エリス

伏織

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五章

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5章
 
 
 
20××年 11日28日 月曜日
 
 
三時限目は体育で、今日はグラウンドで持久走をするという。
 
少しずつ肌寒くなり、半袖の体操服姿で授業を受けるのは、私たち生徒には苦行である。 教師のほうは上下長袖のジャージだし、私たちにああしろこうしろと言うだけなので、気持ちは解らんのだろう。 数十年前は同じ立場だったというのに。
 
 
女子校なので男子の目を気にする必要もなく、皆教室で堂々と下着姿を晒して着替える中、私は自分の席に座ったまま俯いていた。
 
 
「どうかしたの? 菜月ちゃん」
 
「ん、ちょっとお腹痛くって」
 
「大丈夫?」
 
 
以前よりずっと明るくなった中村が、心配そうに私の顔を覗き込む。 よく見れば整った顔をしている。 とびきり可愛いとは言えないが、昭和のアイドルのような、すすけた愛嬌を感じる。
 
 
「ちょっと、トイレ行ってくる。 大丈夫そうだったら着替えてくから、先に行ってて」
 
 
一人、また一人と着替えを済ませて教室から出ていく。 中村は少し戸惑う様子があったが、「大丈夫だよね……。 もう、一人になっても、何もされないよね?」と不安げに呟き、
 
 
「よし! 行くぞ!」
 
 
と決心した顔で教室から出ていく。
 
 
 
 
 
 
「…………」
 
 
さて、これで中村は居なくなった。
一安心して、鼻から盛大に息を吐いた。
 
 
私は教室に残っている面子を見回して、一人の女子を注視した。
 
 
 
 
 
藤野早織。 髪の毛は短い茶髪で、赤い縁の眼鏡を掛けている。 身長は中村に次いで低く、五センチ程高いだけだ。
 
彼女は今、セーラー服の上を脱いだところ。 下に着ているジャンパースカートのジッパーを下ろしている。
 
 
あのジャンパースカートは、オシャレ好きな生徒には曲者で、丈を短くするのが難しい。 思い切って自分で裾を上げる生徒や、肩の部分をつまんで安全ピンで留め、膝丈より少しだけ短くしたりと、試行錯誤している。 別にスカート丈を短くしてはいけないと校則に書いてある訳ではないので、そこら辺は自由だ。 夏服は普通のスカートなのだが、冬服は冷えを防ぐ目的なのか、そういう仕様なのだ。
 
 
藤野のスカートは、彼女自身の手で膝上15センチに裾上げされている。 裁縫が得意なので、私や、右田や、クレアにも頼まれて、友達の制服の裾上げもやった。
 
 
 
 
そう、彼女は私と同様、クレアと仲が良かった。 私とも仲が良かった。
 
勿論いじめにも参加していたし、ほぼ毎回、中村を押さえ付ける役目だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
「――――っ」
 
 
私の視線に気付いたのか、ジャンパースカートを脱いでいた藤野が振り返った。 先に体操服の下を履いていたらしく、その下から青いショートパンツが現れる。 そこから伸びる腰は細く、しかし骨っぽさは無い。 女性らしい柔らかさのある曲線を描いていた。
 
 
びっくりしたような、しかし未だ残る親しみを込めた笑顔ではにかみ、藤野は着替えに戻った。
 
 
「ね、藤野」
 
 
教室から徐々に人が居なくなる中、私は藤野に歩み寄った。
 
 
「久しぶりだね、喋るのは」
 
「………菜月」
 
「私のこと、怖い? 中村と仲良くしてるから、怖い?」
 
 
そう言いながら、視界が僅かに滲むのが解った。
 
前はあんなに仲良かったのに。 一緒に映画を見たり、買い物をしたり、…………楽しかった。
 
 
あんなことがなければ、クレアや皆が死んだりしなければ、私と藤野は、こんな、言葉を交わすことに息苦しさを感じたりする関係にはならなかった。
 
今でも友達だと思ってるし、藤野のことが好きだから、本当に辛い。
 
 
「………ごめんね」
 
 
同じことを考えていたのか、藤野も目に涙を湛え、そんな謝罪をしてきた。
 
 
「わたし、菜月とまた一緒に遊んだり、喋ったりしたいし、中村にもちゃんと謝りたい」
 
 
私は、中村を押さえ付ける時の藤野が、とても悲しそうな表情をしていたことを思い出した。 今すぐ逃げたい、今すぐ止めたいと、強く思いながらも目の前の恐怖に負けた自分への罪悪感が、まざまざとその顔に刻まれていた。
 
大粒の涙が、彼女の頬を伝い、白い体操服に落ちる。 それを見ながら、私は別のことを考えていた。
 
 
 
卒業アルバムのあの顔。
 
 
 
「ね、藤野。 今日、放課後遊ばない?」
 
「…………え?」
 
「中村も誘ってさ。 で、―――謝ろうよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その提案に、藤野は決心がつかない様子で目を伏せた。
 
 
「あんな酷いことをしたのに、許してくれるかな?」
 
「大丈夫だよ。 中村は解ってくれると思う。 それに、意外と面白いよ、中村」
 
 
仲良くなれるよ、と励ました。 それでもまだ不安そうだったが、藤野は了承した。
 
涙に濡れた顔を着ている体操服の袖で拭いて、藤野は微笑んだ。
 
 
「頑張ってみるよ、わたし。 菜月みたいに、クレアに直接やめるようには言えなかったけど、ああいうことは本当に嫌だったの」
 
「うん」
 
「だから中村に謝る。 で、二度といじめには加担しない」
 
「うん、頑張れ」
 
 
藤野の肩を拳で軽く押すと、彼女も同じようにして返した。 急いで着替えていくから先に行っててと言って、私は自分の席に戻った。
 
 
 
 
 
 
ついに、教室に私一人だけになった。
 
授業開始が近いので、廊下にも人は居ない。 元々、真面目な生徒が多いのだ。
 
あの日から五日間、練りに練った計画を、ついに実行する時。
 
 
私はさっさと制服を全て脱ぎ捨てた。 何か着る必要は無い。 既に下に体操服を着ているからだ。
 
 
適当に制服を折り畳んで机に置き、一番後ろである自分の席に背中を向ける。 当然、目の前には生徒の荷物を入れるロッカーがあるわけだ。
 
扉が付いていて鍵のあるような上等なものではなく、中に何があるのか、押し込まれているのか一目にして瞭然だ。 それぞれの荷物(大抵が通学カバンと教科書)のところに、ご丁寧に名前がプリントされたラベルが貼ってある。
 
 
あの子の荷物の所まで行き、まずは携帯でその荷物がどんな様子で入っているのか解るように写真を撮った。
 
そして廊下に人が居ないか一度確認してから、通学カバンを引っ張り出した。
 
前に何回か見たが、確か家の鍵を通学カバンの両脇にある小さなポケットに入れていたはずだ。 よく落としてしまうのだが、落としても気付くように、音のする鈴などをつけるよう勧めたが、動く度に音がするのがイライラすると言っていたっけ。
 
 
「あった」
 
 
見付けた。 やっぱり両脇のポケットに入れていた。 小さな熊のキーホルダーが付いている、銀色の鍵。
 
 
携帯の画像を確認しながら荷物を元に戻し、鍵は自分のカバンの中に押し込んだ。
 
 
生まれて初めての窃盗行為に、心臓が激しく鼓動をしていた。 呼吸も荒い。
 
 
 
しかし、私はこれから、もっと酷いことをするつもりなのだ。 こんなことで動揺していては、先が思いやられる。
 
 
 
 
 
 
 
 
………
………………
………………………
 
 
 
「いいよ、全然気にしてないよ!」
 
 
いつかクレアと来たクレープ屋に、私と藤野と中村が居た。 何の因果か、それとも「呼ばれた」のか、あの日クレアと向かい合って座ったテーブルを、三人で囲んでいる。
 
そのことを知っているのは私だけで、だからといってどうということもないのは解ってる。 色々と関連付けたいだけなのだ。 己の弱さ故に殺されてしまったクレアの無念、他に殺された皆のためにも、私は行動するのだ。
 
 
藤野が深々と、テーブルに額が付きそうなくらいに頭を下げて謝罪すると、中村は逆に申し訳なさそうにそう言った。 何を思ったのか手にしたクレープを藤野に差し出し、「ほら、食べて元気だして! おいしいよ!」―――――そのクレープには大きくかじった跡があるのだが。
 
 
「いや、それ、もう一口食べてるじゃん」
 
「いいじゃん、女同士なんだし。 …………あ、まさか潔癖症?」
 
 
顔を上げた藤野に向かって問いかけながら、首を傾げる中村。 手の中のクレープも同じように傾き、入っていたイチゴが一片、ポトリとテーブルに落下する。
 
 
「ああっ」
 
 
この世が終わったような顔でそれを見つめる中村の様子に、私と藤野は吹き出した。
 
 
「イチゴならまだ入ってるよ!」
 
「そんな、いっこ落ちたぐらいで!」
 
 
何処かクレアと居る時の懐かしさを感じた。 中村は、所々違いはあるが、なんとなくクレアに似ているのだ。 今みたいにちょっとしたことで大袈裟な表情をしたり、嫌な事があっても引き摺らないところとか、笑った顔が魅力的なところも。
 
しかし決定的に違うのは、身長や体型もそうだが、他人に怒りを覚えることがあまり無いところだ。 クレアは私達の失言や嫌な態度をはっきりと批判するし、「あれは正しくて、これは間違っている」という線引きが恐ろしいくらいに明確だった。
 
喧嘩したら、一度謝ったくらいじゃ許さない。 そういう感情の激しい起伏があったが、中村は逆だ。
 
なんというか、怒りの沸点が異様に高い。 本人に訊いたら認めたのだが、父親がとても厳しい人で、つい最近まで午後17時30分までに帰らないと殴られるらしかったのだが、それすらも「娘のことが心配なんだよ。 心配してくれる親ってだけで有難いよ」と、ヘラヘラしているのだ。 流石にここ最近は「友達が出来た」と伝えたところ、門限が20時までに延びたらしいが。
 
 
親が親だから、鍛えられたのだろう。 彼女のご両親には失礼だが、そう思った。
 
 
「ね、藤野さん」
 
「ん?」
 
「友達になってくれる?」
 
 
そういう、私や藤野なら恥ずかしくて言えないような事を、本気で言ってくる素直さも、嫌味っぽくなくて好感が持てる。
 
藤野もそう思ったのか、満面の笑みで頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「えへへー、カップル成立ー」
 
 
ヘラヘラとテーブルの向かい側から手を伸ばし、藤野の制服の袖口を摘まむ。 いや、カップルじゃねえしと低い声でツッコミながらも、藤野も嬉しそうだった。
 
 
「さて、私はちょっとトイレに行くわ。 あとは若い人同士でどうぞ」
 
 
と、ふざけながら立ち上がり、テーブルを離れた。 クレープ屋を出て、エスカレーターを通りすぎた曲がり角で振り返ると、二人は互いにニコニコしながら何やら話していた。
 
 
それを微笑ましさと罪悪感でいっぱいになりながら、脳裏に焼き付けた。
 
 
 
 
 
 
クレープ屋から離れた所にある、施設の南側出入口に向かった。
 
そしてその出入口左手にある小さな鍵屋に近づき、「合鍵を作って下さい」と、盗んだあの子の家の鍵を出す。
 
 
「630円です」
 
 
店主のオジサンは私を一瞥、その後は鍵に視線を釘付けにして、無愛想に言った。 予め用意していた小銭を出し、番号札を受けとる。
 
 
「五分から十分ぐらいで出来ますので」
 
 
それだけ言うと、私に背を向けて作業を始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ただいま」
 
「おかえりなさい。 遅かったね」
 
「まだお腹痛いの」
 
「あー、だから何も頼まなかったのねー」
 
 
腹痛だと疑わない中村は納得したように頷き、残り少ないクレープをやっつける作業に戻った。 藤野は少し不思議そうな顔をした。 それに気付いてまた心臓が激しく鼓動しだすが、どうやら彼女は深く問い詰める気は無いらしい。
 
 
「これからどうする?」
 
「ああ、もう18時30分回ったし、中村はまだ大丈夫なの?」
 
「無理。 帰らなきゃ」
 
 
腕時計を見ながらそう言い、最後の一口を口に放り込んだ。
 
 
「藤野は?」
 
「わたしも。 今日は弟の誕生日だから」
 
「何歳だっけ」
 
「八歳。 めちゃくちゃ楽しみにしてたし、シスコンだから行ってあげなくちゃ」
 
 
なんと微笑ましい。 私もそういう、可愛い弟がほしいと思ったことがある。
 
 
「菜月は?」
 
「ちょっと、彼氏と待ち合わせがあるんで」
 
「くそ、羨ましいな」
 
 
 
 
 
 
 
と、いうことで、藤野と中村は帰る為に駅に向かった。
私はというと、彼氏との待ち合わせとの話は勿論嘘であった。 裕一とは最近メールのやり取りしかしていないが、そろそろ会いたいなあ。 抱き締めて欲しい。
 
 
「出来てますか?」
 
 
先程の鍵屋で、番号札をカウンターに置きながら店主のオジサンに訊いた。 オジサンはそんなに急かさなくてももうできてる、とかなんとかぼやきながら、私が盗んだ鍵と、真新しい合鍵を渡してくれた。 別に急かしてないのだけれど。
 
 
 
 
 
 
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