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四章
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しおりを挟むまあ、そんなものはただの言い訳でしかないのだが。
私はクレアに、明日中村と一緒に弁当を食べないかと誘うつもりだった。 右田の一件以来、人との間に分厚い壁を隔ててやんわりと他人を拒絶していた彼女が、今、やっと私に心を許し始めた。 少なくとも私にはそう思えた。
ショッピングモールの一階にある店で、私はクレープ、クレアはバニラのソフトクリームを頼んだ。 そして店の中のテーブルに向かい合って座り、黙々と自分が頼んだものを食べた。
何か話すきっかけが欲しくてクレアを見るが、ただソフトクリームを可愛らしく食べてるだけだった。 彼女を笑わせるような、楽しい話題でもないだろうか。
「あ…………」
私の願いが通じたのか、突然近くのテーブルに居た客が大きな声で笑いだしたことに驚いたクレアが、一瞬身を緊張させた。 その拍子にソフトクリームが彼女の顔にぶつかり、鼻が真っ白になったのだ。
「…………」
「…………」
私達は顔を見合せ、そして盛大に吹き出した。
こんなに笑ったのは久しぶりだと感じる程に、声を上げて哄笑(こうしょう)した。 私が渡した紙ナプキンで鼻を拭きながら、クレアもひいひいと笑っていて、「恥ずかしいなぁ!」息も絶え絶えに言うのだった。
良かった、と私は安心した。 これで彼女の壁が崩壊した、と。
そこで、中村の話をしてみようと考えた。
あ、そうそう……と、私が話しだそうとするのを遮って「あのさ」急に真顔に戻ったクレアがそう切り出した。
「わたし、もう中村には関わらないことにした」
「…………あ……それって」
「あいつをいじめるつもりは、もう無い」
「…………そうなんだ」
出鼻を挫かれた上に、中村とクレアを関わらせたいと考えていた私は非常に残念な気持ちになった。 彼女の顔は相変わらず綺麗だけど、浮かべている虚ろな微笑みのせいで恐怖に似た感覚がする。
「あいつをいじめても右田は生き返らないし、もしかしたらまた、わたしの大事な親友があいつに殺されるかもしれないもん」
「…………」
だから、中村が殺したって証拠は無いって……。
クレアが本気で中村が殺人犯だと考えていた事に、失望した。 あれはいじめの口実だとばかり思っていたのだが。
「その顔、わたしに呆れてる?」
「別に」言った後、クレープにかぶりついた。 その話はもう終わりだとばかりに。 しかしクレアはまだ私を見ていて、その手の中のソフトクリームは少しずつ溶け始ていた。
「わたしだってね、冷静なんだよ」
子供に言い聞かすような口調で、クレアはゆっくりと「中村が人殺しだという確実な証拠は無いし、そもそもあいつは万引きすらしてない」そう言いながら、手の中のソフトクリームを傾ける。 テーブルに溶けたクリームが滴る。
「わたしがやってたことは、ただのいじめ。 誰の目から見てもわたしが全面的に悪い結論に至る」
「……こぼれてる」
「いいよもう、要らない」
と、そのままテーブルの上にソフトクリームを置いてしまう。 白い物体がテーブルの上に落ちて、コーンは転がって床に落ちていった。
「でもね、中村を黙らせる必要があったんだよ、わたしには」
今までにない程真面目で真摯な表情を、私に向けてくる。 「いっそ殺してでも」先程までの狂気は何処へやら、彼女は私に、心から訴えかけてくる。 様子こそ充分に真面目だが、主張は猟奇的なのだが。
「駄目だよ、そういうのは」
手が震え出したのを隠そうと、食べかけのクレープを持ったまま、両手をテーブルの下に下ろした。 怖いというより、今は悲しい。
「うん。 だから、もう、いいの」
私が震えている事に、クレアは気付いたのだろう。 一瞬、視線をテーブルに向けたが、またすぐに私を見て、申し訳なさそうにはにかんだ。
「菜月は、わたしのこと、信じてたよね。 わたしが、何か事情があって中村をいじめてるって」
「…………」
「だから、できるだけ味方しようとしてくれたんだよね。
ごめんね、苦しめて」
怒るべきなのか、泣くべきなのか。 あるいは両方、もしくはどちらも違う。
しかし今、泣きそうな気分だ。
「もう、いいから。
わたしのことより、中村を守ってあげてよ」
………
………………
………………………
鏡を割ってしまいたかった。
「…………」
彼女は暫し、洗面所の鏡に映る我が身の虚像を見詰めていたが、やがて深い溜め息と共にその場を離れた。 心の中は非常に暗憺(あんたん)としていて、これを晴らすのは非常に困難なことであった。
日に日に窶れて(やつれて)いく。
この顔、この身体、精神に蝕まれていく。
ああ、以前はとても綺麗だったのに。
それもこれも、あのいじめのせいだ。
彼女のクラスでは凄惨ないじめがあり、今では少し治まったが、一時期は見ているだけでも頭がおかしくなりそうだった。
何が悲しいって、この顔よ。
こんなに老け込んじゃって。
それもこれも、竹山クレアが悪い。
今さら「もういじめない」って言って、それだけで罪を逃れることが出来るっての?
許さない。 許さないよ。
憎しみに顔を歪めるが、これ以上醜い面相になるのが怖くて、すぐに無表情になる。
急いで部屋に戻り、彼女は携帯電話を取り出して、電話帳を開いた。
………………………
………………
………
20××年 10月28日 金曜日
それを発見したのは、二年の生徒だった。
一時限目が終わり、次は体育の授業。 暑い夏が続き、水泳の授業は天の助けのように有りがたかった。 二週間前にそれが終わり、今はバスケットボールなんかをしている。
体育館の暑いこと。 暦の上では秋だというのに、いまだに外ではセミが鳴き喚くしアイスはすぐ溶ける。 許し難いことだが、そもそも誰を責めるべきかが迷いどころ。
教師を恨むべきか、体育館にクーラーを付けない学校を恨むべきか(ちょっと無理があるけど)、はたまた天候を恨むか。
天候を恨むのであれば、まずは神を恨むべきだろうか。 だとしたら、どこの宗教の神を恨もう。
「…………どうでもいいなー」
体育館のトイレに向かいながら、そうポツリ呟いた。 どうでもいい。 とにかく、体育なんてやりたくないのだ。
この生徒は真面目な生徒で、無遅刻無欠席、おまけに学年一位の学力という輝かしいものを戴いている反面、内心は教師や両親、社会への不満でいっぱいだった。
普段誰も来ない場所、体育館のトイレに籠っていれば、上手くサボれるだろう。
ちょっとした冒険だ。
一度くらいサボっても、別に困らないだろうと。 だって優等生だから。
成績優秀品行方正だって、別にクソ真面目ってわけじゃない。 たまには反抗したくなる。
そうこうしてる内にチャイムが鳴る。 授業が始まる。
彼女はドキドキしながら通路を駆け、トイレに逃げ込む。
そのままドアに張り付いて耳をすましていると、涼しい準備室から出てきた体育教師がトイレの前を通り過ぎ、体育館のほうへ向かう足音がした。 それが聞こえなくなるまで待って、彼女はようやく安心した。
このトイレならきっと見付からないし、体育館と比べれば幾分涼しい。 窓を開ければすぐ外は日陰なので、少しは冷えた空気が入ってくる。 窓に近い個室にでも籠ってよう。
そう思って個室に向かおうとしたが、あることを思い出す。
昔、この学校に通っていた生徒が、ここのトイレで自殺した噂。
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