エリス

伏織綾美

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六章

6-3

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始めはある種の使命感に突き動かされていたが、今現在、私を操る力は純然たる好奇心だった。 野次馬根性に似た力のためか、心の中には、どこかこの状況を楽しむ気持ちも芽生えつつあった。
 
それを自覚して、罪悪感を感じた。
 
 
 
「――――っ」
 
 
頭の中にクレアの顔が浮かび、下唇を噛んだ。
ごめんね。クレア。
 
 
でも、私、どうすればいいのか、まだ解らないよ。
今とっている行動が正しいことなのかも解らない。
 
 
今まで、冒険するのはクレアで、私はそれを横で見てた。
成功しても失敗しても、笑顔でいたクレア。
 
 
怖がってごめんね。
助けてあげられなくて、ごめんね。
 
 
せめて、アイツのことだけは捕まえてみせるから。
 
 
クレアが正しかったよ。
確かにアイツは人殺しだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マンションの外壁は薄い茶色で、まだ新しいらしく割りと綺麗だ。 長年の雨ざらしを経た建物とは全く違う。
 
それだというのに、そこを取り囲む空気は重く澱んでいるみたいだった。 何故か息苦しさを感じ、私はコートの首もとのボタンを一つ外した。
 
 
 
 
霊感というものは全く無いが、ここには良くないものが居ると、何と無く思った。
 
人か、空気か、それとも過去か。
 
 
息を切らしつつ外階段を登り、目的の七階に到着した。 エレベーターが故障とは、由々しき事態である。
 
 
階段の最後の一段を登りきり、ふと後ろを振り返ると、
 
 
「わあ………」
 
 
まるでジオラマのような街並みが広がっていた。
 
地上より少し風が強く、そして寒い。 冷たい空気のお陰で、落ち込んでいた心がリセットされていく。
 
 
気分がいい。
 
自殺なんかするもんじゃないなと、強く思った。
 
 
地面に足を付け、いろんなものを見上げて生活していると、確かに窮屈だ。
人は自分勝手だし、自然は自分たちを欲していない。 どちらかというと排除したいのではないだろうか。
 
たまには高い所も悪くない。
こうして神になったつもりで、全てを見下ろすのも、素敵なものだ。
 
 
私は、ここに居る目的も忘れて、地上の景色に見惚れた。 ずっとこうしていたい。 俗世間から離れ、どこか山のてっぺんで暮らしてみるのも、悪くなさそうだ。 標高は大事だけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
色々な思考が一気に湧いて、そして一気に引いた。
 
 
少しの逃避が過ぎた後の心には、今まで以上に平坦で物悲しい気持ちが去来していた。 寂しく感じるのは気のせいではなく、掴んだ砂が指の間をすり抜けて落ちるように、幸福感は消え、現実という名の絶望がまた私を支配する。
 
 
 
 
ここから、飛び降りた人が居る。
 
 
一体誰なんだろう。
 
そもそも、ここに来たのは間違いではなかろうか。
よくよく考えれば、あの切符が何らかの手懸かりになるようにも思えない。 たまたま、あそこの家族の誰かがこの街に用事があっただけかも知れない。
 
 
 
――――でも。
 
 
記憶が正しければ、ここで自殺未遂があった日にちは8月の15日だった。 ポケットから領収書を取り出して、確認する。
 
 
「8月15日」
 
 
間違いない、とも感じさせられる。
 
何らかの関連があると思うのだ。 しかしその一方で、自分自身への不信感が強くなっていく。
 
 
胃のあたりが焼き付くような、熱い感覚がして、朝から何も食べてないことを思い出した。 気付いた途端に身体がだるくなる。
 
短いため息を吐き、右手で額を押さえた。 なんだか頭も痛くなってきたぞ。
とりあえず何か食べに行きたい、そう考えていた私の背後で、何者かの気配がした。
 
 
 
 
 
 
驚いて後ろを見る。 そこに居た人物も、大層びっくりした顔をしていた。
 
 
「誰?」
 
「こ、ここ、こっちが訊きたいわ! 誰だよアンタ! 自殺かよ、勘弁しろよ」
 
「いや、違うけど……」
 
 
その人物は、男とも女ともとれる、非常に中性的な外見をしていた。 黒いコートに黒いジーンズ、靴も黒いし髪の毛も黒い。 唯一、肌だけが雪のように白かった。
 
 
「違うのかよ。 じゃあ何だ、バードウォッチングか」
 
「いや、それも違う。 ていうか、なんでバードウォッチング」
 
「知らねーよ。 とにかくなにやってんだよ。 俺んちのあるマンションで自殺なんか二度とごめんだぞクソ女」
 
 
え………なんか、クソ女言われた。
 
口調からして、どうやら男のようだ。 年齢は私と同じくらいに見える。
 
 
 
しかし、何時からそこに居たのだろう? 全然何も感じなかったが。
 
 
「何見てんだよ。 引きずり回すぞ」
 
「やめて下さい。 ―――このマンションに住んでるの?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「住んでない」
 
「は? でも、さっき………」
 
「ああ、あれ? ああ言えばちょっとは罪悪感抱くかなーと思って。 悪い?」
 
 
当然のように話す少年に、思わず納得しかけたが、イカンと思った。
 
 
「十分悪いと思う」
 
「そんなの知らん」
 
「…………」
 
 
めちゃくちゃだなあ。
 
 
「ところで、アンタなんなの? この辺の奴じゃねぇだろ」
 
「そうだよ。 あっ……あの…」
 
 
ここに住んでないにしても、間違いなく私よりはこの辺のことに詳しそうだ。 丁度良いとばかりに、私は自殺未遂のことを話題にしようとする。 だが、少年はうざったそうに「あーやめやめ」と遮った。
 
 
「よく来るんだよ、探偵気取ってるやつがさあ。 どうせ面白がってんだろ? 人が一人死んだってのに」
 
「わ、私は……」
 
 
私は違う、と言いかけて、ハタと気付く。 「今、“死んだ”って言った?」――――聞き間違えではない、今、少年はハッキリと「死んだ」と言った。
一命はとりとめたんじゃなかったか? あのニュースはガセか?
 
 
「言ったよ。 あんなの、もう死んでる」
 
「…………」
 
「うわ、その顔……。 なんかマジなん?」
 
「もしかしたら、知ってる人かもしれないの」
 
 
私の言葉を聞いて、少年の表情が消えた。 真っ黒な瞳に、私の姿が映っているのが見える。
 
 
「わかった。 案内する」
 
 
機械のような口調でそう言うと、私に背を向けて歩き出した。 黙って見ていると、振り返ってついてこいと手招きしてきた。
 
慌てて走って後を追いながら、妙に物分かりがいいなと不思議に思った。 それに、妙に影が薄いというか、存在が薄い感じがする。 世界が違うような、同じ空間に居るのに次元が違うような、よく解らない違和感。
 
 
エレベーターに乗り込み、少年がボタンを押す。
 
 
「どこに行くの?」
 
「病院」
 
「あんた、オカマ?」
 
 
わざとふざけて訊いてみた。 少年はゆっくりと私に顔を向け、「少なくともお前みてぇな貧乳には反応しねぇわ」なんとも無礼なことを言って、冗談ぽく笑った。
 
 
「一瞬びびったろ、俺が無表情になって」
 
「うん、気色悪かった」
 
「おまっ、初対面の人にそういうこと言う?」
 
「初対面の人に“引きずり回すぞ”とか言う?」
 
「くっ…………、賢しらに口答えしよってからに」
 
 
 
 
 
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