垂れた前髪を、指で掻き分けた。

急に照れくさくなり、「えへへ」と笑いながら俯く私の顎をガッチリ掴み、無理矢理上を向かされた。


「先に君が言えばいいじゃん」

「……知らねぇなぁ。何の話か」

「とぼけんな殺すぞ」

「マジすか。怖いなぁ」


茶化して誤魔化そうとする私の唇を、堀さんの唇が塞いだ。長くて、優しいキスをされた。文字通りの夢見心地である。

思わず、藤木さんとしたそれとの比較をしてしまう。思えばあれは、性欲を掻き立てるものはあったが、大切に扱うようなキスではなかった。


「お前なんか嫌いだ、ブス」

「傷付くなぁ」

「嫌いだからとりあえずおっぱい揉ませろ」

「いや、意味わかんないです」


空は赤く染まりつつある。もうすぐ夜になるだろう。所々街灯が点きはじめた街並みを背に、私達は手を繋いで展望台の階段を降りて行った。


「時に、堀さん」

「なんだ」

「好きですよ」

「あっそ」

「おっぱい揉みます?」

「……そのうち、是非お願い致します」





展望台を降りて、公園の出口の所でふと視線を感じた。私は振り返って手を振った。祥平くんも、笑顔で手を振り返してくれた。その姿は、少しずつ、夕日に透けていっているように見えた。


「バイバイ」


そう言う祥平くんの声が聞こえた。そんな気がした。







終わり 
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