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六章
6-2
しおりを挟む映画館を出て、私達は駅の近所のビル内にあるファミレスに行った。喫煙席から一番遠い、窓際の席だった。
藤木さんは和食の定食を頼み、私はハンバーグをセットで頼んだ。
「加奈ちゃんって意外に食べるよね」
そう言われて、ああここは少し我慢してボリュームがないものを頼むべきだったかと後悔した。いわゆる可愛げ、っていうものがなかった。
女の子らしくて可愛いと思ってもらえるような、そういうものを頼めば良かった。下らないとは思うけど。
なんとなく恥ずかしくなって、テーブルに乗った水が入ったグラスを見詰める。外側の水滴がテーブルに落ちていく。
グラスの少し先に、藤木さんがテーブルの上で組んだ両手があった。白くて華奢で、綺麗な指だった。
それをじっと見ていたら、汚してしまうような気がして、すぐに目を逸らした。私は何をしているんだろう。
「大丈夫?調子悪いの?」
「いえ、そんなことはありません」
「そう?
……いつも思うんだけど、あまり寝れてないの?」
目の下、クマがあるよ。
慈愛に満ちた優しい表情で、自身の下目蓋を指差して見せる。つられて私も、自分の目の下をなぞる。
「ちゃんと寝てはいます」
ただ、寝た気がしないだけ。寝て身体は回復しているけど、精神が磨耗されているだけ。
思わず、深い溜め息が漏れた。
「同じ夢を何度も見るんです」
「同じ夢を?」
「はい。……まあ、大したもんではないです。大丈夫です」
話してはいけないような気がした。彼にあの夢の話をしたら、何か危険なことに巻き込まれるような、不吉な予感だった。
「本当に大丈夫?」
肩肘をついて拳で口元を隠しながら、私を真っ直ぐに見詰めていた。一瞬だけ目が合って、私は逃げるように窓の外を見た。とても緊張する。
「どんな夢?」
「いや、ほんと下らないものなので…」
「教えて」
少し掠れてて、低くて、妙に平坦な声だった。そんな声が耳に嬉しいような、不愉快でもあるような。
緊張する自分のためにグラスから水を一口飲んで、私は話し出した。
自宅の一階にある部屋が何故か和室になっていて、そこで女性が泣いてる夢の話。
話し出したら止まらなくて、一度背後から何かが抱き付いてきた話や、先日の妙にリアルな夢の話まで、気付けば洗いざらい話していた。大して面白い話ではないのに、藤木さんは興味津々といった様子で、少し前のめりになって聞いていた。
「それって不思議だね!なんか、小説かなんかみたい」
最後には、目をキラキラさせてそんなことを言った。
不思議、じゃ済まされないんだが。
もしかしたら、藤木さんはこの話を信じていないのかも知れない。もしくは、他人事なのであまり大したものとは考えていない。この際、男の子の幽霊を見ていることまで言ってしまおうかと思ったが、我ながら頭のおかしい奴の妄想みたいだったので止めた。
軽い反応を見せる彼に対し、わずかに苛立ちを覚えた。だがあまりにも身勝手だ。私に彼の気持ちは解らない、そして彼も私の気持ちは解らない。
それが人間だ、仕方ない。
「その女の人って、どんな人?」
「さあ? セミロングぐらいの髪型でセーターを着てる。それくらいしか解りません」
「ふーん……。 デザート頼む?」
やっぱり、私が本気で悩んでることが解ってないんだ。
あっさりと話題を変えた藤木さんに、思わず軽く溜め息を吐いてしまう。だがあまり顔には出さないよう努めつつ、「いえ、お腹いっぱいです」と答えた。
「じゃあ、もう帰ろうか。あんまり遅いとお母さん心配するし、僕もあまり夜更かし出来ないからね」
物憂げに笑いながら、テーブルの端に置いてある伝票を取る藤木さん。明日も仕事なのだろう。もしかしたら、朝早いのかもしれない。
「すいません」
「ん?なんで謝るの」
「お仕事大変でしょうに、私なんかの相手をさせてしまいました」
そう言ってから、失言に気付いた。あまりにも空気を読まない発言。自分が嫌になった。
案の定、藤木さんは顔を曇らせた。口をきつく結び、眉間にシワを寄せて下まぶたに力が入ってる。その表情から読み取れる感情は、「不愉快」だった。
少し意外ではある。藤木さんがこんなあからさまに批判的な顔をするようなことは、今までなかった。
「そういう言い方は良くないよ」
「……ごめんなさい」
「もっと自分を大事にしなさい。 君が思ってる以上に、君はいい子なんだからね」
「………」
嬉しかった。ありがとうと言いたかったけど、口を開いたらその瞬間泣き出してしまいそうだから、無言で頷くだけに留めた。
もう少し、自分の心を貶めるのを我慢しなくては。
「もう帰ろう」
帰り道、駅から家までの道のりを二人で並んで歩いた。お互い無言だった。
藤木さんのほうを何度かチラリと見たが、マネキンのように整った顔で前を向いたままだった。きっと視界の端で私が見てる様子を捉えていただろうが、いつものように笑顔でこちらを向いて「ん?」と応えることはなかった。
食事を済ませ、電車で最寄りの駅に着くまでも変わらず、こんな調子だった。
私は今まで、人に冷たくあしらわれることはよくあった。特に母には、よくあった。
だが、慣れっこではない。私の心には鎧がついてないのだ。
気が遠くなるほどの道のりに思えた。死んだように静かだ。
この人、どうしてここまで腹を立てているんだろう。何が気に入らないのだろう。恋人が居たこともないし、友達が居たこともない私にはよく理解できない。
そもそも、私は自覚できてるくらいに歪んでいるわけで。自分のような人間のために腹を立てたり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、そういった感情を“無駄遣い”してくれる人なんて居るとは思えない。
「あの、藤木さん」
「なに?」
勇気を出して声を掛けた。声は馬鹿みたいに震えてたし、すごく小さかった。それなのに、藤木さんはそんな情けない声を聞きつけ、尖った口調で応えた。
それが引き金のように、私の感情に火を点ける。彼の態度は理不尽に思えた。
「何なんですか?私、そんなに悪いことしました?」
「したよ」
と、言いつつ私の右腕を掴む。そして引っ張ると、私の家の門を開いて中に押しやった。そうだ、気付かなかったが私達は既に自宅の寸前まで来ていたのだ。
私は彼に詰め寄って怒鳴り付けようとしたが、拒むように門を閉ざされた。じゃあね、と早口で言い、そのまま自分の家に戻ろうとする。
どうしよう、一瞬のうちにいくつか選択肢が浮かんだ。ここで泣いて彼の名前を呼ぶか、大人しく帰宅するか、それとも泣かずに冷静に彼を呼び止める。私はその内のどれも選ばなかった。
右足を上げて、思い切り門を蹴った。
藤木さんは驚いて振り返った。中古で、格安で買った家の門は同じく中古。前々から立て付けが悪いなと思ってはいたが、まさか蹴っただけで外れるとは。だが今はどうでもいい。
「いい加減にしてください。たった一つの失言でここまで拒絶されなきゃならないんですか」
「君が自分のことを悪く言うからだよ」
「なんでですか! 私が私のことどう思ってどう言おうが関係ないでしょ? 家族でもないあなたにそこまで憤慨される筋合いありますか?」
なんとも、我ながら自分勝手な言い分だこと。
私だって本気で思ってるわけじゃない。だがこういうとき、何故か自分の気持ちとは裏腹な言葉がついて出るものだ。
解ってほしい、我が儘が通るのなら、抱き締めてほしい。
「ちょっと落ち着いて。ここで騒いだら近所迷惑だから」
戸惑いつつも、彼は冷静に諭そうとしてくる。私がこんな風に怒るとは、きっと思いもよらなかったことだろう。そう、いつもの私なら、その場でただ立ち尽くしているだけだ。相手のことがどうでもいい場合か、もしくは反抗したら逆に痛い目にあうような、つまり母だったら、多分そうした。
「そんな自分勝手なことばかり言ってたら、誰も君を大事にしてくれなくなるよ。
君がよくても、聞いてる僕の気持ちはどうなの。
君がそうやって自分のことを悪く言ったり、自分は傷付いてもいい、それが当然ってその態度、正直嫌だなって思う」
何も言い返せなかった。悔しいけど、その通りだから。
「そんなことは解ってます」
「解ってるんなら、どうしてやめようと思わないの。どうして変えようと思わないの」
「私はゴミだから!」
どんなに見た目が綺麗でも、私の中身は腐りきってるから。自分を変えようなんて、そんなこと考えて簡単に実行に移せるような人間は健全だ。自分を高めようと思える人間は、健全だし、素敵だ。
「わかりませんか?どんなに変わろうと思っても結局自分でそれを邪魔してるんです。固定観念みたいなもんです、なかなか消えないんですよ小さい頃から教え込まれたことだから」
一息に全部吐き出して、藤木さんの顔を真正面から睨み付けた。なんだか、よく解らない表情だった。怒っているようにも、泣いてるようにも見えた。しかし変わらず美しい顔をしていた。比べて、私のこの汚い泣き顔はどうしたものか。やはり心が美しい人と顔しか美しくない人とじゃ、月とすっぽんだ。
彼はこんな状況でも整っているのに、私は繕っていた鍍金が化粧と共に簡単に剥がれてしまった。
心のどこかで、いつも思ってる。
私は、本当はここにいてはいけないと。
本当は生きていてはいけないのだ、図々しく生を貪ってるだけなのだと。
同時に、自分の必要性を求めてる。必要とされたい。この欲望すら図々しいと感じてしまう。
でも、それでも、同時にこう思う、しかし逆にこうも思ってる━━━━━━賛成派と反対派が私の中で常に喧嘩してる。大抵は反対派が勝つ。自分の悪いところを沢山知ってるから。対して良いところは、解らないから。
「僕は、君がそういうことを言うのが嫌なんだけど」
解ってますよ。解ってるけど、どうしたらいいのかは解らないんです。
このままだと藤木さんとは二度と今日みたいに一緒に出掛けたりはできないどころか、「お隣さん同士」の関係にすら戻れない。願わくは円満に解決したい。
黙って睨むだけの私に嫌気がさしたのか、藤木さんはツイと踵を返した。さっさと家に帰ろうと早足で行ってしまう。
もう終わりだ。始まりそうだったのに。その前に終わった。私が壊した。
人との関係を築くより、壊すのは簡単だ。私はいつも簡単な方法しか取らない。臆病だから。
涙が流れて、服に落ちるポタポタいう音が耳に障る。うざったい。けど止まらない。ある種のショック状態で足元のアスファルトを呆然と見詰めながら、隣の家の門が開く音を聞いた。見るからに高級そうな門だ、音まで高級に思える。
「帰っちゃうよ?」
「………は?」
先ほどまでの刺々した声色が嘘のように、その一言はなんだか間抜けだった。
「僕、このまま帰っちゃったら、もう加奈ちゃんとデートできなくなるから、できれば追いかけてきてほしいんだけど」
何言ってるんだこいつ。
彼は半開きの門に手を掛けたまま、怒ったような顔でこちらを見ていた。泣くのを我慢する子供みたいでもある。
「……追いかけて、どうすりゃいいんですか」
「いや、わかんないよ。わかんない。とにかくちょっと来てよ」
シリアスに言い合ってたはずなのに、急に間抜けな空気になった。釈然としないながらも、私は門から身体を半分出して手招きをする藤木さんのほうへと歩み寄った。
怒った表情なのに、何処か飼い主にすがる犬のような空気を醸すその姿に笑いそうになる。
「ふざけてるんですか?」
「いや、真面目です」
いいから来い、と手招きして、手の届く距離に私が接近したら手を掴んできた。それを優しく引いて門の中に誘うと、すぐ脇のレンガの塀に私を押し付けた。
何をされるのか、薄々解った。
緊張して肩を強張らせてしまう。その肩をしっかり掴まれているので、逃げ出せない。
そして何をされたかというと、まあ、その、キスだ。
先日された唇と唇が触れるだけのキスとは違って、激しくて、それでいて湿っぽいものだった。生まれて初めてしたはずなのに、私はやり方を知っていた。身体が本能的に反応した。
「君が好きだからですよ。だから悲しいこと言わないでほしいんですよ。解りましたか?」
キスをしながら、藤木さんはクリッとした目で訴えるように私を見詰めてそう言う。吐息混じりの彼の声はとても色気があって、ドキドキした。
「解りました」
「じゃあ、もっと僕のこと頼ってくれますか」
「はい」
「よし、いい子」
唇を離して、私の頭を撫でて目を細める藤木さん。とても満足した様子だった。
「じゃあ、もう帰りなさい。
ちゃんと休んで、明日もお仕事頑張ってね」
。
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