君の声が聞きたくて

誠奈

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第9章   tempo rubato

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 ジュースを飲み過ぎたせいか、タプンとした腹を抱えて契約を済ませると、辺りはすっかり夕焼け色に染まっていて……

 「これじゃ直帰の意味ねぇな」

 ポツリ呟いた俺に、「残念だったね」と松下が意地悪く笑うから、先方の担当者に恨み言の一つでも言ってやりたい気分になったが、止めておいた。
 松下に愚痴ったところで、待ちぼうけを食らった分の時間が戻って来るわけじゃないから。

 「あ、俺、ちょっと電話しても良いか?」
 「いいけど……、あ、ひょっとして?」

 運が良いのか悪いのか……、信号が赤に変わった途端に、松下のニヤケ顔が俺に向けられた。


 ……ったく、勘良すぎだろ!


 「でも智樹なら電話よりもメールの方が良いんじゃ?」
 「うん、まあ……、そうなんだけどさ……」

 俺も実際、最初はそう思った。
 今の大田君に電話をかけたところで、俺が一方的に喋るだけで、声を失くした彼が返事を返せるわけでも、彼の声が聞こえるわけでもない
 だから当初はメールだけで連絡を取り合っていたし、それだけでも十分だった筈なんだけど、でもある時思ったんだ。
 文字だけのやり取りでは、彼の息遣いまでは伝わってこないんだな、って……
 例え声が聞こえなくても、指で電話をトンと叩く音だけで、彼の息遣いが聞こえるだけで、彼がそこに存在してるって感じられることが、こんなにも幸せなことなんだ、って……

 勿論、大田君自身は抵抗があったみたいだし、大田君からの連絡はメールで来ることが殆どだから、当然俺もメールで返すことの方が多くなりがちなんだけど……

 「あ、もしもし大田君?」

 数コールの後、トン……とスマホの画面を叩く音がして、彼が電話に出たことが分かる。

 「思ったより仕事が長引いてしまってね。だから申し訳ないんだけど、駅前のカフェで待ち合わせ出来ないかな?」

 本当は、ちゃんと着替えも済ませて、彼のアパートまで迎えに行こうと思っていたんだけど、それだとどうも時間的余裕が持てなくなりそうだ。

 「30分もすれば着くと思うから、待っていてくれないかな?」

 俺の問いかけに、トン……とスマホを叩いて答える大田君。
 一回ならOK、二回ならNO、俺達の間(ほぼ俺が一方的に……だけど)で決めたルールだ。

 大田君の返事は、勿論OKだ。
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