極上の女

伏織

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一章

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 ここ数日の間、降り止む様子の無かった雨が嘘の様に、今日の空は青かった。

 梅雨もそろそろ仕舞いなのだ。これからは、段々と気温の増す毎日が待っていることだろう。



 母の友人が不動産屋を営んでいる伝(つて)で、とある一軒家に引っ越すことが出来た。今日はその記念すべき引っ越し初日である。晴れて良かった。ずぶ濡れで荷物を運ぶなんて、正直嫌だもの。

 引っ越し業者に頼んだ荷物は冷蔵庫、テーブル、洗濯機などの大きなものだけで、皿やその他の荷物は全て、自分達で運んだ。全部の荷物を業者に任せると、お金がかかる。


 近所のスーパーからもらってきた段ボールを箱に組み立て、洋服やら本やら色々、適当に詰め込んだ。全部で8つの箱になった。

 何故そのように荷物が少ないかと言われれば、単純に家族が二人だけだからだ。親は私が15歳の時に離婚して、それ以来ずっと母との二人暮らし。狼藉を繰り返していた父親は私達の人生から完全に消え去り、今は生きているのかすら解らない。どうでもいい。



 母の収入も私の収入も少ない我が家の財力を考えれば、例え中古でも一軒家なんて買えるわけがない。だが母の友人という方がまたとても良い人で、この家を格安で売ってくれた。二年か三年、生活を切り詰めれば払い終わる額だ。今更そんな事ぐらいで堪えるほど、私達はヤワな人生は送っていない。なんとかなるさ。


 私達の新居となる家は、元住んでいた所から自動車で一時間程の距離にあった。近所には大きなショッピングセンター、そして徒歩五分の圏内には駅もあり、かなり条件の良い土地だ。こんな優良物件が格安で手に入るなんて、夢のようだ。

 疑惑はもちろん、ある。
 もしかしたら過去に何か起こった、いわゆる「曰く付き」ってやつなのかもしれない。いくら友人の好意があったとしても、あの額は安すぎる。19歳で、まだ世間知らずな私でも解る。


 しかし親子揃って、殺人や自殺、もしくは違法な動物の死体が転がっていたなどの過去があっても構わない、個人の部屋が持てるくらいの家に住めるなら、祟られようがなんだろうが、平気だと考えていた。

 今まで住んでいたアパートは、夏場は毎日のように台所にゴキブリが現れたし、玄関の扉も外れかけてた。台所の他にはリビングしかないので、布団を敷いて並んで寝た。一人になりたくてもなれなかった。何より喧嘩してもずっと同じ部屋に居るしかなかったので、お互い離れて落ち着いて考えることも出来ず、仲直りするのも大変だった。
 それを思えば、「曰く付き」なんて言葉、大した重要性はない。




「もうすぐ着くよ」


 早起きをして自動車(前もって母が知人から大型車を借りていた)に荷物を積み込んだ私は、移動中に惰眠を貪っていた。前日に母が腰を痛めていたので、荷物は全て一人で運んだのだ。



 運転していた母が、片手で私の体を揺らして起こしてくれた。知らない町並みが、窓の外に見えた。


「ごめんね、荷物全部運ばせちゃって。疲れたでしょ」

「平気平気。ちょっと寝たら元気になったよ」


 時刻は午前9時になろうかという時分。太陽がゆるゆると天に昇りだしたのか、日差しが強く感じられる。日焼け止めを塗るべきだったな。


 平日のこんな時間帯に渋滞なんぞ起こるわけもなく、前に家を見学しに行った時よりは早く着きそうだ。あの日は日曜日だったしね。


「可奈にはもう少し、我慢してもらうことになるけど」

「うん」


 まあ、要はお金のことだ。私は親が離婚してすぐに高校を中退して、それ以来様々なアルバイトをして生活をしてきた。母の収入は正社員にしては少ない手取り11万だったので、私の給料は全て母にあげている。

 母が言いたかったことは、新居の支払いを終えるまで、申し訳ないが給料は全てもらう。だが払い終えたら、それ以降は好きにしていいということだ。


 ちなみに母は破産しているので、不動産屋の友人に個人的に借金をした形になっている。


 正直、給料を全て母に渡すことにはいまだに少し抵抗はある。しかし生活のことを思えば当然だ。母の給料だけでは、ままならない。

 19歳の遊びたい盛りに、小遣いもまともにもらえず欲しい物も買えない現状は辛い。何度かそれで母と争った。
 だが母が悪いわけではない。仕方のないことだ。

 それに、私が欲しい物と言ったら、本かCDくらいだし、そんなもの中古で買えばかなり安上がりである。


「たまに古本買えるくらいで十分だよ」

「……ありがとう」









 今日から新しく住まう我が家は、まあごく普通の二階建ての一軒家だ。申し訳程度の庭と車庫があり、日当たりも普通。普通の見本のような普通の一軒家である。

 ただ改めて見て思ったのは、周りの家よりはみすぼらしい。

 右隣はコンクリートの打ちっぱなしのようなデザインの外壁が印象的な、近代的な家だし、左隣はもう、玄関の門までもが立派な和風の家。屋敷の一歩手前くらいだ。

 私達の新しい家は、「なんでこんな所に建ってるんだ」と思うくらい、高級な住宅街の中にあった。一時は家にまともな食料が無く、なぜか大量にあったゴマだれを啜ったこともある私達親子が、いきなりこんな土地に住めるなんて夢にも思わなんだ。



 私が前の家から自動車に荷物を運んでいた最中、母は引っ越し業者のトラックに同乗して一度新居に行き、家の鍵を開け業者に家具を運び込んでもらっていた。その為、業者はすでに帰った。


 運転の上手い母は、慣れない車庫にも簡単に駐車できた。こういう時、運転の上手さが大事だと感じる。
 しかしいくら上手いとはいえ、時々ものすごいスピードで公道を走るのだけは止めてほしいなあ。


 母が先に家の中に入り、私は自動車のトランクから次々と荷物を運び出していく。我ながら、この細腕で頑張るものだと思う。体重は平均より低いし、運動もあまりしないが、若いだけに体力はあるのだ。


 母の荷物は三箱、私のは三箱、皿など生活用品は二箱。

 私の荷物はほとんどが本で、服は一箱に全て納まった。つまり服装のレパートリーが少ないダサい奴なんだが、流行とかは結構どうでもいい。好きな服を着るだけだ。


 元々の荷物が少ないためか、全部を中に運び込んでも、邪魔にはならなかった。

 母の荷物と私の荷物を二階のそれぞれの部屋に運び、やっと一段落ついた。


 ベッドはすでに部屋にあったが、これは元々私達のものではない。母の友人が無償で譲ってくれたのだ。

 それだけではない。テレビや食器棚、私には本棚と机まで譲ってくださった。


 リビングで母とお茶を飲んで一休みしていた。同じく譲っていただいたソファーに腰掛けて、だ。どんだけ金持ちなんだ、その友人は。


「お母さんの友達、めっちゃいい人だね」

「お母さんもあの人のために色々してきたからね。ギブアンドテイクってやつよ」

「お友達側の“ギブ”が大きすぎるんじゃ……」

「いや、お母さんあの人の命を救ったことあるから」


 それが本当かは知らないが、いい関係だなと思った。正直羨ましい。

 親が離婚する以前、というか物心ついた頃から夫婦仲はあまり芳しくなく、ぎすぎすしていた。
 私はそんな二人を見て言い知れぬ不安を抱き、小学校も中学校も、僅かな高校生活中も、ほとんど登校しなかった。

 ある日帰宅したら家の中が空っぽ、なんてことが起こりそうで、当時住んでいたマンションからほとんど外に出なかった。


 だから友達らしい友達なんて居ない。いや、一人二人は居るが、その人らも同様に不登校の末路を辿ったので、仲は良いのだが会うことが無いに等しかった。


 母とその友人との間にある絆が、羨ましかった。


「可奈にもできるよ、そういう人が」

「……そうかなあ」

「ここで新しい仕事見つけて、色んな人と出会うだろうし、―――――彼氏だって作れるよ」


 そんな母の言葉に、苦笑してしまった。


「ないない」

 彼氏なんて、作る余裕が無い。
 16の頃からフリーターとはいえ社会に出てから、仕事場で男の人に言い寄られることはあった。自分の顔立ちがわりと整っているのだと、その時初めて自覚した。

 母は美人だが、私は子供の頃から父親似で、よく男の子に間違われることもあった。
 成長するにつれ母の遺伝子が現れてきたようだ。ありがたいことに。


 それを自覚してからは化粧に目覚め、自分の顔に妙な自信があった時期もあった。道行く人と自分を比べては、皆を見下していた。
 学歴も社交性も無かった当時の私には、顔しかアイデンティティが無かったのだ。


 今はそれが虚しいことだと解っている。ただの自己満足だ。

 世慣れしてきて、学歴はどうにもならないが社交性はある程度ついてきた。というより、人と接するのが好きだ。
 本当は他人と会話するなんていまだに緊張するし、怖いけど、でも自分の存在を認めてもらえるのが、役に立てるのが嬉しい。だから、無理をしてでも人と関わりたい。


「可奈、昼まで片付けして、ご飯食べてから寝よっか。いや、母さんはそうしたい。そうさせてほしい」

「いや、疲れてんなら寝なよ。片付けは私やるから」


 どうせ私が見てないからと、引っ越し業者の手伝いでもしたのだろう。腰痛持ちのくせに。

「いたたたた!」と声を上げながら立ち上がり、母は痛そうに腰を擦った。


「ごめん、寝るわ」

「はいはい」


 出来れば私もすぐに眠りたいが、そうもいかない。少なくとも生活用品の箱だけは、空にしたい。

 ゆっくりと階段を上っていく母の足音を聞きながら、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。ソファーの前にあるローテーブルに足を乗せ、窓の前に置かれた大きなテレビボードに乗った小さな液晶テレビの画面を眺めた。電源が点いてないので静かだ。画面にはぼんやりとローテーブルやソファーが映り、私の姿もあった。


 さして何も考えず、その画面を見詰めた。首を左右に動かすと、慢性の肩こりのせいで滞りがちな血流が一時期に良くなって、一瞬だけ首元が暖かくなる。

 ソファーに身体が沈み込んでいきそうだ。それほどに疲れていた。


 瞼を閉じそうになる。


「?」


 が、テレビの前を何かが横切った気がした。目をしっかりと見開いて確認するが、何も居ない。眠いから夢うつつなのだろうと思い、とすぐに頭を切り替えて、ソファーから立ち上がった。

 キッチンにある荷物の元に向かって歩き出した私だったが、今度は廊下の方から足音のようなものが聞こえて立ち止まった。


 。 
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