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五章
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半信半疑で待ち合わせの公園に行くと、入り口近くのベンチに藤木さんが座っていた。本当に居た。
「お疲れ様」
「どうも……」
どうしよう、やっぱり帰りたくなってきた。こういうのは嬉しい。けど、何を言ったらいいのか解らない。不安でたまらない。
「大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
本当は大丈夫じゃはないけど。
会話らしい会話もなく、時折中途半端に言葉を交わしながら、駅の近所にある、とあるレストランに向かった。
一階部分は駐車場になっていて、傍らの階段を上がって二階部分が店である。なかなかこ洒落た内装で、好感が持てた。客入りも上々なようで、私達が来たときには既にほぼ満員だった。
「前から来てみたかったんだよね、ここ」
「私もです。一人で入りづらいので行けませんでしたが」
「わかるよ、それ」
私達は窓際のテーブル席についた。店員が持ってきた水を一口飲んで、藤木さんがニッコリ笑う。
「加奈ちゃんと来たいって、思ってたんだ」
「………そうですか」
ああ、もう。もっとまともな受け答えが出来んのか、私。緊張して笑顔も作れない。
藤木さんはというと、私のそんな様子を優しく微笑んで、……なんだか、少し面白がっているかのような表情をしている。かと思えば、
「加奈ちゃん、小さい頃に色々苦労したでしょ」
急にそんなことを言う。その笑顔に何か、強い感情があるように見えた。
どう答えるべきか考えた結果、下を向いたまま黙って首を傾げて、口元だけ笑みの形にした。
「はい」とも「いいえ」とも答え難い。親から受けた仕打ちは酷いとは思うが、それを苦労とは思えなかった。むしろ、一番嫌なのは自分のしてきた行動であって、それは恥ずかしいのは自業自得なのだ。
痛いのも我慢できた。
酷い罵りも我慢できた。
ただ、自分がそれを理由に悲劇の主人公ぶっていたことが許せない。
自分で自分を追い込むようなことを散々頭で考え続けて、自分で自分を責めた。
不幸であると、自分で自分に言い聞かせ、嘆いた。
人生最大の敵は、自分自身である。
「本当は話すの苦手だよね。無理させてごめんね」
「別に苦手じゃないですよ」
苦手なのは話すことではなく、嫌われることだ。相手がどういう人間か解らないうちは、恐怖だ。
メニューを見て注文が済むと、お互い無言で座る、それだけの時間が訪れた。気まずい。
私は顔を上げず、ずっとテーブルの上で組んだ自分の手を見詰め続けた。携帯開いてゲームしたい。なんとか気を紛らわせたい。
顔を上げるのが怖かった。藤木さんが、ずっとこちらを見ているからだ。どんな表情なのか、確認するのが恐ろしい。
この人はどうして私を誘ったんだろう、どうして他の女の子にしなかったんだろう。こんな暗い奴よりも、いい子はたくさん居るのに。
「加奈ちゃん」
藤木さんの白くて大きな手が、私の手に触れた。
「大丈夫だよ、加奈ちゃんは十分いい子だし、可愛いから」
視線を上げて先方の目を見た。優しい、優しい笑顔をしていた。何故か、少し暗い笑顔にも見えた。
嬉しいのと恥ずかしいのとで、私はまた俯いた。お面が欲しい。直接顔を見られないようにしたい。着けるんならひょっとこのお面がいいな。
藤木さんはまだ何か言いたそうだったが、いいタイミングで店員が料理を持ってきて空気をぶち壊してくれた。忌々しいような、少し安心したような。
料理のマナーにだけは厳しかった、偉大な親愛なるお父さまのしつけのおかげで、食事中に恥をかくことはなかった。
空腹を満たすと、不思議と気が落ち着いた。さっきまでの気まずさが嘘のように、私は饒舌になった。
さすがに自分の昔話ははっきりと言えなかったが(父親が借金して苦労した、程度には話せた)、好きな本やマンガ、映画の話をした。
藤木さんも読書好きという共通点が見付かり、今度お互いにオススメの本を貸し借りしよう、という約束まで出来た。
私のオススメは江戸川乱歩で、藤木さんは梶井基次郎。もちろんその作家のことは知っていたし読んでもいたが、あえて知らないフリをして話を聞いた。
好きな小説について話す藤木さんはキラキラした目をしていて、子供みたいで可愛らしかった。
藤木さんは自分自身の話もしてくれた。父親が社長をしている会社で、とある部署の部長をしている。母親は彼が中学生の頃に事故で死んだ。早起きは苦手。ショートケーキが好き。ホイップクリームをコーヒーに乗せて飲むのが好き。なんとなく、小さい男の子が苦手。
楽しい時間は早く過ぎていき、気づけば22時近くになっていた。壁に掛かった時計を見、時刻を把握したとたんに眠くなった。我ながら単純だな。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
帰りたくないな。心の中でそう呟いた。
つい数時間前には全く逆のことを考えていたのに………。こういうところも、単純だな。
………
………………
………………………
電車で地元の駅に着いて、家までは二人でゆっくりと歩いて帰った。私は先ほどまで(普段よりは比較的に)テンションが高かった反動で、ボーッとしていた。
近所のスーパーの前に差し掛かったあたりで、私達が今手を繋いでいると気付いた。全く意識してなかった。
「眠い?」
「はい。とても」
「遅くまで連れ回して、ごめんね」
「いえいえ、とんでもございません」
夜空は曇っていて、せっかくの満月は半分ほど雲に隠れていた。明日は雨になるって、今朝の天気予報で言ってたな。
「今度さ、映画でも見に行こうよ」
「私でいいんですか?」
「加奈ちゃん“で”いいからじゃなくて、加奈ちゃん“が”いいから誘ってんだけど」
息の混じった、少し色気のある声でそう言うと、藤木さんは握った手を少し引っ張って、わざと肩をぶつけた。
「本当ですか?」
「本当ですよ」
顔を覗き込もうとしてきたが、こんな発情しきったみっともない顔なんてとても見せられない。わざとらしく真横を向いて逃げた。
その様子に、藤木さんは小さく笑った。
私の家の前まで来ると、互いに「おやすみなさい」とだけ言って、私は家の中に入った。暗い玄関で、ドアに背を付けて外の音を聞いた。藤木さんが自分の家の門を開ける音がする。
「はぁ……」
心地よい疲労感だ。あっという間に終わってしまった。
既に藤木さんと話した内容も、食べたものもほとんど忘れてしまった。ただ、彼の笑顔や眼差し、手の感触だけは、はっきりとこの身体で記憶していた。
しかしながら、自分が今感じている感情が「幸せ」なのか、自信がなかった。嬉しさと同時に、言い知れぬ不安に苛まれる。
いいのだろうか。本当にこれでいいのだろうか。
藤木さんは私のことが好きなのだろうか?………━━━━まさか、まさか有り得ない。私なんかを好きになるなんて、有り得ない。
こんな出来損ないのゴミみたいな女、都合のいいセックス以外に使い道はない。きっとそうだ。
でも藤木さんみたいな人がそんな理由で女の子を食事に誘うか?ただ「やりたい」ってだけで。それに、もしそうなら、早い段階でホテルとか家に連れ込むだろうし。
でも、でも、でも…………、信じたいのに、信じられない!
裏切られたらどうしよう、私がただ勘違いして舞い上がってるだけだったらどうしよう。
恥をかくぐらいだったら、最初から信じないほうがましだ。万が一裏切られたりしたとき、相手を信じているよりも疑っているほうが、幾分心の負担が少ない。それでも悲しいものは悲しいが。
誰のことも心から信用してはならない、信用しているフリをする。思えば、それが私なりの処世術なのかも知れない。とても賢いものとは言えないが。
母や、藤木さんや小木さんみたいないい人達のことは、信じたいと思う。しかしどうしても、出来ない。
「もうやだ……」
まるで、自分で自分に呪いを掛けているような気分だ。何故、素直に喜べないんだ。面倒くさい性格だな。魂だけ取り替えたい。
母はもう寝ているらしく、二階から彼女のいびきが聞こえる。控えめで、小さないびきだ。家が静かだとよく聞こえる。
ゆっくりと階段を上り、自室に向かう。風呂に入って、さっさと寝てしまおう。
またか、と思った。
何度目かの同じ夢。
こうも頻繁に同じ夢を見ると、うんざりしてくる。
女性は相変わらず泣いてる。それだけだ。
何故泣くのだ。一体なにが悲しいのだ。あんなに肩を震わせて、怖いものでもあるのか?
毎度こうして眺めているだけじゃあ、何の解決にもならなそうだ。私は彼女の居る和室に足を踏み入れ、そっと彼女の傍らに座り、何があってそんなに泣くのか、聞いてみる決心をした。
足元を見る。真っ黒だ。
足の裏にフローリングの感触を確かに感じているのに、視覚ではそれを確認できなかった。そういえば、靴下を履いてるのに、何でこんなにはっきりと感じるのだろう。
まあそこは夢だから仕方ないと割り切ることにして、一歩、畳の部屋に足を踏み入れる。
「━━━━━っ」
背中に悪寒が走った。何かが両肩に乗った。
彼女は相変わらず泣いてる。私のことにも全く気付かない様子。
自分の荒い呼吸が脳内でこだまする。徐々に両肩に乗ったものが重みを増していく。
恐る恐る自分の肩を見て、私は悲鳴にもならない、情けない声を出した。子供の手だ!
青白くて、見る陰もなく痩せ細った子供の腕が、ゆっくりと私の首に回される。背中にゴツゴツしたものが当たる。
大きさは子供のサイズなのに、肌は乾燥して、文字通り皮膚と骨しかないその様相は、まるで老人みたいだった。
やがて腰を腕同様に衰えた子供の足が挟み、肩に腕とは別のものが乗せられた。
私はどうやら、痩せこけた子供を「おんぶ」しているようだ。
子供の頭が、こっちを向いてとばかりに私の首筋に押し当てられる。
「助けて……」
震える声で女性に助けを求めるが、どうやら聞こえていないらしい。
そうだ、これは夢だ。夢なんだ。
早く目を覚ませ。
前を向いたままもがく私。なかなか振りほどけない子供。
ふと、子供の右手が持ち上がる。
目の前でその小さな掌をいっぱいに開くと、素早く私の顔を掴んできた。
。
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