極上の女

伏織綾美

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九章

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九章



ヤバい、早く戻さなきゃ。
藤木さんがまだ電話をしている声を確かめつつ、南京錠を拾い上げた。

南京錠自体、あまり見るものではないが、こんなに古くて重みのあるものは初めて見た。掘られた何かの模様から、これが安物ではないと解る。

模様の所々に黒い汚れのようなものが着いている。爪で触ってみると、その汚れはポロポロと崩れて床に落ちた。鍵穴にも、同じような汚れが着いていた。なんだろう、これは。気持ちが悪い。


『その件は会議でもお話した通り───』


と、藤木さんの声に我に返った。さっさと元に戻そうと扉に南京錠を取り付けようと立ち上がった。


「あっ」


吃驚のあまり、心臓が壊れそうになった。あの男の子、ショウヘイくんだ。突然現れるのだけは勘弁してほしい。


ショウヘイくんは私の正面に立ち、無表情でじっとこちらを見つめていた。片手で、私の尻のポケットを触っている。


「なに?どうしたの?」


ポケットの中には携帯がある。何か伝えたいのなら、口に出せばいいのに。
携帯を取り出して、開いて見ると、「着信あり 16件」とある。全て堀さんからの着信だ。


「え、この人がなんかあるの?」


尋ねても、無論応えない。なんなんだ、無口か。それとも喋りたくないのか、幽霊だと口がきけないのか。いや、前に喋ってたじゃないか。今こそ喋れよ。意味がわからないぞ。

それにしても、堀さんは一体なんのつもりだ。こんなに着信を残して、気持ち悪ささえ感じる。


「退いて、鍵を掛けるから」


携帯を仕舞って、ショウヘイくんにそう言った。彼は無言で横に退いた。てっきり退かないだろうと思っていたが、どうやら私の声がきちんと聞こえていたみたいで、少し安心した。


「あっ、こら!」


鍵を掛けようとした私の横からショウヘイくんが素早く手を伸ばし、ドアノブを回して開けた。私が振り返ってショウヘイくんを叱りつけたら、今度は両手で私の肩を掴んで押してきた。


「なんだよお前!バカか!」


思わず悪態が口をついて出た。我ながら、母にそっくりな口調だと思った。少し嫌な気持ちになると同時に、冷静さを取り戻せた。

ショウヘイくんは私を押した後、走って何処かへ行ってしまった。なんて奴だ。幽霊じゃなかったら、一回捕まえて説教してやったのに。


扉は全開で、私は床に手を付いて倒れ込んだ。多分、手触りからしてコンクリートの床だろう。

そして、暗い。どうやらこの床は扉から一メートルほど続いており、その先は階段になっているようだ。こんなに暗いのは何故だ。




壁に手を伸ばして、それを頼りに立ち上がる。……立ち上がった丁度手の当ててある所に、何かがある。

足元から這い登るように、冷たい空気が身を包む。暗闇に背を向けたまま、このまま立ち続けるのはあまりにも恐ろしかった。左手に触れたそれを、指で押すと、カチッと軽い音がして、背後が明るくなった。



裸電球が私の頭上にぶら下がっていた。階段の下まで、はっきりと見えるようになった。灰色の階段、灰色の壁、そして床も灰色。


恐怖より好奇心の方が強かった。


1度玄関の扉を見て、まだ藤木さんが電話をしていることを確かめてから、私は階段を一段一段、ゆっくりと降りて行った。スリッパで階段を降りる、ペタペタという足音が壁に反響している。


冷や汗が背中を伝う。妙な臭いがする。それは排泄物や、生ゴミや、血の臭いのようだった。
最初に見えたのは、病院にあるような、パイプベッドだ。ぐしゃぐしゃになったシーツが乗っていて、それは茶色の何かで汚れていた。

三メートル四方ほどの、狭い部屋だった。あるのはベッドと、階段の脇にある、剥き出しの様式便器だけだった。その便器もかなりの汚れで、中には黒いような、茶色のような、よくわからないが気色の悪いものが詰まっていた。


思考が停止する、とはまさにこのことだろう。夢でも見ているような気分だった。

──いや、夢で見たことがあるのかも知れない。ここを知ってる。

あまりよく覚えていないが、この部屋を知ってる。


夢では何があったかしら。階段を降りてここまで来たのは覚えている。それから先に何か恐ろしいものを見たはずだ。

部屋の片隅で丸まった毛布が落ちている。薄いオレンジ色の毛布だ。下に何かがあるようで、わずかに膨らんでいた。


「…………」


早く上に戻って、家に帰りたい。そう思って階段に向き直った。








「何をしているの?」






扉の一番上に、藤木さんが立っていた。






「あの……、私、南京錠が落ちてて、元に戻そうとしたら扉が開いてしまって…………」

「そっか」


藤木さんは穏やかな声で相槌を打ち、後ろ手で扉を閉めた。大きな音を立てて、扉が閉まる。


「ごめんなさい、私、勝手に入ってしまいました」

「いいんだよ。気にしないで」






コイツは危ない。

階段を降りてくる藤木さんを見て、強い危機感を覚えた。じりじりと後ずさりながら、どうやって逃げようかと考えを巡らせる。逃げ道は一つのみ。藤木さんが今降りてきている階段を上って行けばいい。
でも、どうやって彼を振り切ればいい?


「どう?この部屋。狭くて落ち着くでしょ」

「いいえ、多分、掃除でもしたら落ち着けると思いますが……」


そんなこと言ってる場合か。なんて私は馬鹿なんだろう。

後退していくと、ベッドの枠に尻が当たった。藤木さんはニコニコと屈託のない笑顔でその様子を見ながら、階段を降り続ける。


「そうだね、前にここに居た人がいっぱい汚したからね。掃除しよう





 その後、君がここで暮らすんだよ」






誰か、助けてくれ。



.
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