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七章
7-3
しおりを挟む勝平くんの死因は、恐らく餓死だという。腐敗した彼の胃袋は空っぽだったそうだ。家の冷蔵庫の中はほとんど空っぽで、ありとあらゆる調味料も空っぽ。リビングの窓際の植木は真っ二つに折れていて、齧った後があった。
「玄関には郵便物が溜まってたし、母親の靴や服もなかった。あの女、きっと自分の息子をほっぽらかして男と逃げたのよ」
違う。
心の中で反論した。
きっと、何か大変なことに巻き込まれたのだ。
ただの直感だが、解る。
「ところであんた、これで全部話したわよ。覚悟はできてんでしょうね?私は顔が広いのよ。あんたなんか社会的に抹殺することぐらい簡単なんだからね」
「あらそう」
「まあ、土下座するんなら許すわよ」
この後に及んで、なんて図々しい奴だ。
「事故物件であることを言わずに人に売付けといてその物言いとは、いやはや恐れ入ります。このことが母に知れ渡ることと、ここのローンを少ーしだけ、減らすのと、どっちがいいですか?……あ、これは独り言ですよ」
「…………」
「ちなみに、私は覚悟できてますよ。あなたを物理的に、抹殺することも厭わない勢いです。これも独り言です。脅しじゃないですよ
母の性格を知っているあなたなら解るでしょうが、____あの人がこれを知ったら、黙っちゃいませんよ」
「お、お願い、それだけは」
「大丈夫、私は優しいからそんなことはしないであげる。あなたが誠意ある人間だってことが解ればね」
どうしよう。こんなことをして、大丈夫だろうか。彼女と同じくらい、実は私も怯えていた。こんな脅迫行為、やっていいのだろうか。しかし彼女は私達に何も言わなかった。「こんなに安くていいのか」「過去に何かあったのか」購入する前に1度母が彼女に尋ねたが、彼女は「知り合い割引きよ、何にもないわ」と笑っただけだった。
それ以外にも、色々とデリカシーのない物言いに母も私もフラストレーションが溜まっていたのも事実だ。
やれ「あんた達親子は気遣いがない」だの「あんたの娘は精神障害者のキチガイだからまともな仕事ができるはずがない」だの、母にも「あんたは顔しか取り柄がないんだから、身体でも売ればいい」などと、知り合いの気軽さを超越した不躾さで、不愉快なことを散々言ってくれたもんだ。どうせ私達を見下しているんだろう。
私達を、とくに母を、貧乏人で卑しい奴だと思っているんだろう。若い頃は暴れん坊で強かったくせに、今じゃこんなにみすぼらしい、みっともない、この人はそう言いつつ、鼻で笑ったこともある。
「お前、その偉そうな態度は私達以外の人にもやってんだろうなぁ。こんな嫌な奴、誰が味方するんだよ。やってみろよ、社会的に抹殺してみろよ。私はただ取り乱して泣くだけにするよ。お前の不動産屋の椅子にでも座って」
「……は?」
「どうしてこんなことするの!私が何をしたっていうの!ひどい!ひどすぎる!」
悲壮感のある声を作ってそう叫びながら、私は顔を歪めて泣いてみせた。涙なんて自由に出せる。
真顔に戻って、
「従業員、他の客、皆が見てるところでやるよ。噂って簡単に広がるからねぇ。ま、あんたが普段から周りに慕われてるってんなら、あんまり効果は無さそうだね。
あ、旦那さん、女作って逃げたんだっけ?息子も娘も父親について行ったんだっけ。そらこんな母親嫌だわなぁ。クソだもん。人間性がクソだもん。
確か従業員もほとんどが半年居た試しがないって言ってたね?どいつもこいつも根性がないって?お前自身に問題があるんじゃない?」
「…………」
「前に私達と食事したときも、自分の髪の毛抜いて料理に乗せてから店員にクレームつけて無理矢理タダにしてもらってたよね。恥ずかしい奴だなぁ。
もしお前が普段はそんな奴じゃなくて、皆から好かれているような人なら、簡単に、社会的に抹殺されちゃうかもねぇ」
そこでいったん口を閉じ、彼女に顔を寄せて白目の黄ばんだ眼球を至近距離で睨みつけた。
「でも忘れないで、そんなことしたら、私には失うものが何にもなくなるってこと。そうなったら、何やらかすか解らないよ」
そしてとどめに、満面の笑みを見せてやった。
ひいひいと荒い呼吸をしながら、彼女は涙を零した。汚い涙だ。
「でも安心して。お前が私達の味方でいるうちは、何にもしないから。これも、独り言だよ」
「ごっ、ごめんなさい!ごめんなさい!」
「うん。許してあげるから、もう出てって」
その言葉を聞くやいなや、彼女は重そうな尻を持ち上げてドタバタと外に飛び出した。彼女のスカートの尻の部分が濡れているのを確認した。
「クソババア」
三和土に失禁したあとがあった。
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