エリス

伏織綾美

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六章

6-1

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背後を何度も振り返りながらも、駅まで走った。 誰も追ってこないし誰も呼び止めないのが、反って恐ろしかった。
 
 
駅のロッカーから荷物を回収し、付近ビルの六階にあるネットカフェに行った。 そこならば個室に扉が付いていて鍵も掛けられるし、仕切りも高い。 覗かれる心配も少ないので、たまに裕一と二人でまったりしたい時に利用していた。
 
 
 
 
個室のリクライニングチェアーに腰掛け、長い長いため息を吐いた。 少しずつ興奮で逆上せた(のぼせた)脳内がクリアになる。
 
 
先程まで、自分がしていた事を思い返してみたら、口元が緩んだ。
 
 
 
今まで生きてきた中で、最高にスリルのある体験だった。 殺人の恐怖はどこへやら、私は自分の「挑戦者」な一面を誇らしく思い、声を押さえて笑った。 楽しかった! 不謹慎だとは解っていながらも、笑わずには居られなかった。
 
よくよく考えてみれば、わざわざチェーンを千切って扉を開けたのに、まんまと私に逃げられて、居間に仁王立ちをしている、あの姿の滑稽なことといったら……。
 
 
 
自分が少し成長した気分になりながら、コートを脱いだ。
 
やっぱり、柵を乗り越える際に裾が少し破けたらしい。 右の方が僅かに開いていた。
 
 
そんなに気に入ってもなかったし、後で縫えばいいかと眉を上げ、ポケットに手を入れて携帯を取り出した。
 
 
「あ………」
 
 
同時にポケットからヒラリと落ちた紙切れ。
 
忘れてた。
弾みで持ってきたが、これのせいであいつに見つかったらどうしよう。
 
 
まだ緩んでいた口元を引き締める。 捨てよう、こんな紙切れ。 ビリビリに破いて捨ててしまえ。
 
 
膝の間に落ちたそれを指で摘まみ、目の高さに持ち上げた。そうして初めて、それが電子マネーの領収書であると確認できた。自宅のある駅と学校のある駅の往復のなんかに、一つ、ルーティンではない駅名があった。行き先は隣の県で、知らない土地の名前だった。
 
 
通学にも利用しない路線だし、何より日にちは今年の8月半ばのものだ。 学校のあった日ではないし、隣の県に友達が居るほどの社交性のある人間だとも思えない。
 
 
考えていてはらちが明かないので、目の前にあるパソコンで検索することにした。 切符はキーボードの脇に置き、万が一風で飛ぶことを考えて水の入った紙コップを上に乗せる。
 
 
検索サイトにアクセスし、『○○県 ××』と切符にある地名を入力して検索ボタンをクリックした。
 
 
 
  
 
 
あまりパソコンは使わないので、一度右クリックと左クリックを間違えた。 五本の指のなかで普段一番使うのは人差し指と言っても過言ではない。 それ故か、ほぼ迷わずにマウスの左のボタンでクリックするのだが、当然反応は無い。
 
 
「…………」
 
 
そのことに少しイラッとしたけど、引きずるほどじゃない。
 
 
 
 
 
 
検索結果のページになり、ざっと目を通すが目ぼしい情報は無さそうだ。 あそこの店が美味しいとか、そういったものばかりで、あいつに繋がりそうな事ではない。
 
 
一気にやる気が失せた。 帰りたい。
 
しかしこれ以外に手がかりはないし、何より今日は家宅侵入や窃盗(紙切れ一枚だが)等といった犯罪を犯している。 今さら後戻りは出来ない。 明日、あいつと学校で会ったら、何をされるか解ったもんじゃない。 ――――きっと、もう家に忍び込んだのは私だってバレてる。
 
 
私は椅子に寄りかかりそうになった背筋を伸ばし、パソコン画面に集中した。
 
 
病院、レストラン、小学校、デートスポット――――………
 
 
しかし、どうでもいいものばかりだ。
やはり何の手掛かりにもならないのだ。 私は今、無駄なことをしている。
 
 
再び椅子に寄りかかろうとするが、スクロールされた文字の中に気になるものがあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
『○○県××、身元不明の少女が投身自殺未遂。未だ意識不明。そして身元も……』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
反射的にそのリンクをクリックしていた。 アクセスした先は有名な匿名掲示板のスレッドで、最終書き込みは先月の12日でストップしている。
 
 
 
 
 
『8月15日、夜22時30分頃、○○県××にある11階建てマンションの7階から、少女が投身自殺を謀った。
 
 たまたま飛び降りた下に違法駐車のバンがあったのと、付近に目撃者が居た為、すぐに病院に搬送され一命をとりとめたものの、未だ意識は戻らないそうな。
 
 私の知り合いの看護婦がその病院に勤めてて、この話を聞いたんだけど、その子の身元も解らないしそれらしい捜索願も出てないって。
 
 親は何をやってんだって、腹が立ったよ。
 それとも、彼女の両親はもう……?』
 
 
 
 
これだ。 絶対、これだ。 間違いない。
根拠の無い確信ではあるが。
 
私の思考はもう既に事件捜査に燃える刑事のそれで、理屈ではなく直感だけに頼っている状態だった。 その直感が、これだと云う。
 
 
 
しかし結論を急ぐほど、冷静さを欠いてはいなかった。
 
 
 
スレッドの書き込みを見ていくと、病院の名前が一度だけ書かれているのを発見した。 他にも自殺未遂があった現場の、およその住所も解った。 私はそれらを手近な紙に殴り書き、椅子から立ち上がった。
 
手早く荷物をまとめ、切符もちゃんと財布に仕舞い、個室を後にした。
 
時刻は13時。急いで電車に乗れば、30分で隣の県に行ける。
 
 
 
善は急げ。
私は今から、実際にその現場に向かうつもりだ。
 
 
人殺しが、今ものうのうと野放しになっているのだ。 しかも私の身近で。 許せたもんじゃないだろう。
 
 
 
―――――っ、―――――っ、
 
 
 
コートのポケットの中で、携帯が震えた。
 
取り出して見てみると、メールの着信だった。 ………一体誰からだろう。
 
 
気になってメールフォルダを開くと、先頭に表示された新着メールの差出人を確認した。
 
 
 
『中村彩香』
 
 
 
 
「…………」
 
 
動けなくなった。 個室のドアを掴んだ状態のまま、およそ30秒ほどか。 私は呼吸も忘れてその画面に見入った。
 
 
 
 
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