君の声が聞きたくて

第４章 strascinando

７

　黙り込んでしまった雅也さんを前に、俺は財布の中にそっと忍ばせた、しわくちゃになった小さな紙を思い浮かべていた。

　桜木さんの名前が記された名刺だ。

　捨てた、なんてのは全くの嘘。発作的にゴミ箱に投げ入れたものの、やっぱりどうしても捨てられなくて、出かける間際になって拾った物だ。一度胸の底に芽生えてしまった好きって気持ちは、そう簡単には消せやしなかった。

　捨てたと嘘をついたのは、俺だけが幸せになってもいいのかっていう、単純に和人に対する罪悪感からだ。

　そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、雅也さんはプッと吹き出すと、俺の鼻の頭を指でピンと弾いた。ツンとした痛みが鼻の奥まで走り、俺は涙目になりながら雅也さんを睨みつけ、両手で鼻を抑えた。

　「はは、ごめんごめん。って言うかさ、智樹って本当に下手だよね、嘘つくの。さっきから鼻ヒクヒクしてるよ？」

　言われて、和人も同じことを良く言っていたの思い出した。


　「智樹が嘘ついてるかどうかなんて、鼻を見ればすぐ分かるんだよ？」って、意地悪に笑いながら、鼻を思いっきり摘まれたりしたっけ……


　「捨てられないってことは、それくらい好きだってことだよね、その人のこと」

　それまで絶やすことのなかった笑顔が、一転真剣な表情に変わった。

　「だったらさ、自分の気持ちに正直になっても良いんじゃない？」
　『無理だよ』
　「なんで？　和人のことがあったから？　和人に申し訳ないとか思ってる？」

　その問いかけに、俺は静かに頷いた。

　お互い本気の愛し合ってた訳じゃない。
　でも、一緒に暮らす中で、ぽっかり空いた隙間を埋め合って来たのは事実で、全てを満たすことは出来なくても、そこにはちっぽけではあるけど、愛情ってやつは存在していた筈だし、そうじゃなかったら俺達一緒にはいなかっただろうし、きっとこんな風に悩んだりはしなかった。

　だからこそ、和人がいなくなったからと言って、自分だけの幸せなんて考えちゃいけないような気がしたんだ。


　それに……