外国人医師と私の契約結婚

華藤りえ

文字の大きさ
上 下
19 / 19
【番外編】

【番外編】ソフトクリームとパパとママ

しおりを挟む
 大学の研究室を出たのは七時だったのに、外はまだ夕暮れで、しぶとく蝉が鳴いていた。
 暑さこそ、昼間よりやわらいでいるとはいえ、少し歩くだけでも汗が出てくる。
 亜熱帯育ちのアズサでもうんざりしてしまうのだから、彼の妻である絵麻にしてみれば、もっと辛いに違いない。
 そう考えて、先に一度アズサが自宅に戻って車で迎えにくると主張したのに、絵麻は「別に具合が悪いわけでもないし、運動になるからいいですよ」とやんわり断ってきた。
 言葉づかいや表情は穏やかでも、一旦決めたことに対しては絵麻も案外頑固だ。
 二人が戻る先は、大学近くにあり、一緒に同棲していた、あのマンションだった。
 結婚に際しては『やはり新居を』と考え探そうとしたが、結局、仕事やら、絵麻の身体の都合から、あのマンションがいい。と二人して結論を出した。
 同棲していた時と違うのは、別々であったベッドルームが一つになったことと、空いた一部屋が、子供用として準備されたことだ。
「大丈夫か」
 絵麻に手を差し伸べると、彼女はショルダーバッグを抱え直して首を傾げる。
「全然平気です。これぐらい持てます。それに、身体を動かさないとだめっていわれていますし。……だいたい、アズサさんは、心配しすぎです」
 そう言いながら、絵麻はゆったりとしたカシュクールワンピースの表面を軽く撫でる。
 出会った時から常に、リクルートスーツのような真面目な服装で仕事をしていた絵麻だが、最近は、ふんわりしたオフィス・カジュアルを着ている。
 長かった髪も、肩で切り揃えてしまったが、それはそれで愛らしく。アズサは気に入っていた。
(……まあ、どのような彼女であれ、好きなことにはかわらないが)
 絵麻に歩調を合わせ、大学の医学部敷地からマンションまでの道を二人で歩く。
 指をからめて繋いだ手が、互いにすこしずつ汗ばんでくると、絵麻が恥ずかしそうに指を閉じたり開いたりするのが可愛くて、つい、ぎゅっと握りしめてしまう。
 そうすると、湿った肌が密着して、思わず不埒なことを考えそうになり、アズサは遠くを見て気をそらす。
「あ……」
 アズサと同じものを見たかったのだろう。
 絵麻がアズサと同じ方向に視線を送り、それから小さく声をあげた。
 チリン、チリンと涼しげな鐘の音を鳴らしながら、小型リヤカーが大学前の国道沿いを移動している。
 目をこらすと、はげかけた空色のペンキの車体に『ソフトクリーム』と書かれていた。
 鐘の音に呼応して、絵麻の足取りが遅くなる。
 ついでに、ちらちらとこちらの顔を下から伺ってくるから、始末が悪い。
「食べたいのか」
「食べたいです。けど……」
 くちごもり、空いている手をそっと腹に当てる。
 スーツだと目立つが、今の服装では目立たない程度に絵麻の下腹部は膨らんでいた。
(気にしているのか……まあ、当然だが)
 悪いと思いつつ、少しだけ苦笑してしまう。
 絵麻のお腹の中には、アズサとの子どもが宿っていた。
 それ自体は嬉しいことなのだが、勤務している先が大学医学部であることから、本気で心配しているのか、からかっているのか、年配の女性看護師や事務職員が、絵麻に対して『妊婦なら、アレを食べるな、コレを食べるな、ナニソレはいい。とか、母乳がでないだの、出る』だのを、仕事ついでに雑談していくのだ。
 半数は偏った知識に基づいているのだが、やはり絵麻は新しく母になる身もあって、気になるらしい。
 そして、本日は「ソフトクリームはよくない!」攻撃だった。
 アズサからすれば、適度に食べていれば問題はないと思うし、そもそも、危ない食品や量なら、外野が口を出す前に、夫であり、医師でもあるアズサが止める。
 逆に、ここ数日、暑さで絵麻の食欲が落ちているのだから、口に入るなら、ともかく食べて欲しいぐらいだ。
 だが、女心はそう簡単に納得できない様子で……。
「晩ごはんが、近いですから」
 本当の理由はそうじゃないくせに、アズサに気を遣わせまいとするのがいじましくて、抱きしめたくなる。
 それを我慢して、アズサは繋いでいた手を解き、リヤカーへ向かって走り出していた。
 丁度、最後の一つ分だけ残っていたソフトクリームを手に戻ってくると、目に見えて絵麻が赤くなり、もじつきだす。
「ほら」
 アズサは絵麻の手にソフトクリームを握らせるが、彼女はまだ迷いためらう。
 なおも食べようとしない絵麻に焦れていると、気温のせいか、すぐにクリームの部分が溶けて流れていく。
 とけたクリームがコーンを持つ絵麻の手を伝って、ひたりとアスファルトに落ちた。
 彼女の手を伝う白い液体が、違うものに見えてしまい、アズサは心臓が跳ねるのを自覚する。
「わ、ああっ…………あー」
 切羽詰まる夫にも気づかず、あわてて拭くものを探し出す絵麻の手首を取り、アズサは、そのまま、手の甲を伝い流れるクリームに舌を沿わせた。
「やっ……ちょっ……あ、アズサさん! ここ、学部内っ……っ、ふ」
 舐めても、舐めても次から次にたれてくる白い筋を、硬くした舌先でなぞったり、口に指を含んだりしていると、すぐ、彼女がぴくんと震え、反応しながら、アズサに寄りかかってくる。
「んっ……も、やぁ……ぁ」
「食べないと、ずっとこうして、溶けたのを舐めつづけるが」
 ちゅっ、と音をたてて手の甲に吸い付くと、彼女が潤んだ目でアズサを見上げてきた。
 あと半年もたたずに母になるというのに、相変わらず少女のような、清純で初々しい色気に心臓がどきりとしてしまう。
 身を小さくして顔を真っ赤にしているのを見ると、庇護欲と支配欲を同時に掻き立てられて、アズサは下腹部に熱が集いそうだ。
(これは、たまらないな)
 何度身体を重ねてもかわらない、恋人で、妻で、愛する者でもある女を見つつ、自制心が家まで持つか不安になる。
「どうしても、食べないなら」
 一口、ソフトクリームを含み、アズサはそのまま絵麻を片手で抱き寄せ、唇を重ねた。
 冷たく甘いものが、すぐに形を失い……かわって、温かく柔らかく、蜜のように甘い絵麻の舌がアズサによって舐め蕩かされる。
「ふ……んんっ……、うっ……っ! ……あっ、あ」
 クリームの甘さもなにもなくなるまで、絵麻を貪ってから唇を離すと、彼女は、はあっと艶めいた吐息をこぼす。
「……アズサ、さん」
 不満げに唇を尖らせながら、アズサを見つめてくる絵麻に微笑むとアズサは告げる。
「ほら、また溶けてくるぞ。……それとも、ここで、もっとして欲しいと、おねだりされているわけか。俺は」
 わざとらしく倒置法をつかえば、そんなわけないじゃないですか! と相変わらずの反論が出てきて、つい笑い声が飛び出してしまう。
 最初は膨れていた絵麻も、つられて笑いだし、それから、幸せそうに目を細めソフトクリームを食べだす。
「……もっと、甘えられたい気がするのは俺だけか」
「はい?」
「絵麻は、物わかりがよすぎる。……夫の俺には、もっと甘えて、頼っていいし、遠慮せず、食べたいものを食べたいと言ってもいい。駄目なら駄目だと言うし、その点については、今日、来た用度の事務職員より、よっぽど俺のほうが、根拠に優れているはずだが」
 専門医ではなく、分野が違うとはいえ、まがりなりにも医師だ。と額をつつくことで示すと、彼女は嬉しそうにうなずき。
「でも、妊婦検診の胎児エコーは絶対に見ないんですよね」
 とやり返してきた。
 常にアズサが検診には付き添うが、診察室には入らないことをからかっているのだ。
「…………それは、言うな」
 しょうが無い。下手に診察データを見れば、生まれる前に、性別やらなにやらがわかってしまう。
 だから、妊娠や出産については、リスクが一定を越えないかぎりは知らせるなと……絵麻が通っている病院の、産婦人科担当医かつ同期を、半分脅しているぐらいだ。
「第一、エコーをみたら、楽しみが減る。……その、父親として」
 言ううちに、照れくさくなって膨れていると、絵麻の手から、食べかけていたコーンがぽとりとおちる。
「そ、そうですよね。……そうですよね、アズサさんが、パパかあ」
「絵麻も、ママだろう」
 お互い反対方向をみながら、挙動不審にもじもじしながら空々しく言う。
 それを、たまたま居合わせていた事務職員の高中世羅が聞いており、呆れたため息を漏らしていたが、幸せな二人はまったく気づいていなかった。
しおりを挟む
感想 20

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(20件)

さく
2017.08.22 さく

作品出版されますこと、おめでとうございます。
ツイッター、フォローさせていただいてますので、詳細が分かりましたら教えてください!
楽しみに待っております。

2017.08.28 華藤りえ

さく様

祝福のおことば、および、Twitterでのフォローありがとうございます。
さくさまを初め、読んで下さった方々のおかげで単行本発刊の運びとなりました。

詳細は、可能な限り随時、伝えていきたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

解除
さく
2017.03.16 さく
ネタバレ含む
2017.03.22 華藤りえ

さく様

ご感想ありがとうございます。
こちらこそ、見守っていただきありがとうございます。
絵麻はアズサを尻に敷くといいますか、アズサが溺愛すぎる人になりそうです(独占欲もすごいと思われますが)

番外編は時間があるときにぼちぼち書いて行こうかと思います。

=========
・漢女が芳賀氏を(自覚なく)翻弄する
 じつはすでにされております。
 裏話ですが、花火街コンで確保された漢女と芳賀さんはラブホテルに批難しているというエピソードがあったのですが、冗長な気がして削っております。
 なぜラブホテルかといいますと、お風呂があって、着替えがあって、茶があってテレビがあるので服が乾くまでのんびりできる。という漢女らしい理知的かつ合理的な理由だったというオチでした。
(懊悩するのは芳賀さん)

・アズサの父
 実は王籍を抜けるに際して、さまざまな条件にアズサは合意しており、その中に「孫ができたら、年に一度(最低でも二年に一度)は帰国すること!」など入っているという裏設定がありました。

・アズサの兄
 実は登場人物の中ではかなり腹黒という設定で、爽やかな笑顔でエグいほど人を刺す。のが大好きな人で、怒らせるとニコニコしながら、相手の心の傷を抉りまくる人です……。

いつか、また、時期をみて面白そうなエピソードを短編として載せて行きたいと思いますので、ご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。

解除
2017.03.16 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2017.03.22 華藤りえ

紅さま

感想ありがとうございます!
とてもうれしいです。
お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

妊娠が発覚する前のちょっとしたドタバタラブコメみたいなものが浮かんでいるので、四月に余裕ができましたら書きたいとおもっております。

その際、ご縁がありましたら、お読み頂けると嬉しいです。
応援ありがとうございます♥

解除

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。