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二章
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………………………
20××年 9月26日 月曜日 昼休み
トイレでの一件があった後、中村は早退した。
帰宅してから気付いた事と思うが、クレアは中村が教室に戻るまでの間、彼女のカバンにあるものを詰め込んだ。 子猫の死骸だ。
クレアや私達がトイレに居る合間に、他のクラスメートが拾って来たのだ。 クレアに気に入られれば、自分が安全だと考えての事だろう。 いじめの標的になるという事は、死刑宣告よりも最悪な事態である。
クラスメートがホウキに引っ掛けて持ってきた姿を見た時、私はかつて生きていた子猫に対するその粗末な扱いに怒りを覚えた。
クレアがそれを素手で掴み、飛び出しそうになっていた目玉をもう片方の指でコロリと引っ張り出したのを見て、怒りの代わりに恐怖が私を支配した。 何故、そこまでするのだろう。 つい数分前には、中村の頭をトイレの便器に押し込み、蹴りつけて気絶させた。 その時点でやりすぎなのに、何故、まだ続けようとするのだろう。
私達のクラスで中村がいじめられているということは、どうやら学校中の皆が知っているようだった。 全学年、全生徒が中村と廊下で出会せば明白に避けたり、わざとゴミを投げ付けた。 担任を含め数人の教師も気付いていたが、知らぬ顔だった。 だがほとんどの教師は知らない。 とくにあのうるさい、男の体育教師なんかは、「みんな仲良しのいい学校だ!」とか何とか、先週の授業で嬉しそうに大声を出していた。 馬鹿か。
中村は早退した翌日も休んだ。 土日はクレアが私の家に泊まりに来た。 だが彼女は中村の話をしなかった。 以前のクレアに戻っていた。 私はそれが嬉しくて、何度もクレアに抱きついた。
このまま、中村が学校を休み続けてくれればいい。 そうすればクレアもオカシクならない。 中村がずっと学校を休んで、やがてクレアも私も、皆も中村の事を忘れ去ればいい。
心底そう望んでいた。
それなのに、今日の朝、中村は登校してきた。
扉が開いて中村が入ってきた瞬間、ざわついていた教室内が静まり返った。 この静寂は中村に対する嫌悪を表すものであり、驚きも表していた。
中村の左の頬は赤黒く腫れていて、まるで誰かに殴られたようだった。 いや、これは明らかに殴られた顔だ。 中村は何にも考えていないような、空っぽな表情をしていた。 学校でいじめられるよりも、休んで家に居ることのほうが怖かったのだろうか。 あれは女の力で殴られたアザではない。
さすがのクレアも中村の頬のアザには驚いた様子で、何とも言い難い、不思議な表情で彼女を見詰めていた。 今日1日、何のちょっかいも出す気は無い、出したくないように見えた。
昼休みになり、中村は通学鞄を抱えて教室から出ていった。 保健室か、もしくは誰にも見付からないような所で食べるのだろう。
「行くよ」
クレアが宣言した。 「カッター」の一言に、一人の生徒がペンケースを開く。
細いカッターを受け取り、刃が新品か確かめるために全部出し、指でなぞるクレア。 能面のように感情が無い顔だった。
刃を仕舞ってそれをスカートのポケットに突っ込むと、自分の前後の席の生徒二人(よくクレアの手伝いで中村をいじめている)と共に教室の出口へと向かった。 その際、私の席がある列の前で足を止め、
「菜月はご飯食べてな。 今回はアンタには見せたくない」
よく解らない、覚悟のようなものを感じさせる口調で、私に言った。
早足で教室から出ていったクレア達がなにをやろうとしているのか、知りたく無かった。 きっと、とても恐ろしい事なのだ。
知りたくなかった。 しかし、だからこそ余計に中村の身が案じられた。 死ぬような事や、犯罪なら止めなければならない。
「…………」
いや。 これは犯罪よりも質が悪い事なのだ。 いじめは、時に人を死に追いやる。 追いやった張本人が、矢面に立たされて皆から責められる訳でもない。 犯人は解っているのに、捕まえられない。 だって、直接殺してないから。
クレアに、いじめを止めてほしい。 そう強く感じているのに、私は彼女に何も言わない。 言えない。
視線を上げると、窓際で並んで弁当を食べていた二人の生徒がこちらを見ていた。 「何?」よく話す二人だったので、軽い気持ちで声を掛ける。
すると、片割れが弁当を近くの机に置き、私の席にやって来た。
「あの………竹山さん、何をする気かな?」
「私にも解らない」
「大丈夫かな? まさか殺すとか……」
「そんなこと、クレアはしないよ」
そう否定はしたが、自信はなかった。 そのつもりが無くても、弾みで死なせる事もありそうだ。
「私たち、こんなこといつまでも続けるつもりないよ? そりゃあ、楽しいけどさ」
「…………」
「でも、まだ高一とはいえ油断できないでしょ? いい大学行きたいから勉強したいんだよね。 早めにケリつけてもらえない?」
「…………はあ」
「じゃ、よろしくね」
よろしくって、一体何がよろしくなのだろう?
そもそも、言う相手が違うだろう。 どうしてクレアに言わないんだ。
それどころか、人をいじめるのが楽しい?
今、まさに苦しんでいる中村の事より、自分の進路?
窓際に戻ってまた弁当を食べ始めたその生徒を、思わず顔をしかめて見詰めてしまう。 気付かれる前にそっぽを向いたが、憤りは増すばかりだ。 きっと彼女だけではない、皆が同じ事を考えている。 マイノリティなのは私なのか? 中村を心配する事は異常なのか?
………
………………
………………………
「なーかーむーらー」
ついに見つかった。 中村は逃げても逃げ切れない、執念深い蛇のような女が背後に立っている事を察知した。 身体は冷たくなり、足に血液が集中したために、足元だけが熱を持っていた。 本能が自分に逃亡を指示し、身体的に逃亡に適した状態にしてくれた事は実に有難いが、恐怖というものは本能よりも強力だ。
校舎の三階の片隅にある屋上への扉には「立ち入り禁止」の張り紙がしてあり、基本的には施錠されている。 だが中村は屋上の扉を開ける鍵を所持していたのだ。
もちろん合法的に入手したものではない。 彼女は昨日の日曜日、早朝にコッソリと校舎に忍び込み、何処かの部活の顧問が職員室の鍵を開けるのを、隣の職員用女子トイレの用具入れの中で待った。 そしてその男性顧問がトイレに行き、大便の次いでに浮気相手への電話をしている隙に職員室に入り、屋上の鍵を盗んだのだ。
もちろん盗まれたと気付かれるのは時間の問題だったので、その日のうちに家の近所のショッピングセンター内にある鍵屋で630円を払って合鍵を作った。 そして今日の二時間目の国語の授業後、国語の係としてノートを届けに行く際、自分の担任の教師の机にあったペンスタンドの中にオリジナルの鍵を入れた。
これで盗まれたとバレても、最終的には中村のいじめを見て見ぬふりをしている担任に罪を擦り付けられる。 いい気味だ。
盗まれた事が明るみに出なかったとしても、担任が鍵に気付いてコッソリ戻すだろう。
中村は屋上の鍵を、外から施錠するのを忘れていた。 そのため、後をつけて来たクレアに見つかった。
「いけない子だね? 屋上は立ち入り禁止なのに」
「…………っ」
このままだと、クレア達に鍵を奪われる危険性がある。 そうなると自分の身がますます危うくなる。 教師に告げ口されるだろうし、屋上は誰にも止められずにクレアが中村を痛め付ける事が出来る格好の場所だ。
珍しく、今回クレアは大勢を引き連れてなかった。 両側に一人ずつ、確かクレアの席の前後の席の生徒が立っていた。 片方はクレアにとって、小嶋菜月とはまた別の親友・右田ハルカで、もう片方の名前は忘れたが、長く伸ばした黒髪が綺麗な生徒だった。
「ここの鍵、盗んだの? よこしなさいよ」
抑揚の無い声で喋りながら、クレアが近付いてくる。 このままではいけないと、中村は素早く辺りを見回して、自分の左手の方に雨水を流すための穴があることに気付いた。 穴は金属の格子で塞がれてはいるものの、鍵が入る程の余裕はあるようだった。
中村は左手を鞄に入れ、屋上の合鍵を取り出すと、その穴に向かって投げ入れた。
上手い具合に格子の間を抜けた鍵は、ガランガランと音を響かせながら、落ちていった。
それを見て、クレアはこの日初めての笑顔を見せた。 目の下の筋肉だけが持ち上がり、唇は片方を歪めただけの、屈折した表情だった。
「生意気なんだよ、てめえ」
恐ろしい笑顔は直ぐに顔から消え去り、また無表情になった。 中村が身構える暇も与えずに、クレアは飛び掛かった。
「いやっ!」
必死に抵抗する中村だったが、右田と黒髪の生徒もクレアに加わったので、すぐに屋上の地面に押さえつけられた。 三人がかりで右腕と両足を押さえ、何故か左腕は自分の前に無理やり引っ張り出された。
「知ってる? 世の中には頭がおかしくて馬鹿で、あんたみたいな人間のクズがいるの」
クレアの白い手が、中村の制服の袖を捲って左腕をむき出しにさせた。 風が吹いて右腕をねじり上げる生徒の黒髪が舞った。
――ああ、綺麗な髪だな。
現実から逃避した中村の頭が、ぼんやりと思考する。 空がとても綺麗だな。 風が気持ち良いな。
「その人間のクズ共はね、」
カチカチと耳障りな音がして、空を眺めていた視線を戻した。
「自分で自分の手首切っちゃうんだってさ」
「―――っ、きゃぁぁぁぁ!」
一瞬だった。
刃を数ミリ程出したカッターの先が、自分の手首に深く食い込んだ。 そして素早く横に移動した、つまり、皮膚を切った。 裂いた。
刃は少ししか出されていなかった。 五ミリかそこらだ。 だがその五ミリが、一気に体内に入り込み、身体を傷付けた。
「もう一回しておこうか、一応」
家の戸締まりを確認するかのような、何でもない口調だった。 クレアは、今度はカッターを短く、しっかりと握った。
「大丈夫、自分でやっていくうちに慣れるもんらしいよ」
最初に切った傷口から、普通の出血とは思えない程の血が流れていた。 赤い液体は制服のスカートに落ち、その下の膝を濡らしていく。
「やめて――――――――!」
声が震えすぎて絶叫出来なかった。 弱々しくて、惨めな自分の叫び声が鼓膜を震わせた。
二度目のリストカット。
短く握ったカッターが、今度は一度目の傷口と直角に交差する形で皮膚を切った。 ただ切っただけではない。 クレアは中村の手首を刺した。
「いやーっ!!」
そして、ゆっくりと、確実に刃を皮膚の中に入れながら、肘の方向に三センチ進めてから、カッターを持ち上げた。
「どんまい」
右の方で、黒髪の生徒が呟く。 右田は目を背けていた。
クレアは中村の血液で汚れた自らの手を一瞥し、「行こう。 手を洗わなきゃ」そう二人に告げてカッターを放り出した。 拘束を解かれ、中村は自分の手首をまじまじと見つめた。 十字の切り傷から、夥しい量の出血が認められた。
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