君の声が聞きたくて

第３章 marcat

１

　昼休憩のサラリーマン達で賑わう、オフィスビルに埋もれるように建つ古びた定食屋の、一番端っこの席……

　「えぇっ、嘘でしょ？　マジで振られちゃったわけ？」
　「シッ！」

　俺はやたらと声のでかい同僚の松下の口を咄嗟に塞いだ。

　「馬鹿、声デカ過ぎだって……」

　俺が言うと、松下は少し周りを気にする素振りを見せつつ、傾きかけたテーブルに身を乗り出した。

　「だって八年でしょ？　なのに振られちゃったわけ？」

　そして手で口元を隠しながら、今度はさっきよりも若干抑えた、でも驚きを隠せない口調で俺に問いかけて来た。

　「まあ……な……」
　「まあな……って、理由は？　あるんでしょ？」

　定食屋には不釣り合いなパスタをフォークに巻き付けながら、松下は尚も納得いかない様子で詰め寄ってくる。けど、俺は困惑を顔全体で表現することしか出来ない。

　なんたって、当の本人の俺ですら、何がどうなってこうなったのか、さっぱり分からないでいるんだから。

　「えっ、まさかとは思うけど、理由聞いてないとかじゃ……ないよね？」
　「いや、そのまさかだけど……」

　ただ一言「ごめんなさい」と言われただけで、理由なんて何一つ聞いてない。

　もしかしたら他に好きな男が出来たのかもしれないし、もしかしたら、そもそも俺と結婚する気なんてなかったのかもしれない。
　まあ、それならそれで、ちゃんと言って欲しかったのは正直なところだけど。

　でもそれだって今となってはどうでも良いことで、俺が知りたいのは、別の方向に向き始めた俺の興味の正体だ。

　正体不明のソイツは、ここ数日俺の思考をずっと支配し続け、八年間付き合った彼女に振られた傷の痛みすら、綺麗さっぱり忘れてしまうくらいに、俺を悩ませている。

　俺は空になった味噌汁の椀をトレーに置くと、備え付けてあったティッシュで口元を拭った。