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第二部
第一話
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耳の近くで魚の泳ぐ音が聞こえた。
跳ねるような音だ。小さな小魚が跳ねる音と水が中途半端に耳を撫でる感触がした。中に入るようで入らない、耳の入り口を撫でるような感覚を僕は案外心地よく思っていた。だから夢心地のままその世界に気づかなかった。夢の中でどんなに不思議な夢でもその時は気づかないように、そして起きたら不思議だったなあって改めて思うみたいに、その時は僕が水の中で寝ていることに何の違和感も抱かなかった。そして怖いとも息苦しいとも、その息苦しさが心地良いとも思わなかった。ただ何もかも開放された自由とかが心地よくって、苦痛すらも時間すらも僕の中にはもう流れていないんだなって感覚が心地よかった。このまま永遠に眠っても良いかもしれない。そう思いながら気まぐれに起きた。本当に気まぐれのまま僕は見知らぬ綺麗に整った街に眠っていた。真っ直ぐな道路。規則正しい建物が定規のように薄青く広がる世界。ビルが在った、たまにその下に収まるコンビニも在った。遠くで微かに電車の音が聞こえる。その音だけが微かに生きている気がした。足元には小魚が泳いでいた。メダカのようにも思えたけど、少し大きかったかもしれない。水の中は案外色んな魚が泳いでいた。淡水なのか海水なのかわからないけど、生き物がいるにしては綺麗な水だった。空は青かった。太陽は後ろにある。あれが東か西かはまだ分からない。コンビニの時計も秒針も短針も長身もない。文字盤には数字があった。その数字の位置だけは正しかった。スマホを持ってない。腕時計もない。ポケットにはカッターナイフ。左腕には赤い紐が在った。カッターは刃が収まっていた。取り出すとボロボロと溢れて水に入ると花に変わる。薬屋が在ったけど僕は入れないと思った。コンビニは入れた。ビルの中にも入れた。上のオフィスにも入れた。机と書類とひと昔前のパソコンが並んでいた。コピー機もある。人だけが居ない。
薬屋の手すりは触れなかった。まるで薬屋を看板にしたみたいに触れるけどさわれないみたいで、ほら、ドラマか何かでコンビニ撮影するでしょ? 後ろの煙草はイラスト。あれみたいに触れないんだ。ただ、薬やそのものに見えない壁というか空気の壁みたいなものが在って、僕はその先に触れられなかった。時折、時間の記憶が流れた。僕の記憶か誰かの記憶がながれて女の子がドアを開けて入る。一緒の母親も、僕も行こうとしたら記憶の時間はそこで途切れた。
”直人、神様にお祈りの時間だ”
昔、父とそうお祈りをした。仏壇じゃなくって神棚みたいなもの。でも見た目は神棚で中には鏡がある。でも、祀るのは神様であっても神様の言葉を訊く先祖様。なら仏壇でないかって思ったけど、人が神様になることはよくあるという。
僕の国の神様は曖昧だ。人であったり、木であったり、山であったり、岩であったり、雨であったり、川であったり、土地であったり、災害であったり。全ての現象にスピリチュアルを求めたらすごい数になった。そして増えたり減ったり消えたり忘れられたりひとつになったりする。
僕は漆で塗られた細い刀を持った。鞘に収まる。でも刃もちゃんとある。切れる刀を信者の前に出す。そして切る動作をする。こう、左手をさやに当てて、斜めに切る。
”悪縁を切りました”
そういう。嬉しそうに信者はお辞儀をした。僕は凛々しくしていろと言われたから表情は変えない。
僕のやることに意味はない。
本当に悪縁を切れたわけじゃない。切ったと思うことが宗教の本質だから、切ったと思えば切れたんだ。僕は切ってないと思うから、その差がとんでもなく広い。
僕の宗教は神様がいる日本的な新興宗教だ。戦前祖父が興して、終戦後に信者が増えた。偶然と言っていたけど戦後の混乱期、自動車業を営んでいた祖父は同時に整備もしていた。当時は燃料が不足していた時代。薪を燃やして蒸気で動く自動車も出していたけど、結局は電池で動く自動車を売っていた。それでも、なかなか高級品だった。結局は自転車の売上が大きく、主婦層にも人気だった。川からも捨てられた自転車を拾って修理して販売して、安く売っていた。安くとも中古が重宝された時代。売れるものは何でも売れという時代。軍の残飯でも料理して闇市で出す時代。街には職を失った労働者が増えた。
祖父はその中で炊き出しで労働者を養った。自分の工場で人を雇う。やがて少しずつ景気も立て直しつつある日本で、労働者も修理の術を身に着け、次第に自転車から自動車へと本来の仕事も軌道に乗りつつあった。祖父は家の裏手にある稲荷社への参りも日課だった。
やがて街の空き地を買い、その一角に神社を建てた。
宗教を興そうというものではない、ただ心の拠り所に慣ればと思ったそうだ。その結果、人々は集まり、商売繁盛の神社、良縁の神社、縁切りの神社と評判は周囲の人々が自然につけだした。ただの拠り所が神社に昇格した。やがて独自に祝詞を言う。本来の神社の祝詞にアレンジを加えたものだが、偶然にもその効果が出た日、神社の信頼は上がった。
興そうと思って興した宗教ではなかったが、結果宗教化したのは周囲の期待からだった。
祖父はその期待を折る必要はないとそのまま神社を存続させた。
七十年の歴史しかない新興神社はそうして格式を高めていった。
”直人、魚を食べなさい”
さばの味噌煮の日、父はそういった。
「神様は肉を嫌うんじゃ」
”普通の神社ならそうだ。だけど、商売繁盛の神様でもあるうちは魚屋さんの魚も買わないといけない、だからよく血抜きして食べるんだ。豚も鳥も牛も血抜きして食べることになるから必然的にうちはホルモンやレバーを食べられない。そのうち屠殺場の供養も頼まれるようになれば、そうしないといけない。宗教ってものはそうして新しい信仰と伝統がまるで昔からそうだったように追加されるんだ”
それが宗教の本質だというように父は言う。
でも、その効果か信仰か工場は大きくなって郊外に拠点を移した。東京タワーの麓にある工場から東京以外の土地で自動車生産工場を造った。大手のライセンス契約を取って、惨禍として部品の生産を大手の工場と隣接した工場で作る。
神社はそこにも建てられた。
まるで安全第一を掲げる神社みたいに。
僕らの宗教はいつしか大きな法人になった。そしてその会社はいつの間にか大きくなった幹部陣に任せて僕らは宗教法人に専念した。
僕らは怖かった。大きくなっていく宗教が逆に僕らを支配していくかのように感じた。
僕らの造った神様はいつの間にか僕らを超えて大きくなった。
逆にこうも思った。人間は神様も作れるんだと思った。
跳ねるような音だ。小さな小魚が跳ねる音と水が中途半端に耳を撫でる感触がした。中に入るようで入らない、耳の入り口を撫でるような感覚を僕は案外心地よく思っていた。だから夢心地のままその世界に気づかなかった。夢の中でどんなに不思議な夢でもその時は気づかないように、そして起きたら不思議だったなあって改めて思うみたいに、その時は僕が水の中で寝ていることに何の違和感も抱かなかった。そして怖いとも息苦しいとも、その息苦しさが心地良いとも思わなかった。ただ何もかも開放された自由とかが心地よくって、苦痛すらも時間すらも僕の中にはもう流れていないんだなって感覚が心地よかった。このまま永遠に眠っても良いかもしれない。そう思いながら気まぐれに起きた。本当に気まぐれのまま僕は見知らぬ綺麗に整った街に眠っていた。真っ直ぐな道路。規則正しい建物が定規のように薄青く広がる世界。ビルが在った、たまにその下に収まるコンビニも在った。遠くで微かに電車の音が聞こえる。その音だけが微かに生きている気がした。足元には小魚が泳いでいた。メダカのようにも思えたけど、少し大きかったかもしれない。水の中は案外色んな魚が泳いでいた。淡水なのか海水なのかわからないけど、生き物がいるにしては綺麗な水だった。空は青かった。太陽は後ろにある。あれが東か西かはまだ分からない。コンビニの時計も秒針も短針も長身もない。文字盤には数字があった。その数字の位置だけは正しかった。スマホを持ってない。腕時計もない。ポケットにはカッターナイフ。左腕には赤い紐が在った。カッターは刃が収まっていた。取り出すとボロボロと溢れて水に入ると花に変わる。薬屋が在ったけど僕は入れないと思った。コンビニは入れた。ビルの中にも入れた。上のオフィスにも入れた。机と書類とひと昔前のパソコンが並んでいた。コピー機もある。人だけが居ない。
薬屋の手すりは触れなかった。まるで薬屋を看板にしたみたいに触れるけどさわれないみたいで、ほら、ドラマか何かでコンビニ撮影するでしょ? 後ろの煙草はイラスト。あれみたいに触れないんだ。ただ、薬やそのものに見えない壁というか空気の壁みたいなものが在って、僕はその先に触れられなかった。時折、時間の記憶が流れた。僕の記憶か誰かの記憶がながれて女の子がドアを開けて入る。一緒の母親も、僕も行こうとしたら記憶の時間はそこで途切れた。
”直人、神様にお祈りの時間だ”
昔、父とそうお祈りをした。仏壇じゃなくって神棚みたいなもの。でも見た目は神棚で中には鏡がある。でも、祀るのは神様であっても神様の言葉を訊く先祖様。なら仏壇でないかって思ったけど、人が神様になることはよくあるという。
僕の国の神様は曖昧だ。人であったり、木であったり、山であったり、岩であったり、雨であったり、川であったり、土地であったり、災害であったり。全ての現象にスピリチュアルを求めたらすごい数になった。そして増えたり減ったり消えたり忘れられたりひとつになったりする。
僕は漆で塗られた細い刀を持った。鞘に収まる。でも刃もちゃんとある。切れる刀を信者の前に出す。そして切る動作をする。こう、左手をさやに当てて、斜めに切る。
”悪縁を切りました”
そういう。嬉しそうに信者はお辞儀をした。僕は凛々しくしていろと言われたから表情は変えない。
僕のやることに意味はない。
本当に悪縁を切れたわけじゃない。切ったと思うことが宗教の本質だから、切ったと思えば切れたんだ。僕は切ってないと思うから、その差がとんでもなく広い。
僕の宗教は神様がいる日本的な新興宗教だ。戦前祖父が興して、終戦後に信者が増えた。偶然と言っていたけど戦後の混乱期、自動車業を営んでいた祖父は同時に整備もしていた。当時は燃料が不足していた時代。薪を燃やして蒸気で動く自動車も出していたけど、結局は電池で動く自動車を売っていた。それでも、なかなか高級品だった。結局は自転車の売上が大きく、主婦層にも人気だった。川からも捨てられた自転車を拾って修理して販売して、安く売っていた。安くとも中古が重宝された時代。売れるものは何でも売れという時代。軍の残飯でも料理して闇市で出す時代。街には職を失った労働者が増えた。
祖父はその中で炊き出しで労働者を養った。自分の工場で人を雇う。やがて少しずつ景気も立て直しつつある日本で、労働者も修理の術を身に着け、次第に自転車から自動車へと本来の仕事も軌道に乗りつつあった。祖父は家の裏手にある稲荷社への参りも日課だった。
やがて街の空き地を買い、その一角に神社を建てた。
宗教を興そうというものではない、ただ心の拠り所に慣ればと思ったそうだ。その結果、人々は集まり、商売繁盛の神社、良縁の神社、縁切りの神社と評判は周囲の人々が自然につけだした。ただの拠り所が神社に昇格した。やがて独自に祝詞を言う。本来の神社の祝詞にアレンジを加えたものだが、偶然にもその効果が出た日、神社の信頼は上がった。
興そうと思って興した宗教ではなかったが、結果宗教化したのは周囲の期待からだった。
祖父はその期待を折る必要はないとそのまま神社を存続させた。
七十年の歴史しかない新興神社はそうして格式を高めていった。
”直人、魚を食べなさい”
さばの味噌煮の日、父はそういった。
「神様は肉を嫌うんじゃ」
”普通の神社ならそうだ。だけど、商売繁盛の神様でもあるうちは魚屋さんの魚も買わないといけない、だからよく血抜きして食べるんだ。豚も鳥も牛も血抜きして食べることになるから必然的にうちはホルモンやレバーを食べられない。そのうち屠殺場の供養も頼まれるようになれば、そうしないといけない。宗教ってものはそうして新しい信仰と伝統がまるで昔からそうだったように追加されるんだ”
それが宗教の本質だというように父は言う。
でも、その効果か信仰か工場は大きくなって郊外に拠点を移した。東京タワーの麓にある工場から東京以外の土地で自動車生産工場を造った。大手のライセンス契約を取って、惨禍として部品の生産を大手の工場と隣接した工場で作る。
神社はそこにも建てられた。
まるで安全第一を掲げる神社みたいに。
僕らの宗教はいつしか大きな法人になった。そしてその会社はいつの間にか大きくなった幹部陣に任せて僕らは宗教法人に専念した。
僕らは怖かった。大きくなっていく宗教が逆に僕らを支配していくかのように感じた。
僕らの造った神様はいつの間にか僕らを超えて大きくなった。
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