極上の女

伏織

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二章

2-2

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 ………
 ………………
 ………………………


 電車に乗り込んでから、ずっと携帯で音楽を聴いている。一人で外出するときは、いつも大音量で音楽を聞きながら歩くのが癖だ。耳にイヤホンを嵌めていないと、なんだか不安になる。

 周りの人間の会話や、仕草や、視線が気になって、仕舞いには呼吸まで苦しくなる。そして、ひたすら家が恋しくなる。


 電車から降りて、改札を抜けてすぐに、流れている曲を中断させ、プレイリストから別の曲を再生した。

 低くて、少しこもったようなレイ・チャールズの寂しげな歌声を聴きながら、電話で聞いた通りの道順で歩いていく。駅から出て右、左、交差点を信号を渡らずに右に曲がって100メートル。


 小さな薬局の建物を、そのまま使い回したであろう物件があった。件(くだん)の古本屋である。

 黄色と青、原色で塗りつぶされた建物は個人的に「受け付けない」感じだった。もっとこう、白とか、ブラウンの色が好きだ。
 こんなにまぶしい色合いの建物に近付くと、残り少ない元気をゴッソリ持って行かれそうな気になる。あくまで気持ちの上での話だが。


 プレーヤーを切り、携帯とイヤホンをカバンに仕舞った。背後の道路を走る車両の音が、聴覚を支配する。


 絶対行きたくない、帰りたくないと内心のたうち回りながらも、店の中に入った。


 自動ドアから中に入ると、過剰に効いてる冷房の空気が身体を包み込んだ。
 ゲームソフトのデモを再生するテレビや、ゲーム機を並べているガラスケースの中を照らす蛍光灯などが熱を発しているためか、冷房の冷たさには直ぐに慣れた。


 私が店内に入った瞬間、レジに居た店員が「いらっしゃいませ」と言った。なんとも気のない、だるそうな声だった。


 そのレジに近寄り、中に居る眼鏡を掛けた小柄の男性店員に、「アルバイトの面接で来ました、吉沢と申します」と言った。

 なるべく良い印象を持たれるようにと、少し声を高くして、微笑んで見せた。
 さっき、藤木さんにもそうすれば良かったのに。どうしてあんなに緊張してしまったのだろう。


「ああ、ちょっと待って」


 小柄な男性は無表情でそう言うと、レジの奥に入っていった。

 しばらくして、その男性と一緒にもう一人の男性がやって来た。


「店長の堀です。どうぞ中の方に」


 身長が高く、隣に立つ小柄な男性が子供のように見えた(失礼なので、本人には黙っていよう)。
 そして身体の細いこと。私でも、少し頑張れば喧嘩で勝てそうなくらい、細い。健康面が心配になる。


 店長―――――堀さん、に連れられ、レジの中にある、小さなスペースに入った。申し訳程度のソファーがあり、小さな流し台と、冷蔵庫が置かれている。


「座って下さい」


 無愛想ではあるが、嫌な感じはしない。堀さんはまず履歴書を受け取り、それをコピーすると言って席を外した。




 ソファーの後ろに、反対側を向いた本棚の背があった。このすぐ反対側は売り場なのだろう。

 そして頭上から爆音がする。見上げたら、すぐ真上の天井にスピーカーがあって、やはり売り場の方を向いていた。それでも十分、うるさい。


 しかし何故か、この空間は非常に落ち着けた。ソファーの前に置かれたローテーブル、その上に無造作に乗った週刊の漫画雑誌。

 このスペースの唯一の出入口にあるカーテンを閉めれば、誰の目にも触れなくなる。




「ああ」


 そうか。
 この閉鎖的な感じ、自分の部屋に似てる。外の世界の空気を完全に遮断するような、孤独になれる空間。

 それに気付いてからは更に落ち着いて、ソファーの背もたれに寄りかかった。スピーカーから流れる、知らない歌手の知らない歌に耳を傾けながら、ゆっくりと目を閉じた。


「はい、起きて下さい」

「………すみません」

「うちに面接受けにきて居眠りした人は、あなたが初めてです」


 足音もなく戻ってきた堀さんが、持ってきた丸椅子をわざと音を立てて置いた。その音に気付いた私が目を開けると、怒っているのか何なのか解らない無表情で、堀さんにそう言われた。


「歳は19?若いな」

「すみません……」


 なんで謝ってるんだ、私。
 この人の口調、何を考えてるのか解らなくて、少し怖い。


「ここには何で来ました?車?」

「電車です」

「土日は入れますか?」

「入れます」

「時間帯は朝の開店から夕方のシフトになると思うけど、大丈夫そうですか?」

「大丈夫です。流石に早朝は難しいですが」

「10時くらいに開店です」

「それなら大丈夫です。やれます」


 形式通りの受け答えとは思えないが、持てるだけの誠実さを総動員して、はっきりと答えていく。できることはできる、難しいことは難しいときちんと答えた方が、向こうも雇う是非を決めやすいだろう。


「住んでるのは、……ああ、あそこか」

「知ってるんですか?」

「昔住んでました。あそこなら駅も近いし、通勤には問題無さそうですね。
  うちは能力次第で社員にもなれますので、頑張って下さい」

「………はぁ」


 いきなり、頑張って下さいって。まだ雇う訳でもないのに。


「で、いつから来れますか?」

「……………えっ?」

「採用です。いつから来れますか?こちらでシフトを組んでも大丈夫ですか?」


 思わず、何を言ってるんだお前は、と口に出そうになったが、堪えた。その場で採用を決めるなんて、そんなにアルバイトの応募が少ないのだろうか。


「来週から来れますか」

「はいっ。行けます!」

「では、後日電話しますね」








 夕方、迎えに来た母に採用された旨を報告すると、私の母らしくまず最初に「その店、大丈夫なの?」とひねくれたことを言った。だが私にアルバイトとはいえ仕事が見つかったことが嬉しくて堪らないらしく、外食に行こうと言い出した。
 昨日が給料日なので、少しくらいは余裕があるらしい。


 そうして向かった先は、どこにでもある全国チェーンのファミレスだった。これが精一杯の贅沢である。明日からはしばらく一汁一菜、下手すると一菜すらない質素な食卓が待ってることだろうが、それでも幸せである。


 一度家に車を置いてから、歩いてファミレスに向かった。藤木さんの家は真っ暗だった。


「昼に出勤だなんて、普通の会社員なのかしら」


 機嫌が良くなった母が、いつもよりもゆっくりと歩きながら言った。普段はかなりの早足だ。大抵常にイライラしている。

 なので、機嫌のいい母は貴重。私は彼女をイラつかせないように、言葉を選んで答えた。


「親が金持ちって言ってたし、どこかの社長の息子なんじゃない?」

「金持ちのボンボンは優雅に社長出勤か。なんか、ムカつくね」

「はは……」


 急いでタクシーに乗り込んで行った姿を見てるので、母の言葉には流石に同意しかねた。適当に、どうとも取れるような笑いを浮かべるので精一杯だった。


 それからファミレスまで、母は途切れることなく会社での愚痴を話し続けた。彼女は経理の主任をしているので、本当はすごく多忙なのだ。今日は特別、私を心配して早く仕事を切り上げただけで、いつもは夜の7時まで頑張ってる。
 ストレスも多かろう。





 ファミレスに着いて、私達は窓際のテーブル席に座った。早速メニューを見て、私はハンバーグセットを、母はドリアを注文。
 ドリンクバーもどうですか?と店員に勧められたが、お金が勿体ないので断った。水でいい。


「良かったよー。仕事見つかって」

「うん」

「長く続けなさいよ」

「はい」


 と、そこで会話が途切れた。二人とも無言で、窓の外を眺めた。何を話したらいいのか解らないし、どんな話題なら母が笑ってくれるのか、解らない。


 虚しいなぁ……。


 隣のテーブルの親子なんか、映画の話だけであんなに盛り上がってるのに。

 私達って、ちゃんとした親子なんだろうか。

 何か欠落している。大事なものが。


「可奈」

「ん?」

「苦労させてごめんね」

「うん」

「ちゃんと学校に行かせてやれなくて、ごめんね」

「うん」




 。
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