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=1巻= 寝取られ女子、性悪ドクターと出会う ~ 永遠の愛はどこに消えた? ~==

0-7.高度一万メートルの黒歴史

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 なにが悲しくて、見知らぬ男のアレを握らなければならないのか。
 いや、彼氏のであっても積極的に握りたいわけではないが。
 額に手をあてて、こいつはもうダメだと思っていることを隠しもせず、隣のイケメンが溜息を放つ。
「彼氏だか、パパだか知らんし、お前の経験数などどうでもいいが、気易く他人のに触るな。ついでにこっちを見るな。わかったか、痴女」
「だから痴女じゃありません!」
 うっかり、これでも処女ですと口走りかけ、千秋は慌てて唇を引き結ぶ。
 喉からうぐっと、これまた色気の欠片もない変な音が鳴る。
 恥の上塗りになるだろう台詞をなんとか呑み込んで、千秋はそろそろと息を吐いた。
 このまま男を無視することもできたが、黙っていては男の主張を――千秋が痴女ということを認めている気がし、やめればいいとわかっているのに、余計なことを言い返す。
「だいたい、私には守屋千秋という名前があるんです。相手の名前も聞かずにいきなりの痴女呼ばわりは、いくらなんでもひどすぎませんか?」
「そういうことは、己の行動を顧みてから口にしろ」
 この場合、千秋がダメなら相手が黙れば、時間が怒りやら恥の水位を下げてくれるものだが、残念なことに千秋同様、男もクールビューティーな美貌に反して、なかなかの負けず嫌いだった。
 つまり、ああ言えばこう言うタイプが、二人揃ってしまったということだ。
「だったら、スーツが汚れたままでもよかったんですか?」
「見知らぬ女に急所を握られるよりはずっとマシだ。なんだって俺が、こんな変態的恐怖体験をしなきゃいけないんだ?」
「私だって、したくて貴方の股間を揉んでいた訳じゃありませんっ」
 ぷいっと横向きふくれっ面をすれば、当たり前だ痴女、と追い打ちをかけられる。
 名前を呼ばないのは仕方ないにしても、お前、とか君とか、いろいろ呼び方はあるだろう。
 自分より一回りほど年上の――三十代前半とおぼしき男にしてはかなり大人げない対応ではないだろうか。
「他人に触られたくないほど大事なら、取って金庫にでもしまっておけばいいじゃないですか」
「このっ、馬鹿痴女!」
 売り言葉に買い言葉な千秋の対応にカチンと来たのか、それとも違う感情からか、男はたまらずといった調子で声を大にする。
 そこでようやく介入するだけの気持ちの余裕ができたのだろう。近くに突っ立ち、口を挟めずにいた客室乗務員が、変にいかめしい顔をして声を掛けてきた。
「お客様。……その、会話はどうか抑えていただければ。他のお客様もございますし」
 言われ、千秋は初めて、今日のプレミアムクラスには自分らだけでなく、もう一人乗客がいたのだと思い出す。
 咄嗟に立ち上がったのは、クレーム対応が多い仕事で身についた習慣だった。
「すみません。お騒がせして」
 できるだけ相手を刺激しないように、客室乗務員に、次に客席全体へと二度頭を下げ、丁寧な物腰で謝罪する。
 が、顔を上げた時に見えたのは、最初のウェルカムドリンクでビールをしこたま飲み、すっかりと赤ら顔になって睡眠をむさぼる恰幅のいいおじいちゃんが一人いただけだった。
 とりあえず、他の客に今のやりとりが広まっていないことにほっとし、すぐ姿勢を正す。
 客に迷惑をかけなかったのはたまたまだ。それに、客室乗務員をこの騒ぎで困らせたのは間違いない。
「あー……っと、本当に、すみませんでした。ごめんなさい。以後気を付けます」
 素直に反省し、騒ぎを避けようという姿勢を見せる千秋に安堵したのか、客室乗務員は表情を緩めた。
「はい。よろしくお願いいたしますね、お客様」
 さすがスチュワーデスと賞賛したくなる営業スマイルで告げると、客室乗務員はどこか軽い足取りでギャレーに退いた。
 謝罪した千秋とは裏腹に、立ち上がるどころか客室乗務員の方すらみなかった男は、気が抜けた千秋が席に腰を下ろす横で、黙って足下に置いていたブリーフケースを引き寄せた。
 そうして、ケースの中から新聞を取り出し、わざとらしくバサバサと乾いた音を立てて広げ、あらゆる視線を遮ってしまう。
 そうして自分の顔を隠してしまい、もうなにも言う気がないのかと思えるほど長い沈黙を挟んでから、男は、容赦も創造性もない言葉を放つ。
「かわいげのない女だな」
 なんのこともないよくある捨て台詞だったが、妹に彼氏を寝取られたばかりの千秋にはこれ以上ないほど鋭く突き刺さった。
 ずきんと心臓に痛みが走り、千秋は喘ぐように唇を震わせ男を睨む。
 けれど、強気に言い返したいのに喉が引きつり声がでない。
 いつもなら、かわいげがなくて悪かったですね! と言い返せた筈なのに、今はとてもそんなことはできない。どころか男に言われた台詞が、元彼の捨て台詞と重なって、悲しい気持ちにさせられる。
 みるみる視界が涙でゆがみ、猫のように毛を逆立てていた全身が水を被ったみたいに冷えていく。
「そんなの、私が一番よく分かってるもん」
 嫌になるほど甘ったれた子どものいじけ声が唇からこぼれおちる。
 同時に、怒りに隠れていた惨めさがじわりと中から千秋を侵食し、どうしようもないほど気分を落ち込ませた。
 ――あ、ダメだ。これは泣く。
 あわてて視線を足下にやれば、ことの原因となったハンドクリームのチューブが転がっているのが目に入る。
 言い合う打ちに踏んでしまったのだろう。めったに買わないハイブランドの試供品で、大事に使おうと決めていたチューブは薔薇を模したロゴマークの部分からへしゃげ、中身の大半が床に飛び出していた。
(散々だ)
 思いつつ、けれど掃除する人を困らせるのも気が引けて、千秋は手に握っていたハンカチで床を拭い、破れたチューブを包んでバッグに入れる。
 そして溜息すら呑み込んだまま、身体ごと窓の方を向き、上空一万メートルの空へと視線を投げかけた。
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