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四章
4-2
しおりを挟む悪寒がした。
今のクレアなら、中村を殺すことさえ厭わないかも知れない。 何をしでかすのか、急にそのことが心配になって、私は気が気ではなくなった。 クレアは何をしに、何処へいったのだろう。
五分程して、クレアが再び教室に戻って来た。
「押さえ付けろ!」
入るや否や、鋭い口調で周りに命令すると、直ぐ様中村の周辺に居たクラスメイト達が立ち上がりる。 危険を察知した中村が逃げ出そうとするが、多勢に無勢。 敵わなかった。
五人の生徒が中村の身体を捕まえ、手足の自由を奪う。 クレアは右手を出すように命令した。
「嫌だ!!」
中村は鬼気迫る声で叫ぶが、誰も気に止めない。 恐ろしいことに、クレアと中村と、中村を押さえ付けている生徒以外は、全員知らん顔で昼食を続行しているのだ。 まるでテレビを観るように眺めている人も居る。
私は腹が立って仕方なかった。 立ち上がって止めに入ろうとしたが、クレアと目が合った。
「……………っ」
罪悪感と恐怖。
それらが強く刻まれた表情だった。
なんでそんな顔をするの?
そんな顔をするくらいなら、なんでこんなことするの?
初めて見る彼女の表情に衝撃が走った。 やめてと叫ぶはずだった口からは、何も出て来なかった。 あんぐりと開けて目を見開くばかりである。
そして私が固まって覚醒するまでの隙を衝いて、クレアはスカートのポケットの中からあるものを取り出し、無理やり出された中村の右手に突き刺した。
「あああああああああっっっ!! ああ……っ、うぁぁ……………」
周りを楽しませるような「焦らし」も無く、クレアは中村の右手にそれを一気に刺し、貫通させた。
伝票刺しの太い針が手のひらの真ん中に刺さり、手の甲から先が飛び出している。
被害者の悲痛な叫びに、私は我に返った。
中村を押さえ付けていた生徒らが予想外の展開にショックを受けて、手を離した。 クレアは―――――笑っていた。 今までみたいな嗜虐的な笑みではなく、まるで呪いの人形みたいな、虚ろな笑顔。
私は慌てて中村に駆け寄った。 右手に刺さったままの伝票刺しを掴んで、無我夢中で引き抜く。 その痛みに呻いて踞ろうとする中村の腕を掴んで、ハンカチで傷口を強く押さえた。
「クレア、……………大丈夫?」
顔を上げて、私はそう言った。
何故だ。 違うだろう。 ここは叱りつけるところだろう。
しかし彼女の様子を見る限り、中村と同様に助けを求めているようだった。
「大丈夫。 大丈夫だよ。 保健室、連れていきなよ」
「…………」
「刺さったね。 思ったより簡単にいったね。 笑えるわぁ」
ふふふ、と笑いながらも尚見開いたままの両目が、涙で光っていた。 しかし泣きはしなかった。 一瞬のうちに何が起こったのか、狂ったような表情が消えてしまったのだ。
いつもの明るい笑顔で、「あー! すっきりした!」と、声を上げて笑うのだ。
………
………………
………………………
同日 19時
あの後、私がクレアに気を取られている隙に、中村は姿を消していた。
コンマ数秒でいつものクレアに戻って、私は激しく違和感と恐怖を感じたのだが、クラスメイト達は安心したようで、一拍置いて皆笑いだした。
その光景を見て、私は呆れた。 何が楽しいのか、笑う要素なんて何処にも無かったじゃないか。
出来ることなら一人一人を罵倒して回りたい気分だったが、中村のこともあるので我慢した。 保健室へ行こうと声を掛けようと、後ろを振り返った時には既に居なかった。 見れば鞄も無い。
ここ最近、ひどく痛め付けられることがあれば直ぐ保健室に直行し、そのまま下校時間までそこで過ごしているようだが、今回もそうするのだろう。
私に言わせれば、もう転校なり何なり、然るべき行動に出た方が余程身の保全になると思うのだが、中村の家庭にも色々とあるみたいだし、それは難しいのだろう。
可哀想な中村。 学校でイジメに遭っているのに逃げられない。 生命の危機に何度も直面させられているのに、登校を拒否すれば家でも暴力を受ける。 その上、身に覚えの無い事件の犯人だと言われ、余計に痛め付けられている。
「菜月ちゃん、どうかしたの?」
リビングでテレビを見ていた私に、台所に居た母がそう問い掛ける。 「なんだか最近元気が無いみたいだけど」皿を洗い終え、濡れた手をタオルで拭きながらこちらにやって来て、私が座っているソファーの隣にどっかと腰をおろした。 座った瞬間、わざと重さで身体が跳ね上がったような動作をしたら、持っていたタオルを顔に押し付けられた。
「なんでもないよ」
「本当? 学校で何かあった?」
「何もない。 平和過ぎてつまらない」
「それでいいのよ! イジメとかあっちゃ、たまったもんじゃないもの」
妙に実感がこもった口調に、思わずギクリとした。
母を見ると、何かを思い出しているように明後日の方向に視線を向けていた。 「どうしたの」訊いたら、溜め息混じりに「母さんが高校生の頃ね、いじめられてた子がいたのよ……」
「ほら、この間、母さんの卒業アルバム見つけたでしょ? それ見て急に思い出したのよ。 私がいじめてたわけじゃないけど」
「ふーん」
別にそれについては身に覚えなんかないけどね、といった様子を装って相槌を打つ。
「その子、いじめられてても毎日学校に来てたわ。 すごいと思ったわ……、私だったらすぐ逃げてた。
でもね、ある日階段から突き落とされて、入院しちゃったのよ。 それ以来、転校してしまって、全く会ってないわ」
「……それって、何歳の時?」
「18よ。 高三ね。 なんで?」
「いや、なんとなく」
単純に、一年生や二年生の時に転校したのなら、あまり卒業アルバムにも載らんだろうと思ったのだ。
少し、そのアルバムに興味が湧いたが、テレビに好きな歌手が出たので、すぐに忘れた。
私の横で母が意味ありげな目で見ていた。 保護者なんだから知らない訳がない。 学校の生徒が、クラスメイトが次々に殺されている事件を。
しかしそれを言わずにじっと見るだけなのは、きっと心の中で必死に祈っているからだろう。
私の娘が殺されませんように。
神様、娘を守ってください、と。
………………………
………………
………
同日 22時
「…………」
リビングで、母が啜り泣きをしているのが解った。
毎日のように満身創痍で帰宅する娘を思っての涙だと解ってはいたが、中村はそのことを素直に喜べない。
泣くくらいなら、立ち上がって抗議すればいいのに。
娘を守ろうとは思わんのか。
暗闇が支配している自室のベッドに横たわりながら、右手を握り締める。 痛い。 手の中心が焼けるように痛い。
気難しくて威圧的な父を、母は恐れているようだが、中村は違った。
普段から従順することを心掛けてはいるものの、だからといって父を恐怖するかと訊かれれば話は別で、実際は恐くも何ともない。
反撃しようと思えば、直ぐ胯間を狙って拳を突き出せばいいのだが、そうなると後々母が八つ当たりをされる。
自分が殴られるのは構わないが、他人がそうされるのは耐え難い。 殴られている人を見ていると、自分があんな風に殴られたらどう感じるのか考えてしまう。 想像してしまうと、何故か身体中が痛くなる。
今日、帰宅した中村の右手を見て、母は心底驚いた様子だった。
詳細を話すと、気が触れでもしたかのような狼狽ぶりだった。 だが娘を抱き締めることも、学校に抗議の電話を入れることも出来ず、
「お父さんには秘密にしなさい」
言ったのはただ、それだけだった。
父はいじめなど大したことではないと言う。 どうせ後ろから小突かれる程度で、学校を休ませる程ではないと思っている。
殴られたりした傷痕を見せても、中村が自演のために自ら付けた傷だと疑わない。 独善的で、不愉快な父親。
彼女は幼い頃、いつか絶対に父を殺してやると誓った。 今もそれを忘れていないのだろうか? 我々にはそれを想像することしか出来ないのが、実にもどかしい。
何を思ってか、中村はベッドに仰向けに横たわったまま涙を流し始めた。 ツウと頬を斜めに伝った滴が耳に流れ込む。
誰か助けて!
心からそう望むが、誰が聞き入れてくれるのだろう?
小嶋………―――、小嶋菜月なら、きっと望みはあるかも知れない。 母も父もあてになるものか。 自分のことしか考えてないのだから。
「ごめんね」
暗闇に向かって呟く。
「ごめんね、クレアちゃん」
………
………………
………………………
20××年 10月26日 五限目
あれからおよそ10日経ったが、その間中村の身には何も起こらなんだ。
あれほど憤っていたクレアも、以降全く中村には目もくれず、休み時間も以前のように、私や、他の友達と談笑して過ごした。 いじめにはもう飽きたのか、嫌気が差したのか、とにかくもう終わった。 そう思えた。
クラスメイト達はまだ物足りないらしく、時折中村の歩いている所に足を引っ掛けて転ばせてみたり、物を隠す程度の嫌がらせを仕掛ける輩は居た。
それを横目に見ながらも、クレアは我関せずの姿勢を取った。
皆、クレアがした凄惨なやり口をする程の度胸は無いが、それなりに中村への攻撃は続いている。
しかしまあ、前よりははるかにマシだろう。
五限目が終了すれば、学校はもう終わり。 クレアと私は、二人で買い物に行く約束をしていた。 クレアの好きな歌手のDVDが、今日発売されるらしい。
一人で街中を歩くと、しょっちゅう男の人に話しかけられて嫌なんだそうだ。 二人で居ればそれも減るし、なにより断りやすいそうだ。 そりゃあ声も掛けたくなる、こんな美人。
……―――きっと、心も美人なはずだ。
そう思いたいのだ。
中村へのいじめには、きっと彼女なりの理由があったのだ。 そうしないといけないほどの。
だって、今までのクレアを知ってる。 優しくて、明るくて、でも人には媚びない。 皆を楽しませるようなことをいっぱいして、自身も沢山笑ってた。
信じたいのだ、クレアはいい子なんだと。
だってクレアのこと、好きだもん。
クレアが、ただ気に入らないって理由とかで人をいじめるような人なわけない。
言ってしまえば、中村をいじめている時のクレアは、私の大好きなクレアなんかじゃない。 あれは悪魔だ。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室の中が騒がしくなる。
帰る前のホームルームが始まる前にトイレに行こうと、私は席を立って教室の出入口に向かった。
廊下から出る直前、教室内で大きな破壊音が生まれた。
何かが割れる音だった。 振り返ると、クラスメイト達も一斉に同じ方向に注目していた。
「あ………」
視線の中心で、中村が立ちすくんでいた。 私の机の近く、厳密には私の前の席の横辺りで、何やら焦った様子で床を見ていた。 胸を両手で押さえながら、おろおろと視線を泳がせている。 実に不憫な様だった。
よく見れば、中村の足元には陶器の破片が散らばっている。 それが置いてあった私の前の席は、かつての級友右田ハルカの席である。 死んでった友人の席には、すべからく花を活けた花瓶が置いてあるのだ。 全体を見るに、花瓶は三つ。 平均値から比べると非常に多い。
中村は零れた水に濡れた床に膝をつき、飛び散った破片を拾い集めだした。 私はトイレを後回しに(どうせ生理用品替えに行くだけだったし)して、掃除用具の入ったロッカーから箒とチリトリを出して、手伝うことにした。
もういい、友達とか、イジメとか、自分がターゲットになる可能性も、どうでもいい。
助けるべき相手を、出来る限り助けたい。 私はそうしたい。
クレアのことも好きだけど、だからといって遠慮しているのはもう嫌だ。
無視や嫌がらせ、そういった正しくないことには、今後一切関わるものか。 固くそう決心した。
「大丈夫?」
箒とチリトリを持って私が近付いて行くと、中村はそれを見て泣きそうな顔になった。
悲しいから泣くんじゃない、嬉しいからだ。
二人で破片を拾っているのを、周りは冷めた目で見ていた。 顔を上げると、目があったクラスメイトは直ぐにそっぽを向いて、帰り支度を続けた。 私のことを蔑むような、鋭い目付きだった。 蔑まれるべきはお前らだ。
私達を無視して、他のクラスメイトらも各々の事をやりだした。 同じ空間に居るというのに、この分厚い壁は何だろう。
「私も手伝うよ」
そう言って、こちらに歩み寄ってきた人物が居た。
クレアである。
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