エリス

伏織綾美

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四章

4-5

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世間知らずで意気地の無い17歳は、それが頭を過った瞬間から、逃げ出したい衝動に駆られた。 しかし戻れば、暑い蒸し風呂のような体育館で授業だ。
 
 
「……………」
 
 
大丈夫だろう。
そんなの、もう何十年も前の話だろうし、霊感なんて全く無いもの。 金縛りにだって遭ったこと、無いんだし。
 
 
無理やり自分を納得させて、一番奥で窓に面した個室へと向かう。 少し臭いけど、窓を開ければ大丈夫。
 
 
「…………?」
 
 
確かに臭い。
しかし糞便を思わせるものとはまた、少し違う。
 
鼻をつくような、はたまた鼻から更に奥の喉を刺激するような臭い。 しかもどうやら、一番奥の個室で臭うようだ。
 
 
「あのー、誰か居ますか?」
 
「………っ、う、」
 
 
彼女の呼び掛けに、すぐに返事がきた。 わずかなうめき声と共に、その個室から物音がした。
 
叫びそうになったが、どうも幽霊ではなさそうだ。
 
 
「あ………うっ、ううっ」
 
 
弱々しいうめきとは逆に、個室の扉が力強く開く。 鍵は掛かっていなかったらしい。
 
そしてその扉を蹴ったらしい足が見えた。 彼女はすぐに駆け寄った。
 
 
「あ、あぁぁぁ………っ」
 
 
そこで見た光景に、彼女は発狂でもしたかのような叫び声を上げながら、走ってトイレから出ていった。
 
 
 
 
 
 
さて、読者の方々のため、少しだけその個室の中を覗いてみよう。
 
 
その中でもがいていた人間は、様式便座の上で腰掛ける形で、既に息絶えている。 恐らくは傍らに落ちているペットボトルが原因だ。 フィルムは剥がされており、中にはどうやら水が入っている。
 
その水に毒物が入っていた可能性が高い。
 
 
 
 
肝心のその人物の様子だが、かなり苦しんだようで、自らの首を引っ掻いた赤い後が痛々しく残っている。 肌が透き通るように白いので、余計目立つ。
 
口からは白い泡を吹いていて、それがこぼれる唇は真っ青で、生きていた頃とは大違いだ。
カッと見開いた目は天井の模様を虚ろに映し、よくよくみれば目尻には涙も滲んでいる。
 
 
 
その肌は白く、江戸川乱歩の「蟲」という小説のように、身体中に白い絵の具を塗ったかと錯覚しそうになる。
 
 
死んでいる。明らかに死んでいる。
 
 
 
彼女の美しい金髪が、無残にも刈り取られて個室の中に散らばっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
………
………………
………………………
 
 
クレアが死んだ。
同時に、中村がいじめに遭うことは無くなった。
 
さすがに、もう怖いのだろう。
中村をいじめていた人間が悉く死んでいき、ついに主犯格のクレアが自殺したのだから。
 
 
 
そう、あれは自殺だ。
 
 
クレアの死因は、ペットボトルの中の青酸カリ入りの水を飲んだためだという。
 
調べてみたのだが、青酸カリの致死量は耳掻き一杯程度の猛毒らしい。 しかしあの水の中には、牛も即死する程の濃度だったそうだ。
 
 
私は親友だったが、だからといって全てが知らされるわけじゃない。 客観的に見て、完全に部外者だ。 被害者と仲良しだっただけ。
 
だから、これらの情報は全て新聞の記事から。
 
 
クレアの髪を切る時に使用されたであろうハサミもトイレの便器の中に沈んでおり、クレア自身の指紋があった。
 
クレアの家のパソコンから履歴を調べたら、自殺サイトへ何度もアクセスした形跡があり、死ぬ三日前には自宅にクレア宛の小さな封筒が届いていたらしい。
そのサイトには、「青酸カリ売ります」「一緒に自殺しませんか」等という書き込み等がされていた。
 
 
 
恐らくクレアはそれで青酸カリを購入し、その封筒に、粉末の青酸カリが小さなビニール袋に入った状態で入れられていたのだろう。
 
 
 
 
私と放課後、クレープ屋で座って会話した翌日だ。
 
朝は普通に登校してきてたし、談笑していたのに、どうしていきなり?
 
そりゃあ、様子がおかしい点は沢山あったけど、自殺する直前に友達と笑いあうなんて、あの子に出来るのか?
 
 
私は悲しかった。だけど、泣けなかった。
 
心が壊れてしまったから、というより、「まだ終わっていない」と感じるからだ。
 
クレアが死んだことが、全ての終結が来たとはどうも思えない。
 
 
何かを忘れているような気がする。
何を忘れたのだろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
………………………
………………
………
 
 
 
20××年 11月23日 水曜日
 
 
今日は勤労感謝の日で、学校は休みだった。
 
私は一日中リビングのソファーの上で過ごした。 テレビでDVDを見たりゲームをしたりと、いわゆる自堕落な生活。
 
 
クレアが死んでからおよそ一ヶ月、何事も無く過ごせた。 中村を攻撃してくる輩は潰え、クレアという光のようなアイドルが消え去ったことと、人数が減ったこと以外は、ほぼ以前のクラスに戻った。
 
 
私は中村と一緒に過ごすことが増えた。 今まで仲良くしていた友達は死んだし、何より、中村は思っていた以上に気さくで面白く、一緒に居て苦痛ではない。
 
 
周りはというと、未だに中村への恐怖心が色濃く残っているようで、皆、微妙に中村を無視しているし、彼女と仲良くしている私に対しても、何処かよそよそしい。
 
 
しかし、いいのだ。 私は今、実に充実した気分で学校生活を送れているわけだし、まるで悪性腫瘍のようだったいじめが無くなっただけでも、十分なのだ。
 
 
 
 
「お母さんもゲームさせて」
 
 
格闘ゲームをしていると、つい先ほどパートから帰ってきた母親が隣に腰掛けながら言った。 きりの良い所でコントローラを渡すと、母親はお気に入りのキャラクターを選んでストーリーモードを始めた。
 
 
一度夢中になると中々止められないのは血筋かと、始めは隣でテレビ画面を眺めていたが、だんだん退屈になった。 RPGならば、横で見るだけでも面白いものだが、格闘ゲームはさすがに飽きる。
 
 
「夕飯は何?」と訊いてみるが、無視された。 集中しているらしい。 画面を見たら、大柄な男性のキャラクターが、小さな女の子のキャラクターにぼこぼこに殴られている。
 
 
お茶でも飲もうと立ち上がり、台所で冷蔵庫から取り出した麦茶のポットをカウンターに置く。
 
 
「…………」
 
 
ふと、カウンターの端に置かれたものに目がいく。 母親の高校の卒業アルバムだった。
元は白い装丁みたいだが、経年のせいか保管状況のせいか、若干黄ばんできている。
 
 
 
麦茶は後回しにして、私はそのアルバムを手に取った。 母親の若かりし頃の姿が、とても気になったのだ。
 
表紙を捲り、校舎の写真や教師らの写真のページを次々と飛ばしていく。 私が今通っている学校と同じなので、校舎は別にどうでもいいし、教師も然り。 今より新しいだけだし、知ってる顔なんて無いし。
 
 
「おっ……」
 
 
三年一組、そこで手が止まる。 クラスの集合写真の所で知った顔を見た。 勿論母親なのだが。
 
 
 
 
なんと、私にそっくり。
目元が私より少し切れ長で、身長は私より高い。 だが笑った顔は、なんで私が写っているのだろうと思うくらい似ている。
 
 
次のページを捲ると、一人一人の写真があって、母親の写真はちょうど真ん中辺りにあった。 青い背景にニッコリ笑う少女。
 
私も、いつか子供を生んで、その子供が同じように卒業アルバムを眺めるのかなあ……?
 
 
 
そんなことをしみじみと考えつつ、またページを捲った。 次のページには体育祭の時に撮ったのだろう、集合写真とそれぞれが競技に挑む写真があった。
 
 
「……………っ」
 
 
一瞬にして微笑ましい気持ちが失せ、代わりに戦慄が走った。
 
 
「なんで………」
 
 
そう、まさに「なんで」だった。
 
 
右のページの、一番小さな写真に写る少女は、私自身よく知っていて、私と同い年のはずの人だった。
 
 
なんで、なんでこの人が。
 
 
私は思い出した、あの笑顔を。
中村を取り押さえた時に見た、あの時の顔を。
私と同じようにクレアの狂気に怯えながらも、抗うことが出来なかった時の、あの複雑な表情を。
 
 
 
まさか、その子の母親ではないかと思い、顔を近付けてよく見る。 写真は小さいが、顔が大きく写っているので間違えようがない。 私が知っているあの子と、全く同じ顔だ。
 
しかしクラス一人一人の写真のページや、卒業アルバムのために撮った集合写真には写っていない。 何故だ。
 
 
不審に思い、アルバムの中を全て見ていった。
 
入学式の写真、――――小さくだが、一枚だけ写っている。
二年の文化祭、―――― 一番大きな写真の、かなり端に横顔が。
 
三年の体育祭、退場の場面で他の生徒らに紛れて写っている。
 
 
 
三年の文化祭、―――何処にも写っていない。
 
 
 
「お母さん!」
 
 
普通に呼んだつもりだったが、声が大きくなっていた。
 
 
「何よ? もう少しだから邪魔しないで」
 
「いや、もう、中断して! スタートボタン!」
 
「うるさいわね、何なの?」
 
 
ゲームを中断させて、不満そうな顔で振り返った母親の元に急いで駆け寄り、アルバムを見せた。 そしてあの子が写っている写真を指差して
 
 
「この子、誰?」
 
 
と訊いた。
 
あらあら、と母親は不思議そうに呟きながらアルバムを受け取り、「名前、何だったかしらね」と言った。
 
 
「前に話したでしょ? いじめに遭って転校した子が居るって、その子よ」
 
「いつ頃転校したの?」
 
「うーん、夏休みが終わってすぐにいじめが始まって、10月? 秋にはもう居なかったわね」
 
「名前は?」
 
「思い出せないわね……。 どうしたの? 菜月ちゃん、変よ」
 
 
そりゃあ、母親はこの異様な事態を知らないから、そんなに平然として居られるんだ。
 
 
身体中が震えて、歯がカチカチ鳴り出した。
明日、学校に行きたくない。
 
 
アイツが、私のクラスで待ち受けている。
 
 
 
私は直感した。
 
一連の真犯人が誰か、今、はっきりと解った。
 
 
 
 
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